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坂本義教
著者:坂本義教(さかもとよしのり)
長年、医学、薬学関係の論文や科学史を専門に翻訳業を営んでいます。仕事柄、医学史に名を残す人物の経歴を目にします。そこには「えっ!」と思わせる意外な事実やエピソードが隠されています。自分一人の胸にしまっておくのももったいないと、あまり取り上げられることのない医師達の素顔を紹介しようと思い立ちました。収録しきれなかった興味深い事実がまだ多数あります。これからも掘り起こしていきたいと思っています。
コラム/健康・医療

Dr.医師 医学のトリビア大全(11)

[連載 | 完結済 | 全17話] 目次へ
最悪の死の病ペスト、英国の病理学者トーマス・ホジキンの恋、帝王切開の歴史、医師から転身・医師に転身した話の4編。
40.同時に
 人類史上、14世紀に発生した「黒死病」(ペスト)は最悪の死の病であった。死亡者の数は約6000万に上ったという。人間の場合、ペストには4種類の臨床型があり、この時は肺ペスト型であったという。
 ペスト菌の発見者は、北里柴三郎とスイス人細菌学者アレクサンドル・イェルサンである。1894年、両者は別々に香港でこの菌を発見した。瀕死状態になるとリンパ腺が腐り、黒い斑点が認められることから、黒死病と命名された。この疾病は鼠につく蚤が媒介する。
 発見者に因み、ペスト菌は、学名上「Kitasato bacillus」、「Yersinia pestis」と呼ばれる。

[コラム1]
人類史上、最初のペストの大流行は、6世紀、ビザンティン帝国においてであった。

[コラム2]
1万年前、全世界の人口は、おそらく500万人程度。現在のニューヨークの人口より少ない。1987年、世界の人口は50億人を突破した。


41.トーマス・ホジキンの恋
 英国の傑出した病理学者ト−マス・ホジキン(1798〜1866)が報告したホジキン病は、リンパ節を襲う疾患である。リンパ節は著しく変化し、痛みのないまま徐々に腫脹し、ついには厚くなったリンパ節が「カラー」と化し、首を取り巻く場合もある。またしばしば脾臓も関係する。現在も、この病の原因は未だに不明である。

 前述のトーマス・アジソンは、ホジキンがガイ病院に勤務していたときの同僚である。ホジキンはクエーカー教徒の家庭に育った。従兄弟には、彼が想いを寄せる同い年の女性サラ・アドラーがいたが、クエーカー教では従兄弟との結婚は認められなかった。後にサラの夫が亡くなると、二人の間で結婚話が持ち上がった。ホジキンは"On the rule which forbids the marriage of first cousins"[従兄弟婚を禁じる宗規に関して]という論文まで執筆し、ルールを変え、彼女との結婚にこぎ着けようとしたが、報われることはなかった。


42.帝王切開
 帝王切開は、元々は亡くなった女性、あるいは死の床にある女性に対してのみ行われていた。これは、母親と赤ん坊は別々に埋葬する、という宗教的な理由に基づくためである。紀元前3000年のエジプトや紀元前1500年のインドにその例を見ることが出来る。
 母親と赤ん坊を生きたままで救おうとする帝王切開術は、中世のヨーロッパで始まったようである。例えば、

  • フランクフルト(ドイツ)では1411年以前に7例が行われ、
  • あるフランス人医師は1581年までに15例を手がけている

 と記録されている。もっともこれらの手術で母親が助かった可能性はないようであるが。
 最初の成功記録は1500年に遡る。スイスの豚肉屋ジャコブ・ナファー(Jacob Nufer)が、仕事で磨いた熟練の技を利用し、自分の妻に対し行っている。確かな記録では、ジェレマイア・トラウトマン(ヴィッテンベルク、ドイツ)が1610年に行ったとされている。また有名なオランダ人医師 ヘンドリック・ヴァン・ルーンハイズ(=Hendrik・van・Roonhuyze)は、帝王切開術を擁護し、婦人科学の手術に関し1663年に出版した書籍で自分の帝王切開術をイラストで紹介している。

 英国初の帝王切開術を成功させたのは、資格を持たない助産婦のメアリー・ドナリーであった。母子ともに無事だったが、母親が分娩に要した時間は10日間、1738年のことである。
 米国ではジョン・ランバート(オハイオ州)が1827年、フランソワ・プレヴォー(ルイジアナ州)が1832年以前に帝王切開術を成功させている。またウィリアム・ギブソン(メリーランド州ボルティモア)の患者は、1835年、帝王切開術で二子を設けた後、50年間も生存している。

 このように成功例も少しずつ報告され始めたが、18、19世紀、帝王切開術は避けられた。本手術と関連した妊婦の死亡率が50〜75%と高かったためである。また麻酔法も発見されておらず、苦痛を伴う手術であったことも大きな要因であった。

 日本で初めて帝王切開を成功させた人物は武州(現在の埼玉県)の伊古田純道(いこだじゅんどう)と岡部均平(おかべきんぺい)であり、1852年のことである。伊古田純道は岡部均平の叔父に当たる。患者は本橋(もとはし)み登。胎児は既に死亡していたが、母体を救うため、2人は帝王切開術を実施。この時、麻酔は用いられていない。手術は成功し術後45日で抜糸。その後、本橋み登は多くの孫たちに囲まれ、明治41年、88歳で亡くなった。岡部均平は明治28年に81歳、伊古田純道は明治19年84歳で亡くなった。

43.転身
 ピューリタン革命終了後、オリバー・クロムウェルの騎馬隊(ピューリタンの自営農民で組織)を除隊した1人の若者がいた。その後オックスフォード大学へ入学し、医学を修めたのがトマス・シドナム(1624〜1689)である。精力的に研究活動を行い、医療の現場では疼痛緩和用としてアヘンチンキ(アヘンを含むチンキ剤、パラケルススの造語である)や貧血を改善するために鉄を用いた。またマラリアの特効薬としてキナ皮が有効であることも発見している。「イギリスのヒポクラテス」と称され、尊敬を集めた人物である。

 逆に、医学部卒業後、医師となりながら革命家に転身した人物もいる。エルネスト・ゲバラ、通称チェ・ゲバラである。彼はブエノスアイレス大学で医学を専攻し、グァテラマで医師を営んでいた。後にカストロと知り合い、共にキューバ革命を成功させたことはよく知られている。ゲバラには喘息の持病があった。

[コラム]
4世紀の初め頃、ウィストスという少年がいた。シチリア島の異教徒の子供で、後にキリスト教に改宗したが、ローマ皇帝ディオクレティアヌス帝の迫害を受け、殉教したため聖ウィストスと呼ばれる。
ウィストスは舞踏病(顔面や手足、舌などに不随意的で急速な運動が現れ、踊っているように見えるため、この名がある)に冒されたが、この病は研究者であるシドナムに因み、シドナム病とも呼ばれる。

シドナムの名言:「人間は動脈と同年齢である」

(つづく)
(初出:2013年06月18日)
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登録日:2013年06月18日 16時21分
タグ : 医学史 トリビア

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