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坂本義教
著者:坂本義教(さかもとよしのり)
長年、医学、薬学関係の論文や科学史を専門に翻訳業を営んでいます。仕事柄、医学史に名を残す人物の経歴を目にします。そこには「えっ!」と思わせる意外な事実やエピソードが隠されています。自分一人の胸にしまっておくのももったいないと、あまり取り上げられることのない医師達の素顔を紹介しようと思い立ちました。収録しきれなかった興味深い事実がまだ多数あります。これからも掘り起こしていきたいと思っています。
コラム/健康・医療

Dr.医師 医学のトリビア大全(12)

[連載 | 完結済 | 全17話] 目次へ
日本と中国に於ける初めての麻酔薬について、ネズミが媒介する伝染性黄疸、人と水についての様々な事実、聴診器の由来の4編。
44.東洋の麻酔薬
[日本]
 江戸後期、紀伊の国に生まれた医師華岡青洲は、曼陀羅華(=シロバナヨウシュチョウセンアサガオの和名、ヒヨスチアミンやスコポラミンなどのアルカロイドを含む)を配合した全身麻酔剤である「通仙散」を考案し、母と妻で臨床試験を実施。1804年にはこの麻酔剤で乳癌の摘出手術に成功している。後に紀州藩の侍医となった。
[中国]
 華佗は三国時代、魏の曹操の侍医となった。麻沸散(主成分は大麻だったらしい)という麻酔薬を用い、外科手術(開腹手術)を史上初めて行った人物である。 

[コラム]
 南米の原住民が矢毒に用いる植物由来のクラーレには、脊椎動物の骨格筋を麻痺させる作用がある。そのため、全身麻酔を必要とする手術、特に腹部の手術では、しばしば、シクロプロパンと共に麻酔補助剤として用いられる。
 フランスの生理学者クロード・ベルナール(1813〜1878)は、上記のクラーレの作用(運動神経を攻撃する一方で、感覚神経には影響を及ぼさない)を研究し、実験毒物学を創始した。彼が1865年に著した「実験医学序説」は、この分野の古典的名著となっている。
 クラーレは、ヒョウタンクラーレ、ポットクラーレ、チューブクラーレなどに分類されるが、これはアマゾン流域の原住民がクラーレを保管していた入れ物の形に因む。


45.ネズミ怖い〜伝染性黄疸
 伝染性黄疸は、1886年、アドルフ・ヴァイル(1849〜1916)が、臨床的に存在することを初めて記した。主な症状は発熱、黄疸、出血である。1915年、稲田竜吉(1874〜1950)は、その病原体がラットの尿中に存在するレプトストラ菌であることを突き止め、文化勲章を受章した。一方、ヴァイルは咽頭結核のため死去した。

46.人と水
  • 人間は、食べ物なしでも数週間は生きることができる。しかし水がなければ、数日間以上、生きることはできない。
  • 蛇口から1秒に1滴ずつ水が滴り落ちると、1年で880ガロン(約3,344リットル)の水が無駄になる。
  • 再生古紙1トンごとに、製紙用の水7,000ガロン(約2万6,600リットル)を節約できる。
  • 全廃水のおよそ4分の1が海へ投棄されている。その海から供給される食べ物は、毎年、600億トンにも達する。
  • 地球の水の約97パーセントは海、2パーセントは氷層に存在する。人間が利用する全ての真水は最後の1パーセントである。
  • すべての生命体のほぼ80パーセントは海に存在する。
  • 世界で飲用に適する水の90パーセント以上は地表下、すなわち地下水が水源である。
  • 米国では、地表の湿地帯は約50万エーカー。淡水性の湿地帯の大部分が、毎年、失われている。
  • 平均的なアメリカ人は、毎日、168ガロン(約638リットル)の水を使用する。一方、(中国を除き)発展途上国では、18億人が真水を入手できない[1990年代頃]。
  • イスラエルでは、都市からでる下水の35パーセントを処理した後、畑の灌漑に用いる。
  • ポーランドでは、河川のほぼすべての水が、産業毒性廃棄物のため、飲用できなくなっている。
  • ボイラーなどの火を焚く火夫は、大量に汗をかく。汗には塩分が含まれているため、発汗により塩分欠乏状態となる。そのような場合、喉の渇きを覚え水を飲んでも、普通の水では意味がない。塩分を加えた水でなければ欠乏状態は解消されず、筋肉に痙攣を起こしやすくなる。こうした状態は、「鉱夫痙攣」や「火夫痙攣」という名称で呼ばれることもある。
  • 水中の高圧下で作業を行った後、ダイバーが急に浮上すると筋肉痛となる。これは減圧痛と呼ばれる。圧力が急速に下がるため、血液から窒素ガスが放出され、急速に生じた泡が組織の機能を妨げた結果である。重篤な場合は完全麻痺に至る。トンネルや橋脚を作る際に利用する潜函(高圧の密閉室)で働く労働者にも見られるため、潜函病とも呼ばれる。

47.皮肉
 フランスの医師ルネ・ラエネクは、ナポレオン1世の御典医を勤めた。ある時、1人の子供が丸太を軽くたたき、もう1人は反対側の端に耳を充て、その音を聞いている様子を眺めていた。これが聴診器を発明するヒントになったのである。最初は紙を巻いて試用したという。聴診器は胸部疾患の診断になくてはならない存在となったが、皮肉にも彼自身は肺結核で亡くなった。享年45歳。
 なお聴診器が初めて日本にもたらされたのは1847年、オランダ人による。
(つづく)
(初出:2013年08月14日)
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登録日:2013年08月14日 17時31分
タグ : 医学史 トリビア

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