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坂本義教
著者:坂本義教(さかもとよしのり)
長年、医学、薬学関係の論文や科学史を専門に翻訳業を営んでいます。仕事柄、医学史に名を残す人物の経歴を目にします。そこには「えっ!」と思わせる意外な事実やエピソードが隠されています。自分一人の胸にしまっておくのももったいないと、あまり取り上げられることのない医師達の素顔を紹介しようと思い立ちました。収録しきれなかった興味深い事実がまだ多数あります。これからも掘り起こしていきたいと思っています。
コラム/健康・医療

Dr.医師 医学のトリビア大全(14)

[連載 | 完結済 | 全17話] 目次へ
火刑に処された有名人、痛みの緩和にクロロホルムを使ったシンプソン、魔女狩りに励んだハーベイ、マラリア媒介説を提唱したマンソンの4編。
52.炎に包まれる前に
 オルレアンの聖処女ことジャンヌ・ダルクは、1431年、魔女としてルーアンで火刑に処せられた。大抵の人間は、実際に炎につつまれる前に煙で死ぬ。火刑による死因の大半はショック、窒息、一酸化炭素中毒による。

[コラム1]
カルタゴのハンニバル(紀元前247〜紀元前183)は捕虜としたローマ人を風呂に入れ、完全に閉め切り、一酸化炭素を発生させることにより中毒死させた。

[コラム2]
フランスの小説家エミール・ゾラは、1902年、一酸化炭素中毒のため死去。暖炉の煙突の詰まりによる不完全燃焼が原因である。

[コラム3]
フランスの生理学者クロード・ベルナール(1813〜1878)は、一酸化炭素とヘモグロビンとの親和性に関する研究を行い、実験毒物学を創始した。

[コラム4]
英国で火刑に処せられた最後の人物はフィービー・ハリウスである。罪状は贋金の鋳造。1786年7月21日、ニューゲイト刑務所(ロンドンの西門にあった刑務所だが、1902年に取り壊された)前で火炙りとなった。


53.麻酔〜クロロホルム
 ジェームズ・シンプソン(1811〜1870)は、エジンバラの産科学教授であり、分娩時の痛みを緩和するため、クロロホルムを利用した。シンプソンは、麻酔法を開発するまでにメスメリズム(オーストリア人医師フランツ・アントン・メスメルに由来する催眠術)を試してみたが、効果はなかった。そのようなとき、大西洋の彼方から、麻酔法が初めて歯科学や外科の分野で利用された、というニュースが飛び込んできた。これに触発され、1847年1月、陣痛を緩和するためクロロホルムによる麻酔のデモンストレーションを行い、成功を収めた(クロロホルム自身は既に1831年に発見されていた。現在は発癌性が指摘されている)。
 またシンプソン子宮ゾンデ、分娩用シンプソン鉗子、ワイヤ縫合を開発し、さらには手術の結果に関する統計学的分析法をも改善した。医学史や半陰陽(=1つの個体に卵巣と精巣の両組織が存在する)などについても著作を残している。

[コラム1]
ウェストミンスターアビーに眠るジェームズ・シンプソンの額には次のように記されている。「苦しみを除くために使用されたクロロホルム、それによって得られた恩恵は、この人物の天才的資質と仁愛に負うものである」

[コラム2]
亜酸化窒素を吸うと、顔の筋肉が痙攣し、笑っているように見える。また気分も快活となる。そのためこのガスは「笑気」とも呼ばれ、歯科の分野で利用されてきた。このガスが持つ麻酔効果を発見したのはサー・ハンフリー・デーヴィー(1778〜1829)である。彼の発見は、イングランドの医師学会ではほとんど関心を集めなかった。なぜならイングランドでは、笑気は主にパーティーを楽しむ小道具として求められていたからである。後年、笑気は新天地アメリカにおいて麻酔薬の分野で大いに利用され、イングランドに再上陸を果たすことになる。

[コラム3]
一人の英国人外科医も、ナイチンゲールと同じくクリミア戦争に赴いている。麻酔法が採用される以前では、危険が大きかった卵巣切開術を初めて成功させたサー・トーマス・スペンサー・ウェルズ(1818〜1897)である。ウェルズが最初の卵巣切開術を行ったのは1857年。この時は失敗に帰したが、翌年には成功。その後も数回続けて成功を収めた。


54.マッドサイエンティスト
 パオロ・サルピ(1552〜1623)は、1578年にパドヴァ大学より神学博士号を得た聖職者である。ヴェネチア共和国で神学顧問官にも就任したが、時の教皇パウロ5世(本名カミロ・ボルゲーゼ。ボルゲーゼ家はイタリアのシエナ出身の貴族)を批判したために破門された。しかも暗殺者を差し向けられ、重傷を負ったが一命は取り留めた人物である。彼は聖職者であると同時に医学者でもあった。伝えられるところでは、

  1. 光によって瞳孔が開くことを発見
  2. 血管に弁があることを発見

したという。
 サルピからヒントを得たパドヴァ大学の解剖・発生学者ジロラモ・ファブリチオ(家禽のファブリーキウス嚢にその名をとどめる)は血管を詳しく研究し、最初に静脈弁の存在を明らかにした。
 このファブリチオの下で学んだのがイングランドの医師ウィリアム・ハーベイである。ハーベイは、1628年、「心臓と血液の運動」という著作の中で、血液は循環する、という考えを明らかにした。また「すべての動物は卵から生まれる」と唱えたのもハーベイである(従って《鶏が先か、卵が先か?》に対する答えも明白)。
 しかし科学者ハーベイは、忌まわしき魔女狩りにも励んでいた。当時、魔女の身体には悪魔との契約を示す箇所が必ずあると信じられていた。そこには痛みの感覚が全くないから、針で刺しても痛がらないはずという理論である。そこで魔女と疑わしき人間を裸にし、その身体に針を刺しながら魔女の印を探すということが行われていた。ハーベイもその実践者の一人である。

[コラム1]
ハーベイは、ピューリタン革命で処刑されたチャールズ1世(悪魔狩りを行ったジェームズ1世の子)に使えていた。

[コラム2]
人間の血液の濃さは水の約5倍である。このように粘度が高いのは、主として、血漿中に浮遊している赤血球と白血球のためである。

[コラム3]
サルピはガリレオ・ガリレイとも親交があった。サルピが40歳〜58歳、ガリレオが28歳〜46歳までの期間であり、ガリレオに多大な影響を与えたらしい。両者が宗教界から横やりを受けたという面でも似通っていたのは皮肉である。


55.マラリア
 人類を長く苦しめてきた病の1つがマラリアであり、紀元前6世紀に書かれたバビロン文書にもマラリアに関する記述がある。
 マラリアは,蚊が媒介するマラリア原虫(Plasmodium)がヒトにおこす疾患であり、マラリアに感染したハマダラカに刺されると、マラリア原虫が赤血球内で周期的に増殖し、血流中に入り込む伝染病である。
 語源はmala ariaを短縮した形で「悪い空気」を意味する。かつては、沼地などへ足を踏み入れたため、水はけが悪い地域の「毒気」に当てられた、と考えられていたのである。
 これに異を唱えたのが英国(正確にはスコットランド)の医師パトリック・マンソン(1844〜1922)である。彼は台湾や中国の廈門で長く医療業務に携わった経験から、1879年、蚊によるマラリア媒介説を提唱し、教え子のロナルド・ロスに自説を伝えた。ロスはロスサイクル(マラリア原虫の生活環)を発表し、師の説を立証した。その業績により1902年、ノーベル生理医学賞を受賞した(もっとも師匠であるマンソンは対象外となったが)。
 しかしマンソンの名前は不滅である。マラリア・プラスモデイウムに対しメチレンブルーを用いるマンソン染色法を確立し、熱帯マラリアを発見している。1899年にはロンドン熱帯病研究所を設立。「熱帯病学の父」と呼ばれ、サーの称号を持つ。

[コラム1]
戦国最強軍団を擁した武田信玄の死因については労咳説が有力であるが、諸説がある。その英傑も若い頃には瘧(多くはマラリアを指す)を患ったことがあるという。

[コラム2]
鎌状赤血球貧血症という遺伝病がある。普通、赤血球は球状であるが、この疾患を患う人は赤血球が鎌のように細く、ヘモグロビン量が少ない。そのため運搬できる酸素量も減り、貧血を起こす。原因遺伝子をホモ接合体で持つと、鎌状赤血球貧血症を発症するが、その遺伝子を持つ人が多くいるのはマラリア流行地域である。ところがこうした地域では、原因遺伝子は必ずしも「悪」に作用するわけではなく、ヘテロの形で持つと、マラリアに対する抵抗力が非常に強まり、死亡は激減する。

[コラム3]
美女クレオパトラもマラリアの発作に苦しんだと言われる。

[コラム4]
マラリア原虫は、単細胞生物であり、他の動物の細胞内に寄生するのが特徴である。マラリア原虫の宿主となるのは,爬虫類,鳥類,哺乳類だけであり、魚類や両生類には寄生しない。

[コラム5]
反宗教改革派である「イエズス会」の中には、ペルーへ派遣された会士もいた。この宣教師が偶然発見し、帰国に際し持ち帰ったのがキナの樹皮であった。これこそマラリアの特効薬となるキニーネの原料であった。そのため、「イエズス会士による樹皮」がキニーネの語源となった。キニーネは、マラリア原虫に有効で、熱を下げたり、その苦みによって食欲を増進させる効能を持つ。

[コラム6]
シンチョン(Cinchona)伯爵夫人は17世紀の駐ペルースペイン国王代理の妻である。ある時熱病に襲われ苦しんでいた。ところが樹皮から作った散剤を試したところ回復した。この薬はその後「伯爵夫人の散剤」として有名になった。もちろんこの薬はキニーネであった。

[コラム7]
サミュエル・モース(1791〜1872)は、モールス式電信機の発明家として著名であるが、画家としての顔も併せ持っている。かつて、ある男の断末魔の絵を描き、医師である友人に自作を見せた。モースが意見を求めたところ、友人はその絵を注視し、きっぱりと「マラリアだ」と述べたという。
(つづく)
(初出:2014年01月22日)
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登録日:2014年01月22日 16時15分
タグ : 医学史 トリビア

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