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坂本義教
著者:坂本義教(さかもとよしのり)
長年、医学、薬学関係の論文や科学史を専門に翻訳業を営んでいます。仕事柄、医学史に名を残す人物の経歴を目にします。そこには「えっ!」と思わせる意外な事実やエピソードが隠されています。自分一人の胸にしまっておくのももったいないと、あまり取り上げられることのない医師達の素顔を紹介しようと思い立ちました。収録しきれなかった興味深い事実がまだ多数あります。これからも掘り起こしていきたいと思っています。
コラム/健康・医療

Dr.医師 医学のトリビア大全(2)

[連載 | 完結済 | 全17話] 目次へ
アドラー心理学を確立したアドラーの受難、医学の祖ヒポクラテスの唱えた珍説、巨人症の男の遺骨を手に入れるため手を尽くした医師ハンター、医師・政治家・著述家として活躍したモーニスについての4編を掲載。医学史のトリビアをお楽しみください。
4.アドラーの受難
 アルフレッド・アドラーは、最初は眼科医として開業した。後に精神医学者に転じ、劣等感が神経症の根底にあることを説き、劣等感や権力への意志を重視する個人心理学を発展させた。彼は1870年2月7日、穀物商の息子として生まれたが、不幸にして4歳まで歩くことができなかった。佝僂(くる)病のためである。
 第1次世界大戦後の1918年、ウィーンに子供のための指導クリニックを多く建てたが、1934年、ナチスのために閉鎖に追い込まれた。彼がユダヤ人だったからである。


5.医学の祖でさえ……
 「医学の祖」と称されるヒポクラテス(前460頃〜前375頃)は、コス島の医師であり、病人についての観察を重視した人物である。彼は病を自然の現象として科学的に捉え、身体には元来健康になろうとする自然の力があると唱えた。この考えは現代医学の主流となっている。

 もっとも珍説も展開しているのであるが……。

 1.胎児の性別は、母親の乳房のいずれがより大きくなるかで分かる。
 2.黄疸になりやすい人は、膨満になりにくい。
 3.言語障害のある人は下痢が長引きやすい。

[コラム]
 以下はヒポクラテスの言葉

 ・ラテン語の「Ars longa, vita brevis」(=芸術は長く人生は短し)。
 ・医師という肩書きを持つ人物は多いが、現実にはほとんどいない。
 ・自然の力は病の治療者である。
 ・医師たるもの、ためになることができないときはいつでも、害になることは差し控えなければならない。 
 ・古代人から得た知識を蔑む医師は愚かである。
 ・知恵を愛する医師は神にも等しい。
 ・外科医になりたいものは戦場へ出るべきである。


6.遺骨のためなら
 アイルランドにブリンという名の巨漢がいた。身長は2m50cm、いわゆる巨人症である。この人物は18世紀のスコットランドの外科医・解剖・生理・病理学者ジョン・ハンター(1728〜1793)[妻は詩人のアン・ホーム、兄ウィリアム(1718〜1783)はスコットランドの解剖学者・産科医]に生涯つきまとわれている。ハンターは解剖用(!)にブリンの肉体を求めていた。ブリンは、自分が付け狙われていることを承知していたため、死後も遺体がハンターの手に渡らないよう手を尽くしたが、ハンターは500ポンドの袖の下を送り、彼の遺骸を手に入れたのである。後にハンターはブリンの骨格を王立外科学院に寄贈している。

 ハンターは、高等動物から下等動物まで、数百種類にも及ぶ動物の解剖を行い、それらを陳列した解剖博物館まで建設している。手段はともかく、比較解剖学に寄与するところは大であった。種痘法で有名なジェンナーはハンターの一番弟子であった。


7.医師、政治家、ノーベル賞
イギリスの政治家サー・ウィンストン・チャーチルは、強力な指導力で大英帝国を牽引し、第二次世界大戦で連合国側を勝利に導いた。戦後は著述家としても活躍し、「第二次大戦回顧録」などの著作でノーベル(平和賞ではなく)文学賞を受賞した人物であることはよく知られている。

 ポルトガルにも同様の人物がいる。神経科医兼政治家兼著述家エガス・モーニス(1874〜1955)である。

■医師として
 1930年代までに、放射性トレーサーを用い、脳の血管を視覚化できる技術の改良に成功している(血管造影法)。この業績でノーベル賞を受賞できると考えていたが、受賞には至らなかった。

 またモーニスは、ある種の精神疾患は神経細胞の異常な粘着性に起因し、神経インパルスが上手く伝わらないため、患者は繰り返し同じ病的な考えを抱く、と考えていた。それならば、こうした病的に固まった考えを惹起する神経繊維を破壊すれば、患者の様態は改善するのではないか、と考えた。1935年11月、まず頭蓋骨にドリルで穴を開け、大脳の前頭葉にアルコールを注入した。7名の患者にこの手術を行った後、ワイヤで前頭葉を切断する、という方法に変更したが、変化は認められなかった。翌1936年、不安、鬱、統合失調症に悩む患者について行った20例の手術について、極めて良好な結果が得られたと発表した。モーニスは最初の数日間しか追跡調査を行わず、かなり主観的に「改善が見られた」との決定を下したが、その発表は好意的に受け入れられた。当時は、精神疾患の原因も治療法も十分に確立していなかったことが背景にある。

 米国では、神経学者ウォルター・フリーマンが、モーニスの論文を読んでから1年以内に20例の大脳白質切除術を行っている。1942年、フリーマンらが白質切除術を促す書籍を出版したところ、米国で実施された白質切除術は1946年の100例から、1949年には5,000例へと急増している。この1949年、モーニスは白質切除術への貢献が認められ、念願のノーベル生理医学賞をウォルター・ルドルフ・ヘスと共同受賞した。もっともこの手技は1950年代以降は激減した。これは主に2つの理由による。1つは長期的な研究により、重篤な副作用(性格や感情面での著しい変化)を示す証拠が集まり始めためである。もう1つは、新たに開発されたソラジンという抗精神病薬が利用され始めためである。

 1970年代以降、白質切除術はほとんど行われておらず、1975年、日本精神神経学会は「精神外科を否定する決議」を出している(もっとも再評価を求める声も一部にはあるようである)。

■政治家として
 モーニスは1903年には政界へ進出し、1910年のポルトガル共和国樹立に参加している。駐スペインボルトガル大使となる1917年まで、ポルトガル国会の代議士をも務めている。後に外務大臣に任命され、1918年のパリ平和会議ではポルトガル代表団団長として出席している。

■著述家として
 医学、政治など多岐にわたる分野で執筆活動を行っている。意外な一冊として、1942年にはHist・ia das cartas de jogar(=Histroy of playing- cards)[トランプの歴史]を執筆している。
(つづく)
(初出:2012年10月)
登録日:2012年10月02日 14時12分
タグ : 医学史 トリビア

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