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坂本義教
著者:坂本義教(さかもとよしのり)
長年、医学、薬学関係の論文や科学史を専門に翻訳業を営んでいます。仕事柄、医学史に名を残す人物の経歴を目にします。そこには「えっ!」と思わせる意外な事実やエピソードが隠されています。自分一人の胸にしまっておくのももったいないと、あまり取り上げられることのない医師達の素顔を紹介しようと思い立ちました。収録しきれなかった興味深い事実がまだ多数あります。これからも掘り起こしていきたいと思っています。
コラム/健康・医療

Dr.医師 医学のトリビア大全(3)

[連載 | 完結済 | 全17話] 目次へ
物理学者・数学者・発明家・建築家・天文学者として多彩な功績を残したイングランド版ダ・ヴィンチ。黄熱病を媒介するのは蚊であると証明したウォルター・リード。ウィリス輪のイラストを描いた著名な建築家。ロビンソン・クルーソーのモデルとなった船乗りを助けた医師トマス・ドーヴァーの4編。
8.イングランド版ダ・ヴィンチ
 ロバート・フック(1635〜1703)は、アイザック・ニュートンと同時代に活躍したイングランドの物理学者・数学者・発明家・建築家・天文学者(史上初の反射望遠鏡を作製)である。光の波動説の先駆けとなった人物であり、1678年には弾性に関するフックの法則を発見、医学分野では、初期原型ともいえるレスピレータを発明している。

 生物学の分野でも大きな足跡を残している。器用な手先で顕微鏡を組み立て、コルク片の細胞を観察し、cell(細胞)と命名した最初の人物である。さらに、海綿、有孔虫、コケムシ、カ、ノミ、ブユ、ハエなども自作の顕微鏡で観察し、精密なスケッチを残している。これらをまとめたものが1665年に出版されたMicrographia(=細写の意味)という書籍である。

 フックの知的好奇心は多岐に渡っていた。従って意外ではあるが、物理学に登場する「フックの法則」の発見者フックと、植物細胞の発見者フックが全くの同一人物である、という事実もさほど驚くに当たらない。
 私生活では余り幸福とは言えず、父親が自殺したため13歳で孤児となっている。フックは孤独死を迎えたため、遺産は競売にかけられ、エリザベス・スティーヴンズという無学の女性の手に渡った。フックの亡骸は18世紀に掘り返され、ノースロンドンのいずこかに改葬されたが、正確な場所はわからないようである。

[コラム1]
 フックとほぼ時を同じくしてオランダのアントン・ヴァン・レーウェンフック(1632〜1723)もミクロの世界を探求した。レーウェンフックは500台以上の顕微鏡を自作したが、中には倍率が270倍に達したものもあるという。彼はこれらの顕微鏡を使って細菌、原生動物、昆虫の複眼や口器、赤血球などを観察している。また動物の精子を最初に記載した人物もレーウェンフックである。
 1678年、レーウェンフックは王立協会(1660年、英国に創設された自然科学者の学術団体)に、自らが発見した「小さな動物(細菌と原生動物)」について書簡で報告した。王立協会はこの確認を行うようフックに依頼した。フックは確認に成功し、レーウェンフックの発見は広く認められ、1680年には同協会会員に推された。

[コラム2]
 ニュートンはリンゴを落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見した、と巷間伝えられている。この逸話は半ば本当である。彼は、リンゴは落ちるのに天空にある月はなぜ落ちないのか、という疑問をいだいた。これが万有引力の法則の発見に繋がったのである。なお1990年以降、リンゴについて知られている全品種の86パーセント以上は絶滅している。


9.黄熱病と軍医
 黄熱病の原因はウィルスであるが、これを媒介するのは蚊であることを証明したのは、米国陸軍外科医ウォルター・リード(1851〜1902)である。
 米国の軍医総監を務めたウイリアム・クロフォード・ゴーガス(1854-1920)は、1898年から1902年にかけ、ウォルター・リードの「黄熱病の媒体は蚊である」という説に基づき、ハバナでの黄熱病を撲滅するため、2つの方法で蚊の駆除に乗り出した。

 ・除虫菊を燃やしてピリメサミンを発生させ、蚊(成虫)を駆除する
 ・開放水面に油をまき、ボウフラを駆除する

 さらに市内の下水などの衛生状態を徹底に改善し、蚊の繁殖地を破壊、黄熱病の防止に貢献した。
 ハバナで黄熱病撲滅に成果をあげたゴーガスは,1905年にはパナマでも本格的な黄熱病対策に乗り出し、半年後に黄熱病を制圧している。

[コラム1]
 リードは、数学にも明るかったようで、疫学者のウェード・フロストと共にリード━フロストモデル(感染症伝播と集団免疫に関する数学モデル)を組み立てている。

[コラム2]
 サミュエル・マッド医師は、ジョン・ウィルクス・ブースによるリンカーン大統領暗殺共謀罪で無期懲役刑を受け、フロリダ州の軍刑務所ジェファーソン砦に収監された。ところが黄熱病が流行したため、マッド医師は看守や囚人の治療に当たることになる。これが認められ、1869年、リンカーンの死後、副大統領から大統領に昇格したアンドルー・ジョンソン(史上もっとも不人気な大統領の一人。弾劾訴追を受けた)により恩赦となった。

[コラム3]
 もし船内で黄熱病が発生したらどうするか? 黄色旗を掲げるのである。黄熱病を連想させる黄色である。


10.お手伝い
 イングランドのトーマス・ウィリス(1621〜1675)は、チャールズII世の時代、オックスフォードで自然哲学の教授を務め、脳の解剖学に関する古典的名著「Cerebri Anatomi」を出版した。この中には、脳の基底部にある動脈が連結して形成される「輪」が描かれているが、本人の名を冠しウィリス輪と呼ばれる。イラストを描いたのは、英国史上最も著名な建築家クリストファー・レン(1632 〜1723)である。ロンドンのセント・ポール大聖堂も彼の設計である。

11.海賊上がり
 ダニエル・デフォーの小説「ロビンソン・クルーソー」は、アレクサンダー・セルカーク(1676〜1721)という実在のスコットランド人船乗りがモデルである。

 ファンフェルナンデス諸島の無人島から彼を助け出したのが、私掠船の船長ながら(1709年にはグアヤキル[現在のエクアドル]を略奪)、医師でもあったトマス・ドーヴァー(1660〜1742)であった。発汗性鎮痛剤である「ドーヴァー散」の発明者でもある。この薬は咳止めや痛み止め、また下痢止めとして使用された。彼の死後、一時忘れられていたが、ジョージ2世の庇護を受けたジョシュア・ウォードにより再発見され、再び脚光を浴びることとなった。意外にも、トマス・ドーヴァーはトマス・シドナムの弟子である。

 ドーヴァーによるドーヴァー散の成分は以下の通り。

 ・アヘン:1オンス
 ・硝石と酒石酸カリウム:4オンス
 ・カンゾウ:1オンス
 ・トコン:1オンス
(つづく)
(初出:2012年10月)
登録日:2012年10月09日 14時40分
タグ : 医学史 トリビア

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