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坂本義教
著者:坂本義教(さかもとよしのり)
長年、医学、薬学関係の論文や科学史を専門に翻訳業を営んでいます。仕事柄、医学史に名を残す人物の経歴を目にします。そこには「えっ!」と思わせる意外な事実やエピソードが隠されています。自分一人の胸にしまっておくのももったいないと、あまり取り上げられることのない医師達の素顔を紹介しようと思い立ちました。収録しきれなかった興味深い事実がまだ多数あります。これからも掘り起こしていきたいと思っています。
コラム/健康・医療

Dr.医師 医学のトリビア大全(4)

[連載 | 完結済 | 全17話] 目次へ
人体を解剖し、ガレノスの誤りを正したヴェサリウスだったが、宗教裁判にかけられることに。バセドウ病に名を残したドイツ人医師に、第一次大戦中、ドイツ秘密警察によって逮捕された看護師、金属の人体における役割についての4篇を掲載。
12.解剖書
 フランドルの医師アンドリアス・ヴェサリウス(1514〜1564)は、パドヴァ(イタリア北東部の都市)大学の教授となり、何百年もの間受け入れられてきたガレノス(*)の誤りを訂正した。ヴェサリウスは人間を解剖することによって真実を明らかにし、1543年、挿し絵入りで「人体の構造について」を出版した。
 同書には人体の全器官に関する解剖図が記され、疾患の治療法に関しても多くの新しい理論が述べられている。また筋肉がどのように層状に組み立てられているかや、解剖学における以前の理論の過ちを強調する内容ともなっていた。「科学に関する最も注目すべき知識の1つ」、「印刷史上最も有名で重大な本の1つ」と言われるゆえんである(Saunders & O'Malley)。
 ところがヴェサリウスはやがて解剖学の研究を止め、スペイン王の侍医となった。というのも、彼の新しい取り組みは宗教裁判の対象となり、死刑を言い渡されたからである。その後、減刑措置として、1563年、エルサレムへの巡礼を行うことになるが、帰りに船が難破。ギリシアのザンテ島(イオニア諸島最南端の島)で病を得て亡くなっている。

(*)ガレノス:古代ギリシアの医師。西暦129年、ギリシアに生まれ、アレクサンドリアなどで医学を修める。後年、ローマ帝国五賢帝の最後であるマルクス・アウレリウス(「死ぬという行為もまた、この世に生きることの行為の1つである」と述べた)に招かれ、典医としてローマに定住した。動脈に血液が含まれている事実を初めて明らかにし、脈拍を診断に利用したりした。また心は脳に宿ることも示したが、その一方で瀉血の効用を説いたりもした。ガレノスはブタやサルの解剖によって人体の組織を類推していたと言われている。

《ガレノスの言葉》
 ・職業とは自然の医師であり、人間の幸福にとり不可欠である
 ・医師は自然の助手である。


13.眼球
 バセドウ病に名を残すドイツ人医師カール・アドルフ・フォン・バセドウ(1799〜1854)が、眼の細胞組織の肥大による眼球突出を記したのは1840年のことである。英語圏では、グレーヴズ病として知られている。
 これはアイルランド人医師ロバート・ジェイムズ・グレーヴズ(1796〜1853、ミーズ病院勤務)が、1835年、眼球突出性甲状腺腫についてバセドウより一足先に記しているためである。なおバセドウは死体を解剖中、斑点熱に感染し亡くなった。

[コラム1]
 自分の眼をえぐった人物の代表格がギリシア神話に登場するオイディプス。彼は運命に翻弄され、図らずも父親を殺害し、実の母親と結婚してしまった。そのため自ら両眼をえぐり出し、諸国を放浪。失意のうちに亡くなる。精神分析の分野で使われる「エディプスコンプレックス」はこの人物に由来する。

[コラム2]
 イタリアのシシリー島南東部の港市シラクーザに生まれた聖ルシア(304年のキリスト教迫害で殉教)は、眼と眼病の守護聖人とされている。言い伝えによると、聖ルシアは異教徒の求婚者を退けるため、自分の両眼をえぐり出し、皿に乗せて相手に送ったという。この異教徒が自責の念に駆られキリスト教に改宗したところ、聖ルシアの視力は奇跡的に回復した。

[コラム3]
 戦国武将 上杉謙信の両眼は左右不揃いで、右眼が大きかった。

[コラム4]
 晴れた日にセコイア国立公園(米国カリフォルニア州)を訪れ、モロ・ロックの上に立つと、100マイル(約160km)の彼方を見渡せる。しかし同公園では、このような好天日は、通常、年に8〜10日しかない。他の日は大気汚染のため、視界は10マイル以下となる。


14.間諜看護師
 イーディス・ルイーザ・キャベル(1865〜1915)は、ロンドンで看護学を学んだ後、1907年、ブリュッセルに招かれ、大きな看護学校で看護師長として仕事を続けていた。
 1914年、第一次世界大戦が勃発。
 1915年8月5日、ドイツ秘密警察のオットー・マイヤーにより逮捕、告発された。罪状は、1915年までに200名以上もの英国、フランス、ベルギー人兵士を匿い、脱出を手助けしたというもの。軍法会議が開かれ、そこで彼女は秘密警察の巧みな尋問を受け、連合軍兵士に手を貸したことを自白していた。それを除けば、有罪となる証拠は、英国から彼女の元に送られた一通のぼろぼろになった郵便はがきのみであった。そこには彼女に対する兵士達からの感謝の言葉が記されていただけである。
 その結果、銃殺刑の判決が下った。アメリカやスペインの聖職者らは執行を延期するようドイツ軍に要請したが聞き入れられず、彼女は処刑された。戦後、亡骸は英国へ送られ、ノリッジ大聖堂(尖塔の高さ96m)のLife's Greenに埋葬された。


15.金属と人間
 金属は人体になくてはならないものであり、また薬学にも大変な貢献をしている。

■金
 結核菌の発見者ロベルト・コッホ(1843〜1910)は、結核菌の成長を抑えるために金イオンを用いた。
 またコッホは片田舎で開業医を営んでいた時、夫人から誕生祝いに顕微鏡をプレゼントされた。当時、多数の羊が死んでいたため、血液を採取し、顕微鏡でその血液を観察し、奇妙な微生物を発見した。炭疽菌である。僅か5年後の1881年には、ルイ・パスツールが弱毒生菌ワクチンを作製している。

■白金
 1962年、アメリカのミシガン州立大学のバーネット・ローゼンバーグ教授(専門は物理学)は、白金電極を使い、電磁場がバクテリア細胞の成長におよぼす影響について実験を行っていた。その時、ローゼンバーグ教授は細胞が予定通りに分裂しないことに気付き、その原因が電極から溶け出した微量のシスプラチンによるものであることを突き止めた。その後、癌細胞をも死滅させる能力があることが判明した。抗癌剤シスプラチンの登場である。この辺りの事情はペニシリンの発見に似ている。
 シスプラチンはDNAに結合し、その合成を抑制する。睾丸腫瘍や卵巣癌の治療に使われている。シスプラチンは比較的単純な白金化合物で、1845年にはすでに発見されていた。

■水銀など
 ルネッサンス期、スイスにパラケルススという医師(兼錬金術師)[1493〜1541]がいた。バーゼル大学とイタリーのフェラーラ大学で医学を学び、主に鉱物から抽出する薬物の研究を行う。その結果、世界で初めて水銀や亜鉛、硫黄といった金属を医薬として用い、薬草中心主義の医療から一歩踏み出した。有害な物質といえども、少量ならば医薬となる、という考えの持ち主だったのである。1524年には母校バーゼル大学の医学教授に任命されるが、性格から敵が多く、すぐにバーゼル大学を追われている。
 大学を追われた後は各地で著作と医療に専念し(新世界よりもたらされた梅毒についても、当時の最新の記述を残している)、1541年、ザルツブルグで客死した。

《パラケルススの言葉》
「医師は、すべて、知識に富んでいなくてはならない。しかしその知識は書物に書かれた知識のみであってはならず、自分の患者もが書物でなければならない。患者が医師を誤り導くことはないからである」

■鉄……居場所によりけり
 赤血球は、鉄を含む血色素ヘモグロビンを持つ。赤血球は小さく、しなやかで、両凹の円盤状である。酸素はヘモグロビンとよく結合し、肺から身体の各組織まで運ばれる。赤血球が、全身の組織に酸素を運搬し、肺に戻ると、組織から回収した老廃物の二酸化炭素は放出される。
 一方、ナイフや鋏を研いだりすると鉄塵が発生する。鉄塵は刺激性が強く、炎症性の変化を引き起こす。吸い込むと、健康な肺組織は繊維性の瘢痕に置き換わってゆき、呼吸器感染症の温床となる。

■鉛
 古代ローマでは、鉛は、発熱や消化不良の特効薬として処方された。また酢酸鉛は下痢に対する収斂薬や飲み物の甘味料として利用された。
 しかし博物学者の大プリニウスは、鉛の毒性を警告した。また彼はタマネギが「28種類の病を癒す」とその薬効についても述べている。最近の研究でも、タマネギは、特に血液・血管系疾患と糖尿病に対し有効であるという。

[コラム]
 西暦79年8月、ヴェスヴィオス火山が大噴火した時、大プリニウスは現地調査に赴くが、有毒ガスのため殉職。

(つづく)
(初出:2012年10月)
登録日:2012年10月30日 15時46分
タグ : 医学史 トリビア

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