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坂本義教
著者:坂本義教(さかもとよしのり)
長年、医学、薬学関係の論文や科学史を専門に翻訳業を営んでいます。仕事柄、医学史に名を残す人物の経歴を目にします。そこには「えっ!」と思わせる意外な事実やエピソードが隠されています。自分一人の胸にしまっておくのももったいないと、あまり取り上げられることのない医師達の素顔を紹介しようと思い立ちました。収録しきれなかった興味深い事実がまだ多数あります。これからも掘り起こしていきたいと思っています。
コラム/健康・医療

Dr.医師 医学のトリビア大全(5)

[連載 | 完結済 | 全17話] 目次へ
人工呼吸の歴史、クリスマスとは関係ないクリスマス病とは、ポット病、ポット骨折の由来となった医師パーシバル・ポット、細胞病理学者兼政治家兼人類学者のルドルフ・ルートヴィヒ・カール・フィルヒョーの4篇。
16.口移し式人工呼吸
 口移し式人工呼吸は、極めて有効な蘇生術である。その歴史は非常に古く、旧約聖書の列王記に記されている。発明者はヘブライの預言者エリシャ。彼はシュナミ人の女の息子を蘇生させようと、口移しで息を吹き込み、蘇らせた(もっとも旧約聖書ではエリシャの奇跡として記されているが)。また王の相談役ともなり、外敵、とりわけシリア人から国土を守ろうと奮戦した。


17.クリスマス
 クリスマス病は、クリスマスとは何ら関係なく、血液凝固因子“第IX番目”が欠乏したために起こる血友病Bの別名である。1952年、最初の患者であるスティーブン・クリスマスに因んで命名された。
 この病は人間(男性に発現し、女性により次世代へと伝わる)だけでなく、ケアン・テリア、セント・バーナード、フレンチ・ブルドッグなどの犬にも発症する。

コラム
 切り傷で出血が止まらないときは、清潔な脱脂綿を傷口にあてがうと良い。脱脂綿の無数の繊維により、凝血活動面積が増えるため、出血部はすぐさま密封状態となる。


18.経験から命名
 脊柱後湾、いわゆる「せむし」はポット病の典型的な症状である。結核のために脊椎骨が柔らかくなり、自らにかかるる重さを支えきれず、脊柱に角を作りつぶれるために生じる。この疾患は、セントバーソロミュー病院の外科医であったパーシバル・ポット(1714〜1788)に因んで命名された。

 またポット骨折(足の外転、腓骨下部と脛骨果の骨折)も彼の名前を冠したものである。1756年、1月の寒い朝のこと、ポットは馬に乗り、往診に出かけた。ところが運悪く落馬し、腓骨と脛骨下部を複雑骨折した。ポットはことの重大さに気づき、適切な移動方法が確保されるまで、搬送を拒んだ。冷たい舗道の上で、椅子屋を呼び寄せたのである。彼らが到着すると、戸を購入し、棒を釘で打ち付け、間に合わせの担架を作らせた。その担架に身を横たえ帰宅した。多くの外科医が呼ばれたが、全員が即座に足の切断を勧めた。当時、ポットが見舞われたような骨折に対しては、切断が一般的な治療法だったためである。ポット本人もこの処置に同意したが、その時、師に当たるエドワード・ナースが到着し、整復術を試みることとなった。やがて傷は癒え、ポットは足を失わず、後遺症も全く残らなかった。

 さらにポットは1755年、ロンドンで多数の煙突掃除夫が陰嚢に痛みを訴えていることを記録している。ポットは、掃除夫たちが一種の皮膚癌を患っていることを理解したのである。このタイプの癌は、煤煙が陰嚢の襞にたまったために生じることを立証した。頻繁にコールタールに曝露されると、特にこのタイプの癌になりやすいことを観察し、癌は内的要因よりむしろ外的病原因子によって発生しうることを詳細に記録した。これは特殊な新生物と特定の職業が関連することを示すものであり、コールタールが原因で生じる癌の疫学的調査の始まりの一つとなった。余談ながら、約160年後、山極勝三郎が市川厚一と共に、ウサギの耳にコールタールを反復塗布し、実験的にタール癌を作製することに世界で初めて成功した(コールタールは全くの有害物質ではなく、ある種の皮膚疾患の治療に用いられることもある)。

 1788年12月、ポットは風邪のために体調を崩していたが、往診に出向いた。これが命取りとなった。12月21日、「私のランプの炎は風前の灯火である。願わくば他の人々のために燃え尽きたい」と最後の診断を下し、翌12月22日、肺炎のために亡くなった。


19.決闘を申し込まれた医師
 ルドルフ・ルートヴィヒ・カール・フィルヒョー(1821〜1902)は、プロシアに生まれた細胞病理学者兼政治家兼人類学者である。

■病理学者としての業績
 フィルヒョーの名を冠した医学用語は多数存在することからも、生涯に渡り精力的に研究に取り組んだことが窺い知れる。

  • 当時(19世紀)、静脈炎は大抵の病の原因であると考えられていたが、これが誤りであることを立証する研究を徹底的に行った。フィルヒョーは、疾患は人体の細胞レベルで作り出され、再生されると考えた。
  • 細胞とは、人体における最小の生きている単位であり、それぞれの細胞は細胞から生まれ、細胞集団は「能力は異なるが、等しい権利を有する個体の連合体」と唱えた。「細胞は細胞から」という大原則の提唱者である。
  • 1874年、標準的な剖検手技を導入した。
  • 白血病について最も最初に記された報告書が2編存在するが、そのうちの1編はフィルヒョーの手によるものである。

■人類学者としての業績
 1869年、ドイツ人類学会の創設者となり、現代科学としての人類学の発展に貢献した。フィルヒョーは、精神的に無力な(しばしばクレチン病患者=白痴と呼ばれる)人々の頭蓋骨を用いて人類学の研究を始めた。

■政治家としての業績
 急進的な社会改革者としての一面を持つ人物であった。

  • 1848年、プロシア政府の要請を受け、上シレジアに流行したチフスの調査に赴いた。その最終報告書で、チフスの流行は州と教会に責任の一端があると記した。「完全で制限のない民主主義がなければ、経済的な幸福も健康も存在しえない」と述べている。
  • カライト病院(ベルリン市)のインターンとして雇用されるが、1849年3月31日停職処分を受ける。上記のように、政府に対しリベラルな見解を表明したため。
  • 近代的な下水システムをベルリン市に設けることを立案した。
  • 1861年、ドイツ進歩党の共同創設者となり、1862年、代議士として初めてプロシア議会に出席。後に鉄血宰相と異名を取るオットー・フォン・ビスマルクを痛烈に批判した。両者の対立は抜き差しならないものとなり、ビスマルクは決闘を申し出るが、フィルヒョーは道徳的見地から断っている。

[コラム]
 ウサギにタール癌を作り出した病理学者 山極勝三郎はフィルヒョーに師事していた。
(つづく)
(初出:2012年11月)
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登録日:2012年11月24日 12時37分
タグ : 医学史 トリビア

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