騒人 TOP > コラム > 健康・医療 > Dr.医師 医学のトリビア大全(9)
坂本義教
著者:坂本義教(さかもとよしのり)
長年、医学、薬学関係の論文や科学史を専門に翻訳業を営んでいます。仕事柄、医学史に名を残す人物の経歴を目にします。そこには「えっ!」と思わせる意外な事実やエピソードが隠されています。自分一人の胸にしまっておくのももったいないと、あまり取り上げられることのない医師達の素顔を紹介しようと思い立ちました。収録しきれなかった興味深い事実がまだ多数あります。これからも掘り起こしていきたいと思っています。
コラム/健康・医療

Dr.医師 医学のトリビア大全(9)

[連載 | 完結済 | 全17話] 目次へ
石炭酸による無菌手術の革命、戦争チフスとも称される発疹チフス、寒さの過度な反応「レイノー現象」、尊厳死の歴史とホスピスの4編。
32.石炭酸(=フェノール)革命
 19世紀中期まで、大手術を受けた患者は、術後の敗血症により、ほぼ半数が亡くなっていた。イングランドの外科医であるジョセフ・リスター(1827〜1912)は、石炭酸による殺菌消毒法を導入し、外科手術を根底から変えた。当時の常識では、手術で生じる腐敗性の膿は、傷を治す上で必要かつ望ましいものであり、死の前兆とは見なされていなかった。
 リスターは、手術用具を使用前に石炭酸に浸しておき、創傷部は石炭酸ガーゼで覆った。この消毒法によって膿の発生しない「無菌」手術が可能となり、死亡率は激減し、1867年の一大革命となった。もっとも反対の声も多く、普及するまで約30年もの年月を要した。
 リスターの報告によれば、消毒法を確立する以前の1861年〜1865年の間、自らが手がけた切断術の患者のうち、45〜50パーセントは敗血症のために亡くなったという。

[コラム1]
ドイツでは、1878年までに、ロベルト・コッホが、外科用器具や包帯剤の滅菌には蒸気が有用であることを立証していた。

[コラム2]
1839年、ドイツ人化学者ジャスティン・フォン・リービヒは、次のように断言していた。曰く、「敗血症は湿った体組織が酸素に曝されることにより起こる一種の燃焼である。従って最上の予防策は、硬膏、コロジオン、樹脂などを用い、空気を創傷から遠ざけておくことでる」

33.戦争病
 発疹チフスはヒトジラミで広がる。別名「戦争チフス」。これは、戦争や貧困などの社会的悪条件下で流行することが多いためである。例えば、

  • 第一次大戦中、ヨーロッパでは数百万の死者が発生
  • 第二次大戦中、ドイツ北部の村ベルゼンに設けられたナチス強制収容所では何百人もの犠牲者が発生
  • 日本では1943(昭和18)年から毎年1,000人を超える患者が発生し、戦後の1946(昭和21)年には32,300人強と急増している

 治療を行わない場合、死亡率は20%にも達する。


34.蒼白となるのは顔面だけ?
 1862年、フランス人医師オーギュスト・モーリス・レイノー(1834〜1881)は、論文「Local asphyxia and symmetrical gangrene of the extremities=四肢の局所仮死及び対側性壊疽」で、冷気に誘発され、手足の色が変化することを初めて記した。こうした症状は、ストレスや温度変化によって、四肢への血液供給が妨げられることにより現れる。通常は手足の指が冒されるが、耳や鼻が冒されることもある。皮膚の色は白色から(一部の人にとっては)青、最後には鮮紅色となる。この段階では激痛を伴い、時には無感覚状態となったり、刺痛が生じることもある。発症は女性に多く、男性の9倍にも達する。

 今日、寒さに対するこのような過度の反応は、発見者レイノーに因み、レイノー現象と呼ばれる。


35.尊厳死
 尊厳死に重点を置く現代ホスピスの創設者は、イギリス人医師シシリー・ソンダース(1917〜2005)である。彼女は、1967年、時代に先駆け、近代的なホスピスであるセント・クリストファーズ・ホスピスを設立した。

 ソンダースが重視したのは疼痛緩和である。そのため、モルヒネをワイン(パスツールの言を借りれば、『飲み物の中でワインほど健康的で、かつ衛生的なものはない』)で割った薬(ブロンプトン・カクテルと呼ばれ、主成分はモルヒネ、コカイン、クロロホルム水、アルコール、風味付きシロップ)を用い、終末期を迎えた癌患者の痛みの緩和に務めた。この方式はすぐさま受け入れられ、欧米諸国に伝わった。

 ソンダースの言葉:「死ぬ権利は死ぬ義務になるだろう、と早くから思っていました」
 ホラティウス(65〜8B.C.、ローマの詩人)の言葉:「その人物の意志に逆らい命を助けることは、殺害に等しい」

 古代にも救護院的性格が強い病院(≒ホスピス)を建設した女性がいた。ローマの貴婦人聖ファビオラは、Fabiaの貴族階級に属していたため莫大な富があった。キリスト教に改宗後、その財力を慈善事業に注ぎ込み、ローマに病院を設立したのである。さらには重傷を負った入院患者の世話をも引き受けた。395年にはベツレヘムへ行き、ポーラが管理する女子修道院のホスピス*での生活に入ったが、後にローマに帰国し、ローマへの巡礼者をもてなす巨大なホスピスを立て、399年(一説には400年)に亡くなるまで貧しい人々や病人の救援に尽力した。

*末期患者の尊厳死を尊重する現在のホスピスではなく、巡礼者などの旅人宿泊所のこと

[コラム]
顎の癌に冒されたシグムンド・フロイトは、モルヒネで疼痛を抑える安楽死を選択し、1939年、亡命地ロンドンで亡くなった(フロイトはユダヤ人であり、ナチスによる迫害を逃れるべくこの地を選んだ)。
(つづく)
(初出:2013年03月27日)
前へ1 ...... 6 7 8 9 10 11 12
登録日:2013年03月27日 12時31分
タグ : 医学史 トリビア

Facebook Comments

坂本義教の記事 - 新着情報

コラム/健康・医療の記事 - 新着情報

あなたへのオススメ