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君塚正太
著者:君塚正太(きみづかまさた)
昭和六十年五月二十三日生まれ。日本大学第三中学校卒、中央高等学院卒、クラーク国際専門学校ボディガード科卒。十九歳後半、この頃より執筆活動を始める。イタリア国家警察、フランス国家憲兵隊に少尉として赴任。
コラム/生活・暮らし

殺人鬼の発生とその欲動構造について(2)

[連載 | 連載中 | 全5話] 目次へ
殺人鬼の嗜好、先入観とパラノイスの差異。殺人鬼が発生する段階と人格面の問題について。
第2部 殺人鬼の嗜好とそれを引き起こす些細な動機について

 殺人鬼の嗜好とは、個人個人違う。しかし一定の基準はある。殺人衝動を伴って、生まれてきた殺人鬼は、まず目の前の相手に矛先を向ける。それは幼少期の苦い体験を基にして、生まれる場合が多い。要するに母親や父親に子供は敵対心を抱くのである。またこのような場合もある。失恋を苦に女性全体を蔑視するようになり、凶行を犯す犯人もいるのである。この良い例は、テッド・バンディが示してくれる。彼は失恋の影響から、特定の女性全体を蔑視するようになっていった。そして彼はヒッチハイクで捕まえた女性を毒牙にかけたのである。もちろん、ここにはある一定の傾向が見られた。彼は別れた彼女、さらには母親を被害者に投影し、殺人を続けたのである。永続的に作用する先入観はここでもまた重要な識見を与えてくれるのである。

 またニーチェの箴言にある通りに、「一個人の性癖の様態と度合いとは、その人間の全人格を貫く」のである。この見解は純遺伝学的な見解である。
 先天的なパラノイスとそれに付随する先入観が殺人衝動の根底にあるのは前にも述べた。大まかに述べて、この二つは同一なのだが、それでも多少の差異はある。例えば、パラノイスの場合は、執拗に相手をつけまわす行為などが多々見られる。また先入観の場合は、執拗にはつけねらわない。この差異は意識的にうすうす感じているものと、無意識的な所産が絡み合っている。少なくとも意識的に感じる先入観は突発的な行為を行う場合が少ない。先入観とはひそかな妄想体系が紡ぎだす一つの綾のようなものである。心中深く秘められた妄想が次第に根をはり、それが木になる。その根底にある根は絶えず、地中の中を動き回り、心の中を侵食してゆく。本人はそれに気づかない場合もあるし(これは幻聴などの形となって、精神病質性劣等感を代償している場合に、よく見られる)、また、はっきりと自覚している場合がある。しかしどちらにしても次第に侵食が進んでゆくのを体感していることには変わりがなく、最低でも意識としては感じるものである。

 反対にパラノイスの場合は、その根底にあるのが欲動のみであるために突発的な犯罪を起こすのである。
 パラノイスとは時に非常な暴力衝動をきたす。それは傷害から殺人にまで及ぶ。パラノイスとは執拗に相手をつけまわし、凶行に及ぶことをいう。だが忘れてはいけないことがある。パラノイスとは自然科学者が有する場合が多々ある。彼らの場合はその執拗な思考が物理的な物事に執着しているために、凶行を犯さないのである。これが科学者と犯罪者を分かつ一線でもある。これがいわゆる心理学的な昇華の意味でもある。
 さて、我々はこれまでに大まかな殺人鬼が発生する段階をおってきた。だがこれらの論述では殺人鬼の凶行を解き明かすのは不可能である。なぜなら重要な性格面での検討が行われていないからである。まず私が注目したのは殺人鬼には分裂病質者、もしくは分裂病者が圧倒的に多いということである。これはいわゆるクレッチマーが提起した問題にも接触してくるのではあるが、ともあれ殺人鬼にはこの人格素因が大きく関わっているのである。

 分裂病質とは人格面の問題である。循環病質も同じ類である。前者が昂じると分裂病になり、後者が昂進すると循環病になる。循環病とはいわゆる躁鬱病である。この場合、対人関係に滑らかな循環病者は攻撃的な行動に及ぶ事が少ない。しかしそれが躁状態にまで昂じると攻撃性が強まってくるのではあるが。
 反対に分裂病者は内心深く秘められた殺意が突如として、湧き上がることがある。普段平静を保っている人が突如として、殺人を犯すのはこれが原因である。
 私たちは殺人鬼と常人の境目を知らない。われわれはいかなる時にもその事を認識せねばならないであろう。いみじくもクレッチマーが述べたとおりに、「精神病者と常人との境目」を知らないのである。
(つづく)
(初出:2014年10月14日)
登録日:2014年10月14日 14時26分
タグ : 殺人 論文 心理学

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