北岡万季
著者:北岡万季(きたおかまき)
猫科ホモサピエンス。富士山の麓で生まれ、瀬戸内海沿岸に生息中。頼まれると嫌と言えない外面の良さがありながら、好きじゃない相手に一歩踏み込まれると、一見さんお断りの冷たい眼差しを、身長165センチの高さから見下ろす冷酷な一面も持ち合わせる。これまで就いた職業は多種多様。現在は娘の通う私立小学校の役員をしつつ、静かに猫をかぶって専業主婦として生活している。
エッセイ/エッセイ

あのとき

[読切]
走っていたはずの車は動いてなかったし、両親の姿もない。幼いころ――むせかえるような暑さと耳鳴りがするような静けさに目を覚ました、あのとき。「おまえ、最近へんだよ」 中途半端に笑っていたら、涙が溢れて止まらなくなった。筆者の告白。
 何歳のときか良く覚えていないし、記憶も断片的だ。あのとき幼かった私は暑さで目が覚めた。走っていたはずの車はもう動いていなかったし、さっきまで前に座っていたはずの両親はいない。覚えているのは、額の汗と蒸せかえるような暑さと耳鳴がするような静けさ。

 幼いころの記憶をたどるといつも嫌な気分になる。思い浮かぶのは煙草をふかしながらテレビばかり見ている母の姿と、炬燵の上に置きっぱなしの茶碗に残ったカチカチのご飯粒。襖の向こうには湿った暗い部屋があり、廊下には洗濯物の山。風呂場にはネズミが齧った石鹸が転がっていた。
 そこが私の暮らした家の風景。

 私は悪い子だったらしい。でも自分では覚えていない。しかし良く母に叱られた覚えがあるから、少なくとも「母にとって」は「悪い子」だったのだろう。
 あのとき母は、和裁で使う1メートルの竹のモノサシを握っていた。下から見上げたあの母の恐い顔を、私は今でも鮮明に思い出すことができる。でも何をして叱られたのかはどうしても思い出せない。
――ごめんなさい、ごめんなさい。
 いくら謝っても母は許してくれなかった。泣きすぎてシャックリのように息を吸うことしかできなかった私の足に、母は容赦なくモノサシを振り下ろす。ピシッという音がして熱くなり、そのあとに声も出せないほどの痛みが走る。痛いので足を手でかばうと今度は腕を叩かれる。
「手をどけなさいっ。ちゃんと正座してないと、もっと叩くよっ」
 何をどうやっても、母の気が済むまでは終わらない。
 一番奥の6畳の部屋、いつも叱られる部屋。
「顔は叩かないよ」
 そう母は言ってモノサシを振り下ろし続けた。叩かれたところを手で触ると、ボコボコになっていてヒリヒリした。見ると真っ赤な蚯蚓腫れになって血が滲んでいる。
――いたいよ、いたい。いたいよ。
「痛い」と口に出して言えばもっと叩かれる。じっと終わるのを待つしかなかった。

 顔は叩かないと言ったのに、時折母は私の顔も叩いた。母が手を振り上げる姿を見て、私は避けようと横を向くのだけど、動きが鈍くていつも遅くなってしまう。頬を狙ったはずの母の手は私の鼻に当って、勢いよく母の左腰の辺りまで行って止まる。
 鼻がものすごく熱くなって、押さえていた手に血がどんどんと溜まっていくのが分かる。
「いつまでも痛そうにしてるんじゃないよ」
 私は下を向いている。もう手をどけることもできない。
「何してんの! まったくこの子は大袈裟な」
 ティッシュを探しても見つからない。片手でズボンのポケットにあるハンカチを探した。
「何してんの、ほらっ!」
 母が無理やり私の手を剥がしたので、手に溜まっていた血が畳の上に滴り落ちてしまった。それを見た母は決まってこう言う。
「あんた鼻血が出たの? バカだね、動くからだよ」
 そう言って私の頭を横に小突く。雑巾で畳を拭く私の後ろで、母はじっと立ってその様子を見据え、私のお尻を蹴りながら決まってこう言う。
「まったく、育てかたを間違えたよ」
 ため息と一緒に吐き出されたこの言葉に、私はいつも絶望的な気分になった。
 忘れてしまえればどんなにいいだろうと思うのだけど、忘れたい記憶ほどしつこく残ってしまう。

 それでも私は母が好きだった。時折ひざの上に抱いてもらって、ゆらゆらと揺らしてもらうとたまらなく嬉しかった。
――お、か、あ、さん。
 一番安心できる場所はやはり母の腕の中だ。しかし、満たされた気分はいつも泡のように消えてしまう。
「ちょっと来なさいっ!」
 ふすまの向こうから私を呼ぶ声。ふすまの向こうは叱られる部屋。
「ちょっと甘くすりゃあ、すぐにいい気になるんだから!」
 モノサシを持つ母。
 こんなことが日常繰り返されたのだった。
 
 私が小学校に上がると、母は働きに出るようになる。
「ただいまぁ! おかぁさぁん!」
 いないと分かっていても、いつもこう言って玄関を開ける。もちろん「おかえり」という人はいない。閉めきられた家の中は空気すら動いていない。
 土曜日は学校給食がない。家に帰ってもご飯は用意されてはいない。冷蔵庫を開けてみるものの、自分が作れるものなどあるはずもなかった。あとから帰宅した兄は、ただ無言のまま白いご飯にお醤油やらソースをかけて食べていた。それを真似て私も醤油をかけて食べた。たまにお鍋に昨晩のシチューや煮物が残っていたとしても、それは日中の暖かさに負けており、食べられるものではなかった。

 私は、それが「普通」だと思って育つことになる。
「どこの家もこんなもんよ。外見は格好よく見せているだけなんだから」
 母はいつもそう言っていた。
――どこの家も同じ。
 私は、どこの家の子もこういう環境で育っていると信じて疑わなかった。

 あるとき、近所にできる新しい家の棟上式に両親はそろって出掛けて行った。田舎では冠婚葬祭などを行うとき近所が総出で手伝う。仕事がある人も休んで手伝いに行く。それが当たり前の近所付き合いだった。
 暗くなっても両親はまだ帰宅しなかったが、外から聞こえるぎやかな声で、まだ宴会が続いているらしいことは分かっていた。兄もどこへ行ったのか家にはおらず、私はひとりで炬燵に入ってテレビを見ていた。
 ガラガラと玄関が開く音がした。母が帰ってきたのかと思ったが、障子を開けた人は母でも父でも兄でもなく、近所に住んでいるおじさんだった。
「なんだ、万季ちゃんだけか」
 おじさんはひどく酔っていた。そのまま居間に上がると私の横に座った。
「ああ、酔った酔った」
 そう言うと私を抱きかかえて炬燵に寝転んだ。ふざけているのかと思っていたら、おじさんは、私の下着の中に手を入れてきた。
「気持ち悪いからやめて」
 しかし、おじさんは酒臭い息をして、それをやめようとしない。
「おかしいなぁ、ここ、気持ちいいはずなんだけど」
 私は炬燵から出ようとしたが、後ろから大人に抱えられては動けるはずもなかった。
「どうだ、気持ちいいだろう」
 私の記憶はここでプツリと終わっている。

 そのあと覚えているのは、帰宅した母におじさんがしたことの意味を聞いている場面だ。しかし、母はただ黙って私に背中を向けて台所に立っているだけだった。私がしつこく聞いたからだろうか、最後には母に叩かれ、厳しく叱られた。
「うるさい、忘れな!」
 そう言うと、母はまた私に背を向けたのだった。
 私が母だったらどうするだろう。娘を残して留守をしたことを悔やむだろうか。不憫に思うだろうか。あの男に苦情を言いに行くだろうか。いくら考えても答えは出てこない。騒ぎたてて近所でうわさになったとしたら、それはそれで娘にとって不利なことになる。田舎のことだ、こんな話はあっという間に広がるだろう。
 しかし、これは「大人」の「世間体」だ。
 あのときの私は、何も近所のおじさんに文句を言ってくれと望んでいたわけでもない。
不安でいっぱいだった私を、しっかりと受けとめて欲しかっただけだ。私の方を向いて「だいじょうぶだから」と、抱きしめて欲しかっただけだ。
 大人になった今、あの夜に何をされたのかはっきりと理解できる。しかし大人の私は、いくら想いを馳せても幼い私を抱きしめてやることなどできはしない。母以外に誰が私を抱いてくれるというのか。あの不安な夜、母にまで背中を向けられたままの私の心は、迷子のように今でもふらふらと記憶の間を揺れている。

 中学になると私の体は母を見下ろすまでに成長した。そのせいなのか母は私のことを叩かなくなった。そのかわり、よく男から母に電話がかかるようになる。相手は私も知っている母の遠縁に当たる人だった。
 やがて母は父への不満を私にぶつけるようになった。結婚は失敗だった。自分はもっと違う人に求婚されていたのに、どうしてあのときに間違えてしまったのか。そんなことばかり言っていた。
「あんたたちが結婚して、お父さんとふたりになったら離婚する。それまではあんたたちのために我慢するんだ」
 母は決まってそう言った。片親だと不憫な思いをするから、と。
 その男から電話があると、母は決まって私を居間から追い出した。そして間もなく着替えを済ませて出掛けて行ってしまう。
「お父さんから電話があったら、買い物だって言っておいて」
 そういって、見たことも無い服を着て出て行った。
 父もまた同じだ。
 友達の家に行った帰り道、バスに乗り遅れた私は信号で止まっている父の車をみつけた。乗せて帰ってもらおうと思って走って近寄ろうとすると、隣には知らない女が乗っている。朝、作業服で出掛けたはずの父も、見たことも無い服を着て笑っていた。
 それを知った母は、父とその女のことをいろいろ言ったが、私の心は「あんただって同じだろう」という気持でいっぱいだった。

――どこの家も同じ。どこの家もこんなもの。
 嫌なことがあると、私は呪文のようにこの言葉を唱えて心を落ちつかせた。

 しかし私の結婚を境にして、その呪文は効果を失う。
 夫の育った家庭は、母の言葉を借りれば「格好をつけている」家庭だった。しかし夫はこれが普通だと平然と笑って言った。私は身体の半分がどこか暗い場所に滑り落ちて行くような気持になっていったのだった。

 長女が生まれると、私は更に追い詰められて行った。娘がただ寝ているだけの赤ん坊の時期はよかった。しかし、やがてハイハイを始めて私に近寄って来たとき、私は子どもの愛しかたが分からないことに気がついた。
 何も迷うことなどない、私は娘を抱き上げてやればいいだけのこと。しかしそれができない。純真無垢な心で近寄ってくる娘はかわいいと思える。しかし、抱き上げてやるための腕を出すことができない。やっと腕を伸ばして娘を抱いてやる――が、それは心地よいものではなく嫌悪感すら感じさせる。どこか芝居染みており、自分で笑ってしまえるぐらいぎこちないのだ。私は愕然とした。

 同じころ、私は自分の中に両親を憎む気持ちがあることに気付いた。夫との生活が順調に月日を重ねれば重ねるほど、過去の自分が今の私に嫉妬する。今の私が幸せなら幸せなほど、過去の私は暗い闇の中へ沈んでいってしまう。普通だと思っていた暮らしは、普通ではなかったのだ。母の言っていたことは嘘だった。
 子どもを愛せない親である私、自分の親を否定する娘の私、私は知らず知らずのうちに軽いノイローゼのようになっていたのだと思う。このままじゃいけないと思ったが、でも誰にも言えなかった。

 ある朝、私を見て夫が言った。
「おまえ、最近へんだよ」
 私は電話帳をめくっていた。傍らでは長女が泣いている。いや、正確には長女の泣き声に気付かぬまま電話帳を睨んでいた。夫は電話帳を覗きこむ。
「精神科?」
「私ね、おかしくなっちゃって」
 中途半端に笑っていたら、涙が溢れて止まらなくなった。
 私ははじめて夫に全てを告白した。いや全部ではない。あの夜の出来事だけは、今でも夫に言えずにいる。
 夫は話を聞き終えるとしばらく沈黙し、こう言った。
「こんなことを言うのは悪いけど、オレさ、お前の親って普通じゃないって思うんだ」
 やっぱり私の育った家庭は普通じゃなかった。自分でもそうなんじゃないかと思うときはあった。しかしその度に呪文で自分を納得させていた。
 しかし、夫のその一言で、私は救われたのだ。夫は私の過去を哀れむのではなく、両親を否定してくれた。それが私の心を拾い上げる言葉になった。私はもうあの家に帰らなくていい。夫と娘と新しい家庭を築いてゆけばそれでいいのだから、と。

 私はいま夫の両親と一緒に暮らしている。前に私が体調を崩し、何も食べられないときがあった。姑は私のためにプリンを作ってくれ、私が食べ終わるまで傍らでじっとその様子を見ていた。私は「せっかくだから」という気持で一匙口に入れた。
「食べられてよかった、本当によかった」
 姑はそう言って私の背中をなでてくれた。もしも私がまだ子どもなら、姑はひざの上に抱いてくれただろうか。私はこんな大人になってまで、間違いなくまだ母のひざの上を求めている。私はもう匙を運ぶことができなかった。

 あのとき。
 あの車内に取り残された幼い私は、暑さで朦朧としながらも必死に窓を開けた。片手では動かないハンドルを、両手で歯を食いしばって開けたのだ。
「おかあさん! おかあさん! おかあさん!」
 大きな声で泣き叫び、何度何度も母を呼んだ。しかし母は来てくれない。姿さえも見えない。私は不安に泣きながら窓を開けた。「うわぁ! うわぁ!」と狂ったように泣く声を力に変えてハンドルを回した。いま生きているのは、あの車がハンドル式で開く窓だったからだろうか。

 人間は育てられたように育ててしまうとよく聞く。そういうように育てられた私は、気が付くと母のように娘の前に立ちはだかっているときがある。その度に私は自分の中に巣食う母を殺していく。
 幼いときに受けた傷は、本人も予測できない場所で深く赤い傷口を開き、何度も何度も私を飲み込もうとする。今までも、そしてたぶんこれからも。

 お母さん、どうしてあなたを憎まなければならないのだろう。
 あと何度あなたを殺せばいいのだろう。
(了)
(初出:2001年06月)
登録日:2010年06月21日 17時41分

Facebook Comments

北岡万季の記事 - 新着情報

  • マツムシは吠える、スズムシはすすり泣く 北岡万季 (2010年09月29日 13時26分)
    晩秋の夜、久しぶりにひとり街へ出てみて驚いた。そこにはいろんな種類の少年たちが、それぞれにうごめいていたのだ。その若者の間をすりぬけて行く著者。自分はも若くないんだと思う彼女が、最後に思ったこととは一体何だったのか。(エッセイエッセイ
  • びば! 同居 北岡万季 (2010年06月21日 17時58分)
    長男の嫁である著者が、とうとうその親と同居を始めることになった。脳天気な夫と、送り出す実家の両親の涙。その狭間で揺れながら知らない土地へ運ばれて行く嫁。その先に待ち受けている姑との関係はいかに?(エッセイエッセイ
  • 隙間すきま 北岡万季 (2010年06月21日 17時57分)
    夫の留守にパソコンを使い始めた主婦が、イケナイ空間へと迷い込んでいく。家事を忘れ、育児を忘れ、そして主婦ということすら忘れて没頭するバーチャルな世界。心の隙間に気付いたとき、主婦はどうやってそれを埋めてゆくのか。(エッセイエッセイ

エッセイ/エッセイの記事 - 新着情報

エッセイ/エッセイの電子書籍 - 新着情報

  • 吾輩は女子大生である 麻梨 (2014年07月19日 15時04分)
    女子大生、麻梨の日常と就活、就職までを記した悪ノリエッセイ22編。下着ドロにあった友人とその後の行方、理解してもらえない趣味など日常のあれこれに始まり、企業説明会、「お祈りメール」こと不採用通知について、「私服でお越し下さい」という面接などの就活エッセイも。「初めて人にいうんだけどさ」と前置きされて、なぜか性癖をカミングアウトする友人たち、人泣かせの彼女たちを潜りぬけ、見事、内定をつかめるか麻梨!(エッセイエッセイ
  • 作家の日常 阿川大樹 (2014年03月29日 20時06分)
    「D列車でいこう」「フェイク・ゲーム」などの著作で知られる人気作家、阿川大樹氏のエッセイ「作家の日常」。オンラインマガジン騒人で連載されていた当作品に、第0回「小説家の誕生と死」――小説家になる前のエピソードを加えて再編集しました。小説家に必要な資質、仕事場・道具、編集者とのつきあい、印税と原稿料についてなど職業作家の日常を赤裸々に告白。氏のファンだけでなく、小説家を目指している人や作家という職業に興味のある方にもオススメのエッセイです。(エッセイエッセイ
  • ワールドカップは終わらない 阿川大樹 (2010年06月13日 17時23分)
    熱狂と興奮の中で幕を閉じた2002FIFAワールドカップ。日韓同時開催のワールドカップとして記憶にも新しい。ジャーナリスト/エッセイストの阿川大樹が1年半の取材と20日間のボランティア、5試合のスタジアム観戦を通じ、舞台裏、客席、オフィスや街…、多角的な視点で「事件」としてのワールドカップを描く。
    価格:315円(エッセイエッセイ