紫苑
著者:紫苑(しおん)
日々の出来事を、ふと書き留めておきたい時がある。何の変哲もない風景に、こよなく愛着を感じる時がある。思わず涙ぐんだり、手を合わせてしまうほど感動を覚える時がある。そんな時は目を閉じて、心のキャンバスに、一枚、また一枚と、自分の生きた証に描いてきた。現在は、二人の成人した娘達と、姉妹のように共同生活を楽しんでいる。なにはともあれ、今が幸せならすべてよし、と充実した日々を送っている。
エッセイ/エッセイ

[読切]
読んでいて「本当?」と問いたくなるような姑の仕打ち。娘が良いのなら、と罵声に耐えるのは実母でなければできないことだ。今は亡き実母に、作者は何を語りたいのだろう?
 俯いたまま、義母の罵声を聞いていた。
「一体、どんな教育をしたんだか。反対したにも関わらず、乗り込んで来て私の生活を目茶目茶にした上、息子まで洗脳して。息子は女の言いなりで、私の幸せを踏みにじった」
 一方的に、言いたいことを立て板に水のごとく、ただただ話す義母の話を、実母は静かに聞いていた。一言も口を挟んだり、反論はしなかった。
 結婚して初めて我が家に実母が訪れた時のことだった。

 母一人子一人のような環境にあった夫と恋に落ちた。正確にはそれほどのことではなかった。付き合ってる段階で、なぜか頑なに反対する義母に反発したのかもしれない。反対さえされなかったら、結婚をしなかったかもしれないと後から思ったこともあった。火に油を注いだのは、一番反対だった義母自身なのだ。

 結婚式にはどんなに頭を下げても、義母は出席してくれなかった。私の父は入院中で、付き切りの母も出席できなかった。私達の人生の門出は、両家の親が欠席するという甚だ異例のスタートとなった。

 当時、家を買ったばかりの夫は、母親と二人暮らしだった。高校の時に父親とは死別しており、母親が彼の唯一の扶養家族だった。
 結婚に反対されても、説得して同居する方法以外は見つからず、始めから上手く行かないことを承知の上での三人暮らしは、結婚直後から始まった。
 最初のトラブルは、私の荷物がトラックで届いた日に起こった。
「私の家なんだから、どこの馬の骨か分からない女のものなんか入れるものか」
 義母はドアチェーンをかけてしまった。
 届いた荷物は、収まる場所を与えられず玄関前に堆く積まれたままだった。
 夫が必死に説得するが、義母は開けようとしなかった。そのうちに近所の人々も何事かと集まって来て、初日から嫁姑の確執は白日のもとに晒された。
 只ならぬ気配にようやくドアチェーンをはずした義母は、手伝いに来てくれた妹の前で、私を激しく罵った。
「図々しいオンナ、何しに来たんだ! ドロボーネコが、私の息子を誑かしやがって! 帰れ! 帰れ!」
「ケイコ姉ちゃん、帰ろうよ。恐いよ。帰ろうよ」
 二人の妹はことの成り行きに、とうとう泣き出した。
 でも、私は帰るわけには行かなかった。病気の父や出席したくてもできなかった母に、これ以上の心配はかけられなかった。
 脅える妹たちを諭して、その夜はなんとか私のとんでもない新居に泊めた。実家に戻った彼女らが、このことを両親に逐一報告したのは言うまでもない。

 義母の執拗な嫁いびりはこんなものでは収まらなかった。
 私がしている結婚指輪を見て、義母はそれを欲しがった。当時、流行り始めていたプラチナに金の縁取りがした指輪は、彼女の目には斬新で素敵に見えたのかもしれない。夫は、義母の機嫌が直ればお安い御用と、彼の指輪を義母のサイズに直して与えた。つまり、私の結婚指輪は義母とペアになってしまったのだ。
「これは夫婦の証なのよ。それはないんじゃないの。おかしいよ」
 激しく夫に抗議をしたけれど、
「どうせ、俺は指輪なんてしないから、お袋の機嫌が直ればなんてことはないよ。もっと素敵な指輪を買ってあげるから」
 まるで意に介さなかった。
 でも、私には納得がいかなかった。だから、今でも私は結婚指輪をしていない。
「私に指輪をしてもらいたかたら、もう燦然と輝く大粒のダイヤしかないからね!」
 本気でそんな風に思ってる訳ではないけれど、この事件は、私を散々傷つけて、私の胸にしこりを残した。

 義母は、私を台所には絶対立たせてくれなかった。
「私の台所」
「私の洗濯機」
「私の……」
 とうとう私が持参した荷物は何一つ、入れてはくれなかったから、嫁である私には、「私のもの」と言えるものが全くなかった。
 洗濯機も断りなく使うと、
「私のものを勝手に使って、何様のつもりなんだ!」と、すぐさま洗濯機にガムテープでふたをした。
 冬の寒い時も、赤ちゃんの汚れたものを、水で手荒いしていた。冷たい水で、手にはあかぎれができ、パックリと口を開けた。悲しくて、どうしていいか分からず、何度家を飛び出しただろうか。
 今となっては、もうどうでもいいことであるけれど、それらの出来事は、誰に話しても「今時『おしん』じゃあるまいし」と一笑にふされてしまった。
 実母でさえ、私が大仰に言ってると我が家に訪れるまでは、信じて疑わなかった。

 父が死んだ時、四十九日の法要が終わるまで帰って来てはいけないと言われた。私と母は、義母の地方にはそんなしきたりがあるのだろうと納得して従ったが、後に、義母が私を帰って来させないための口実と知った。
 私は父の容体が思わしくないと言われてから実家に帰っていたので、都合三ヶ月近く婚家を留守にしていた。実母は、敷居が高いだろうと気遣って、私と長女を送ってきてくれた。
 その一歩を踏み入れた時、洗濯機のガムテープを目の当たりにし、義母の罵声は始まったのだった。

 下を向く母の手の甲を涙が濡らした。
 私のことなら何を言われても、好きで選んだ道なのだから我慢はできる。でも、母に向かって、躾云々は我慢できなかった。目を吊り上げてとうとうと話す義母を私は睨み付けて、言いかけた。
「ケイコ、黙って聞きなさい」
 母が制した。

 その夜、母と枕を並べた。
「縁あって結婚したんだけど、後悔はしてない?」
「うん。彼はいつも庇ってくれるし、自分が選んだ道だから大丈夫よ」
「母さんもケイちゃんがそれでいいなら、何も言わないわ。でも、我慢にも限度があるから、子供を道連れにしようなんて考えるようなことがあったら、その時は迷わず帰って来なさい。でも、本当によく我慢してるね。想像してた以上の辛さだろうと思ったよ。あの我が侭なお前がよく耐えてると思ってね。それが不憫でねぇ」
 母の言葉に気が緩んでしまって、涙が溢れた。
「我慢しないで泣いてごらん」
 私は声を殺して母の胸で泣いた。泣きながら、なんて親不孝な娘だろうと自分を恥じた。

「縁あって若者が出会ったのですから、もう少し長い目で娘のことをみてやっては、もらえませんか。お母さんがおっしゃるように、躾が行き届いてないのは、認めますが、夕べもよく話してきかせました。それでも、どうしても駄目なようなら、娘が行き届かないのは母親の私の責任ですから、その時は私が引き取ります」
 母は義母に向かって深深と頭を下げた。
 たった一泊で母は帰って行った。母が我が家を訪れたのは、後にも先にもこの時だけであった。
 家に戻った母から、義母宛てに「どうか若い二人の前途を見守ってやって欲しい」との内容で手紙が届いていた。
 それを知ったのは、ごく最近のことである。
 この春家を出た義母が残した荷物の中に、懐かしい、亡き母の文字を見つけた。
(了)
(初出:1999年09月)
登録日:2010年06月22日 15時45分
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