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井上真花
著者:井上真花(いのうえみか)
有限会社マイカ代表取締役。日本冒険作家クラブ会員。長崎県に生まれ、大阪、東京、三重を転々とし、現在は東京都文京区に在住。1995年にHP100LXと出会ったのをきかっけに、フリーライターとして雑誌、書籍などで執筆するようになり、1997年に上京して技術評論社に入社。その後再び独立し、2001年に「オフィスマイカ」を設立。
エッセイ/エッセイ

人妻日記(2)

[連載 | 完結済 | 全7話] 目次へ
1995年12月大晦日と1996年のお正月。奈良ホテルに宿泊する一家。“あめごち”をねだる娘さんをせかして春日神社へ参拝。「えせかわい子」の本性を知る息子さんと、子どもを脅かして楽しむ母。4日間の出来事。
■1995年12月31日(日)雪

 初めて外泊のおおみそか。奈良ホテルは身分違いもはなはだしい。父母の年代がもっともふさわしい。木造のカフェテラスでポットのコーヒーをいただきながら、妙な居心地の悪さを感じていた。
 思わず外に逃げ出すと、おおみそかの人通りがあわただしく好ましい。狭い店で名物びっくりうどんをすする。冷えた身体が暖まり、おなかもいっぱい。
 奈良公園には鹿の姿が見えない。もう夜だからか。大晦日だからか。鹿のいないこの場所は、ただの原っぱであると知った。

■1996年1月1日(月)曇り

 正月。テレビはおとぼけて騒いでいる。せっかく奈良に来たというのに、テレビを見ていてはいけない。
 昨日の夜、春日大社前の通りを歩いていたら、ふいに背中から除夜の鐘の音が襲ってきた。この時はさすがに鳥肌が立った。毎年テレビの「ゆく年くる年」でぼんやり聞いていた、アレだ。生音はやはり迫力というか、重みというか……んー、なんだろう。やたらとありがたい気持ちにさせる。さらにビジュアルが迫力を添えた。下からライトアップされた三重の塔は美しすぎて、娘は「こわい」と私にすりよってきた。
 それでは、正月の奈良はどうか。過大な期待を抱きつつ、ホテルを出た。春日大社は目の前だ。まだ人通りの少ない道をそぞろ歩いていると、川辺をはぐれ鹿が3頭さまよっているのを見つけた。角が立派なので恐ろしい。
「あめごち」
 娘がつぶやいた。
「ん、なに」
「あめごち、食べる。絶対食べる」
 聞いたこともない食べ物だ。娘がぐっと指を伸ばし、道沿いに並んだ出店のひとつを差した。
 そこには、右から「いちごあめ」と書いてあった。
 しかし、間違えて左から読んだって、絶対“あめごち”にはならないぞ。
 “あめごち”は帰りに買い食いすることにし、とりあえず参拝を済ませようと先を急ぐ。並んだ出店の数は、果てしない。いちいちひっかかってたら、参拝までに力尽きそうなほどだ。
 そうでなくても、息子は鹿にひっかかるのだ。
 出店よりさらにたくさんの鹿が、道の両側にきちんと並んでいる。参拝客が珍しがって、鹿せんべいを買ってごちそうしてくれる。やつらはおとなしく参拝客を見つめているだけ。決して、鹿せんべい屋の商品に手を出したりはしない。やつらは知っているのだ。おとなしく、かわいく。それが彼らのセールスポイントなのだと。生き残るための手段なのだと。
 そして、息子はその「えせかわい子」にいちいちハマる世間知らずだ。
 鹿せんべいを持たない息子になど、何の興味も示さない鹿たち。それでも、必死で鹿の気をひこうとする息子。哀れである。

 参拝帰りに、ちょっと足を伸ばして東大寺へ。奈良の大仏を子供たちに見せておきたかった。というより、その「でかさ」で驚かしたかっただけなのだが。「でかさ」というのは、「すごい」と思うまでの経路が最もシンプルでわかりやすくて子供向きだ。そう私は信じている。
 東大寺は、春日大社より人が多い。そして、ここにも鹿だ。息子は相変わらず鹿に夢中。ほっといて、先に進む。
 しっとりとした暗闇に、奈良の大仏は座っていた。来る道すがら、小さなうそをついた息子は、この暗闇が若干恐ろしい。
「大仏はどんな顔をしている?」
 試しに聞いてみると、彼は小さな声で
「怒っているみたい」
 と言った。このくらいの子供は、まだわかりやすくていい。大好きだ。
 大仏のそばにある一本の柱には、通りぬけると幸せになれるという穴があいている。私はもうとっくに不可能となってしまったが、二人の子供はすんなりと通り抜けることができた。なんとはなしに、縁起がいい。
 大仏殿を出ると、今度は娘、焼き芋の屋台を見つけてしまった。これは、母親も嬉しい。率先して買う。割ると、中の黄色の実がほこほこっとおいしい。もたもた食べていた娘は、もちろん鹿に追い回されるハメに陥った。泣き叫ぶ娘。増える鹿の数。えせかわい子の化けの皮がはがれた瞬間だった。息子は、ただぼうぜんとあさましい鹿の姿を見つめるのみ。が、突然我に返った彼は、突然裏切られた怒りに燃えた。鹿を追いかけていき、殴りだしたのだ。掃除のおばちゃんは、「なぐってはアカン」と息子をたしなめた。息子は反抗的な目でおばちゃんを見返す。と、その隙に鹿はしっぽを巻いて退散した。娘の焼き芋は、どうやら無事だったらしい。
 で、問題の“あめごち”。買いましたって、しょうがないから。なめてもなめてもなくならないのは、元祖りんごあめと同じ。ホテルの入り口が目の前になると、悪い母親はまた脅かしたくなる。
「ホテルのおにいさんがね、“あめごち食べている人は、汚れますからホテルに入らないでください”って言うよ」
 ご機嫌でごちあめをなめていた娘、一瞬表情を固くした。知らん顔して、ホテルに入る。娘がドアを入ったところで、さっと彼女の顔を見た。すると、頬が異様にふくらんでいた。手に“あめごち”はなかった。すました顔でフロント前を通りぬける娘。エレベーターの乗り、ドアをしめたら「ぷっ」と手の上に“あめごち”を吐き出した。
「あー苦しかった。でもバレなくてよかったね」
 かくも信じやすい子供を、元旦からこうも脅かしまくっていてはイケナイ。


■1996年1月3日(水)晴れ

 私の実家から、夫の実家へ向かう。自宅を出て今日で4日目。ふー。
 
 親戚と会って、ごちそうをいただいて。子供はなんといってもお年玉。まっとうなお正月を堪能している。今日で計3Kg太った私。もうヤケである。
 たくさんおもちゃをもらい、遊び狂う子供を見つつ思う。どうしてクリスマスとお正月は1週間しか離れていないのだろう。楽しみは、もっとまんべんなく存在するべきではないか。先週もらったプレゼントの余韻が残っているうちに、新しいプレゼントを与えるというのは、私はどうも気に入らない。

 ぜいたくが性にあわない人間という、私はそういうヤツらしい。うちの父もそうだった。もらいものやごちそうが、時折とても辛くなる。今回のように、外泊してごちそう食べてモノもらう。こんなのは、三重苦といってもいい。早くうちに帰って、梅干し茶漬けが食べたいよう〜と、私の胸ははりさけんばかりだった。不幸な女である。
「来年も奈良ホテルに泊まりたい」
 自宅に帰る道すがら、夫は私の肩を抱いて言った。
 生まれつきお坊っちゃんであらせられる我が夫、私と正反対に贅沢を楽しむ才能をもっている。うらやましい男だ。
(つづく)
(初出:1996年01月)
登録日:2010年05月30日 15時44分
タグ : 大晦日 元旦

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