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井上真花
著者:井上真花(いのうえみか)
有限会社マイカ代表取締役。日本冒険作家クラブ会員。長崎県に生まれ、大阪、東京、三重を転々とし、現在は東京都文京区に在住。1995年にHP100LXと出会ったのをきかっけに、フリーライターとして雑誌、書籍などで執筆するようになり、1997年に上京して技術評論社に入社。その後再び独立し、2001年に「オフィスマイカ」を設立。
エッセイ/エッセイ

人妻日記(5)

[連載 | 完結済 | 全7話] 目次へ
自分が働いて年下の彼と暮らすという彼女は女優のようにかっこよかった。それはそれでそれなりに「恋をすれば」。自立し始めた娘さんが見つけたぬいぐるみ「マミーちゃん」。十数年ぶりに抱きしめた感触が懐かしい「マミーちゃんと復縁した午後」の二編。
■恋をすれば

 友が、離婚するという。仲のよかった夫婦なだけに、にわかには信じられない。
「なんでまた!」
「ふふ」
 友は、いつになく低い、色気のある声で笑った。
「しょうがないでしょ。恋しちゃったんだから」
 瞬間、返す言葉が見つからない。いつ? どこで? なんで? 聞きたいことは山ほどあるが、私は芸能レポーターではないので、どうもプライドが邪魔して質問ができない。下世話な話になってしまい、自分が鼻息荒くなってしまうのが恥ずかしいのだ。わざとすまして紅茶を飲む。頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだ。
「あれ、驚かないの」
 彼女は私の反応を楽しむように、こちらを覗き込む。くそう、このままでは気おされる。
「で、なに。あんた家を出て、いくとこあるの」
「そりゃ、彼のとこに行くわよ。彼ね、仕事をやめてくれたの。私と一緒に、どっか遠くに引っ越して、人生やりなおしてくれるって」
 窓の外に目をやる彼女。どうやら、その彼の姿を浮かべているらしい。やれやれ。
「彼ね、八つ年下なんだ」
 急いで逆算する。30−8は……えっと……うそ! 22才!
「就職したばかりで、ほんとかわいそうなことになっちゃって」
 22才ってことは、あなた、まだ学生に近いものがあるじゃないですか。信じられない。そんなおぼっちゃんに、人生託せるっていうのかこの女は。
「どうやって生活するのよ、そんな若い子、生活力あるの」
「あたしが働くからいいの」
 それって、世間ではつばめっていいません?
「どっちが働いて、どっちが家庭守ってもいいじゃない。彼は家で、私を待っていてくれればいいの」
 不思議に、彼女の言葉に悲壮感はなかった。心からこの成り行きを望んでいたような、彼女の強い意志を感じる。
「ご主人にしてみれば、ショックよねえ。よく許してくれたわね」
「あいつにも女がいたのよ」
「……え。うそみたい。あんたたち、仲良かったじゃないの」
「そうね。彼にしたって、まさかこうなるなんて思わなかったでしょうね。ほんの遊びのつもりで会社の若い子と浮気して、まあそれがアダになって」
「仕返しのつもりで浮気したの?」
「とんでもない! だって、私が彼と付き合いはじめたのとほとんど同時だったのよ、彼の浮気。つまり、自然に双方から離れていったということになるわね」
 自然の成り行きで、浮気ってするものなんだろーか。私には到底うかがい知れない世界だった。うかがい知ろうとも思わないけど。
「というわけで、私引っ越すから。あんたともしばらくあえなくなるわね。住むところが決まったら、連絡するから」
 伝票をもって立ち上がろうとする彼女から、すばやく伝票を奪い返す。
「これからの暮らしがあるんだから。ここは私がおごる」
「そう? 悪いわね」
 よっとバッグを肩にひっかけ、ひっこり笑って手を振って出ていった彼女は、まるで映画の女優のように堂々としていた。奥様連中と喫茶店でモーニングを食べながら、近所のうわさ話をして半日を過ごしていた彼女よりは、ずっとかっこよかった。
「あれはあれで、正解なんだろうか」
 割り切れないまま、カップの底に残った紅茶を飲み干した。
 ふと自分の隣の席を見た、夕食の買い物袋が、ずっしりとおいてある。あたしには、帰って夕食を作るという仕事が残っている。
「わあ、もう5時過ぎちゃってるじゃん。急がないと、子どもが家に帰って来る!」
 慌てて店を飛び出す私。ちょっとだけ彼女をうらやましく思わないでもないけれど、年下の彼と第二の人生を歩き出すエネルギーなんて私にはないし、第一こんな私に恋をする男が現れるなんてこともありそうにない。
 信号を待つ自分の姿をショーウインドウに映し、そのかっこ悪さに思わず目をそむけてしまう。だけど、子どもは「うちのかあさんは大塚寧々にそっくりだ」とか言ってくれるんだし、ま、それはそれでそれなりに。


■マミーちゃんと復縁した午後

「おかあさん、だっこは一日五回までね」
「けち〜。もうちょっとたくさんにしてよ」
「だあめ。私だって忙しいんだからね」
 娘にやさしく、しかしきっぱりと宣言されてしまった。そりゃそうだ。この娘ももう3年生になる。いくらからだが小さいとはいえ、心は着実に成長を進めている。親としてはむしろ、この彼女の姿を喜ばしく思わなくてはいけないのだろう。しかし、私はしょげかえった。私はもう、このぷよぷよのふわふわの小さな体を、思う存分抱きしめることができなくなるのだ。

 部屋のすみでほこりをかぶっていたぬいぐるみに気がついたのは、その娘だった。
「おかあさんの大切なぬいぐるみだったんでしょ」
 スヌーピーによく似た顔とボディを持ちながら純国産種である彼は、小学校時代、一人っ子である私が寂しがらないよう、親から眠りの友として与えられたものだった。彼は、マミーちゃんと名づけられた。文字通り、親代わりである。
 抱きしめると、ふわっと気持ちよかった。一人っ子ではあるが、決して甘やかすことがなかった両親の元で、私はきっと抱きしめられることに飢えていたのだと思う。その日から、私は彼との抱擁におぼれていった。夜毎彼を抱きしめて眠る、熱い日々。彼のつぶらな瞳は私の姿だけを映し、彼の長い耳は私の声だけを聞き、彼の小さな口は私のキスだけを受けた。当たり前だ。なにしろ彼には選ぶ権利がない……。
 この蜜月は、本物の人間を抱きしめて眠るようになった時まで……つまり結婚するまで続いた。だっこは、やっぱり本物の人間に限るとわかった時点で、彼はあっさりお払い箱となった。彼はベッドの上からたんすの上へと住処を変え、すでに十数年がすぎていた。

 さて、その彼だ。久しぶりにしげしげと眺めてみると、すっかりその風貌を変えていた。白かった体は、ほこりにまみれてどす黒くなっている。おしりの縫い目がほつれて、中のつめものがはみ出している。一時、あれほど私の渇きをいやしてくれたこの子だったのに、今やこのていたらく。人の情というものは、かくも変わりやすいもの……と、自分の薄情を棚にあげる。

「かわいそうに。こんなにくたびれちゃって」
「洗ってあげればいいじゃん。お風呂にいれてあげよーよ」
 娘の提案により、昨日のお風呂の残り湯に洗剤を混ぜ、彼をつけこんだ。彼は、いったん底に沈み、再び川に流れる土左衛門状態でぷくーっと浮き上がった。どず黒い体とその状況は、かなりグロテスクに見えなくもなかった。しかも、そんな彼を「このままではきれいにならないから」と、何度も底に沈める私。ちょっとサディスティックな快感に酔う。ひひひひひ……。
「あ、あのあのあの」
 娘が私の笑顔におびえ、後ずさる。
「あ、あたし友達と遊んでくるから!」
 早々に逃げ出す娘。薄情なのは、母親譲りだからしょうがない。
 数十分入浴をした彼は、その後ベランダのかごの中にいれられた。ぽかぽか春の陽気の中、彼はのんびりと横たわった。存外幸せそうに見えた。ほこりをかぶってすさんで見えた彼の大きな目も、すがすがしく澄んでいた。
「娘がね、私から自立しようとしているの。またあんたのお世話になっていいかしら」
 ベランダで彼の隣に座り、そんな風に語りかけながら、久しぶりに彼としっぽり過ごした午後だった。
(つづく)
(初出:1996年04月)
登録日:2010年05月30日 15時50分

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