騒人 TOP > エッセイ > エッセイ > 人妻日記(6)
井上真花
著者:井上真花(いのうえみか)
有限会社マイカ代表取締役。日本冒険作家クラブ会員。長崎県に生まれ、大阪、東京、三重を転々とし、現在は東京都文京区に在住。1995年にHP100LXと出会ったのをきかっけに、フリーライターとして雑誌、書籍などで執筆するようになり、1997年に上京して技術評論社に入社。その後再び独立し、2001年に「オフィスマイカ」を設立。
エッセイ/エッセイ

人妻日記(6)

[連載 | 完結済 | 全7話] 目次へ
電話は、その人の知らなかった部分を見せてくれる鏡でもある。人付き合いの苦手だった女性の、思いも掛けぬ明るい声を聞いて見なおしてみたり――電話の置き際、留守番電話の難しさを語る。
■電話ってムズカシイ

 電話の声は、魔法の鏡と同じだ。本人の気付かないところで、その本性を全て明らかにしてしまう。とてもいい人だと思い、長年つきあった知人だったのに、一度電話しただけでげんなりして、なんとなく疎遠になってしまうことが、多々ある。百年の恋が、みるみる色あせたこともある。それだけに、私は電話の声に気をつかう。
 それでも、よく「あら、お休み中でしたのね」とか「お疲れのよう。ごめんなさい」と相手に気遣われることが多い。どうも、眠い時のわたしの声は独特で、すぐにわかるらしい。本人は一生懸命に明るく応対しているつもりなのに、必ず見破られる。これが、けっこう口惜しい。

 こちらから電話をかけた時の、最初の相手の対応は結構気になる。名前を告げた瞬間に、ふと暗い声になってしまうひとがいる。そのあと、いくら明るい声で話をしても手遅れである。私の電話は相手にとって迷惑だったのだ、と思ってしまうのも無理のない話だ。 反対に、名前を告げた途端1オクターブも声を張りあげて「きゃあ、みかさん!」と喜んでくれる友達などは、うれしくて、うれしくて、何度でも電話をかけたくなってしまう。特に用事がない時にでも、ちょっと声を聞きたくなってしまう。もしかしたら、相手にとってとても迷惑な話なのかもしれないけど……。

 人とつきあうのが苦手な女性がいた。人としゃべる時に、どうしても固いものいいになってしまうので、彼女にはなかなかうちとけた友人ができない。
 ある日、ふとしたきっかけで彼女の家に呼ばれることになった。私は人と話をするのがそう不得手ではない。しかし、この時ばかりはちょっと躊躇した。彼女相手に、何を話せばいいのだろう。想像通り、向かいあって座る二人の会話はぎこちないものとなった。沈黙が何度となく訪れ、その後に言葉を無理矢理続けていく。そんな時間が過ぎていった。 そろそろ帰ろうかと思い始めた頃、彼女の家の電話のベルがなった。
「失礼」
 席を立ち、受話器をもった彼女。「はい」という返事が聞こえた。やはり固い声である。が、次の瞬間、
「はあい!」
 柔らかく、楽しげな声が聞こえてきた。彼女の声帯からこんな声が出るとは、とても信じられない。だが、電話をとったのは、間違いなく彼女だ。
 電話を切った彼女に、私は質問した。
「楽しそうな声だったわね。今の電話、どなたから?」
「主人なの。営業マンだから、外からいつもこうやって電話をかけてくるのよ」
「ああ、いいわねぇ」
 心の底から、そう思った。彼女とご主人のいい関係が、この電話だけで全部わかってしまうというものだ。ご主人は、彼女の優しい「はあい!」が聞きたくて、きっと何度も電話をしてしまうのだろう。私だって、こんな声で電話をとってくれるような人がいれば、きっと何度でも電話してしまうだろう。
「わたしが電話しても、今みたいな声で返事してもらえるとうれしいなあ」
 彼女にそういうと、無表情だった彼女がぱっと明るい顔をした。
「お電話くださるの?」
 その後、すぐに彼女の家に電話をかけ、約束通りの「はあい!」を聞いたことは言うまでもない。あっという間に私たちが親しくなったのを見て、知人は首をかしげた。
「あの人って、つきあいにくくない?」
 正直に答えようとしたのだが、「彼女の電話の声が好きだから」なんて理由を理解してもらえるとは思えなかった。
 そこで私は、
「いい人よ。恥ずかしがり屋なだけよ」
 そういって、こっそり微笑むにとどめた。

 電話の切り際も、これまた肝心だ。
 挨拶もそこそこに受話器を置くのは、どうも早く切りたかったに違いないなどとかんぐってしまう。
「それでは、さようなら」相手がそういった後、「じゃ、また」と言おうとして、最後の「また」を言う前に、受話器をおかれてしまうことがある。こういう時は、握手しようと差し出した手が取り残されるような、ほのかな淋しさを感じさせられる。

 最近、電話を持ち歩く人が増えてきた。いつでも連絡が取れる安心さはあるけれど、そういいことばかりでもない。何度か砂をかむ思いをさせられた経験から、私は携帯電話をあまり信用できなくなってしまった。
 先日、携帯電話をもっている知人に電話をかけた。電話のベルがなる。何度もなる。あしかし、当の本人は出て来ない。
 携帯電話は、電話を受けたくない場合、電源を切ることができる。だから、呼びだし音が鳴っているということは、本人が電話を受ける準備ができているということになる。それでも、出ない。これにはどうも合点がいかない。しつこい性格の私は、どうしても電話をつなげたい。これといった用事もないのに、1時間に6回かけ直した。が、つながらない。
 いよいよあきらめようと思い、最後にもう一度ダイアルしてみると、今度は本人が出た。
「どうして出なかったの? 何度もならしたのよ」
「あ、ごめん。ウォークマン聞いてたから」
 がっくりくる。

 いつも家にいないA君は、ポケットベルしかもっていない。家にいないんだから、電話は無駄になる。彼の方針は、理にかなっている。
「いつでもベルならしていいから」
 彼はそういう。が、これもムズカシイ話だ。ポケットベルをならせば、彼はすぐに電話を捜しにいかなくてはならないのだ。電話を見つけ、小銭を捜し、電話番号を調べ、うちに電話をかけなくてはならないのだ。これだけの作業を相手にさせるとなると、よっぽどの用事でないとならないような気がする。
 彼は、うちのバンドのベーシストだった。練習日の相談なども電話で済ませることが多い。こういう連絡は、たいてい夜中のうちに行われる。しかし、夜中外に出て、電話を探さなければならないとなると、これは一苦労である。寒い冬ともなると、さらにそれは厳しくなる。それだけの苦労を、彼に強いることになるわけだ。
 彼に連絡をとらなければならない。でも、彼を寒い夜風にさらしていいものなんだろうか。私は電話の前で、たっぷり悩んでしまうことになる。かけるべきか、かけざるべきか。悩んでいても、結局かけなくてはならないには違いないのだから、たっぷり自己嫌悪に陥りながらダイアルすることになる。彼からかかってきた電話に、やたらと謝ってしまったりする。どこか割り切れない思いが残る。

 留守番電話が得意だという人を、私はまだ知らない。相手のいない電話にむかってしゃべる馬鹿馬鹿しさったらない。さらに、みょーに緊張した声を相手に聞かれ、笑われてしまうシーンまで思い浮かべてしまう。だれにとっても、これが楽しい訳がない。
 うちの留守番電話には、娘の声が入っている。大人のそっけなく機械的な応答は、まったく返事したい欲求をそそらない。しかし、子供の声というのは不思議で、なんとなく何か返事を返したい気分にさせられるのではないか。そう考えたからだ。
 外出から帰って留守電を再生してみると、たいていの声が笑い声から始まっているのが楽しい。娘のたどたどしいしゃべり方に、まず笑ってしまうらしいのだ。中には「脱力した」という人もいた。いろいろがんばらなくてはやっていけないようなこの時代、脱力する必要を感じたら、うちに電話してみることをお勧めする。
(つづく)
(初出:1996年06月)
登録日:2010年05月30日 15時52分
タグ : 電話 留守電

Facebook Comments

井上真花の記事 - 新着情報

  • 幸せになるために覚えておきたいこと (1) 井上真花 (2018年01月30日 13時06分)
    「遅刻しそう」と思うだけで冷や汗が出て手が震え始める。これはどこから来るのだろう? つい家を早く出てしまうが、その30分をタスクに割り振った方が幸せに決まっている。「哲学カフェ」を運営するオフィスマイカ社長、井上氏が二分する自分を探求する。哲学エッセイ第一弾!(エッセイエッセイ
  • 二人暮らし(2) 井上真花 (2010年05月30日 16時16分)
    洗濯機コーナーには、上靴が真っ黒なまま数週間放置され、お風呂の排水溝には抜けた髪の毛がつまり、食卓の上には……自宅で仕事をすることになったのをキッカケに一念発起。一日かけて部屋を大掃除したのはよいのだけれども、次の日、息子さんの顔には無数のジンマシンが……。木魂の棲む部屋の惨状とは。(エッセイエッセイ
  • 二人暮らし(1) 井上真花 (2010年05月30日 16時14分)
    息子さんを名古屋まで迎えに行く。別れのとき。「さびしくないかって?」大いに語る息子さん。思いがけぬ男の顔と子どもの無邪気さの同居。東京で二人暮らしのはじまり。(エッセイエッセイ

井上真花の電子書籍 - 新着情報

  • ショートラブストーリー 井上真花 (2010年08月17日 19時56分)
    誰でも一度は味わったことのある「ちょっとした恋心」を、とても短いお話にまとめてみました。全18話、きっとあっという間に読めてしまいます。通学や通勤のお供としてお楽しみ下さい。
    価格:210円(小説現代

エッセイ/エッセイの記事 - 新着情報

  • 幸せになるために覚えておきたいこと (1) 井上真花 (2018年01月30日 13時06分)
    「遅刻しそう」と思うだけで冷や汗が出て手が震え始める。これはどこから来るのだろう? つい家を早く出てしまうが、その30分をタスクに割り振った方が幸せに決まっている。「哲学カフェ」を運営するオフィスマイカ社長、井上氏が二分する自分を探求する。哲学エッセイ第一弾!(エッセイエッセイ
  • 川内村ざんねん譚(12) 西巻裕 (2018年01月04日 13時39分)
    原発事故により人がいなくなった川内村を我が物顔で闊歩するイノシシ。かつてジビエ食材として振る舞われたイノシシにも放射能の規制値が設けられ、ほとんど食べられなくなってしまった……のだが。(エッセイエッセイ
  • 川内村ざんねん譚(11) 西巻裕 (2017年07月30日 15時57分)
    田舎暮らしと都会暮らしではプライバシーの考え方にずいぶんと違いがある。田舎では何でもお見通しで、一見さんにはちょっと考えられないようなことまで筒抜けなのだ。まるでヌーディストクラブのような田舎の気持ちよさにあなたは浸れるだろうか!?(エッセイエッセイ

エッセイ/エッセイの電子書籍 - 新着情報

  • 吾輩は女子大生である 麻梨 (2014年07月19日 15時04分)
    女子大生、麻梨の日常と就活、就職までを記した悪ノリエッセイ22編。下着ドロにあった友人とその後の行方、理解してもらえない趣味など日常のあれこれに始まり、企業説明会、「お祈りメール」こと不採用通知について、「私服でお越し下さい」という面接などの就活エッセイも。「初めて人にいうんだけどさ」と前置きされて、なぜか性癖をカミングアウトする友人たち、人泣かせの彼女たちを潜りぬけ、見事、内定をつかめるか麻梨!(エッセイエッセイ
  • 作家の日常 阿川大樹 (2014年03月29日 20時06分)
    「D列車でいこう」「フェイク・ゲーム」などの著作で知られる人気作家、阿川大樹氏のエッセイ「作家の日常」。オンラインマガジン騒人で連載されていた当作品に、第0回「小説家の誕生と死」――小説家になる前のエピソードを加えて再編集しました。小説家に必要な資質、仕事場・道具、編集者とのつきあい、印税と原稿料についてなど職業作家の日常を赤裸々に告白。氏のファンだけでなく、小説家を目指している人や作家という職業に興味のある方にもオススメのエッセイです。(エッセイエッセイ
  • ワールドカップは終わらない 阿川大樹 (2010年06月13日 17時23分)
    熱狂と興奮の中で幕を閉じた2002FIFAワールドカップ。日韓同時開催のワールドカップとして記憶にも新しい。ジャーナリスト/エッセイストの阿川大樹が1年半の取材と20日間のボランティア、5試合のスタジアム観戦を通じ、舞台裏、客席、オフィスや街…、多角的な視点で「事件」としてのワールドカップを描く。
    価格:315円(エッセイエッセイ