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紫苑
著者:紫苑(しおん)
日々の出来事を、ふと書き留めておきたい時がある。何の変哲もない風景に、こよなく愛着を感じる時がある。思わず涙ぐんだり、手を合わせてしまうほど感動を覚える時がある。そんな時は目を閉じて、心のキャンバスに、一枚、また一枚と、自分の生きた証に描いてきた。現在は、二人の成人した娘達と、姉妹のように共同生活を楽しんでいる。なにはともあれ、今が幸せならすべてよし、と充実した日々を送っている。
エッセイ/エッセイ

百花繚乱〜紫苑の日常〜 第五花 トルコ桔梗

[連載 | 連載中 | 全5話] 目次へ
元家族四人でテーブルを囲むのは久しぶりだ。しかし、家族を復元できる鍵は自分が持っているような気がして気がとがめていた。不動産屋が置いていったトルコ桔梗の鉢植えには「結婚記念日、おめでとうございます」と書いたカードが差してある。離婚なんてあり得ない、と微笑んでいた二十回目の記念日まで時間を巻き戻せたら……。
 それは、元家族のつかの間の団欒であった。
 こんな風に四人でテーブルを囲むのは、本当に久しぶりのことだった。
 エアコンをつけていても、前のホットプレートからくる火照りの方がはるかに強くて、誰もが汗を滴り落としている。この小さなテーブルは、娘達が二人暮らしをするためのアイテムとして、わたしが岡山へ出稼ぎに行く前にプレゼントしたものだ。正方形のそのテーブルのほとんどを、ホットプレートの円が占領していて、それぞれの取り皿と自家製お好み焼きソース、次女が作ったスペイン風サラダの器とドレッシングを置いたら、もうそれだけでいっぱいとなった。だからビアグラスは使わないで各自が発泡酒の缶を持ち、そっと形ばかりの乾杯をした。
 こうして全員がそろうことが分かっていれば、前もって飛び切りのご馳走を用意できたのに、とわたしとしては少々不本意ではあったけれど、誰の顔にも献立への不満はなく、むしろ皆幸せそうに微笑んでいた。
 今夜は、わたしがこちらへ戻って来て、初めてのおだやかな夕餉であった。
 実は長女も次女も、もちろん元夫もずっとこういうことを望んでいたのではないだろうか。わたしがほんの少し考え方を変えれば、それはいとも容易いことなのかもしれなかった。その証明のように、鋭い目で射る長女の顔も、心配でおどおどと成り行きばかり気にする次女も、今、屈託の無い笑顔を見せていた。
 あり合わせの材料でこさえたお好み焼きと焼そばを、とにかく美味しい、美味しいと、舌鼓を打っている。わたしは不覚にも涙をこぼしそうになった。戻って以来というもの、ずっとわたし自身がどこか構えていたし、気を許してはいけないとすごく頑なだった気がする。結局、一番悪いのは、わたし自身ではないのか。家族を元のように復元できるとしたら、その重要な鍵はわたし自身がじっと握っている気がして、先ほどから気が咎めていた。

「久しぶりに囲む食卓だね」
 元夫がぼつりと遠慮がちに言った。本当は嬉しいのだけれど、それを言葉に出すことを憚ったという風に、である。
「やっぱり外食よりこの方が良いよね。幸せ」
 今日は一日中スッピンのままの、あどけない顔をした長女が言った。わたしはその言葉に少し驚いた。化粧をした彼女はいつも鋭い目でわたしを射る。というより、そういうメイクのせいなのかもしれないが。目の前の長女は、たった三百五十ミリの発泡酒の途中で顔を染めて、本当に幸せそうに目を細めているのだ。
「もう酔ったの?いつもならバーボンの水割りをくいくい飲むじゃない」
「普段は化粧してるから、赤くなってもわかんないだけだよ。あたし、ファンデを二度塗りしてるもの」
「どうしてそんなに塗りたくるの?きれいな肌を隠すことはないのに」
 わたしはまじまじと長女を見た。
 彼女の色白は父親譲りで、肌のきめも細やかである。わたしも次女も、生活紫外線ですぐに日焼けする性質だから、常日頃からそれをすごくうらやましいと思っていた。それなのに長女は、逆にその色白がコンプレックスだ、と言う。だから実際の肌の色よりトーンを落とした上に、二度もファンデーションを重ねるらしい。だからといって、いわゆるガングロと呼ばれる類の化粧ではないのだけれど。
 長女は大学へ入ったばかりの頃から、ブラックカルチャーに傾注するようになっていた。その入り口は、幼い頃から高校まで習ったモダンダンスの延長線上にあるストリートダンスやヒップホップにあった。肌の色が気なるのは、恋人の存在であり、結局そういうことなのだと、わたしはなんとなく想像がついていた。

 夕方から次女がしきりに外食に出かけようと皆を誘った。
 長女は、次女がそそのかしてアルバイトをさぼることになったし、毎週月曜日が休日の元夫は台風のせいで自宅待機、そしてわたしはパート先の精肉店の不規則なシフトにも関わらず、その休日が偶然にも重なって、本当に珍しく全員がそろっていたのだ。わたし自身も気持ちのどこかで賛同はしていたものの、なんとなく、今更、家族もどきで出かけることに抵抗を感じていた。
 次女は焼肉が好きでもないのに、しきりにフランチャイズの焼肉屋行こうと言った。でも、焼肉屋の安価な肉を食べるのなら、そこで支払う四人分の食事代と同額で、うんと上等な肉が買える。だってわたしの勤務先は精肉店なのである。だから次女の提案はわしが却下した。中華とか洋食屋というのならまだしも、である。
 彼女は却下されたことが不服なのか、ずっと背中を向けたまま寝そべってテレビを見ていた。それでいて、わたしが何か料理を作ろうかというと、食べたくないと首を振る。どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。
「母さんの財布の中身、見て。昨日使ってしまったからいくらも入ってないのよ。だから外食は無理よ。その代わりすぐにお好み焼きを作るからそれで我慢してくれないかなー」
「もう良いってば。お腹がすいているわけじゃないから。それにお好み焼きなんか食べたくないの」
 次女は最早、つっけんどんで取り付く島が無かった。わたしはその返事を無視したまま、とんとんとキャベツを刻み始めたのだが、実は昼間の台風のせいで夕食の買出しをしていなかったのだ。だから何か作るとは言ったものの、冷蔵庫の中はからっぽだった。それでもどうにかお好み焼きと焼きそばの材料だけは、残り物で間に合った。いざ台所に立つと、やはり次女は気になるらしい。傍に来て甲斐甲斐しく手伝ってくれるのだった。冷蔵庫の中の野菜と缶詰のオリーブを取り出して、手早くスペイン風サラダを作ったり、テーブルセッティングしたり。そして、本当にささやかな夕食が並んだのだ。

「今日の夕飯は美味しいね。あたしには一万三千円の夕飯に匹敵するけどね。だってバイト代が飛んだからさ」
 長女がいうと
「え?ホステスってそんなに美味しいバイトなの?あたしなんか一日中頑張ったって、そんなにもらえないのに。あたしも姉ちゃんとホステスしようかなー」
 本気とも冗談ともとれない口調で次女が言った。
「お水って決して楽な仕事じゃないよ。あんたには無理だし、薦めないよ」
「そうかなー。最近、良いバイトがないのよ。時給は安いし」
 わたしは内心安堵していた。次女を誘い込んだら、どうしようと先ほどから成り行きに耳をそばだてていたのだ。そして、そっと長女の顔を盗み見ると、なんとも穏やかな顔をしているではないか。
 この数年余り、わたしと長女の気持ちはどこかですれ違ってばかりいた。思いがストレートに伝わらなかった。もしかしたら、彼女は、わたしに精一杯の抵抗をしていたのではないだろうか。紙切れ一枚で夫婦は他人になれたとしても、娘たちにとっては、血の繋がった大好きな父親なのだ。それを簡単に割り切ることなどできないはずである。
 わたしは遠い日の、両親のことを思い出していた。決して離婚して欲しいなどと思ったことはなかった。今にも別れてしまいそうな両親のその姿に、胸がはちきれそうに悲しかった。自分の命を賭してでも、その気持ちを伝えたいと思ったものだ。
 歴史は繰り返されるのか。
 目の前の娘たちと、遠い日のわたし自身がダブって心が落ち着かなかった。

 ごみ箱に入りきらないゴミの入った袋が、流しの傍らに置いてある。その透明の袋越しに、トルコ桔梗の鉢が見えた。水をたっぷりあげたけど蘇生しなかったので、玄関のシューズボックスの上にわたしが放置していたものだ。
 鉢植えのトルコ桔梗は、アパートを仲介してくれた不動産業者からの贈り物だった。それは、わたしと元夫の結婚記念日当日、アパートの玄関前にそっと置いてあった。元夫からの贈り物なら部屋の中に入れるだろうに、玄関前というのが奇妙で鉢の中を覗くとカードが挿してあった。『結婚記念日、おめでとうございます』と書いてあった。アパート契約時にはまだ離婚していなかったので、サービスの一環として業者が寄越したのだろう。余計なお世話だなーと思いつつも、花が好きなわたしとしては、何のためらいも無く部屋に持ち込んだ。でも、トルコ桔梗は好きな花ではない。ひ弱そうで、なんとなく頼りないからだ。
 2DKのアパートに、大人四人では息が詰まりそうだ。元々、家族で入る予定ではなかった。大学に通う娘達のために、わたしが借りてやったものだ。そこへ元夫が住みつき、そしてわたしが一年足らずの出稼ぎから戻ってきた。狭い空間を四人で共有するにはかなり窮屈だった。二十数年間住み慣れた、以前の売却した自宅は、狭いながらも個々のプライバシーは守られていたし、台所も洗面所もトイレもちゃんと独立していたからだ。
 そのアパートは、玄関を入るやDKだった。収納しきれない荷物が剥き出しで、否応無く目に飛び込んでくる。無い知恵を絞ってどうにかして片づけても、直にものがそこら中に溢れ出た。そして、次回のゴミ収集日まで待てない四人分のゴミは、透明のゴミ袋を通して白日の元に曝け出される羽目になるのだ。
 なにげなく、枯れたトルコ桔梗の鉢植えに視点を定めた。二十二回目の結婚記念日だったのか、とわざと数えないでいたのに、今、鮮明に思い出している。
 もし、わたしに離婚なんて絶対にあり得ない、と微笑んでいた二十回目の記念日まで時間を巻き戻せたら、ニセモノでない本当の団欒が山ほどあったろうに、と悔しさが込み上げて来た。

 相変わらず、ホットプレートから立ち上る熱気がエアコンの冷気に勝って、汗がどっと噴き出した。わたしは込み上げてくるものを、その汗に紛れさせてポトリと落とした。枯れたトルコ桔梗の鉢植えは、みるみるうちに歪んでかすんでいった。
(つづく)
(初出:2003年10月)
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登録日:2010年06月22日 16時00分
タグ : 家族

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