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いちばゆみ
著者:いちばゆみ(いちばゆみ)
携帯電話やスマートフォンなどのモバイルツール、オークション、SNSなどのネットサービスを中心に執筆するITライター。主な著書に「オオカミなんかコワくない!〜出会いサイト安全利用マニュアル」(ソフトバンクパブリッシング)、「ぜったいデキます!これからはじめるYahoo!オークション」(技術評論社)などがある。横浜市在住。
エッセイ/エッセイ

たくましき老々介護

[読切]
会社を経営し元気はつらつだった父がケガで要介護状態に。いわゆる老々介護になった両親の元に手伝いに行くが、そのたくましさに舌を巻く。もっとがんばらなくてはと自らを叱咤する著者なのでした。
 先日、午後から都内で打ち合わせがあったついでに、蒲田にある実家に父の様子を見るために立ち寄ってきた。
 共に70代半ばの両親は、駅からほど近い公団住宅で現在は夫婦二人暮らしをしている。

 昨年の夏ごろから外出先でめまいを起こしては倒れケガを繰り返していた父は、原因を調べるために入院した病院で、今日まさに退院と言う日にまた転倒し、大腿骨を骨折。
 幸い手術は無事成功したものの、リハビリをしても歩行機能を骨折前までに戻すというのは厳しく、外出時は車いす…という要介護状態に突入してしまったのだ。

 両親が70を過ぎた頃から、いずれ介護の問題が持ち上がってはくるだろなあ…とは思いつつも、それはまだまだうんと先のことだと、なんとなく他人事のように考えていた。
 父は今から10年以上前、まだ60代前半の時に外出先で心筋梗塞で倒れてバイパス手術を受けた。以来何度か入退院を繰り返してはいたが、それでもまだ「介護」という言葉からは程遠い元気っぷりだったのだ。
 以前経営していた電気工事関係の会社もバブル崩壊でダメージを受け、今はもう畳んでしまったが、
「これからはLED照明が普及していくだろうから」と、企業や工場に海外から安く輸入したLED電球を売り込む会社を立ち上げる…と言い出した。
 私に
「お前パソコン得意なんだから、ちょちょっと頼むわ」と、名刺や会社案内のパンフレットを作れ、などと言っていたのはつい昨年のことだったのに。

 大腿骨骨折の手術の際、品川の駅にほど近い場所にある病院まで立ち会いに行った。
 手術室に行く前、酸素マスクを付けてストレッチャーに横たわる父は意識も朦朧としており、話しかけているそばから、ふーっと眠りに落ちてしまう。
 食い道楽で、糖尿病を患っていながらもおいしいものには目がなくて、タヌキ腹でぽってりしていたのに、昨夏の猛暑以来すっかり食欲も落ちていたようで、今は頬もすっかり痩せこけて別人のよう。足も筋肉が衰えて、まるで枯れ枝のように細くなってしまっている…。
 もしかしたらもう、今眠ったら二度と目を開けないのではないか…というほど弱り切った父の顔を見ていたら、涙がこぼれた。

 ああ、父ももう、年なんだ。

 父の手術はなんとか無事に成功し、リハビリを経て一ヶ月ほどで退院した。
 リハビリをしたとはいえ、年齢や心臓の状態を考えると無理をして自力歩行を目指すより、外出時は車いす…しかも、自力で車輪を漕いで移動するタイプではなく後ろから誰かが押して移動するタイプのものを使用することになった。
 室内の移動は歩行器を使えばなんとか自力でトイレや入浴も出来るものの、転倒が心配なのでやはり眼は離せない。
 つまり、移動には必ず誰かの介助が必要な「要介護」になってしまったというわけで、本来なら介護施設に入所するのが一番いいらしいが、やはりどこも満員で気長に空きが出るのを待つしかないらしい。

 私は三姉妹の真ん中で、姉は名古屋、妹は千葉に住んでいる。
 一番近くに住んでいる私も、蒲田まで行くには小一時間はかかる距離。仕事も家事もあるし、まだ手のかかるチビもいるし、そうそうひんぱんに手伝いに行くのは難しい。

 長女である姉は短大卒業後まもなく、学生時代の恋人とゴールインしてさっさと名古屋に行ってしまった。
 三姉妹のうち、誰かが婿取りをして跡を継がないとね…と、別に親に強制されたわけではないが、なんとなく成り行きで次女の私が両親の経営する会社で働いていた男性と結婚して、二世帯同居をすることになった。夫は両親のお気に入りではあったが、いろいろあって残念ながら結婚9年目にして離婚してしまった。

 離婚後しばらくは、私と二人の子どもと一緒に両親と品川区の公団マンションで同居していたのだが、私に再婚話が持ち上がった時、親のほうから別居を言い渡された。
 当時、反抗期を迎えて何かと態度が悪かった中学生の長女との同居は疲れる…というのが理由だったのだが、今から思えば再婚に躊躇する私の背中を押してくれたんだと思う。
 再婚すれば、親と離れて彼の住む横浜に行くことになる…。
 付き合い始めてすぐ再婚の話が出たものの、彼のほうも母親と同居していた関係もあり、なかなか踏み切れないまま交際も3年目、すっかり「長い春」になろうとしていた。

 母が
「もう、あんたたちと同居してるのはムリ。年だし、静かに暮させてちょうだい。私たちは蒲田に公団借りたからね」と、さっさと引っ越して行った時はひどいと思ったが、きっと母はあえて憎まれ役を買って出てくれたんだろう…。

 離婚して親と再度同居した時は、このままずっと両親の手を借りながら子どもを育てて、いずれは私が親の面倒を見よう…と思っていたのに、結局、親を捨てて再婚し、老人二人暮らしにしてしまった。

 「娘ばっかり三人産んだ時から覚悟はしてたから」と母は笑うが、年老いた両親の期待を裏切ってしまった挙句、ほったらかしにしているようで、なんだかとても申し訳ない。
 かくして、自宅で老人が老人を介護するといういわゆる「老々介護」になってしまったわけだが、これがまたいろいろと大変な様子。
 もともと、亭主関白で「縦のモノを横にもしない」を地で行く父。
 なんでも「おーい! おーい!」と母を呼びつけてはやらせていたのが、身体が不自由になってその度合いはますますパワーアップしたらしい。
 気軽に外出もできなくなった父のストレスも理解できるが、それに四六時中付き合う母のストレスもかなりなものだろう。

 私も介護に関する本を片っ端から読み、訪問ヘルパーやら、デイケアやら、とにかく使える福祉の手はどんどん利用して…とアドバイスするものの、この世代の人って「よそ様にご迷惑をかけられない」っていう気持ちがとても強いようで、
「ばあちゃんが自分でなんとかするから大丈夫」と、なかなか申し込みに行こうとしないのだ。

 まあ、それでも病院のケアマネージャーさんの助言を受けて、訪問リハビリや室内移動用の歩行器や介護ベッドのレンタルなど、自宅介護の環境はなんとか整えたよう。
 住んでいる公団はもともと高齢者仕様に改装されている部屋で、一応バリアフリーになっているし、トイレやお風呂などにはボタン一つでセキュリティサービスに通報できるシステムも用意されているが、それでもやはり心配は尽きない。

 なにしろ、母も昭和11年生まれの75歳。
 一人で会社の経理を一手に引き受けて切り盛りし、子育てや亡き祖父の介護をこなし…忙しい中でも風邪ひとつ引かず元気がとりえだった母も、この頃は「しんどいわー」が口癖だ。
 高脂血症の薬を飲んでいたり、白内障の手術も控えているなど体調は思わしくない。
 以前は一緒に買い物に出かけても
「そろそろお茶でも飲んで休憩しようよー」と先に根を上げるのは私のほうで、
「なに言ってんのよ、若いのにほんとあんたは体力ないわねー。まだまだあっちの店も見るわよ」と笑い飛ばすのは母のほうだったのに…。
 
 そんな母が、父の介護や通院時の付き添いもする…というのだから、やはり心配だ。

 時間が空けばちょくちょく様子を見に行こう…と思って立ち寄ったら、大歓迎してくれた。
 せっかく訪ねてきたのだから、どこか外でお昼ご飯を食べようという。

「え? 車いすでしょ? 大丈夫なの? いいよ、そこのスーパーでお弁当でも買って来て食べようよ」という私の心配もよそに、どんどん外出の身支度をすすめる母。
 どうやらすっかり外食の口実にされたようだ(笑)。

 車いすでの外出も慣れたもので、母に替わって押そうとする私の手を押しとどめて
「大丈夫、ばあちゃんがやるから」とスイスイと混雑する蒲田駅前の道を進んで、駅の反対側の商店街の中にある釜飯屋さんに入った。

 入口の段差にもしっかりスロープがある。席も広めで、ひとつ椅子をどかして車いすをテーブルに寄せれば、食事をするのに何の不都合もない。
 ちゃんと車いすでも入れる店のリサーチも済んでいるということのようだ。

 もともとおいしいものが大好きで、いろんなお店を食べ歩いていた両親。
 車いすだからといって閉じこもらないで、どんどん出かけてくれたほうがいいのかもしれない。
 先日はなんと、車いすでパチンコにも出かけて行ったらしい。

 「ええ! パチンコなんて行って大丈夫なの?」と心配する私に、
「大丈夫、大丈夫!通路の前まで車いすでいって、杖で歩いてぱぱっと席に座ったら店員さんが車いす畳んで保管しておいてくれるから」と笑う。

 なんというか…本当にたくましい。
 さぞや困っているだろうから、何か手伝えることがあれば…と思ったものの、これでは出る幕がなさそうだ。

 食事の後に立ち寄ったコーヒーショップで、

「あんた、お金は足りてるの? ばあちゃんこないだパチンコで勝ったから」とコッソリお小遣いまでくれようとする始末。

 本来なら、そろそろこちらが親にお小遣いを渡さなければいけない立場だというのに、私の仕事の不振や、夫のリストラなどで、近年厳しい経済状態が続いている我が家。
 いつまでも心配ばかりかけている我が身が情けないが、断ってもいっこうに手を引っ込めない母に、受け取るのも親孝行かな…と思って、結局もらっておくことにした。

 アポロキャップを被って車いすに座る父の頭が寒そうだから、耳まですっぽりかぶれるニット帽でも送ってあげよう…と思いながら、駅前で二人と別れて、新しい仕事の打ち合わせに向かった。
 私ももっともっと、がんばらないといけない。
(了)
(初出:2011年01月)
登録日:2012年01月30日 17時57分
タグ : 介護 老親

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