騒人 TOP > エッセイ > エッセイ > 川内村ざんねん譚(10)
西巻裕
著者:西巻裕(にしまきひろし)
小学校1年の時東京オリンピックの旗を振り、6年生の修学旅行の宿でアポロの月着陸を知る。写真を撮ったり文章を書いたり雑誌を作ったりの稼業で、今は福島の山奥に住みながらトライアルというマイナーモータースポーツの情報誌「自然山通信」を作っている。昔は機敏だったが、今は寝ることがなにより好きなぐうたらのおっさん。
エッセイ/エッセイ

川内村ざんねん譚(10)

[連載 | 連載中 | 全10話] 目次へ
東日本大震災を知らずに逝ったアサキさんを偲び、川内村の人間関係や生活を綴る。
 アサキさん

 アサキさんは肉しか食わない。偏食もたいがいにせいよ、という感じだが、本人は脂ぎった笑顔で幸せそうだった。人の家にメシを食いに行くときは、たっぷりと肉を買い付ける。とても食べきれない量なので他の人も呼ぶことになるのだが、客人も手ぶらでは来られないので、一升瓶をぶらさげて来たりする。これまた、とても飲みきれない。

 そんなアサキさんは、この地域にあって、震災を知らずに生きた最後の人となった。アサキさんが亡くなったのは、東日本大震災の地震を引き起こすナマズが、そろそろ目覚めようかという2011年の2月末のことだった。

 命日はいつだっけ? と近所のツルさんやみっちゃんに聞いてみたが「いやー、忘れちゃったな」とあっけらかんという。このあたりはご近所つきあいは親密で濃いけれど、誕生日まで知っている関係は少ない気もする。
 年の差は、わりとみんな把握している。いっしょに学校へ行っていれば、聞かなくても知りえる情報だからだろう。誕生日は、本人に聞かなければわからない。命日もそれと同じようなものだろうか。
 ちなみに年上年下は、この界隈では大きい小さいと表現する。特に方言ではないのだろうけれど、最初はちょっととまどった。逆に今では、なんで戸惑いを感じたのかよくわからない。標準語ではなんというんだろう。大きい小さいは簡単明瞭で使いやすい。

 ともあれアサキさんは、2011年2月に、脳溢血で亡くなった。61歳だった。倒れてから意識が戻ることなく、1週間ほどで鬼籍に入った。軽くはないと聞いていたから、帰ってくることはないと覚悟はしていたけれど、ほんとうにそのまんまになってしまった。

 亡くなったと聞いて、初めてお家へお邪魔した。いつも見かけていた県道からちょっと上がった高台の小さ目の一軒家で、いざ上がってみるとアサキさんの家だという感じはしなかった。
 村から出ていったご兄弟もいらしたけれど、通夜の席を埋めていたのは、地元のみなさんだった。家族をさしおき、顔を見知ったみなさんが「まぁ休め」とぼくを家にあげ、コップを用意し、酒を注いだ。地域のみんなは、意外なところで親戚関係があるのだが、そうではなく、彼らは小学校からの同級生とか、ただのご近所とかの関係だった。遠い親戚よりも近い友だちが、ここでは日々の暮らしを支えている。

 その座には、アサキさんの名前が書かれた酒のボトルが置かれていた。行きつけのバーかなんかにキープしていたボトルみたいに思える。

「それ、呑み屋にあったんじゃないぞ、ふつうの家にあったんだぞ」

 ボトルを気にしていたら、同級生が気がついて教えてくれた。アサキさんはキノコや山菜をとるのが好きで、収穫があるとご近所へ振る舞いに出かけた。そうして、しばらくお邪魔して飲む。アサキさんの、そんな立ち回り先にはアサキさん専用のボトルがあって、そのボトルを呑んでいったということだ。
 主が亡くなったので、ボトルは持ち主の元へ帰ってきた。とはいえ、もう飲む人はいないのだから、通夜や告別式で飲んでしまえ、ということらしい。焼酎を飲んでいる姿はよく見たけれど、そのボトルはちょっと高級なウイスキーだった。

 アサキさんの、キノコや山菜をとる腕前は一目置かれていて、気前よくあちこちに振る舞うので、本人の腕前以上に評価が高かったのかもしれない。
 でも、キノコのシマは絶対にナイショなのだ。ご近所さんはみんな仲がいいけど、どこでキノコがとれるのかは、仲良しの友だちにも夫婦にも親子にも教えない。誰かにこっそりとでも言ったが最後、きっとすぐにみんなに知れ渡ってしまうにちがいない。

「アサキあんにゃから、キノコの場所、聞いておいたかい?」

 年長者のことを、あんにゃという。兄さんという意味だが、村の中心部では、この敬称には敬意のかけらもなく、むしろ能無し兄さんみたいなニュアンスがあると聞いたことがある。ほんの10kmほど離れているだけだが、ずいぶんちがうものだ。うちのあたりであんにゃと呼ばれれば、多少は尊敬の念が含まれる。このときアサキあんにゃと敬称をつけて呼んだのは同級生だから、接尾語の「兄」みたいな意味も、少し含まれていたのかもしれない。
 少し、と遠慮して言ったのは、このあたりの人付き合いは、いつも悪口ばっかり言っていて、表面的には尊敬があるとは思えないからだ。でも、心の中ではもう少しやさしいことを考えているから、世の中のふつうとは真逆だ。

 アサキさんは脳卒中で倒れてから、一度目を開けたとか開けなかったとかで亡くなってしまったので、キノコの場所を聞けた人などいるわけがない。アサキさんのキノコ畑は、アサキさんとともに永遠のなぞとなった。

「ありゃー、失敗しちゃったなぁ。アサキあんにゃのキノコ、食べられなくなっちゃったなぁ」

 アサキさんの残していったウイスキーで、アサキさんを肴に、同級生たちは盛り上がる。奥の部屋には、アサキさんが眠っている。台所では、親兄弟が静かに話をしている。
 飯を食い、酒を飲むのも日常。キノコをとるのも日常なら、人の生き死にも日常だ。ひとの死が悲しくないわけはないし、とても残念なのだが、悲しんでも残念がってもアサキさんは帰ってこない。アサキさんを肴に酒を飲めば、少しだけアサキさんが戻ってくるような気がする。

 アサキさんはの肉好きっぷりは、健康を害さないか心配になってしまうほどだったけれど、それがアサキさんのパワーの源だったと納得することもできる。でも、やっぱり高血圧だった。東北の人はしょっからいものが好きだ。あらゆるものが、しょっからい。そんなところで暮らしているから、みんな高血圧になる。
 昔はがんがん肉体仕事をしただろうから、それくらいの塩を摂取してちょうどよかったのかもしれない。しかし、今は機械化でだいぶ肉体労働は減ってきているから、塩をとりすぎてしまうんだろう。しかもアサキさんは、輪をかけて、醤油が好きだった。なんにでも醤油をたっぷりかけた。東北地方は味が濃いとよく言うけど、お店の味は、それでもずいぶんふつうだ。でも、家庭の味は、とんでもなく辛い。

 アサキさんが肉しか食べなくなったのはいつからのことなのか、ずっと疑問だったのだけれど、これも通夜の席で同級生に教えてもらった。

「子どもの頃、野菜ばっかりの生活だったから、その反動で肉ばっかり食べるようになったのかもしれないねぇ」

 アサキさんが子どもの頃、この地域で肉なんか食べていた人はまずいなかったということだ。昔の動物は食肉用ではなく、田畑を耕すために働く動力だった。働いていたのは当初は馬で、それから牛になった。牛を食べたり牛乳を飲むようになったのは、ずっとあとになってのことだった。
 確かにこのへんにはお肉屋さんはないし、あったという話もない。豆腐屋さんもない。豆腐をつくる家は何件かあって、そこに大豆を持っていくと豆腐にしてくれたらしい。だから豆腐はぜいたく品だった。そして肉はさらなるぜいたく品だった。
 かわりに、野菜は昔からたっぷりあった。大根や白菜は、凍み大根や漬け物にして保存すれば長いこと食べられる。野菜がぐんぐん育つ夏の間は、食べる間もなく育ってくる。
 アサキさんの枕元で、みんなは語りあった。あんだけ肉ばっかり食べていたら、頭の血管も切れるだろうという話も出たけれど、それもアサキさんの人生だ。誰かが余計なお世話で食生活改善を進言し、それにアサキさんが応えていたら、ストレスでもっと早死にしていたかもしれない。


 ところで、このあたりの人は、みんな人前で話すのがそこそこうまい。知らない人がほとんどいないから大胆になれるのかもしれないし、小さい頃から宴会に参加するチャンスがあって、そこで鍛えられたのかもしれない。村では宴会芸が義務教育だったと教えてくれた人もいる。
 ところがアサキさん、義務教育をさぼっていたらしい。持ち回りの役員に任命されて、地域の総会で会計報告をしたとき、50人ほどの知り合いを前に、すっかりあがってしまい、プリントされた3枚ほどの事業報告書を読み上げるのに、ずいぶん時間がかかった。退屈な時間が流れ、ちょっといらいらしながらも、その反面、アサキさんは愛すべき人だと、あらためて思った一幕だった。

 とびきりいい景色が見渡せる場所があるからと紹介してもらったこともある。田んぼと山と、道が見える。のどかだけど、なにがとびきりいいのかは、わからなかった。
 ときどき、思い出してそこへ行ってみる。次こそは、アサキさんのとびきりに気がつけるのではないかとも期待する。でも毎回、やっぱりそれほどでもないのを再確認して帰ってくる。アサキさんのとびきりには、アサキさん自身の原体験が含まれているのかもしれない。そのとびきりに気がつくのはむずかしいかもしれないけれど、アサキさんのとびきりの場所だけは覚えておこうと思う。ぼくにとっても、それは大事な思い出だから。

 アサキさんは、地震の半月ほど前に亡くなった。だからアサキさんは地震とその後の原発事故によるぼくらの村の七転八倒を知らない。その後のめんどうを知らずに生きるのをやめたアサキさんは、幸せだったのかもしれない。
 ぼくはいま、原発事故後の村に生きている。アサキさんの知らない、その後の世界だ。いつかアサキさんには、その後の世界を報告しなきゃいけないから、手抜きすることなく、いまを生きなければいけない。

 ぼくも順調に年をとり最近は、大量の肉は消化がたいへんな年ごろになってしまったけれど、それでもときどきはアサキさんを見習って肉を食べてやろうと思うのだった。
(つづく)
(初出:2017年01月19日)
前へ1 ...... 4 5 6 7 8 9 10   
登録日:2017年01月19日 11時15分
タグ : 川内村

Facebook Comments

西巻裕の記事 - 新着情報

  • 川内村ざんねん譚(9) 西巻裕 (2016年07月04日 16時42分)
    村では国政選挙の他に、重要な選挙として村長選挙と村議会議員選挙がある。筆者が初めて経験した村議会議員選挙の投票率は九割だった。自衛隊敷地内で行われる期日前投票についてなど、あれやこれやの田舎の選挙事情。(エッセイエッセイ
  • 川内村ざんねん譚(8) 西巻裕 (2016年02月21日 12時34分)
    川内村の萬屋、そしてお百姓さん。食と土地と生、あらゆることを仕事にするお百姓さんの万能さについて。(エッセイエッセイ
  • 川内村ざんねん譚(7) 西巻裕 (2015年10月17日 15時15分)
    川内村に移り住んで、ご飯が美味しいと喜んでいた筆者だが生産者はうまくないという。お米を炊くには水が重要な役割を占めていると主張。味を確かめるには現地に行くしかないようだ。(エッセイエッセイ

エッセイ/エッセイの記事 - 新着情報

エッセイ/エッセイの電子書籍 - 新着情報

  • 吾輩は女子大生である 麻梨 (2014年07月19日 15時04分)
    女子大生、麻梨の日常と就活、就職までを記した悪ノリエッセイ22編。下着ドロにあった友人とその後の行方、理解してもらえない趣味など日常のあれこれに始まり、企業説明会、「お祈りメール」こと不採用通知について、「私服でお越し下さい」という面接などの就活エッセイも。「初めて人にいうんだけどさ」と前置きされて、なぜか性癖をカミングアウトする友人たち、人泣かせの彼女たちを潜りぬけ、見事、内定をつかめるか麻梨!(エッセイエッセイ
  • 作家の日常 阿川大樹 (2014年03月29日 20時06分)
    「D列車でいこう」「フェイク・ゲーム」などの著作で知られる人気作家、阿川大樹氏のエッセイ「作家の日常」。オンラインマガジン騒人で連載されていた当作品に、第0回「小説家の誕生と死」――小説家になる前のエピソードを加えて再編集しました。小説家に必要な資質、仕事場・道具、編集者とのつきあい、印税と原稿料についてなど職業作家の日常を赤裸々に告白。氏のファンだけでなく、小説家を目指している人や作家という職業に興味のある方にもオススメのエッセイです。(エッセイエッセイ
  • ワールドカップは終わらない 阿川大樹 (2010年06月13日 17時23分)
    熱狂と興奮の中で幕を閉じた2002FIFAワールドカップ。日韓同時開催のワールドカップとして記憶にも新しい。ジャーナリスト/エッセイストの阿川大樹が1年半の取材と20日間のボランティア、5試合のスタジアム観戦を通じ、舞台裏、客席、オフィスや街…、多角的な視点で「事件」としてのワールドカップを描く。
    価格:315円(エッセイエッセイ

あなたへのオススメ

  • ビーチボーイズ白浜に吠える(8) 宇佐美ダイ (2010年05月31日 21時46分)
    参加人数が30人を超え、そろそろ食料が切れてきた。とにかく量が必要と、安い肉を探しにに出かける著者。そこで出会ったのは、NSXを駆る工藤さん。犬用の肉のランクは……。(エッセイエッセイ
  • 川内村ざんねん譚(9) 西巻裕 (2016年07月04日 16時42分)
    村では国政選挙の他に、重要な選挙として村長選挙と村議会議員選挙がある。筆者が初めて経験した村議会議員選挙の投票率は九割だった。自衛隊敷地内で行われる期日前投票についてなど、あれやこれやの田舎の選挙事情。(エッセイエッセイ
  • 川内村ざんねん譚(7) 西巻裕 (2015年10月17日 15時15分)
    川内村に移り住んで、ご飯が美味しいと喜んでいた筆者だが生産者はうまくないという。お米を炊くには水が重要な役割を占めていると主張。味を確かめるには現地に行くしかないようだ。(エッセイエッセイ