
著者:西巻裕(にしまきひろし)
小学校1年の時東京オリンピックの旗を振り、6年生の修学旅行の宿でアポロの月着陸を知る。写真を撮ったり文章を書いたり雑誌を作ったりの稼業で、今は福島の山奥に住みながらトライアルというマイナーモータースポーツの情報誌「自然山通信」を作っている。昔は機敏だったが、今は寝ることがなにより好きなぐうたらのおっさん。
エッセイ/エッセイ
川内村ざんねん譚(3)
[連載 | 連載中 | 全13話] 目次へ
川内村自慢の「かわうちの湯」。震災でダメージを受けたが、改修されて豪華になった希少なリラクゼーション施設だ。値段もちょっとだけ高くなり、村人はお風呂に行くかどうか選択を迫られるのだった。
かわうち温泉物語
川内村自慢の観光名所に、かわうちの湯という温泉がある。川内村産の木を使った八角形の浴場はなかなか勇壮たるもので、ほかに娯楽がない村人にとって、ここでのゆっくりした時間は数少ないリラクゼーションとなっていた。
もともと村が建造したもので、それを指定管理というのだそうだが、民間会社が請け負って運営している。原資は竹下登さん時代のふるさと創生1億円だという話だが、1億円でできあがる施設には思えないから、村の財源をつぎこんだか、なんらかの補助を引き出したりしたのだろう。
何億年も前にできたという阿武隈山系のど真ん中だから、自然に温泉が湧いているわけもない。地中深く掘り進んで探り当てた貴重な温泉だ。美人の湯、とサブタイトルがついている。アルカリ性の、ちょっととろみのあるお湯には、たいていこういうタイトルがつくものだけど、とろんとした湯ざわりはたいへんやさしい。
ばんばん温泉が湧き出るわけではないので、源泉をそのまま使っているのはメインの大風呂で、露天風呂などは水を足している。とはいえ、ここは全国でも珍しい上水道のない自治体だから(自治体の一部に上水道がないところは多いが、自治体丸ごと地下水に頼っているところは全国で3町村しかない)、蛇口の水も源泉の水も、地底からの恵みと思えば大差がない。
最初の残念は、せっかくの温泉なのに、ときどき塩素の香りがする。消毒に必要との仰せだからやむなしの模様だが、塩素の香りを消す秘策などないものなのか。いつも気になるわけではないから、もしかすると濃度にばらつきがあるのかもしれない。
東日本大震災のあと、このお湯が少し変わった。もともととろみのある美人系のお湯だったのが、さらにとろんとするようになった。放射能が混ざったからでもあるまいにと思うけれど、そんな冗談を言う人はだれもいなかった。自分たちのこととはいえ、放射能関連の冗談は、言うのも聞くのもむずかしい。そういう心配をする人もいるかもしれないけど、そういう人にまで入ってほしい温泉ではない。
そんなかわうちの湯だが、震災ではそこそこのダメージを受けた。大広間外側の斜面は少し崩れたし、露天風呂も割れてしまった。開業から10年を少しすぎて、そろそろ改修の時期にきていたこともあった。でも幸いなことに、大広間や大浴場は大きな被害がなかったので、震災直後には富岡からの避難者たくさん受け入れた。お風呂の用意はできなかったのが残念だが、3月のまだ寒い日々に、ここに入って数日間を過ごした人々は、不幸中の幸いだったのではないかと思われる。
震災から数ヶ月たって、村役場は郡山に仮設庁舎を建てて日々の業務を営んでいたが、村に残る人々の空虚感をなんとかしたいと考えたのが、かわうちの湯の運営会社のあぶくまかわうち代表の井出茂氏だった。源泉は25度と熱くはないから、お湯を沸かすのにかなりの熱源がいる。しかし5月から温泉は再開した。崩れた露天風呂は使えないし、食堂の営業もしていない。8月からは100円となり、1年たって200円に、さらに300円になった入浴料金は、それでもたいへんに破格だった。
まず大喜びだったのは広域消防の署員たちだった。当時、双葉郡の消防署は川内村をのぞいてすべてが原発20km圏内にあったから、双葉郡内のすべての消防署員が川内村に集結していた。消防自動車も救急車も、突然増えた。署員は公民館に寝泊まりしながら、人がいなくなった双葉郡の安全を見守っていた。そんな彼らは、勤務明けのひとっ風呂を楽しみにしていた。彼らの多くは浪江や大熊の出身で、原発事故や、あるいは津波被害の被災者でもあった。
1年がたって役場が帰ってくると、村のあちこちで除染作業が始まった。そうなると今度は、温泉にも除染の作業員がやってくるようになった。除染に携わったのは、当初は村人が多かった。なぜか新潟の人がたくさんやってきて、その後関西の人が増えた。除染作業に従事する人が、どんな地方からどんなしくみでやってくるのか、詳しいことはわからない。ただ、ときにお風呂場には、背中に掘りものを背負った人を見かけるようになった。ごくまれに目つきのするどい人もいたが、たいていは気持ちのよさそうなお兄さんだった。
さらに、霞が関方面からのお客さんもちらほらいた。お風呂ではみんな裸だけど、村人と除染の作業員と霞が関のお役人とは、服を脱いでもなんとなくは見分けがつくものだった。どうして見分けがつくのかはお察しの通りだ(もちろん、全部が全部、ではない)。
さらに1年がたって、2013年の5月に、温泉は改装工事が始まった。2013年3月11日にオープンするのだという話が遅れに遅れた。復興予算がじゃんじゃん村に流れてきているから、お金なんかいくらでもありそうなのに、復興予算の使い途がうんと厳しくなって、簡単に工事にはかかれないのだという話だった。
改装、改修は村がおこなう。村が作った建物を民間が運営するというやり方は、温泉だけでなく、釣り堀やバンガローのあるいわなの郷や、蕎麦を食わせる高山倶楽部もそうだった。どんな改装になるのかは村役場だけが知っていて、運営会社もできあがってみてのお楽しみだった。
新規オープンは2014年3月11日が予定されていた。でも間に合わなかった。2月に降った2度の大雪が工事を遅らせたことになっている。でも村人は、工事のために営業をやめてから、少なくとも1ヶ月ほどはなんにも動きがなかったのを見てしまってる。
新しくなった温泉は、まず露天風呂をつくりなおした。露天風呂には釜風呂もできた。村に進出したコドモエナジーという会社の製品であるルナライトで、洞窟風呂は賑やかになった。
3部屋ほどあった個室はなくなってタイ式マッサージが入った。たいへに気持ちがいいらしいが、フルコースでお願いすれば1万円以上の出費になるので、おいそれと気持ちよくはなれない。やってもらった人の評判はすこぶるよろしい。うんと働いてマッサージに通えるお金を稼ごうと思うけど、働いてくたびれた身体を補修するのにお金を使うのでは、元も子もない。
改修前には最後に300円になっていた入浴料は、さていくらになるのか。300円は出血大サービスにすぎる。震災前は、おひとり500円だった。
再開ぎりぎりまで発表されなかった入浴料は、平日600円、休日700円になった。少し高いけど、年に1度やってくる人にとっては、まぁ納得のお値段だろう。でも毎日のように通っていた村人にとっては、ちょっと厳しい値上げになった。500円から600円、あるいは700円に。100円もしくは200円の値上げというわけだ。
でもこれには裏技があった。5000円で回数券を買うと、500円の入浴券が10枚手に入る。この500円の入浴券は、平日でも休日でも使える。だから実質、値上げはないのと同じということだ。回数券の有効期限は半年だから、外から来る人はちょっと買いにくい。村人特権というわけだ。
ところがだ。それでもなお、以前のようには通えない。実は以前は、今はない会員制度っつうのがあって、2万円を払って年会員になると、1回あたりはたったの100円だった。会員になって1回しか入らなければ20,100円なりの超高額の温泉になるも、もし1年に300日入れば(週に1度はお休みだから、365日は入れない)1回あたりは167円になる。しかもこの会員券、10回入ると1回無料になった。1年に300回入ると、30回無料で入れたわけだ。しかも10回の満期になったポイントカードを15枚ためると、豪華な定食をごちそうになれるというおまけつき。年に何日お風呂に入れば元が取れるのかはむずかしい計算になるが、行けば行くほどお得なのだから、毎日でも1日に2度でもお風呂に行けた。
燃料費も人件費もタダではない。燃料費なんかは、電力会社の言い訳を聞くまでもなく、高騰が続いているらしい。安い入浴料ではやっていけないのはだれが考えたって明らかだ。
だけども、元どおりの村になるのかと思って帰村してきた村人にとっては、豪華にはなったけれど値段の上がった温泉が待っていることになる。かくして、帰村した村人は、ちょっと高くなったお風呂に通うのか、お風呂に行くのをやめるか、選択を迫られることになったのだった。
ついでの残念といえば、以前はどこかにこっそり書いてあっただけの、刺青お断りの看板が、玄関にどかんと鎮座していることだ。自分がイレズミ入れているわけではないけれど、こうやって人を排除しなければいけない姿勢は、それだけで少し悲しい。公衆浴場法とかで、そういう看板を目立つところに置かなければいけないのかもしれないけど、若気の至りでちょっとだけ彫ってしまった村人だっているし、過去、そういう人とこの温泉に入ったことも多々あったけれど、態度のいい人ばっかりだった(我ながらほんとにおっかない人には近寄ってなかったのだと思うけど)。復興の名のもとに、こんなことも少し変わっているように感じている。
ま、帰村するかどうかの選択に比べれば、お風呂に行くかどうか、そこに看板があるかどうかの選択は、たいして悩むほどでもない、平和な悩みどころではありますがね。

もともと村が建造したもので、それを指定管理というのだそうだが、民間会社が請け負って運営している。原資は竹下登さん時代のふるさと創生1億円だという話だが、1億円でできあがる施設には思えないから、村の財源をつぎこんだか、なんらかの補助を引き出したりしたのだろう。
何億年も前にできたという阿武隈山系のど真ん中だから、自然に温泉が湧いているわけもない。地中深く掘り進んで探り当てた貴重な温泉だ。美人の湯、とサブタイトルがついている。アルカリ性の、ちょっととろみのあるお湯には、たいていこういうタイトルがつくものだけど、とろんとした湯ざわりはたいへんやさしい。

最初の残念は、せっかくの温泉なのに、ときどき塩素の香りがする。消毒に必要との仰せだからやむなしの模様だが、塩素の香りを消す秘策などないものなのか。いつも気になるわけではないから、もしかすると濃度にばらつきがあるのかもしれない。
東日本大震災のあと、このお湯が少し変わった。もともととろみのある美人系のお湯だったのが、さらにとろんとするようになった。放射能が混ざったからでもあるまいにと思うけれど、そんな冗談を言う人はだれもいなかった。自分たちのこととはいえ、放射能関連の冗談は、言うのも聞くのもむずかしい。そういう心配をする人もいるかもしれないけど、そういう人にまで入ってほしい温泉ではない。

震災から数ヶ月たって、村役場は郡山に仮設庁舎を建てて日々の業務を営んでいたが、村に残る人々の空虚感をなんとかしたいと考えたのが、かわうちの湯の運営会社のあぶくまかわうち代表の井出茂氏だった。源泉は25度と熱くはないから、お湯を沸かすのにかなりの熱源がいる。しかし5月から温泉は再開した。崩れた露天風呂は使えないし、食堂の営業もしていない。8月からは100円となり、1年たって200円に、さらに300円になった入浴料金は、それでもたいへんに破格だった。
まず大喜びだったのは広域消防の署員たちだった。当時、双葉郡の消防署は川内村をのぞいてすべてが原発20km圏内にあったから、双葉郡内のすべての消防署員が川内村に集結していた。消防自動車も救急車も、突然増えた。署員は公民館に寝泊まりしながら、人がいなくなった双葉郡の安全を見守っていた。そんな彼らは、勤務明けのひとっ風呂を楽しみにしていた。彼らの多くは浪江や大熊の出身で、原発事故や、あるいは津波被害の被災者でもあった。
1年がたって役場が帰ってくると、村のあちこちで除染作業が始まった。そうなると今度は、温泉にも除染の作業員がやってくるようになった。除染に携わったのは、当初は村人が多かった。なぜか新潟の人がたくさんやってきて、その後関西の人が増えた。除染作業に従事する人が、どんな地方からどんなしくみでやってくるのか、詳しいことはわからない。ただ、ときにお風呂場には、背中に掘りものを背負った人を見かけるようになった。ごくまれに目つきのするどい人もいたが、たいていは気持ちのよさそうなお兄さんだった。
さらに、霞が関方面からのお客さんもちらほらいた。お風呂ではみんな裸だけど、村人と除染の作業員と霞が関のお役人とは、服を脱いでもなんとなくは見分けがつくものだった。どうして見分けがつくのかはお察しの通りだ(もちろん、全部が全部、ではない)。
さらに1年がたって、2013年の5月に、温泉は改装工事が始まった。2013年3月11日にオープンするのだという話が遅れに遅れた。復興予算がじゃんじゃん村に流れてきているから、お金なんかいくらでもありそうなのに、復興予算の使い途がうんと厳しくなって、簡単に工事にはかかれないのだという話だった。
改装、改修は村がおこなう。村が作った建物を民間が運営するというやり方は、温泉だけでなく、釣り堀やバンガローのあるいわなの郷や、蕎麦を食わせる高山倶楽部もそうだった。どんな改装になるのかは村役場だけが知っていて、運営会社もできあがってみてのお楽しみだった。
新規オープンは2014年3月11日が予定されていた。でも間に合わなかった。2月に降った2度の大雪が工事を遅らせたことになっている。でも村人は、工事のために営業をやめてから、少なくとも1ヶ月ほどはなんにも動きがなかったのを見てしまってる。

3部屋ほどあった個室はなくなってタイ式マッサージが入った。たいへに気持ちがいいらしいが、フルコースでお願いすれば1万円以上の出費になるので、おいそれと気持ちよくはなれない。やってもらった人の評判はすこぶるよろしい。うんと働いてマッサージに通えるお金を稼ごうと思うけど、働いてくたびれた身体を補修するのにお金を使うのでは、元も子もない。
改修前には最後に300円になっていた入浴料は、さていくらになるのか。300円は出血大サービスにすぎる。震災前は、おひとり500円だった。
再開ぎりぎりまで発表されなかった入浴料は、平日600円、休日700円になった。少し高いけど、年に1度やってくる人にとっては、まぁ納得のお値段だろう。でも毎日のように通っていた村人にとっては、ちょっと厳しい値上げになった。500円から600円、あるいは700円に。100円もしくは200円の値上げというわけだ。
でもこれには裏技があった。5000円で回数券を買うと、500円の入浴券が10枚手に入る。この500円の入浴券は、平日でも休日でも使える。だから実質、値上げはないのと同じということだ。回数券の有効期限は半年だから、外から来る人はちょっと買いにくい。村人特権というわけだ。
ところがだ。それでもなお、以前のようには通えない。実は以前は、今はない会員制度っつうのがあって、2万円を払って年会員になると、1回あたりはたったの100円だった。会員になって1回しか入らなければ20,100円なりの超高額の温泉になるも、もし1年に300日入れば(週に1度はお休みだから、365日は入れない)1回あたりは167円になる。しかもこの会員券、10回入ると1回無料になった。1年に300回入ると、30回無料で入れたわけだ。しかも10回の満期になったポイントカードを15枚ためると、豪華な定食をごちそうになれるというおまけつき。年に何日お風呂に入れば元が取れるのかはむずかしい計算になるが、行けば行くほどお得なのだから、毎日でも1日に2度でもお風呂に行けた。
燃料費も人件費もタダではない。燃料費なんかは、電力会社の言い訳を聞くまでもなく、高騰が続いているらしい。安い入浴料ではやっていけないのはだれが考えたって明らかだ。
だけども、元どおりの村になるのかと思って帰村してきた村人にとっては、豪華にはなったけれど値段の上がった温泉が待っていることになる。かくして、帰村した村人は、ちょっと高くなったお風呂に通うのか、お風呂に行くのをやめるか、選択を迫られることになったのだった。
ついでの残念といえば、以前はどこかにこっそり書いてあっただけの、刺青お断りの看板が、玄関にどかんと鎮座していることだ。自分がイレズミ入れているわけではないけれど、こうやって人を排除しなければいけない姿勢は、それだけで少し悲しい。公衆浴場法とかで、そういう看板を目立つところに置かなければいけないのかもしれないけど、若気の至りでちょっとだけ彫ってしまった村人だっているし、過去、そういう人とこの温泉に入ったことも多々あったけれど、態度のいい人ばっかりだった(我ながらほんとにおっかない人には近寄ってなかったのだと思うけど)。復興の名のもとに、こんなことも少し変わっているように感じている。
ま、帰村するかどうかの選択に比べれば、お風呂に行くかどうか、そこに看板があるかどうかの選択は、たいして悩むほどでもない、平和な悩みどころではありますがね。
(つづく)
(初出:2014年06月29日)
(初出:2014年06月29日)
登録日:2014年06月29日 20時29分
Facebook Comments
西巻裕の記事 - 新着情報
- 川内村ざんねん譚(13) 西巻裕 (2018年07月30日 16時53分)
- 川内村ざんねん譚(12) 西巻裕 (2018年01月04日 13時39分)
- 川内村ざんねん譚(11) 西巻裕 (2017年07月30日 15時57分)
エッセイ/エッセイの記事 - 新着情報
- 川内村ざんねん譚(13) 西巻裕 (2018年07月30日 16時53分)
- 幸せになるために覚えておきたいこと (1) 井上真花 (2018年01月30日 13時06分)
- 川内村ざんねん譚(12) 西巻裕 (2018年01月04日 13時39分)
エッセイ/エッセイの電子書籍 - 新着情報
- 吾輩は女子大生である 麻梨 (2014年07月19日 15時04分)
- 作家の日常 阿川大樹 (2014年03月29日 20時06分)
- ワールドカップは終わらない 阿川大樹 (2010年06月13日 17時23分)
あなたへのオススメ
- 川内村ざんねん譚(12) 西巻裕 (2018年01月04日 13時39分)
- 川内村ざんねん譚(11) 西巻裕 (2017年07月30日 15時57分)
- 川内村ざんねん譚(10) 西巻裕 (2017年01月19日 11時15分)