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西巻裕
著者:西巻裕(にしまきひろし)
小学校1年の時東京オリンピックの旗を振り、6年生の修学旅行の宿でアポロの月着陸を知る。写真を撮ったり文章を書いたり雑誌を作ったりの稼業で、今は福島の山奥に住みながらトライアルというマイナーモータースポーツの情報誌「自然山通信」を作っている。昔は機敏だったが、今は寝ることがなにより好きなぐうたらのおっさん。
エッセイ/エッセイ

川内村ざんねん譚(5)

[連載 | 連載中 | 全10話] 目次へ
川内村に越して8年。最初は携帯電話も通じないエリアだったが、やっと電話網が整備され便利になった。しかし、つながらなければつながらないで幸せなこともあるのではないかと思うのだった。
電波がなかった村

 ぼくの住む川内村は山奥のイナカだから、あらゆる生活インフラが遅れてやってくる。いま、ようやく整備が進んでいるのは携帯電話網だ。ぼくが住み始めてから、かれこれもう8年ほどになる。それでも8年前から比べれば、雲泥の差で電話はつながりやすくなっている。
 ぼくは携帯電話があんまり好きじゃない。ガジェットとしての電話機はきらいじゃないし、どっちかというと大好きな方なんだけど、電話をかけるのは好きじゃないし、電話がかかってくるのもおっかない。携帯電話を持っていると、その不安にさいなまれつつ暮らしていなければいけない。それでも気が弱いから、電話をもたずに出かけると不安だという、おそらく世間の多くの人と同じような、病気の性格を持っている。

 この村に来て、最初に暮らしたのは、およそあらゆる携帯電話が通じないエリアだった。そこは最も町に近い一帯だったのだけど、意外にも過疎化が進んでいる一帯でもあった。食や買い物は、原発立地でそれまでの貧困から脱した浜の町へ出ればいい。そのうち、みな住処そのものも浜に降りてしまって、人がいなくなってしまった。だから、ぼくも家を貸してもらえたのだけど、ほんの数ヵ月の予定だったから、電話は引かなかった。携帯電話は通じないから、そこにいる限り、音信不通だ。電話をするには村の中心地へ出るか、浜に出るかしないといけない。村へ出るより浜に出た方がついでの用事ができるので、ついつい浜に出る。村から人がいなくなってしまうのは、こんなメカニズムなんだろうなと思いながら浜に通った。

 インターネットは、浜のマクドナルドのWi-Fiを利用した。お得意さんとなったぼくだけど、電源を借りて使ってたら怒られたことがあった。勝手に使ったのだから怒られても文句はないけど、都会のマクドナルドじゃ電源があるのを売りにしてるのに、イナカのマクドナルドは電気代が気になるらしい。
 いまじゃ、あの不愉快そうな顔をした店長もおそらく被災者で自分の家を失っているにちがいない。いい人もそうじゃないかもしれない人も、原発事故はあらゆる人からあらゆるものを奪っていく。

 それからぼくは住処を引っ越したので、電話をひいた。そこは最初に仮住まいをしたところと反対側の村外れで、基地局から距離がありすぎてADSLがひけなかった。そこで、仕方なく高い金を払って、ISDN回線を契約した。時代はそろそろ光通信になっている頃で、それまでもADSLでインターネットをしていたから、このスピードは絶望的だった。ファイルを送るほうはぼくがどこでどんな通信をしているのかなんてわからないから、MB単位のファイルを平気で送ってくる。一晩中回線をつなげておいて、朝になって「エラーで中断しました」というメッセージを見るという日々が続いた。こういうときは、えいやと片道40分以上かけて、マクドナルドのWi-Fiを使いに行ったほうが早い。

 あの当時、周囲の人で携帯電話を持っている人はほとんどいなかった。そもそも電波がなかった。かろうじて、村の中心地に立っているアンテナからとぎれとぎれに届いてくる電波で、auの携帯電話だけが使える状態だった。息子に買ってもらったと携帯電話を持たされたじっちは、使い方がさっぱりわからない。なんせ家の中では電波が弱くてつながらないのだから、まともに使おうなんて気にはならない。

ドコモのアンテナから少し山を登ったところから見た川内村中心部。役場はこの山のすぐ眼下にあって、アンテナからは死角になっている。なんでこんなところにアンテナ立てちゃったのかなぁ。
 ドコモとソフトバンクは、村の中心街では使えたけれど、山の中まで電波は来ない。ドコモとソフトバンクは品質のいい長波の電波を使っていたから、村全体で携帯電話が使えるようにするには、アンテナをたくさん立てる必要がある。500人のためにアンテナを何個も立てるのはいやだろうねぇ。だから、携帯電話はつながらない。

 ISDNの苦節は1年ほどで終わった。村が意を決して、村全土に光ファイバーを敷設したからだ。ぼくのインターネットは一気に早くなった。ちゃんと計測すると、これがひかりのスピードかと愚痴を言いたくなるくらいのスピードしか出ていないのだけど、都会の高速回線と比べてもしょうがない、ぼくは「こだま号にも抜かれるひかり回線」と評価しておりますが、ISDNとは自転車と新幹線くらいスピードがちがうから、大満足だ。

 ひかりがつながったら、ドコモのアンテナも立った。ドコモは2GHzのFOMA回線に加えて、800M帯のFOMAプラスという周波数を持っていたから、ぼくらの集落にもアンテナを立ててひかりファイバーで基地局につなげば、以前よりはるかに簡単に電話がつながるようになったということだと思う。auとドコモのつながりやすさは一気に逆転した。ただし村の中心地に住んでいるひとはFOMAプラスの電話が使える携帯端末を持っていなくて、山の上はアンテナが立ってもあいかわらず電波がないと思いこんでいた。

 山の中に、若者たちがちょくちょくとやってくるようになったのはその頃だった。若者たちにはソフトバンクが人気で、そういう彼らにとってぼくらの住む山の中はあいかわらず電波がない奥地だった。村の中心地に降りると、彼らの端末にはメールが山ほど届いて、その返事を書くのにたいへんそうだった。

 ぼくが山中の奥地にやってきたとき、携帯電話はつながらなければつながらないで、幸せなこともあるのではないかと思った。いまやどこへいっても電話が通じてしまって、情報社会から逃げられない。騒音がない、混雑がない、ややこしいマナーにしばられることもない、終電の時間を気にすることもない(そのかわり始発もない)、そして携帯電話の電波もないイナカは、不便もあるけれど便利では得られない大事なものがあふれている。そう信じていたから、少々や重々の不便は、甘んじて受け入れたり、あるいはやせ我慢していた。
 でも休みの日にほんの数日イナカにやってきた若者たちは、携帯電話のない環境が、どうにもやりにくそうだ。「携帯電話の通じない希少な地域」を売り観光立国できないかなと思ってみたけど、むずかしそうだ。やっぱり世の中、携帯電話くらいは通じないといけないなぁ。

 と、間もなくソフトバンクのアンテナもやってきた。なんと、うちの大家さんであるお隣の畑に立つらしい。お隣はざっくばらんな方なので、携帯電話のアンテナによる電磁波障害など気にしていない。遊んでいる畑が、毎月1万円弱で賃貸し収入を得るという、そこんところが大事だった。工事はあっという間に終わったけど、それでもソフトバンクの圏外は続いた。アンテナが立ったからといって、すぐに電波を出すわけじゃないのですね。「アンテナがあるのに圏外」という珍しさも売りにならんかなと思ったけど、それはあっという間に解消された。あるとき、アンテナの麓で肉を焼いていたら、それまで通じなかったソフトバンクの携帯電話をふと取り出した若者が、「お、アンテナが立ってる!」と歓声を上げた。誰もスイッチを入れに来ないのに、突然電波を出し始めるものらしい。

ソフトバンクのアンテナは、うちのすぐ裏に立っている。電磁波アレルギーの人が遊びに来たら発狂するかもしれないけど、まだ発狂した人はいない。
 でも、ソフトバンクのアンテナはFOMAプラスと同様、900M帯のプラチナバンドだから、古いソフトバンク端末を持っている人には、やっぱり圏外のままなのだった。そういうのは、このご時勢ではしょうがないけど、1台の電話機が何十年も活躍できた昔々を思えば、現代はなんともったいない社会なんだろうと思ってしまう。

 さて、そんなこんなで山奥を含めて、携帯電話の圏外が一気に減った我が村だったが、盲点は意外なところにあった。村役場のすぐ裏の山のてっぺん(の、実はちょっと奥まったところ)には、ドコモのアンテナが立っている。村の中心街には、このアンテナから電波が飛んでいる。役場のあたりはちょっとした盆地だから、一つのアンテナでだいたいカバーができているようだ。
 役場の裏には、公民館や体育館、温泉がある。その、屋根の下に入り込むと、どうも電話が通じない。知らない間に圏外になっていることがある。灯台下暗しってやつで、山の上のアンテナは、山の端っこの木々や地面に遮られて、山の真下の地域には電波をお届けできないみたいだった。
 ドコモも、いったいなんだってもうちょっと山の端っこの見晴らしのいいところにアンテナを立てなかったものなのかしらん。
 てなわけで、ドコモの携帯電話は、村の中心たる役場のすぐ裏で圏外になる。携帯電話の通じないイナカに憧れたぼくみたいなへそまがりは、そこでつかの間の幸せを味わうのだった。
(つづく)
(初出:2014年12月09日)
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登録日:2014年12月09日 20時17分
タグ : 川内村 電波

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