紫苑
著者:紫苑(しおん)
日々の出来事を、ふと書き留めておきたい時がある。何の変哲もない風景に、こよなく愛着を感じる時がある。思わず涙ぐんだり、手を合わせてしまうほど感動を覚える時がある。そんな時は目を閉じて、心のキャンバスに、一枚、また一枚と、自分の生きた証に描いてきた。現在は、二人の成人した娘達と、姉妹のように共同生活を楽しんでいる。なにはともあれ、今が幸せならすべてよし、と充実した日々を送っている。
エッセイ/エッセイ

希望の芽

[読切]
やっぱり生きて何ぼだわ。満開のハナカイドウと小鳥のさえずり、優しい風を受けながら身にしみて感じていた。沙羅と歩いた鎌倉、姑との確執、ジャカルタでの苦い思い出がよみがえる。沙羅の希望の芽を摘み取ったのはわたしだった。ならば……。
 鎌倉、光則寺のハナカイドウは満開だった。
 真っ青な空に、濃いピンクの花がよく映えた。
 このハナカイドウを求めて毎年ここを訪れるのだけれど、今年ほど美しいハナカイドウに出会ったことはない。なんてラッキーなのだろう、沈みがちだった気持ちがほんのわずか浮上した。

 本堂前の廊下に腰掛けて目を閉じると、小鳥のさえずりが耳に飛び込んできた。 優しい風がわたしの頬をそっと撫でた。”ああ、やっぱり生きて何ぼだわ”そう思いながら、苦しかったことが徐々に緩むのを感じた。

                ☆

 沙羅と一緒にこの境内を歩いたことが、昨日のことのようだった。あの時はまだ高校二年生だった。ハナカイドウの時季は過ぎ、白い可憐な花が甘い芳香を放っていた。誰かが「アイスクリームの香り付けに使うのよ」といった。落ちた花を嗅いでみると、確かにバニラのような匂いがした。沙羅はそれをいたく気に入ってポケットにそっとひそませた。

「こうして母さんと歩く鎌倉は、心がとっても和むよ。来て良かったわ」
 少し日が傾き肌寒くなった頃、ぽつりと言った。
 彼女が何かに悩んでいることは知っていた。でもその理由がわたしにはよく分からなかった。

「いつでもお供するわよ。鎌倉散策は大好きだから」
「去年の夏も歩いたわね。あたしの夏休みの宿題の紀行文を書くために」
「ああ、鎌倉七福神巡りね。暑かったわねぇ」
「長谷寺の近くでさ、母さん、外人さんに道を聞かれたでしょう。愉快だったなー。母さんたら半分以上日本語だったよね。それなのに、外人さんがアリガトウを連発したのにはまいったけど」
「ふふ、そんなこともあったっけね」
「あたしね、母さんが思っているような良い子じゃないのよ。嘘ばっかりついてきたし。でもさ、母さんはずっとあたしのこと信じてくれているでしょう。それって、結構あたしにとっては重荷なんだけど」
 廊下に腰掛けて、空を仰ぎながら沙羅が言った。わたしもその横に並んで座った。彼女が何を話そうとしているのか、じっとして次の言葉を待った。

「学校も勉強も少しも楽しくなんてない。母さんに言われるままに高校を選んだし、その高校も今のあたしにとって、苦痛以上のなにものでもない。授業だってついていけないの。授業中は寝てるか保健室に逃げこんでいるのよ、あたし。自分でもどうしようもないのよ。朝だって起きられないし、学校へ行こうと思うと吐き気がして。多分、病気だと思うんだ」
「そう思うんだったら、一度病院へ行く?」
「うん。一緒に行って欲しい」
「明日行く?」
「うん」
 少しほっとしたのか、翳った顔が緩んだ。
「久しぶりに歩いたから疲れたでしょ? 甘いものでも食べようか?」
「うん。小町のお汁粉屋さんが良いな」
「ようし、じゃそこにしよう」
 わたしは、沙羅の背中を後押しするようにポンと叩いた。

                ☆

 鎌倉から江ノ電に乗った。窓の外をじっと見つめた。沿線の風景が飛んでいく。
 今は一体何月なのだろうか。すべての花がこの春の異常気象のせいで、一斉に花開いた。これからゆっくりと行く春を楽しめるのに、このままだとあっという間に紫陽花の季節になってしまいそうだ。とりとめもなくそんなことを思った時、唐突に涙がこぼれた。我ながらそのことにうろたえて、手の甲で涙を拭った。

 昨夜は天井を睨みつけながら、衝動で首を括ってしまおうかと思った。母親でも妻でも嫁でもない。ましてオンナでもない宙ぶらりんなわたしに、後から後から嫌悪感が襲ってきた。

 確かに沙羅は、希望がないと言った。希望が持てないとも言った。その言葉がわたしを立ち直れないくらいに打ちのめしていた。駅のホームで電車を待つ間も、電車が到着してからも、そのことがずっと頭から離れなかった。

 ゆっくりと沙羅の言葉を反芻してみた。
 なぜ希望が持てないのだろうか。明日がある限りそれが希望なのではないのか。
 わたしの何が間違っていたのだろうか。いや、間違いだらけだ。正しいことの方が少ないに決まっている。自分を振り返ってみたって、そんなことは分かりきっていた。わたしだって、仮面をかぶって生きてきた。清廉潔白だったわけではない。
                 
 沙羅の『希望の芽』を摘み取ったのは、確かにわたしだった。
 ジャカルタで過ごした七年間は、完全に育児放棄していた。沙羅のことはすべて女中に任せていたし、布おむつも一度も洗ったことがない。次女の多羅を産んだ後、体調を崩して一月あまり床に伏していた。身体が快復しても、心に傷を負ってしまった。夫とうまくいかなくなった。彼は毎晩のように午前様だった。日本での彼の母親とわたしとの板ばさみから解放されたせいか、糸の切れた凧のように頼りなかった。いつ帰宅するか分からない夫をひたすら待った。目に隈をつくり、待ち構えたように、嫌味や不平を浴びせ掛けた。わたしは少しずつ、心が壊れていくのが分かった。子供の泣き声が厭だった。膝に登って甘えてくる赤ん坊が煩わしかった。夫がわたしを見てくれないことが不満だった。ちゃんと真正面から見てくれさえすれば、わたしは満足だったのに……。

                ☆

 外を朝飯屋の屋台がラッパを吹きながら通った。白々と夜が明けて行く。クルマの止まる音がした。寝室のカーテンの端からそれを確かめて、階段を駆け下りる。発進寸前のタクシードライバーを呼び止めた。夫はするりとわたしの脇をくぐり抜け、玄関のドアを押して家の中に入った。

「夫をどこから運んだの?」
「会社です」
「会社はこんな時間まであいてないわ」
「でも、ご主人は会社から運びました」
「住所は? どこの会社から運んだの?」
「あのー、でも会社からです」
 夫がよく使うタクシー会社の人の良さそうなドライバーだった。
 夫の名誉のために必死で嘘をついている。
「わかったわ、ありがとう、ご苦労様でした」
 やっと彼を解放してやった。

 寝室に戻ると夫はわたしに背をむける格好で眠っていた。脱ぎ捨てた衣服を拾い集めた。背広の上着からハラリと紙切れが落ちた。拾い上げてみると、ホテルの領収書だった。そこは確か連れ込みホテルである。前をクルマで通りがかった時、友人に教わったから間違いはなかった。思わずそれをベッドのシーツの下に隠した。

 酒臭い息が寝室に充満していて、わたしが吸う空気がなかった。サイドテーブルのスタンドの灯りで下着についた紅を見つけた。怒りより悲しみが込み上げた。枕を持って部屋を出た。階下のゲストルームのベッドに滑り込んだ。少し埃臭いシーツに絡まったら、堰を切ったように涙が溢れ出した。異国の暮らしに馴染めない自分が恨めしくて、情けなかった。

 ゲストルームのドアを女中のスティが控えめにノックした。
「何なの?」
「ダンナ様がお呼びです」
「分かった。すぐ行くわ」
 顔を合わせるのが億劫だったから、夫が会社に出かけるまでそこに居るつもりだった。食堂のテーブルの上には、スティがこさえた朝食のオムレツが湯気を立てていた。それを視野に入れながら、重い足を二階へと引きずった。

「ネクタイしてなかったか?」
「なかったわ」
「無くしたのかなー、君にプレゼントしてもらったお気に入りだったのに」
「どこかに忘れたんじゃないの?」
「多分、最後の飲み屋だな」
 何食わぬ顔でサラリと言った。
「ホテルに置き忘れたんでしょ?」
「ホテル?」
「ホテルに行ったでしょう?」
「なに馬鹿言ってんだよ。行かないよ」
「行ったわよ。タクシードライバーに聞いたもの」
「カマかけるんじゃないよ。行ってないよ」
「あら、そう?」
「朝から全く穏やかじゃないね」
 不機嫌そうに眉根を寄せた。
 ベッドに隠したホテルの領収証をわたしは意地悪くひらつかせた。
「これは何? あなたの背広にあったのよ」
「汚えなー。持ち物検査をしてるのか」
 吐きすてるように言った。
「ポケットから落ちてきたのよ。それにあなたのその下着の胸の辺り、何かついてない? わたしには口紅に見えるけど」
 苦々しい顔で言葉を投げつけた。
「これはマッサージに行ったところでふざけてつけられたんだよ。誤解すんなよ」
 そのまま夫は、会話を遮るように浴室へ消えた。
 
 何かが音を立てて崩れ始めた。日本では家族が出来なかった。義母がことごとく邪魔をした。二人で外出したことも、外食したことさえもなかった。だから、海外へ出たなら、そういう普通の家族が出来ると思っていた。それを唯一の希望として、夫の赴任についてきた。それなのに、この仕打ちはひどすぎた。足元を大きく掬われて、気が付いたら下ろすべき場所がないことに気付かされた。辛い、悲しい、憤りと憎しみと哀しみが一度に押し寄せて、わたしの胸を押潰そうとする。


 結婚に大反対されながら姑と同居する生活は、わたしをとことん歪めた。持ち前の明るさを消し、暗くて可愛げのない女へと変身させた。あえてわたし自身が変わることが、唯一、義母と折り合う手段だった。かつての能天気なひょうきんさを、義母はとことん嫌った。どんな仕打ちにもへこたれないで、楽しそうに笑うわたしが、忌々しくて仕方がないらしい。わたしは雑草のように、踏まれても、いえ、踏まれれば踏まれるほど強くなった。一晩泣いたら次の朝には、けろっとして笑えるのに、それさえも禁じられた。とにかく、わたしが存在するそのことが、義母を苦しめ傷つけるようだった。

 それでも沙羅を身ごもった時、小さな希望が湧いた。ドラマなんかでよく見た光景を思い浮かべた。孫が生まれた瞬間に、おばあちゃんと化して、めでたしめでたしとなる話、きっと、義母だってそうに違いない、そんな風に高を括っていた。だから妊娠を告げられた時、天にも上る気持ちになった。これで嫁姑の確執は沈静化するだろうと……。

 ところが、その読みは浅かった。
「誰の許しを得て子供を作ったんだい。あんたは家のローンを返すために働くって言ったじゃないか。まだその責務すら果たさないで、妊娠? 冗談じゃない。この大嘘つき。あんたの顔なんか見たくない。さっさと子供でも処分してきたらどうだい」
 バラ色の顔から一気に血の気が失せた。わたしは一体何をしでかしたのか、しばらく呆然とその場にたちつくした。年を越せば31歳になるわたしにとって、この妊娠は決して早過ぎはしない。実母は、ひたすらわたしの健康を願い、孫の誕生を待っていてくれたのに……現実を飲み込めないまま、わたしの心は消化不良を起こし始めた。

 それでも、外でもくもくと働いた。家にはわたしの居場所などなかったから。家の前まで帰ってきても、敷居を跨げなかった。夫が帰宅するまで外でずっと待つしか能がなかった。義母は内側からチェーンをかけていたから、合鍵を持っていてもそっと入ることが出来なかった。寒さで凍える夜もあった。今のように携帯電話はない。夫と連絡のつけようもなかった。

 これでは胎教に良いわけがない。毎日が灰色だった。わたしの目の中には、色彩が飛び込んでこなかった。暗くて寒い日々が続いた。そんな日々のわたしを見かねた夫が、穏やかな気持ちでお産をしてくるようにと、早めに実家に帰してくれた。そこには、わたしの居場所があった。暖かな陽だまりがあった。やっと人として扱ってくれる両親に、涙が溢れて止まらなかった。

「そんなに動かなくて良いよ、少しは休んだら?」
「座ってお茶でも飲めば?」
 両親は、代わる代わる心配そうに声をかけてくれた。
「大丈夫よ。お産は病気じゃないのよ。動けるうちは動いた方が、お産は軽いって言うじゃない? 平気、平気」
 わたしは嬉しかった。これでもかというくらい動いても、優しい言葉すらかけてくれなかった義母とは違った。両親は、そういう心情を汲み取ったのか、ことごとく甘やかしてくれた。だけど、わたしはそれに本気で甘えてはいけない気がした。家事を手伝うことしか、今のわたしには両親に恩返しができなかった。両親の優しさに、何度も熱いものが込み上げた。あらためて、この結婚を途中で止めることだけは出来ないと、強く心に誓うのだった。


 第二子の妊娠を確認して間もなく、夫の海外赴任が決定した。
 知らない国へ旅立つことには希望と不安が交錯した。もちろん希望は、親子水入らずに暮らせることであり、不安は第二子を異国の病院で産むことにあった。でも、実母の一言で決心がついた。

「夫婦はね、何があっても別れて暮らしてはいけない。お産は、病気じゃない。どこの国でも赤ちゃんは産めるから、あなたはタケシさんについていきなさい」
 実家で第二子を産み、落ち着いてから来るようにという夫の心配りに、実母はこう言った。異国での医療設備に一抹の不安を感じていたわたしも、実母のアドバイスには素直にうなずいた。

「君のお袋さんは、すごい人だ。でも、あの一言で迷いは吹っ切れたね。向こうに着いたら、今までできなかった家族をいっぱいやり直そうね」

 わたしは夫の『家族をやり直そう』という言葉に、『生きる』という希望を見出していた。やっと呪縛のような生活から解放されるのだ。不安は、ふつふつと湧き出す喜びへと変わった。そして夫についてジャカルタへ行きさえすれば、そこには今まで決して味わうことのできなかった『一家団欒』が約束されている。そんな小さなことに胸を大きく膨らませて、成田を飛び発ったのは沙羅が一歳と一ヶ月を過ぎた残暑の厳しい初秋のことだった。

 しかし、海外での生活にわたしは期待しすぎた。
 抑圧された生活からの解放以上に、何かを求めすぎていた。そして何もかもが崩れてしまった。自分が母親であることさえ忘れてしまって、日々を過ごした。何をしても満足感がない。ゴルフやテニス、ホームパーティと日本では到底出来ない経験を積んだ。しかしながら心を満たすものは一つもなかった。わたしの中に孤独という魔物が住み着いて、更に心をギリギリと締め付けた。


「沙羅さんは、病気ではありません。こんなにちゃんと自分を表現できるし、今時のお子さんにしたら珍しいほど素敵なお嬢さんですよ。それでも納得が出来ないとおっしゃるなら、お近くのメンタルクリニックを紹介しましょうか? それも安心料として受診すれば良いでしょう」

 かかりつけの内科医に紹介されて行った公立病院の心療内科の医師は、さりげなくそう言った。

「だけど先生、あたし確かに変なんです。中学生の時までは、朝起きは得意だったのに、今では身体が鉛のように重くて起き上がれないんです。何かを頑張ろうとすると、吐き気がして眩暈までするんです。やっと立ち上がっても天井がくるくる回りだすし」
「沙羅さんは何が得意なの?」
「ダンスです。小学校の時からずっと続けていたから。今でも一番好きな時間です」
「それならダンスを一心不乱にやってごらんなさい。きっと今の悩みは吹っ飛びますよ。人生は長いんです。今、あなたが悩んでいることは、あなたの人生においては小さなことですよ。でもね、ちゃんと通らなければいけない道でもあるんですけどね。
 お母さんも長い目で見てあげましょうよ。先ほど大学受験のことをおっしゃってましたね。そんなことも案外、沙羅さんにプレッシャーをかけているのかもしれませんよ。ここでの二年三年の足踏みなんてどうってことありませんから。僕もね、出来の悪い息子がいるんですけど、あえて何も強制しないんです。それってろくなことがないですからね」

 ふくよかな顔をした医師の顔は、決して美男子とは言えないけれど、話しているだけで気持ちが和らいでいく不思議な力があった。二十分足らずのカウンセリングで、沙羅もわたしも気持ちがものすごく晴れ晴れとしていた。

「沙羅、どうする? メンタルクリニック行ってみる?」
「ううん、今は行かない。もう少し自力で頑張ってみるわ。あたしにはダンスがあったんだ、ダンスは癒しだったんだ、ってそれをあらためて感じたから」
「そうね」
 揺れるバスのつり革につかまりながら、わたしは少しほっとしていた。

 沙羅は、学業をすべて投げ出した。
 学区一の進学校でのそれは、最下位を意味し留年するのではと、わたしはまた胸を痛めていた。けれど、沙羅はひたすらダンスに没頭した。そのためのテーマを模索し、音を求めていた。わたしは、彼女のイメージの中の形を衣裳にし、二人三脚で最後の文化祭を迎えた。

 ダンス部は文化祭の花だった。沙羅はそこで大輪の花となって燃え尽きた。美しく、しなやかに踊る沙羅を見ていたら、これでよかったのだと、涙がボロボロとこぼれ落ちて止まらなくなった。もう大丈夫だろう、彼女にはこんなにもストレートに自分を表現できるものがあったのだ。わたしはやっと心から安堵した。

 運良く留年は免れたけれど、入れる大学には限りがあった。そんな中から沙羅は、二科目だけの受験校を探して滑り込んだ。そして晴れて大学生となった。

 ところが再び彼女の苦悩が始まった。五月に入ったある日から、彼女は大学へ行かなくなった。そのうち、退学したいと言い出した。服装が派手になり、髪の色が変わった。今までに見たこともない顔の沙羅がそこにいた。目は吊りあがり、わたしを見る目がとてもとげとげしくなった。

                ☆

 沙羅が中学一年で、多羅が小学六年の二月に夫は再び、ジャカルタへと発った。高校受験が微妙にかかる時期だけに、何度も夫婦で話し合った。義母を置いて皆で行くこともできない。断腸の思いで出した結論は、夫の単身赴任だった。
「沙羅、母さんや多羅やおばあちゃんを頼んだぞ。お前は長女なんだし、しっかりしてくれよ」
 夫は気楽に、素直な沙羅に声をかけた。後にこの言葉が沙羅をメタメタにするなどとは想像もつかなかった。だけど、良い子にしていなきゃいけないという観念が、沙羅をぐるぐる巻きにした。沙羅は職員室で人気者だった。学校へ顔を出すたびに、どの先生からも好意的な言葉をかけられた。
「お母さんは、ほんとうに良い躾をされましたね」
 わたしは少なからず鼻が高かった。わたしがやって来たことに、自信を持った。絶対に、ジャカルタでのことは払拭できた、そう思ってふんぞり返っていた。学区で一番難関の公立高校に進学し、順風満帆だった。続く次女の多羅も同じ線路に乗せて走らせていた。
 二人の高校受験も大学受験も夫は不在だった。でも、それは家計を支えるための止む得ない手段だった。だから、わたしは少しも彼を恨んではいない。むしろ、五年間という長い年月、一人にしておいたことの方を、少なからず申し訳ないと思っていた。彼も、わたしに対して全く同じ思いを寄せてくれていた。

                ☆

 台所のテーブルの上に、分厚い手紙が置いてあった。差出人は見なくても、分かっている。沙羅からこんな形でもらう手紙は、もう何十通もたまっていた。


「母さん、あたしが死んだら泣く?」
 さりげないけど、かなりの真剣さで訊ねてきた。
「さぁね、泣かないかもね」
 出来るだけサラリと答えた。しかし答えた後で、真意を測りかねていた。もしかして、本当に死んでしまいはしないかと不安が過ぎった。それくらい最近の沙羅は沈み込んでいた。
「何で? 変なこと聞くのね」
 その話題に怯えながらも、おくびには出さなかった。
「なんとなくね」
 ニヤニヤしながら答えて、うまそうにマールボロの煙を吐いた。こういう姿が、わたしは嫌いだ。見ていて辛い。なんでそういうところへ逃げるのかと思う。

 沙羅は、いつからこんな風に元ある姿からかけ離れるようになったのだろうか。もちろん、人は変わる。変わってこそ当然である。けれど、彼女の変化は唐突過ぎた。それを認めようとしないわたしに反発し、足掻いていた。苦しむ娘の姿は、わたしを打ちのめす。親なのだから、これくらいの苦しみは当然のことと、受け止めながら、受け止めきれない。わたしも自家中毒を起こした。何度も、何度も。

 わたしは沙羅を卒業したくなった。彼女が何をしようが、何に悩もうが、見てみぬ振りをしたいと思った。わたしには荷が重すぎた。いっそ、手を離したほうが互いの為のような気すらしてきた。明日こそ、明日こそは彼女と決別しようと心に誓うのだった。


『三択

 1.運転免許を取る
 2.アメリカに住む従姉の家に遊びに行く
 3.ジャカルタの父親に会いに行く

以上の中から一つだけ選んで、今のあなたの混沌から抜け出す突破口にすべし』


 これが、彼女に手を差し伸べる最後にしよう、と自分自身に固く誓って、エイとばかりに携帯電話へメールを送った。数日経っても返事は来なかった。彼女は読んだとも読まなかったとも言わなかった。まるで最初からこのメールの存在がなかったかのように、何も変わらなかった。寝たいだけ眠り、何もしない日々が続いた。バイトのない日は、ひたすら眠っていた。まるで眠り姫のように、固くしっかりと目を閉じて……。



 大好きな母さんへ

 母さんがくれるチャンス、一体これで何度目だろう。
 あのメールをもらった時、やっぱり母さんは私のことをちゃんと思って、考えてくれているんだぁと思った。でも、正直言うと嬉しさより失望感の方が大きかった。それは母さんにっていうのではなく、母さんにこたえることのできない自分自身にだった。

 さすがにこの間のメールはずっしりと重みを感じた。
 だって、あの三択はどれを選んでも、現時点の我が家の家計を知る限り、母さんにとってリスクの大きなものばかりだったから。それでも、私のためにと考えに考えて与えてくれたチャンスだったのだろうと思う。だけど、それではどれにしょうかなーという気分にはなれない。なぜなら、この三択は、私が自分でやりたいことでも、望んでいることでもないからだ。理想を言うなら「これやりたい!」を私が出して、母さんに「よっしゃー」と言わせて協力をしてもらうことだろうと思う。でも、今の私には夢も希望もない。

 これではいけないってことだけは、自分でもわかっているのだけれど、身体が動かない。ただじっとして眠ることしか方法がない。それに、冷静に考えてみて、どの選択肢も今の私に効果的だとは思えない。なぜなら、どれも母さんの甘やかしだと思うから。どれをとっても、中身が伴っていかないと思うから。だったら、『何か』を早く見つけて、自分も変わらなくちゃ!最近、そんなことばかり考えては、煮詰まって、その繰り返し。

 もうすぐ学校へ戻るけど、「何で休学していたの?」と聞かれて、胸を張ってこうだよってこたえられる一年間だったのかと言うと、正直そうではないと思う。それでも私にとって、この一年間は必要不可欠だったとも思っている。窒息しそうだった六月。私には人生の深呼吸が必要だったと思うから。

 今まで順調にきているように見えた私だけど、実は全然そんなものではない。進路だけがとても良いペースで進むのに対し、自分の中身とのずれにペース調節しなけらばと焦るばかりだった。私は他人よりほんの少し優れている部分があるのではないかと思う。ほんのちょっぴりの努力で、結果を出せている部分においてはね。でも、他人より劣っている部分も当たり前かもしれないけれど、あると思う。それは、自分を維持して安定させてあげ、生活するという基本的な部分にあったのではないかしら?

 私は今までずっと、母さんと父さんが自分に寄せる期待に押しつぶされるのだと思っていた。そんな被害者的な考えをもっていた。そのプレッシャーが私をつぶしたんだと、責任転嫁ばかりしていた。でも最近、実は私に期待してプレッシャーをかけていたのは、誰でもないこの私自身だったのではないかと思うようになった。

 私はどこかで特別でありたい、と常に思っていたのかもしれない。自惚れていたんだなぁと思うけど、少しの努力で結果が出せるのも、その『特別な自分』の証だと思い込んでいたように思う。

 けれど少しの努力しかしていない私に、そこまで思いを込められる、力を注げる『何か』が見つけ出せるわけもなく、そこで止まってしまったような気がする。気が付けば、『私には何もない』。夢も希望すらない。だから『楽しい今』を演出し、馬鹿騒ぎをして楽しさに自分を浸らせて麻痺させていた。そんなことばかり繰り返していた。でも、一人になると、その麻痺は切れて、空っぽの自分に嫌気がさして、何もする気が起こらない。だから結局、眠るしかなかった。

 頑張る気力のない人に、無情にも皆は『頑張れ!』と声をかける。だけど、思い切り突き放すこの言葉、この一年間何度聞いたことだろう。

 でもさすがに、そろそろ頑張ってみたい。
 バレエのクラスで端役しかもらえなかった私が、センターで主役を踊れるようになったくらいの輝く感覚、もう一度感じてみたい。
 だから、今、自分で何が出来るか考えている。

----これが、私の知る限りの最近の『沙羅』の心の言葉です。
 まだ、その『何か』はわかっていない。けど、逆にたった一年で見つけられる『何か』なんて本物ではないとも思う。数十年ある自分の人生のたった一年で、一生をかけられるものを見つけられる人なんていないと思う。

PS.最近、身体を動かしていない。それも原因かもしれない。
   ダンスがしたい!ダンスがしたい!ダンスがしたい!

                                沙羅より


 沙羅の手紙は人の心を巧妙につかむ。過去、何度この手紙に騙されただろうか。
 読みながら、今度こそはと期待してしまうが、いつも三日も持たなかった。今度はどうだ? 自分に問い掛けてみる。やはり分からない。騙されても良いという気持ちと、もう騙されないぞという気持ちがわたしの中で激しくせめぎあった。どちらという結論を出さないけれど、本当はやはり期待している自分が見え隠れした。


 珍しく沙羅がわたしを誘った。
 週の始めだった。内心億劫だったけれど、彼女から誘うということが、最近は殆どなかったので、わたしは重い腰をあげた。

 待ち合わせの場所は、花屋の前にした。わたしが退屈しないからだ。洋花が多い中、紫木蓮の枝がにょっきりと覗いていて、目を楽しませてくれる。思わず頭の中で瓶花を活けていた。この春は、なんだか身体も心も辛い気がするけれど、いつの場合でも花は、わたしの慰めであった。

「母さん」
 わたしを見つけた沙羅が嬉しそうに近づいた。
「あなたが誘うなんて珍しいから、家でまったりしたかったけど、出てきたわ」
「たまには良いじゃない。あたしだって母さんと買い物したいわよ」
 そういうなり、わたしの腕に手を通して並んだまま歩き始めた。

「ねぇ母さん、眉ペンシル買って」
「良いわよ」
 それだけでにっこりと微笑んだ。いつものとげとげしさがない。
「何か良いことあった?」
「うん、ノンの大学が決まったの」
 ノンとは、彼女の高校時代の親友である。
「結局、医学部は全部落ちたのね。滑り止めの大学に行くことになったの。だからこれからは一緒に遊べるの。この一年間ノンは、浪人してたでしょう? 悪いから遠慮してたんだ。でもさ、二人でね、ダンスをまた始めるの。やっぱ、ノンは最高!」
 本当に嬉しそうである。

 ノンは、高校時代から心理学に興味を持ち、ずっと沙羅のカウンセリングをしていた。この場合、専門家でもないのに、カウンセリングという言葉を使うのは、的確ではないかもしれないが、沙羅にとってはそれに近いものだった。将来は、精神科医になることを夢見て、医学部を志望していたのだ。残念ながらすべて失敗に終わったようである。滑り止めの大学を選択するということは、すでに医者になる夢を捨てたということでもあった。

「あたしはね、ノンの重荷だと思っていたのね。そしたら、ノンにとってもあたしの存在が励みになったって言ってくれたの。あたしとノンって互いが全く持ってないものを持っているので、凹凸がうまく嵌っているって感じがするの。だから、ノンとダンスが出来て、大学も近いから一緒に青春できると思うとなんだか嬉しい。やっぱ、春だなー」
 久しぶりの屈託のない笑顔にわたしは救われた。

「たまにはご飯食べに行きたいなー」
「良いけどチャイがいるし」
 一人で残してくるのが忍びなかったので、キャリーバッグに愛犬を連れていた。
「それより、少し上等の食材を家で食べて酒盛りしようか。どう? シバザキも誘ってさ」
「あ、いいかもね。じゃ彼に電話してみるね」
 幼友達で高校のクラスメートだったシバザキに電話を始めた沙羅を残して、わたしは食材を集め始めた。奮発してマグロは大トロを買い、肉や乾き物を物色した。ビールに赤ワイン(シバザキは赤ワインがわたしと一緒で大好きなのだ)、ラム酒をカートの中に放り込んだ頃、沙羅は追いついて来た。「シバね、今飲み会の最中なんだって。誘ったら残念がってたよ。また今度誘って欲しいって。オバサンによろしくって言ってたよ」
 若者とたまには盛り上がるのも良いかと思っていたのに、少しがっかりだった。カートの中は、なかなか豪勢だったけれど、払ったお金も大きかった。それでも、沙羅の笑顔には代えられなかった。


「ジャカルタの母さんは恐かったよね。いつも目を吊り上げていたし、よくぶった。ジャカルタの思い出といえば、ぶたれたことしか記憶にないよ。でも、帰国してから変わったんだよね。嘘みたいに優しくなったんだ。別人みたいにね」

 大トロの刺身を美味そうに平らげた後で、沙羅が言った。あまりの唐突さに半ば驚き、わたしは恥ずかしさで真っ赤になった。

 帰国してから、ジャカルタの記憶を何度も訊いてみた。厭なことを思い出しはしないかと、内心びくついていた。でも、いつも楽しいことしか話さなかった。友達と遊んだこと、無人島へ行ったこと、コモドドラゴンを見た時の恐かったこと、遠足に行ったこと、スクールバスの中での出来事、そんな話を笑いながらしてくれた。わたしの虐待もどきは、すっかり子供達の記憶から消え去っているのだと、かってに解釈していた。内心ほっとしながら、万が一それらが残留していたとしても、これからの努力次第で払拭できるはずだ、とわたしはほんとうに軽く考えていた。

 沙羅が小学二年で、多羅が小学一年の時に、ジャカルタから帰国した。
 多羅はすぐに学校に慣れたけれど、沙羅は転入先の学校に溶け込めなかった。日本の生活速度は想像以上に早い。赤ん坊の時からのんびりと時を過ごしてきたのだから、話し方も動作もどこか緩慢である。同級生には、じれったくて仕方がないらしかった。体格がみなより頭一つ大きい分、それはすごく目立った。いつしか小さな胸にストレスを溜めるようになり、学校から帰宅すると、火がついたように泣き続けた。毎日の登校も、妹が居なかったら行かなかったに違いない。

 沙羅の担任の南先生は、小柄で可愛い顔をした独身女性だった。いつも、子供が好きでたまらないという風に、すべての子供達を思い切り抱きしめた。中でも、授業中に泣き出したら止まらないアキちゃんを、特に抱きしめていた。そんな南先生の姿を何度か見たとき、わたしは恥ずかしくてたまらなくなった。それまで思い切り子供を抱きしめたことがなかったからである。自分のことしか見えなくて、子供の心の中を覗こうともしなかった。一番辛いのは、わたしなんだと、身勝手な気持ちだけを露にし、気に入らないと子供をぶった。ぶっては反省し、反省してもまたすぐにぶった。そうやって、わたしのやるせない気持ちを吐き出していたのだ。

 じっと見つめるわたしに向かって
「アキちゃんのお母さんは、愛情を上のお姉ちゃんにしか注がないんですよ」
 そう弁解しながら、南先生は微笑んでいた。
 彼女の言葉は、わたしにとって目からうろこが落ちるようだった。それと同時に、思い切り抱きしめて上げれば、子供は満足をするのだということを、独身の先生から教わっていた。

 それから忌まわしい過去を消すために、わたしは必死になった。PTA役員も進んでやった。毎日のように学校へ顔を出し、教室の中の沙羅の様子をそっと窺がった。いつしかわたしの存在に安心したのか、沙羅はその教室に溶け込んだ。仲間も友達もたくさん出来た。わたしはすごく嬉しかった。やっと肩の荷を下ろした気がした。


「ジャカルタでも、日本でも何も変わってないと思うけど」
 わたしはすごく狼狽しながら、弱々しく反論してみた。
「ジャカルタでの母さんは大嫌いだったよ。こんなにぶつんだったら、なんであたしを生んだのかと思って悲しかった」
 何も答えられなかった。うつむいたまま、その言葉をじっと噛み締めていた。
「だから、あたしがこんな風なのは、その頃の愛情不足じゃないの?」
 半ば冗談交じりで沙羅が言った。
「そんなことないでしょ。愛情だけは注ぎまくったじゃないの。あなたに届かなかったんでしょ」
「だからね、日本に帰ってからは注いでくれたけど、あっちでは皆無だったの。性格って三歳までに決まるんでしょ? その間、どれだけ母親が愛情を注いだかが重要であって、その後のフォローアップは意味がないの」

 これまでに何度も訊いた。でも、ただの一度も、こんな話はしなかったじゃないか。楽しかったとしか言わなかったじゃないか。

 完敗である。沙羅が言う通りだと思った。
「ごめん。それを言われると母さんには返す言葉もないわ」
「嘘、うそ。そんな風には思っていないけど、ジャカルタの思い出といえば、ぶたれた記憶だけが鮮やかに甦るのよ」

 沙羅がコーラで割って飲むために買ったラム酒を、ストレートでぐっと呷った。なんでも良いから、早く酔いたかった。すでに朦朧とし始めた頭の中で、もっと早くこういう形で沙羅と対決する必要があったのだ、と今更ながら痛感するのだった。

                ☆

 沙羅と歩く鎌倉は大好きだった。
 わたしの感性に近いからだ。美しいものに同じ感動をし、美味しいものにも同じ反応をした。わたし達は、まるで女友達のようにきゃっきゃっとはしゃいだ。小町通りのお店には片っ端から入り、いろんなものに興味を持った。どうせ冷やかしで買いはしないけれど、それでも楽しかった。一角にあるコロッケ屋の肉コロッケをほおばり、濡れ煎餅を齧った。そんなささやかなことが、わたしにとって充分すぎる安らぎだった。

 娘と歩きながら、亡き実母を思う。わたしはもっと母と歩けばよかった、と少し後悔をする。大好きだった母とは、たった一度京都へ行ったきりだった。19歳のゴールデンウィークの一日を、母と姉と過ごした。嵯峨野の竹林を仰ぎながら、母が嬉しそうにしていたのを思い出す。母にはそういう喜びを与えてあげないで、わたしは娘からもらうことの図々しさに、時折、居心地の悪さを感じていた。


 やはり、簡単に答えが出るはずはない。
 もう少し、もう少し手を離さないで、見守ってやろう。
 わたしには、沙羅に明日があることを教える義務があった。
 わたしが奪い取った明日なら、わたしが取り戻させてやる。
 それしか沙羅を救う方法はないはずだ。
 そう決めると、何かが吹っ切れた。

 大きく深く息を吸い込んで、ハナカイドウをもう一度仰いだ。
 大胆にも、ピンクのハナカイドウは青空とまぐわっていた。
 このハナカイドウを沙羅にも見せてやりたいと心から思った。

 立ち上がって、わたしはゆっくりと長谷駅に向かって歩き始めた。
 まるで人生へ再挑戦するように。
(了)
(初出:2002年02月)
登録日:2010年06月22日 16時03分
タグ : 鎌倉

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