おおみち礼治
著者:おおみち礼治(おおみちれいじ)
1968年生まれ。16歳のとき、尿検査でたんぱく尿が出ていると言われ検査入院。小康状態を保っていたが、25歳で人工透析を導入。現在は、フリーランスとしてホームページを作成したり、PHPやDBをいじっている。ほとんど趣味かも。
エッセイ/エッセイ

宣う躰(2)

[連載 | 連載中 | 全8話] 目次へ
気ままな検査入院中、好きな本を読み、昼寝し放題のある日、占い師をしている祖父がお見舞いにやってきた。また、夏休み後半の登校日を迎え、一時帰宅した著者に起こった不思議な現象とは?
■不思議な話(1) - 1985.08

 三日が過ぎ、一週間が経ち、三週間になっても退院の許可は下りなかった。検査入院であって、大病をして手術が控えているような深刻なものではなかったから、その意味では気楽だった。「退院まだかなぁ」と思うことはあっても、家に帰ったからといって、また、夏休みだからといって、特別なことがあったわけではない。遊びに行こうも、お金はなかったし、男子校だったから、女の子とデートなどという、うらやましい不届きものは、ほとんどいなかったはずだ。よほど積極的に動かなくては、出会う機会すらないのが普通だった。

 病院では、ベッドの上でテレビを見たり、好きな本を読んだり、たまに友達がお見舞いに来るのを迎えたり――母方の祖父が訪れて、私の手相を見ていったこともある。祖父は占い師だった。
 占いで生計を立てていた祖父は、気学や姓名判断、手相、人相、家相を研究し、訪れる人の悩みに答えていた。また、母が結婚して、おおみち家に来たとき、家相を見て「お風呂の位置が悪い。この家の長男(私だ)は病気をする」といったと聞いたことがある。

 退院してから聞いたが、このとき祖父は「手相が弱かったら、死んでしまうのではないかと心配した」といっていたらしい。その後、たしかに死にそうになったりしたのだが、検査入院と思っていたから、検査以外は好きなことをしていられるし、男子校にはいない、若い女の人、つまり看護師さんともお話しができるし、眠くなれば冷房の効いた病室で(当時、自宅にエアコンはなかった)のんびり寝ていられる入院生活も悪くはないと思っていた。

 そうこうするうちに、夏休みも終盤を迎え、八月二十一日の登校日を迎えた。
 この日を含めて三日間、一時帰宅の許可が出た。ほぼ一ヶ月ぶりに我が家に帰り、自分の部屋の扉を開けたとき――おかしいのだが、奇妙な違和感を覚えた。
 間違えて見も知らぬ他人の部屋の扉を開け、その住人に「なんやこいつ」という顔をされたような、バツの悪い、思わず「す、すいません」などと頭をかきつつ、扉を閉めたくなるような、もう少しいうなら、「誰かがいる」と感じたのだ。

 もちろん、自分以外に誰もいない。
 八畳の部屋。畳の上に置かれたベッドにソファ、机。十四インチの小さなテレビとファミコン。ケータイもDVDもパソコンもない。テレビの電源を入れ、雑誌を広げ、くつろいだ格好をしても落ち着かない。久しぶりに帰ってきたからだろうと考え、説明できない不安感を追い出そうとしたそのとき。

 いきなり「ガラッ」と大きな音を立てて南側の窓が開いた。もちろん、誰かが開けたのではない。中には私がひとりでいて、テレビを見ていた。「窓が自分で勝手に開いた」のである。いまのような建て付けのいいサッシと違い、当時は縦横一メートルくらいの木製の枠にすりガラスがはめ込まれただけの、昔の木造建築の窓だ。
 それが五十センチくらい、とつぜん開いた。すぐに感じたのは「何かが出ていった」ということだった。あとで風のせいかとも疑ったが、窓が開くような強風ではない。その日以上の強い風の日はいくらでもあったが、窓が勝手に開くことなど一度もなかった。

 いつのまに自動ドア(窓か)にしたのだ、家は。
 いや、そんなはずはない。どきどきしながら、窓を閉め、ソファに座りなおすと、すぐにまた「ガラッ」と音がして、こんどは三十センチほど開いた。

 それで確信した。
 目には見えないが、たしかに何者かがこの部屋にいたのだ。二度、窓が開いたあと、ずっと感じていた奇妙な違和感がすっと消えたからだ。霊感が強いとは思わないけれど、たまにあり得ないものを見たり、不思議な経験をすることはある。たとえば――いや、それは別の機会にしましょう。

 三日間の一時帰宅を終え、あっというまに日は過ぎてゆき、新学期が始まる一日前となった。さすがにいつになったら退院できるのかと焦っていた私の前に医師がやってきて、こういった。

「医大に転院してもらいます」
(つづく)
(初出:2010年08月)
登録日:2010年08月20日 22時12分
タグ : 占い

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