おおみち礼治
著者:おおみち礼治(おおみちれいじ)
1968年生まれ。16歳のとき、尿検査でたんぱく尿が出ていると言われ検査入院。小康状態を保っていたが、25歳で人工透析を導入。現在は、フリーランスとしてホームページを作成したり、PHPやDBをいじっている。ほとんど趣味かも。
エッセイ/エッセイ

宣う躰(8)

[連載 | 連載中 | 全8話] 目次へ
透析前夜。バブルがはじけて会社もつぶれ、さらには腎不全が進行して尿毒症に苦しめられる著者。透析を導入しなければ死ぬかも知れないと言われるなか、体験したことを記す。
■透析前夜 - 1994.03

 みっともない話しだ。
 会社では何をしていいのかわからなかった。気心の知れた同僚もおらず、ずっと針のむしろに座らされているようで、安心して息を吐けるのはトイレのなかだけだったように覚えている。帰宅すると、ベッドに座って柱に頭を打ちつけていた。自分の力ではどうすることもできず、相談できる人もおらず、八方ふさがりだったのだ。そんな状態が4年あまり続き、もともと尿管逆流があって腎臓も弱かった私は、当たり前だが体調は悪化した。週に2日も3日も休むようになって、まともに仕事をこなせるはずがない。世間ではバブルが崩壊して会社もつぶれた。

 新しい就職先を探すどころではなかった。働かなくてはいけないという焦りとは裏腹に、ずっと吐き気と頭痛と動悸がして起きていることも難しくなっていた。40Kgあった体重は34Kgまで減り、病院の血液検査ではヘマトクリット――健康な男性で45%ほどの貧血の度合いを示す値は19%、腎臓病の指標となる通常1mg/dl以下のクレアチニンは14mg/dlを超え、尿素窒素は通常20mg/dl以下なのが、80mg/dlを超えていた。腎不全が進行して貧血がひどくなり、毒素を排出できず体に溜まっていたのだ。医者には「このままではどうなるかわからないよ」と暗に死ぬ可能性を示唆されていたが、それでも透析は嫌だった。
 透析はしたくない。しなければ死んでしまう。しかし、透析はしたくない……頭の中をぐるぐると周り出口が見つからない。この時期、地下深くの洞窟をあてどなく歩き続けて出られない、そのような夢ばかり見ていた。

 頭に霞がかかったようにボーッとして何も考えられず、腎臓の辺りから気持ちの悪さが頭にまでのぼるような感じで、だるくて動けない。テレビを見ることさえつらく、一日中、目をつぶって下を向き、ため息をつくばかりだった。当然、食欲はなく、無理矢理、食べてもほとんど戻した。あるとき、吐瀉物が真っ黒だったのを見て、いったい自分はどうなってしまったのかとショックで、しばらく動けなくなったこともある。毒素を吸着して便とともに排泄させる活性炭の薬を1回に10錠飲んでいたが、それが上から出たのだ。慢性腎不全が進行したさいに起きるこのような症状を尿毒症という。放置すれば死に至る。

 横になっているしかなかったが、眠ったら目が覚めるのだろうか、このまま自分は消えてなくなってしまうのだろうかと考えると、恐ろしくて体がふるえた。25歳だ。何も為していない。なにをしたらいいのかもわからない。しようにも、からだが動かない。これが自分の人生なのだろうか。
 精神的にもおかしくなりかけていたと思う。たとえば――必要に迫られて、比較的体調のよいときに限られたが、車を運転していて、ほかに誰も走っていない道路のずっと先の脇道から入ってきた車を見て、横入りされたと思うのである。世界のすべてが、自分を邪魔し、あざ笑っていると感じていた。
 また、ひとり小舟にのり、荒れた海の真ん中で翻弄されている、というイメージがひっきりなしに浮かび、自分がここにいる感じ、自分のからだが自分のものであるという感じが希薄になった。思考や感情に実感がなく、夢を見ているかのようなのだ。
 自分は狂っているのだろうか。知らないうちに何かしでかしてしまうのではないかと胸の奥がこり固まって不安になり、原因を知りたくて精神病に関する書籍を読んだが、症状の説明ばかりで原因どころか治療法もまともに解説されていない。自分はこの病気だろうか、それともこっちだろうかと自分の症状を当てはめて、余計に不安になるのでやめた。ただ、希薄になる、実感がないという症状は離人症と呼ばれていることがわかっただけだ。精神科に行けば、うつ病か、それとも精神分裂病(現在の統合失調症)と診断されたかもしれない。だが、名前は付けたが有効な治療法がないのでは行ってもしょうがない。

 あるとき。
 夕食後に親父が隣の部屋でのんきにカラオケを歌い始めた。酔っぱらっていい感じだったのかもしれない。私の状態を知っているはずなのだが、カラオケの騒音に頭痛はひどくなる一方だった。横になったまま懸命にこらえた。やめてくれ、というだけの力もない。伝えられたとしても、不機嫌に睨みつけられることが予想され、胸がつかえた。母親は、ただ親父に付き従っている。弟は、別の部屋で趣味のシンセサイザーに向かいヘッドホンをしながらだろう、ガタガタと鍵盤を叩き大きな音を立てている。そのとき、わかってしまったのだ。

 誰も私に興味がない。

 ああ、死のう、と思ったんですね。這うようにして部屋から抜け出し、車に乗って、環状線を猛スピードで走った。もう、どうなってもいい、事故って即死できたら楽になれる。そう思った。が、いまにしたら笑ってしまうのだけれど、赤信号でブレーキを踏んで、ちゃんと止まるんですね。その理由は後でわかったが、死のうと思って出てきたのになにをしているのだと精神状態は悪化する一方だった。
 追い越し車線を飛ばしていると、暗い道の先に右折しようとしている軽自動車が見えた。私は、捨て鉢な気持ちのまま突進した。ところが、その車は右折ではなく反転しようとしていたのだった。相手は、対向車が想定外にスピードを出していて目測を誤ったのか、それともゆずってくれると思ったのかもしれない。軽自動車は目前で反転した。
 反射的にブレーキを踏むと同時に左に避けたすぐ前に3トントラックが駐車していた。とっさに右にハンドルを切った。
 ――血の気が引き、時間がゆっくりと経過する。少しだけ理性が戻ってくるのを感じた。ぶつからずにすんだ。こんなことをしていてもなんにもならない。他にどうすることもできない。自宅に帰り、やっと静かになった部屋でまた布団をかぶった。
(つづく)
(初出:2016年11月03日)
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登録日:2016年11月03日 20時48分
タグ : 透析 尿毒症

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