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新美健
著者:新美健(にいみけん)
1968年生れ。愛知県で育ち、石川県で卒業し、富山県で就職し、東京都に流れ着き、現在は地元に戻って愛知県豊田市在住。ゲームのノベライズ化というニッチ稼業で15年ほど漂っていたら、いつの間にか40代も後半戦へ。2015年、第七回角川春樹小説賞にて特別賞を受賞。探偵、怪奇、幻想、冒険、歴史モノの小説が好物。
エッセイ/エッセイ

ヌく話 ソる話

[読切]
気になると止められない。鏡を見ながらスッポンスッポン抜きまくる。これでは、かえってストレスになってしまう……新美氏は、ふと気が付いた。ならば剃ってしまえ。
ISSEY HATTORI
「剃髪してください」
「ご出家ですか?」
 オヤジ、そんなベタなギャグは止めてもらいたかった。が、鏡越しに見える顔が真剣だ。そういえば、この床屋のすぐ近くに寺がある。慣れているのだろう。ただ、背中の半ばまで髪を伸ばしている男にむかって「ご出家ですか?」は止めてくれ。
 プロに剃ってもらうことで剃髪のカタルシスをじっくり味わおう、と夫婦二人でやってるいかにも床屋っぽい店をチョイスしたのだが、これは失敗だったかもしれない。
「五分ですか? 一分? 五厘?」
 いちいち心配そうに聞かないでもらいたい。
「ツルッツルにしてください」
 できるだけお気楽に聞こえるように言ってみたが、やはり腑に落ちない顔をしている。それほど一般人の剃髪が珍しいのか? オバチャン、そんな不思議そうな目で客を眺めるものじゃない。
 このツラがいけないのか? 眼鏡。こけた頬。マジメくさった顔。なるほど。坊さんにありがちな面構えだ。
(破戒しちゃうぞっ)
 鏡の前で、内心呟いてみる。

 まずはヌく話からしたいと思う。半ば予想されている通り、風俗関係の話題ではない。
 アンテナのように、ぴょこ、と生えている。まるで白金の糸。そのアクリルっぽい輝きは美しいとも言える。
 が、どんな形容で飾ろうが、シラガはシラガだ。
「女子供じゃあるめぇし、んな細けぇことを気にするんじゃねぇよ。男は外見じゃねえ。心意気よ」と今や絶滅気味の豪気な意見もあるだろうが、こちとら三十路を越えたとはいえ、瞬間最低精神年齢を一桁台にまで割り込ませる自信はある。いつでもとは保証できないが、たまにそうなる。もちろん、幼児プレイという大人の事情絡みではなく――。
 とにかく、一度気がついてしまうと、鏡を覗くたび気になってしかたない。老いか? これが老いなのか? ちょっと泣いてもいいですか? そんな運命に逆らってみるのも、また漢の心意気である。
 で、鏡を見ながら、百円ショップで買ったトゲ抜きを操っていく。掴んで、ぷち。掴んで、ぷち。熱中しだすときりがない。凝り性なのである。サルなのである。ひたすら抜くのである。
 しばらくやってると、少し面白くなってくる。クレーンゲームと似てないこともない。気晴らしもかねて一挙両得。
 半白髪を発見。白髪になるのか、黒髪に戻る途中なのか判断が微妙だ。白、黒、白、黒。日々の栄養状態とストレスの履歴を眺めている気分。一日に伸びる長さから逆算して、ああ、この頃は忙しかったもんなぁ、と回顧してしまうあたり、そろそろちゃんとした恋人を捕まえたほうが身のためなのかもしれない。おお、そうだ。そして、恋人に白毛を抜いてもらうのだ。
 つまらない妄想をしているうちに、一通りの駆除を終えて安心――はできなかった。
 まさかなぁ、と思ってもう一枚鏡を用意して後頭部をチェックすると、そこにはびっしりと……老いは目の届かないところにまでおよび、我が身体を蝕んでいる。
 かくして、駆除はさらに高度なステージへと飛翔していく。二枚の鏡とトゲ抜きを巧みに使用してのアクロバティックなものである。元々気晴らしのニュアンスがあったくせに、否応なく集中力と根気が養われてしまう。このストレスだけでもかえって白毛が急増してしまいそうだ。
 そこで、はた、と思いついた。
 なら、剃ってしまえ――と。

 どうせ自由業だ。在宅だ。前々からスキンヘッドには憧れがあった。これから死ぬまで二十一世紀がつづくことだし、そろそろ坊主頭のアイドルユニットも誕生しかねない怪しい時代だ。
 いいぞー、スキンヘッドは、きっと。シャンプーの消費量は少ないし、リンスなしでもOKだ。かゆいときに直接頭皮をかきむしることができたらどんなに気持ちいいか!
 そういえば、大学時代、所属していたサークルには、二〇歳前後にしてある難儀な悩みを持つ者が、各学年につき一人はいたように記憶している。同病同士が集まれば、はじまってしまうのが“病気自慢”だ。入院歴を競い合うなら、まだ救いもある。だが、この場合、すべては撤退を余儀なくされている生え際前線へと話題は集束されていく。
「中国製の薬が……やはり、ブラシで叩いて」
「育毛剤は、途中で止めると、よけい抜けやすくなるぞ」
「そこっ、下から覗くんじゃねえ。こ、こらっ、上から照明をあてるなっ」
 戦略的後退。そんなものとは無縁の世界だ。毎年、学園祭でお互いOBとして顔を合わせるごとに、それはもう連続写真にしたいくらい見事に進行していく人もいる。
 白状すれば、頭髪に支障をきたしている友人たちに対して、かつて差別的な態度をとってきた過去がある。だが、それは剃ろうと思えば剃ることのできる大義名分を持った人たちへの嫉妬だったと今さらながらにして思う。うらやましかったのだ。自分でも、同じ話題、悩み、悦び、哀しみを共有したかったのだ。
 ともかく、床屋を出ると、頭が信じられないほど軽い。開放感と爽快感。触ってみると、剃ったばかりのせいか、ツルツルというよりも、少し指先に引っかかる感触がある。とくに後頭部がベタベタと粘つく。脳下垂体か脊髄から、汁が滲んでいるような感じ。頭皮の感覚は意外と鈍い。肉のヘルメットでもかぶっているように想像よりもダイレクト感が薄い。
 外気が冷たい。頭皮を護るものがないせいか、ドバドバとアドレナリンがあふれてくる。覚醒感がなくもない。なるほど。坊主の頭にも理由がある。だが、温度差が激しすぎたためか、しばらく頭痛に悩まされた。夏にかき氷を口いっぱい頬張ったような、あんな感じ。
 切った髪は、それなりの長さがあったので、どこかに売れないかな、とセコいことを考えていたが、いろいろと情報を集めてみた結果、よほど状態がよくないと買ってはもらえないことが判明。『賢者の贈りもの計画』挫折。ま、白髪も混ざってるし、整髪料でベトベトだ。なにかの呪いに使われてはいけないので、すぐ始末した。
 まわりの反応は上々。驚く、笑う、慣れる。だいたいこの順番でリアクションがくる。頭を剃っても世界は変わらない。しばらく新鮮な気分が味わえるだけだ。最初はなんとなく気恥ずかしいかったが、世間は誰も気にしない。頭が冷えすぎて風邪をひいたが、みんな笑って心配してくれない。自分では気づかなかった小さなハゲも指摘され、これまた新鮮。皆さん、彫刻刀で削ったような縦筋のハゲ(おそらくは小さなころに柱の角でぶつけた跡)も世の中には存在するんです。
「さっぱりしましたね」
「今、伸ばしてるんだ」
 ベタな冗談すら、新鮮である。
 帽子をかぶって友達が働いている家電売り場へ寄ってみる。客と話している。わざわざ目に入る位置に移動し、友達がこちらを見た瞬間、ぱっと帽子を上げてニカッと微笑んでみせる。相手の表情が硬直し、思わず身をのけ反らせたところでさっさと退散。退屈な日常にささやかな刺激。あとで苦情がきたが、俺の知ったことではない。
 これが、半年ほど前の話である。
 結局、定期的に剃って維持しなければならないスキンヘッドは不精者にむかないと悟り、今は伸ばしに伸ばしてだらしないボサボサ頭に戻っている。
 人間、自然のままが一番のようで――と言いつつ、また懲りずに白毛をつんでいる日々。

※編集註
上記写真は、当エッセイの剃髪から一年後、2002.5.17に再チャレンジしたときのものです(著者本人です)。
(了)
(初出:2001年12月)
登録日:2010年06月09日 14時14分
タグ : 剃髪

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