騒人 TOP > エッセイ > エッセイ > 踊る国境線 もうひとつのNY物語「第一話」
水瓶ジュン
著者:水瓶ジュン(みずがめじゅん)
1950年、水瓶座生まれ。鳥取県境港市で育ち、現在、神奈川県在住。写真会社で長年ものづくりの技術者をやりながら、詩や小説を発表。作品の価値は、どれだけ読者の感覚を刺激できるかできまると考えます。視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚、と後にいけばいくほど難度は高くなります。現代人の衰えつつある機能を、言葉で裏打ちすることで復活をはかる、そんな大それたことを夢想しています。
エッセイ/エッセイ

踊る国境線 もうひとつのNY物語「第一話」

[連載 | 連載中 | 全5話] 目次へ
「アナザーニューヨークへようこそ!」二十数年前、カナダへは一時間たらずという、NYの片田舎へ海外赴任した作者は、アメリカンナイトの探求に余念がなかった。国境線にまつわるエピソード。
「国と国との間には国境線というものがあるんだね」
「何を寝惚けたこと言ってるの」
 初めてセントローレンス川を渡って隣国カナダに入った時、誰かとそんな会話を交わしました。アメリカに着いて一週間目のことです。
 島国日本の国境線は海の中、この島国から一歩も出たことの無かった僕は国境線などついぞ意識したことはありませんでした。川を一本渡ればよその国、川も無く地続きで柵一つ越えれば隣の国という感覚は大きなカルチャーショックだったのです。
 海外留学生として、ニューヨーク州北部セントローレンス郡にある私立大学に会社から派遣されたのは、今から二十数年前の春のことです。
 マンハッタンから飛行機とバスを乗り継いでやっとたどり着いたバス停で、迎えに来てくれたP教授の最初の言葉はこうでした。
「アナザーニューヨークにようこそ!」
 別なNY。NYであってNYでない。
 NYとは言っても、マンハッタンまでは車で八時間もかかるのに対し、カナダへは一時間足らずで行ける北国の田舎町です。NYという響きから連想する都会的なイメージは、車窓に延々と続く『おお牧場は緑』そのものの風景を見た時、「これはちょっと違うかも」。そして、教授のこの一声はイメージを完全に塗り替えるものでした。
 カナダとの国境線に近い田舎町。僕が滞在した一年半間にも国境がらみで結構いろいろな事がありました。「国境には人生のドラマがある!」なんて、三十八度線やかつてのベルリンの壁などのような国境線もあるでしょう。しかし、この平和な国境線にはそんなドラマチックなものもロマンチックなものもありません。ただ、僕にとっては忘れられない国境線なのです。今回、この国境線にまつわるエピソードにおつき合い下さい。

 当時僕は三十歳前でしたが、妻と既に子供二人いました。海外赴任の場合、半年後にならないと家族を呼び寄せてはいけないという会社のルールがあります。しかし、ど田舎なので独り身だと身を持て余してどんな悪い遊びを覚えるか分からない、などと人事部に変な脅しをかけ、この期間を四ヶ月にまけさせることに成功しました。それでもしばらくは単身生活です。
 この単身の期間はホームシックで寂しく暮らしていました、というのはもちろん嘘で、隣に住んでいた同じく単身赴任の増島さんとアメリカンナイトの探求に余念がありませんでした。
「おーい、中華料理食いに行こうや」
 着いて早々、増島さんから誘いの声です。増島さんは公立の研究所から派遣されたポスドク研究者で、僕より十歳も年長のオッサンですから、疲れていても時差ぼけでも誘われたら断れません。
「えっ、中華ですか? どこにあるんですか?」
 さほど広くないM町です。着いてすぐにダウンタウンだけは隅から隅まで足で廻り、マクドナルド、バーガーキング、ケンタッキーフライドチキン、ミスタードーナッツ、ピザハットと二、三のステーキレストランは把握していましたが、中華料理にはお目にかかっていません。
「ちょっと川を渡ればね」
「川って? ああ、セントローレンス川ですか。でも、あっちはカナダじゃないですか」「きみ、晩飯をカナダで食ってはいけないという法律でもあるのかね」
 というわけで、車を走らせること四十分、国境の橋に着きました。
 カナダ側のイミグレーションで車を降り、パスポートを持参してオフィスに行きます。ここで係官からヴィザの印を押してもらうのです。
「カナダ滞在の期間は?」
「今晩だけです」
「滞在の目的は?」
「晩飯を食いに」
「それだけかね?」
「ええ、それだけです」
 こいつら、一体何を食いに行くんだ? という顔をして係官は僕らを見ています。
「中華料理です。ここの中華料理店は有名ですからね」
「おお、そうかね。せいぜいディナーを楽しんできなさい」
 そう言うと大きなスタンプ音をさせ、ヴィザ印を押してくれました。
 やたらにセロリの多い中華料理はお世辞にも美味いというものではありませんでしたが、ステーキやハンバーガーに飽きた口にはとても新鮮で、この後もこういう調子で何度か晩飯に足を運びました。
 食って呑んで腹を満たしての帰りは、今度はアメリカ側での再入国の手続きがあります。これは、カナダから何か持ち込む物はないか税関としてのチェックです。高速道路の料金所みたいに、車から降りないでパスポートを見せるだけの簡単なものですが、時と場合によっては車の積み荷を全部調べられる可能性もあるのです。
 以前、モントリオールから高価なワインを買って来て取り上げられた日本人がいると聞いていました。酒は要注意アイテムなのです。
 ちょっと話は逸れますが、アメリカという国、酒税は日本ほど高くはないのに、酒に関しては妙に神経質なところがあります。僕も、スーパーでビールを買おうとした時レジで止められた経験があります。「えっ、何で?」と思っていると、レジのオバサンは手を休めてどっか別な方向を見ているのです。暫くそのまま待っていると、急に「オーケー」とか何とか言ってレジを打ち始めました。オバサンの視線の向こうにある店の大時計の針は、ちょうど正午を指していました。つまり、午前中は酒を売ってはいけなかったのです。
「この呑兵衛ジャパニーズが。神聖な午前中から酒を買いに行くやつがあるかよ・・・・・・まあ、この国は禁酒法があったくらいだから、その名残があるんだがな」
 そういう増島さんの解説に妙に納得したものです。
「・・・・・だから、アメリカに酒を持ち込むと即取り上げられるぞ、そのくらいならまだマシで、日本に強制送還ってこともありうるからなぁ」などと脅しに入る増島さん。
 アメリカというと何でもかでも自由というイメージがあるけれど、映画のR指定の厳格さにも見るように、ちゃんと締めるところは締めてるんだなぁ。それも暮らしてみて初めて感じた事でした。

 外国に一家族で長期間滞在する場合、日本から日用品をいろいろ送ることになりますが、田舎の場合これがけっこう難物です。
 輸送の手続きは全て会社出入りの運送業者がやってくれるというので、こっちは大船に乗ったつもりで気楽に構えていました。しかし、これが大変な間違いであると気付いたのはずっと先の事です。
 運送業者が自宅までやってきて、一立方メートルぐらいの木箱に入るだけ詰めて下さいと言われたので、インスタントラーメーン、味噌、醤油、調味料、お茶・・・・・・など思いつくままにどんどん詰めていきました。船便で二カ月もかかるわけですから、当面必要なものはこの箱に入れるわけにはいきません。必然的に、大半が向こうでは買えそうにない食料品になりました。それも日本食の材料です。
「まあ、余れば日本人の方に分けてあげればいいじゃない」と妻も気楽です。
 これを発送したのが三月末ですから、二ヶ月後は五月末、ちょうど向こうでの生活にも慣れ始めた頃に荷物が着く予定でした。
 ところが、セントローレンス郡のM町に着いてすでに一カ月半、六月も半ば過ぎよういうのに荷物が届く気配はありません。
 そろそろ、荷物の事が心配になってきた頃、大学の方に一通の郵便が届きました。荷物の事についての通知らしいのですが、難しい英語で何が書いてあるのかさっぱり分かりません。英語力の無さを嘆いていても始まりません。こういう時は聞くのが一番。P教授秘書のK夫人に手紙を見てもらいました。
「ジュン、あなたの荷物がニューヨークの港に置きっぱなしになってるそうよ。今月いっぱいに取りにこないと処分するって言ってるわ」
 老夫人はていねいな口調で恐ろしいことを言う。
「えっ! ニューヨークの港って? マンハッタンの?」
「そうね、マンハッタンに近いわね」
 同じニューヨーク州とは云え、わがセントローレンス郡からニューヨークの港までは高速をとばしても八時間はかかる距離なのです。しかも、一立方メートルの荷物は乗用車一台ではとても納まる量ではありません。
「あの運送屋め、ちゃんとここまで届けるって言ったはずじゃないか! これじゃぁ契約不履行だよ。まったく、もう……」
 ボクがぶつぶつ言っていると、K夫人がアドバイスをくれました。
「ニューヨークの港止めという契約になってるみたいね。ここまでは、ニューヨークの運送業者に頼むしかないわね。わたしに探して欲しい?」
「ありがとうございます。でも、うちの会社のニューヨーク事務所で全てやってくれると思いますから直ぐ連絡をとってみます」
 会社の事務所の人は別に驚いた様子もなく、ニューヨークの運送業者の名前と電話番号を事務的に教えてくれただけでした。あとは自分でやりなさい、という実に大人の態度なのです。事務所で全部やってくれるだろうという甘い考えは、このやりとりで吹っ飛んでしまいました。これからは全部自分でやらないといけないんだ。
 気を取り直して教えてもらった運送屋に手紙を書き、デポジットと一緒に送りました。それで終わったと思ったら、とんでもありません。実際に運んでくれるのはまたそこの下請けの運送屋で、その下請けからも運賃を請求され、何度かやり取りを続けるうちに、更に一カ月が過ぎて行きました。その間、不安でした。荷物が港で廃棄処分になってやしないかと。
 夏真盛りという暑い日、今度は国境のあるO町の税関から手紙が届きました。やはり難しい英語でしたが、今度はK夫人の助けを借りずに何とか内容を理解できました。
『貴殿の荷物が届き、当税関で預かっている。パスポートとヴィザ持参で引き取りに来られたし』
「なんでO町なんだよ! ここまで持ってくるという約束じゃないか!
「そりゃぁしょうがないよ。だって、どっかの税関を通らないで荷物を持ち込めるわけないだろう」
 三本目のシュリッツビールを開けながら増島さんが言いました。
「あっ、そうか。そりゃぁそうですよね。増島さんもたまにはまともなこと言いますね」
「馬鹿野郎、オレはいつだってまともだよ」
「じゃあ、まともついでに、明日一緒に税関に行ってくれませんかね。僕の車だけでは荷物が入りきらないんですよ」
「全く調子のいい野郎だなぁ。オレも忙しい身だけど、まあしょうがないか。しかし、このお礼は高いぞ」
「ああ、いいですよ、荷物の中身で好きなものを一つ何でも差し上げますよ」
 増島さんの真っ赤なシボレーと僕の緑のドッジは、広大な牧草地の間を軽快に走って行きました。途中『牛通行注意』の看板が立っていて、道路に糞が点々と転がっています。牛も暑苦しそうに大口を開けて寝そべっている昼下がりです。糞を避けながらずっと百キロで飛ばすと間もなくO町の税関に着きました。
 税関の職員に案内されたコンテナ状の倉庫に、あった! 見覚えのある木箱が。指折り数えて四カ月ぶりの感動的な再会でした。
「やっと来たか、よしよし」
 木箱に頬ずりしたいほどの懐かしさを覚えました。
 僕がうなずくと、それを合図にいかめしい服を着た係官二人が梱包を壊しはじめました。
一人は太っちょデーブ、もう一人は小柄なマッチョという感じ。二人の手際は素晴らしく、みるみる木枠が外され中身が顔を出します。
 風変わりな食料品の山が現れると、二人の係官は同時に「おお!」という感嘆の声を上げました。
「これは、ラーメンヌードル、ソイソース、ソイビーンペースト……」
 僕が一つ一つ名前を言うと、係官は微かな笑みを浮かべながら頷きます。
「全く、日本人ってやつは、こんなものまで遥か太平洋を越えて送ってくるんだ。お笑いだぜ」
 税関職員の顔にそう書いてある気がします。
「すんませんね。こんなつまらんものにつき合わせてね」
 そうは思ったけれど、口には出せません。
 ところが、今まで笑みを浮かべていた係官の顔が一転して急に険しくなりました。白い結晶が入った五百グラムくらいのビニール袋が二つ、箱の底から出てきたのです。いつの間にか、太っちょデーブがしっかりと袋をつかんでいます。袋には何も印刷されていません。
「あれ? これって何だっけ?」
 とっさに僕は何だったのか思い出せません。税官吏は鋭い目つきでボクの方を睨んでいます。空気は凍りつき、ぴりぴりとした緊張感が走りました。
 と、その時、増島さんがもう一つの袋を破り、中身の粉を一度二度舐めたのです。
「ああ、これ、味の素だよ」
「味の素? ……ああ、そういえば女房が業務用のものをどっかから仕入れてきて入れたんだ」
 僕はやっと思い出すことができました。
「オーケー、これは日本製の『アクセント』ですよ」
 味の素に似た調味料で、『アクセント』という商品がアメリカのスーパーで売られているのを数日前にたまたま見つけて知っていたのです。
 増島さんは「舐めてみます?」という感じで、太っちょデーブに少量の白い粉を渡そうとしましたが、「もう、いいよ」と言う感じで首を振りました。二人の係官の顔は元の笑顔に戻っていました。
「増島さんにはすっかりお世話になりましたね。約束通り、どれでもいいですよ取って下さい」
「そうだよな。ありゃぁ、どうみてもヤバイよ。俺がいなかったらヘロインか何かと間違えられて今頃は冷たいブタ箱だろうぜ。じゃぁ遠慮なく、と言ってもあんまり金めのものはなかったからなぁ・・・・・・そうだ、金めのものといえばやっぱりこれだろう」
 増島さんがつかんだのは、小豆の袋でした。
「だって、赤いダイヤって言うだろ」
「ああ、なるほどね」
「おい、今夜はスティーブなんかも呼んで赤飯パーティーにしょうぜ」
「赤飯なんて作ったことないですよ」
「まかしとけって」
 夕方やってきたのは、僕と同僚のイギリス紳士スティーブと台湾からやってきている大学院生のチャンです。こうして、日本から送った赤いダイヤは全て四人のお腹に収まったのです
 ずっと後になって、妻が「餡子が食いたい! 小豆は何処へ行ったの!」と喚いても後の祭りでした。
 
 普段はのどかな国境線ですが、何か国際的な事件が起こると、突然ピリピリとした緊張が走ります。
 同じ大学の数学科の院生であるの岩城くんとモントリオールに出かけた時のことです。カナダのイミグレーションに入ると、当にその時はいつもとは違う緊張感で空気が張りつめていました。
 いつもは印を押すだけの係員にいきなり車を開けさせられ、トランクはもちろん座席のシートまで一枚一枚丹念に捲って念入りに調べられたのです。 
「何があったんですか?」
 やっと顔を覚えた係官をつかまえて聞くと、何でも、日本赤軍が数人、アメリカ経由でカナダに潜入しようとしているというのです。
「あっ、岩城、お前のその長髪のせいだよ」
 岩城くんは、かつての学生運動の闘士のように、長髪に破れジーンズというスタイルでした。
 車の中からは、もちろん、武器など怪しいものは何も見つからず、無事に通過することが出来ました。
「ああ、ヤバかったですよね」
「何で? ヤバい事なんか何もないだろ」
「いえ、いつもならハッシシもってるから」
「おいおい・・・・・・ところで、赤軍派ってーと、フーちゃんがこっちに来てるんかなぁ」
「フーちゃんって? 知り会いですか?」
「いや、会ったことはないけどさ。きみ、重信房子、知らないの?」
「うーん、どっかで聞いたことあるような」
「フーちゃんはね、我々全共闘世代の最大のアイドルなんだよ。可愛かったんだよ。週刊プレーボーイにも載ったんだから」
「へーえ?? ヌードが、ですか?」
「ばか者、フーちゃんが脱ぐもんか」
 こういう会話を交わしてから二十年後の昨年、大阪で逮捕された重信房子の姿を見て、あの時代が完全に終わったことを悟ったのは、きっと僕だけではないでしょう。
 おっと、この件はまた別な機会にゆずるとして、話を二十年前に巻き戻しましょう。
 岩城くんと訪れたモントリオールでは、間もなくやってくる家族のために、チャイニーズタウンで食器や食材を大量に購入しました。この中でひときわ大きな買い物が、底の丸い中華鍋です。
 帰りのアメリカ税関では、白い粉騒ぎでお世話になった太っちょデーブにまた会いました。僕がおどけて中華鍋を頭に被って見せると、向こうもコンバットの真似なのか手榴弾を投げる格好をしました。
「中華料理店でも開くのかい?」
「ええ、そうなんです。開店したら必ず招待しますよ」
「おお嬉しいね。くれぐれも『アクセント』は入れすぎない様に頼むよ」

 夏が過ぎ、もうすぐ紅葉という頃、妻と子供たちが到着し、僕の独身生活は終わりを告げました。家族と過ごすアメリカの田舎は単身で住むのとまた違った顔を見せます。
 しかし季節は冬。雪国の冬は長く、大半を屋内で過ごすことになります。パーティを頻繁に行い、招いたり招かれたりというソシアルライフを楽しんでも、何ヶ月も続くといささか飽きてきます。
 一月も半ばはちょうどそういう時期です。それに、こういう最も寒い時期にこそ暖かい場所でバカンスを過ごそうと考えるのは当たり前のことです。家族もこのバカンスを心待ちにしていました。
 ニューヨーク港からカリブ海への豪華客船クルーズという案が一番魅力的に思えましたが、四才になった娘の船酔いが心配で断念し、替わりに旅行代理店で勧められた、フロリダのオーランド一週間というツアーに参加することにしました。
 ツアーを企画しているのがモントリオールの旅行会社なので、我々家族以外は全員カナダ人なのです。アメリカに住みながら、カナダから飛行機に乗りアメリカの観光地に行くという、ちょっとややこしいツアーとなりました。
 吹雪の中を国境を越えモントリオールへ。空港の駐車場で防寒衣を車の中に放り込み、すっかり軽装になった我々家族四人は飛行機に乗り込みました。雪のドーバル空港を飛び立った飛行機は、二時間弱でオーランドに着き、そこでまたアメリカ入国の手続きをしました。
 ディズニーワールド、シーワールド、サーカスワールドなどのテーマパークをはしごしながら存分に楽しみ、一週間はあっという間に過ぎました。
 帰りの飛行機が遅れたせいで、モントリオールに着いたのは深夜になってしまいました。空港の駐車場で一週間放置されていた僕のドッジは、すっかり凍えていました。エンジンをかけると、最初に少しセルモーターの動く音がしただけでそれからはウンともスンとも言わないのです。
「あっちゃぁ、バッテリーがイカれたみたいだ」
 妻も不安げな視線を返してきます。すでに深夜の一時を回り、その時間では空港のホテルでもチェックインは無理なのです。
 その時、近くに止まっていたタクシーの運転手が近づいてきて、窓を叩きました。
「どうしたんだい?」
 事情を話すとトランクからケーブルを取り出し、自分の車のバッテリーに接続してくれるという。これはありがたい。地獄に仏はカナダにも居たのです。
 こうして無事にエンジンがかかりました。
「サンキュー」
「十五ドル」
 明瞭な言葉と一緒に、太い丸太のような腕が伸びてきたのです。
「はっ??」
 一瞬分からなかったのですが、直ぐに事態がのみこめました。この親切は只ではなかったのです。バッテリーは繋いでくれただけで十五ドルは高いよ! と言いたくなりましたが、相手は有無を言わさぬ迫力があります。僕は渋々払いました。
 ともかく僕のボロドッジは動き出しました。しかし、駐車場の出口で料金を払おうと停車したところエンストを起こし、ここでまた起動不能になってしまったのです。もはや再びタクシーの運転手を探して・・・・・・という気は起こりません。
 数十分後にはレッカーに運ばれて近くのガレージ(修理屋)にいました。そこで本格的に充電すること三十分、それでもバッテリーは生き返る気配はありません。
 ガレージのオヤジは、何かブツブツ言いながらバッテリーの蓋を開け中に木切れを突っ込みました。シャーベットをかき回すシャリシャリという音が聞こえます。そこに本来入っているべき液は、零下三十度という寒さで結晶化したらしいのです。すると、オヤジは何を思ったのか、飲みかけのコーラをドボドボとそのバッテリーの中に注いだのです。
「おいおい、そんなもの入れて平気なのかよ」
 英語でそう言ってもオヤジには通じません。そうです、モントリオールのあるケベック州の公用語はフランス語なのです。
 オヤジは再び充電を始めましたが、案の定、何の改善も認められることはありませんでした。
「こいつは、もう駄目だよ」
 身振りでそう言っているのは分かりました。でも、どうすればいいのよ。時計は午前二時を回り、さっきから眠っている二人の子供を抱えて妻も疲れきっています。
 その時、ガレージに警察官が入ってきました。当時のTVドラマ『マックロード警部』に似た長身で誠実そうな感じの人です。事情を言うと彼が通訳をかって出てくれました。
「このバッテリはもはや死んでいる。新しいのに替えるしかないと言ってるよ」
「そうですか、分かりました。では、新しいのに替えて下さい。で、新品のバッテリーはいくらなんですか?」
「八十ドル」
「八十ドル?! それは高いでしょう。アメリカなら四十ドルで買えますよ」
「いや、これがここの相場だよ。嫌なら買わなくていいそうだよ」
 完全に足元見た価格です。『善良なマックロード警部』はそれを知っていながら何も言わないのか! かなり不満でしたが、このバッテリーを買うしか他に選択肢はないようです。僕は八十ドルを支払い、新品に交換してもらいました。
 セントローレンス郡の家まで三時間の道程です。しばらくはカナダ側の国境線を走ります。外は激しい吹雪、気温もおそらく零下二十度はあるでしょう。幹線道路とはいえ厳冬の深夜、すれ違う車もありません。
 もし、再びエンジンが動かなくなったら・・・・・・という想像が浮かびます。おそらく、この寒さの中では数時間も持たないで凍え死んでしまうでしょう。車の中で一家四人凍結死! 日本で見た海外ニュースの映像が目の前に現れます。あの頃は「何でそんなばかなこと」と思っていた事がすぐ目の前にあるのです。
 恐怖がじわじわとせり上がって来て、ハンドルを握る手が汗ばみ、身体は緊張で硬くなっていました。妻と子供たちは、そんな僕の緊張も知らず、リアシートで軽い寝息をたてています。
 僕はいよいよ息苦しくなって路肩に車を停め、何度か深呼吸をしました。その時、何かのはずみで突然エンジンが止まったのです。 急にやってきた静寂は更に一段と恐怖をつのらせるものでした。妻も驚いたらしく、ガバっと身を起こしました。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない、大丈夫だ」
 そう言いながらエンジンを掛け直しました。セル音は元気良く鳴りましたがかかりません。この後の数分間のことは何も覚えていません。汗だくになりながら必死でキーを廻していたのでしょう。「かかれ、かかるんだ!」とただひたすら祈っていたような気もします。何度目かにやっとエンジンがかかった時の安堵感、それは一生忘れられません。
 それからは、家に着くまで絶対に車を停めないと心に決め、国境線をひたすら走り続けました。
 通り慣れたアメリカ側のイミグレーションに着く頃には、空が白々とし始めてきました。さすがに、ここでは車を停めないわけにはいきません。
「おはよう。フロリダから帰って来たにしては青白い顔じゃないか」
 お馴染みになった税官吏、太っちょデーブが僕のドッジを見つけてやってきました。
「そうなんです。この寒さにあたって一晩ですっかり色が褪めちゃったんですよ」
 フロリダから買ってきたオレンジの袋を見せながら、僕は硬直していた躰がやっとほぐれていくのを感じていました。
「冬は、フロリダとここでは天国と地獄だもんな」
「まったくですね」
「ところで、さっきからフローズンレインが降ってるから、十分気をつけて行きなよ」
「フローズンレイン? 氷雨?」
 日本でいう氷雨は、氷のような冷たい雨という意味であって決して雨が凍っているわけではありません。しかし、フローズンレインとは本当に雨が凍っているのです。では、雪や霰とどう違うのか? これらは上空で凍って結晶や塊になって降ってくるわけですが、フローズンレインの場合、上空では雨だったものが地上近くになってから急速に凍るのです。すると、どうなるか? 地上にあるもの全ての表面が氷で覆われたようになるのです。道路は当にスケートリンク状態です。スケートリンクでは、スノータイヤもスタッドレスタイヤもものの役には立ちません。
 空が明るくなってくるにつれて、この状況の凄さが自分でも理解できました。分かってくると、それまで百二十キロのスピードで走ってきた自分の無謀さに戦慄しました。ああ、無事で良かった。
 ハンドルをとられながら、お尻を振りながら何とか自宅のあるトレーラーパークの入り口まで辿り着きました。そこで安心したのか、急にハンドルを切ったら見事にスピンしました。
 このスピンでずっと眠っていた娘が目を覚ましました。
「おはよう! ヒロコね、ずっと夢で踊ってたみたい。クルクルクルクル廻ってたわ」
 僕と妻は思わず顔を見合わせ、吹き出しました。
(つづく)
(初出:2001年04月)
   1 2 3 4 5
登録日:2010年06月15日 16時48分

Facebook Comments

水瓶ジュンの記事 - 新着情報

  • まだまだ続く米国運転事情 もう一つのNY物語「第五話」 水瓶ジュン (2015年05月23日 20時09分)
    今度はバック時に横の車にぶつけてしまうという不注意事故を起こしてしまた著者。なんとか無事に手続きを終えると、増島さんは「「この国は全てが金、金で解決するお国柄なんだよ」と自説を披露。もうひとつの面倒は帰国する際に車をどうするかでした。アメリカの車事情。(エッセイエッセイ
  • ペーパードライバーの試練 もう一つのNY物語「第四話」 水瓶ジュン (2015年05月12日 13時44分)
    数十年前のアメリカ・ニューヨーク。車社会のアメリカでは、とにかく車がないと話になりません。排気量4400cc・V8のドッジ・コロネットを譲り受け、ペーパードライバーの著者が体験したエピソード。(エッセイエッセイ
  • 硝子の櫛 水瓶ジュン (2010年06月15日 16時59分)
    病室で花札に興じる根田とマサ江の賑やかなコンビ、それに助監督の仕事中に怪我をして幾度目かの入院をしている彰。おかしな十三号室に四人目の入院患者がやってきた。車椅子に乗って現れた少女と彰、出逢いのストーリー。(小説現代

エッセイ/エッセイの記事 - 新着情報

  • 川内村ざんねん譚(11) 西巻裕 (2017年07月30日 15時57分)
    田舎暮らしと都会暮らしではプライバシーの考え方にずいぶんと違いがある。田舎では何でもお見通しで、一見さんにはちょっと考えられないようなことまで筒抜けなのだ。まるでヌーディストクラブのような田舎の気持ちよさにあなたは浸れるだろうか!?(エッセイエッセイ
  • 吾輩は司書である(29) 麻梨 (2017年04月19日 16時47分)
    外面はスペックの高い女子二名。ひとりは腐女子でもうひとりはダブルパンツ。見抜けるモノはそうざらにはおるまい……。人は見かけによらないというお話。(エッセイエッセイ
  • 川内村ざんねん譚(10) 西巻裕 (2017年01月19日 11時15分)
    東日本大震災を知らずに逝ったアサキさんを偲び、川内村の人間関係や生活を綴る。(エッセイエッセイ

エッセイ/エッセイの電子書籍 - 新着情報

  • 吾輩は女子大生である 麻梨 (2014年07月19日 15時04分)
    女子大生、麻梨の日常と就活、就職までを記した悪ノリエッセイ22編。下着ドロにあった友人とその後の行方、理解してもらえない趣味など日常のあれこれに始まり、企業説明会、「お祈りメール」こと不採用通知について、「私服でお越し下さい」という面接などの就活エッセイも。「初めて人にいうんだけどさ」と前置きされて、なぜか性癖をカミングアウトする友人たち、人泣かせの彼女たちを潜りぬけ、見事、内定をつかめるか麻梨!(エッセイエッセイ
  • 作家の日常 阿川大樹 (2014年03月29日 20時06分)
    「D列車でいこう」「フェイク・ゲーム」などの著作で知られる人気作家、阿川大樹氏のエッセイ「作家の日常」。オンラインマガジン騒人で連載されていた当作品に、第0回「小説家の誕生と死」――小説家になる前のエピソードを加えて再編集しました。小説家に必要な資質、仕事場・道具、編集者とのつきあい、印税と原稿料についてなど職業作家の日常を赤裸々に告白。氏のファンだけでなく、小説家を目指している人や作家という職業に興味のある方にもオススメのエッセイです。(エッセイエッセイ
  • ワールドカップは終わらない 阿川大樹 (2010年06月13日 17時23分)
    熱狂と興奮の中で幕を閉じた2002FIFAワールドカップ。日韓同時開催のワールドカップとして記憶にも新しい。ジャーナリスト/エッセイストの阿川大樹が1年半の取材と20日間のボランティア、5試合のスタジアム観戦を通じ、舞台裏、客席、オフィスや街…、多角的な視点で「事件」としてのワールドカップを描く。
    価格:315円(エッセイエッセイ

あなたへのオススメ