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北岡万季
著者:北岡万季(きたおかまき)
猫科ホモサピエンス。富士山の麓で生まれ、瀬戸内海沿岸に生息中。頼まれると嫌と言えない外面の良さがありながら、好きじゃない相手に一歩踏み込まれると、一見さんお断りの冷たい眼差しを、身長165センチの高さから見下ろす冷酷な一面も持ち合わせる。これまで就いた職業は多種多様。現在は娘の通う私立小学校の役員をしつつ、静かに猫をかぶって専業主婦として生活している。
エッセイ/エッセイ

隙間すきま

[読切]
夫の留守にパソコンを使い始めた主婦が、イケナイ空間へと迷い込んでいく。家事を忘れ、育児を忘れ、そして主婦ということすら忘れて没頭するバーチャルな世界。心の隙間に気付いたとき、主婦はどうやってそれを埋めてゆくのか。
「やけに空が青いじゃないの」
 半分ヤケクソで、Gパンをぱんぱんと叩いて干す。
 私には、夫と娘が一人。夫のおかげで「妻」として充実し、子供のおかげで「母」として活躍する日々幸せな生活。でもね、「○○さんの奥さん」「○ちゃんのママ」「オイ」「ねぇ」「ちょっと」ちゃんと名前があるのにそう呼ばれるのって、もういやになっちゃうのよ。
 結婚前は、夫も私の名前をよく呼んでくれたのに「家族」になっちゃうと仕方ないのかな。なんだか「母」と「妻」は満腹だけど、「女」がスッコーンと抜けて隙間ができちゃった感じ。そういえば、最近ため息が多いなぁ。
「あーあ、家にいるにゃあ、もったいない天気だぁ!」
 思いっきり手を広げて背伸びをする。青空が隙間を突き抜けていきそうだ。
 さて、掃除機かけるか。

■[件名:とうとうしてきた]

ある日、一通のメールが届いた。
「とうとうしてきたぁ?」
「なにをしてきたんだろ?」
 メールの送り主は、チャットで知合った35歳の主婦。「主婦ダチ!」(主婦の友達)と、意気投合してメールのやり取りが始まった。名前以外なにも知らない友達。そう、よくある話しよね。
 で、話ているうちに、時々えっちな話題にも及ぶようになっていたわけ。向かい合って話をするには「ちょっとなぁ」って話しが平気でできちゃう。こういう場合、顔が知られていないのがよい。近所の主婦ダチになんて危なくて話せやしない。

 世の中同じことを考えている主婦が多いのか、はたまた偶然か、彼女も一緒だった。
 何が一緒かって? そりゃ「夫婦」における「男女」の関係以外になにがあるっていうのよ! 夫としての彼には満足してるし、感謝もしてる……でも、なにか足りない。私といっしょ。

 彼女のメールを、わかりやすく箇条書きにするとこういうことになる。

(1)チャットで、どこぞの男と話し、意気投合して個室にGO!
(2)毎日個室で話しているうちにチャットエッチをする仲になる
(3)メールアドレスを教えあう
(4)メール交換が始まる
(5)相手の男がデジカメで写真を送ってきた
(6)彼女もデジカメを買って(金持ちぃ)自分の写真を送った
(7)お互い気に入った! とすると、あいたくなった
(8)秘密会議
(9)あっちゃった。そしたら……
(10)やっちゃった!

「ひょおおおおおおおおお」
 意味もなく立って座りなおした。
「先を越されたのかぁ?」
 念のため申し上げますが、やっちゃおうって競ってたわけじゃないよ。
 でもね、メールで話しているうちに
「そうなったらどうする? うへへへぇ」
 的な話しはしてたわけよ。でもまさかねぇ、彼女が本当にやってしまうとは。

「ふんふん」
「うっそぉーーー」
「きゃーーーーーーーー」
 マウスが汗をかいている。一気にメールを読みきった。
「はーーーーーーーーっ」
 いつも彼女が送ってくるメールの数倍はあった超ロングメール。それも……濃すぎる。消さなきゃ! 旦那に見られたら大変だわさ。……でも一応プリントアウトしとこっかな。へへ。
 隙間家具って知ってる? 「ほ−ら、今日からあなたも収納名人!」って勝ち誇ったキャッチコピーのアレです。
 心にも隙間があるとしたら隙間家具を置きたくなるじゃない。何しまう? 考えるだけでも楽しいねぇ。のほほほほ……。
 隙間ができる場所もいろいろ。私でいうなら「妻」って家具と「母」って家具を並ベたときにできた「女」って隙間。結婚記念日を重ねるうちに少しづつできた隙間。

 ある日突然、それに気付いてしまった私。
 隙間家具を置いて何かを入れたい。そうすれば、きっと楽しい。

 ある昼下がり、一人でテレビ見てたらパソコンが呼ぶのよ。
「奥さーん、インターネットなんで見ないの?」
「おもしろいよぉ……一度来てみてよ」
「私、機械モノは苦手なのよ。詳しいこと、わかんないしさ」
「ヘーキヘーキ。どこの奥さんもみーんなしてるからさぁ」
 ホント? そうなの、どこの奥さんも? じゃ、してみちゃう?
「あらまぁ!」
 イッパツで虜になっちゃったわけです。
 小さい世界が、満天の星空のように無数に広がっていました。
 えっと、園芸、育児、通販、それとそれと、なに見よう。他にはなにがあるの?
 へ、なにこれ? チャット? なにハンドル名を入れる? テキトーな名前かぁ。ふんふん。こうして、こうやって……でーきた。

 ハマる。

 電話料金なんてすっかりふっとんで(請求書を見て再びとんだ)、仲良くなった自称男性と個室にも入ったりしちゃいました。こっちの素性が知れないぶんだけ大胆にもなれるってモンです。
「きゃーーーーーー」
「まじまじまぁじぃーー?」
「そ、そんな、いきなりっ! ああっ!」
「でへへっへへぇ」
 燃え上がる「非現実的大人の秘密な関係」。

 例の主婦ダチは、その先をいってしまったわけですね。
 彼女によると、(1)と(2)はその場の勢いでイケてしまうらしい。これは私にも想像の及ぶところだ。いざ(3)となると、ちょっと夫の顔がよぎったとか。
 メールアドレスは夫と共有。となるとヘタな時間にメールを送信されちゃマズイ。相手の男とお約束事なんてぇのを取り決める。
「この時間以外は送らないで。約束よ、絶対守ってね、お願いよ」
 相手の男とのあいだに「二人だけの秘密」がふえる。
 激しく燃えるための必須アイテムですな。
 これは円満な家庭を維持する意志のある人には大切なことですね。カンペキを望むのなら、夫を騙すのもカンペキでないと。
 (4)が始まった。相手がメールに写真をつけてきたぞ! こりゃ、こちらとしも送らねば……ってんで、デジカメをポンと買っちゃったとか。
「意外に安かったのよ」
 あそ、安かったの。う、うちも欲しいなぁ。
 (6)(7)もトントンと終わり、(8)を飛ばして、(9)が一番緊張するわけですね。初めてみるお互いの「生顔」。その二人の頭上をパタパタ飛びまわるあのときの「あの言葉」「この言葉」。しばらく無言でニヤつくだけの二人。それでね、(10)が一番、気持ちよいのはいうまでもないんだけど、それは体のお話し。精神的に一番燃えて燃えて燃えあがるのが、誰にもいわずに(いえないっつーの)相手の男と、手を取りあって計画を立てる(8)が鳥肌が立つほどいいんだと彼女はいう。
 相手の男とは“適度”なご近所。お互いに既婚者。守るべきものは同じである。
 この魅惑的な難関突破のために受験勉強以来真剣に取り組み、そしてばっちり遂行され、この度めでたく私への報告メールとなったわけです。

 いつものチャットで彼女を発見した。もちろん個室に連れ込む。事情聴取してやるっ。
「ねね、その後相手の男とはどうなったの?」
「別に何にも。ときどきメールがくるよ」
「それだけ?」
「そうだよ」
「また会おうとかさ、約束なんてしなかったの?」
「ないない!」
「うそ〜、はけ! はくんだぁ!!」
「だって、相手のことは、ほとんど知らないもんね」
「へ?」
 あっけらかんといわれてしまった。私は一体なにを期待していたの?
 なんとお互い名字は知らないというのだ。全ての連絡は「電子メール」が使われ、電話番号を教える必要もなく、教えてくれともいわれなかったとか。
「燃え尽きたってわけ?」
「そうかなぁ、ちょっとちがうよ」
「じゃ、もう会いたいって思わないの?」
「独身だったら、名字と電話番号くらい聞いたかもね」
「やっぱ、割り切んないと。こーいうのはさ」
「必要以上のコトは聞かないのよ、そのほうがいいの」
「いくら聞きたくなっても……ね」
 最後の一言がやけに女っぽいじゃないの。悔しいけど返す言葉がない。

 その後の彼女は、いつも通り普通に暮らしているみたい。
「不思議とさ、夫に対して罪悪感がないのよねぇ。不思議よぉ、相手に遊ばれたとか、遊んだとか、そんな気持ちにもならないし。んーなんていうかなぁ、そうねぇ、ごちそうさまって感じかなぁ」
「ごちそうさま、だあ?」
 相手の男も同じ気持ちだったのだろうか?
 お腹が空いてレストランに入り、自分の望む料理を注文し、そして食べる。
「ごちそうさま」
ひとつの欲求を満たして、つまようじでシーシーしているんだろうか?
 そのときは彼女の言葉にあきれもしたが、考えてみれば、彼女はそれで自分の心にできた「隙間」を満たしたんだと思う。日常の生活の中で目に触れて彼女の気持ちを惑わすことなく、かといって消えてしまうこともなく、密かに思い出しては微笑むことのできる……彼女にしか開けられない、「心の隙間家具」にすっぽりと収まっているらしい。

 私?
 私の心の隙間は相変わらずそのまま。
 でもね、ため息の数は減ったわよ。

 最近、私宛てに自称男性からのメールが来るようになった。もちろん夫には内緒。秘密のメールは夫が帰宅する頃、全てが私の「心の隙間家具」の小引き出しに移され、そして画面からは消えて行く。

 さて……と、これからどうしよう?
 べつにあせる必要もないし、時間をかけて楽しみながら、少しずつ隙間をうめてみるのも悪くない。
そして彼女のように、小粋にサラリと
「ごちそうさま」
 そういえるように。
(了)
(初出:1997年10月)
登録日:2010年06月21日 17時57分
タグ : 心の隙間

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