騒人 TOP > エッセイ > エッセイ > 痛快主婦閑談(5)
北岡万季
著者:北岡万季(きたおかまき)
猫科ホモサピエンス。富士山の麓で生まれ、瀬戸内海沿岸に生息中。頼まれると嫌と言えない外面の良さがありながら、好きじゃない相手に一歩踏み込まれると、一見さんお断りの冷たい眼差しを、身長165センチの高さから見下ろす冷酷な一面も持ち合わせる。これまで就いた職業は多種多様。現在は娘の通う私立小学校の役員をしつつ、静かに猫をかぶって専業主婦として生活している。
エッセイ/エッセイ

痛快主婦閑談(5)

[連載 | 連載中 | 全5話] 目次へ
授業開始のチャイムが鳴ってから15分、加藤君と斉本さんが手を取り合って仲良く教室に入って来た。雑談はやまず、空席はまだ2席ある。授業参観日、いまどきの授業風景と母親の非常識にあきれ果てるのは、なにも作者だけではないはずだ。
■今時の母親たちへ

「加藤君と、斉本さんを知りませんか」
「さっき、トイレのほうにおったぁ」
「2人ともいた?」
「えー、わからぁん」
「それじゃあ、梶君と塚本君を知っている人」
「知らぁん」
「オレも知らん」
 始業チャイムの鳴り終わった教室に空席が四つ。
「ちょっと友田君! どこに行くの」
 友田君は右手でコカンを押さえ、情けない顔を見せながら出て行ってしまった。先生は何かを言いかけたけれど、口から出たのはため息だけだった。
 今日は参観日。教室の後ろに母親たちがまばらに並び、授業が始まるのをじっと待っていた。

 参観日のとき、私は娘の席から遠い場所に立つことにしている。私が側にいると娘は授業に集中せず、何かあるたびに話しかけてくるからだ。
「この字、きれいに書けとるじゃろ」
「ほれ、もう問題ができたけぇね」
「今、先生が言いよるのはここよ」
 そのたびに私は、
「前を向きなさい」
「話はあとで」
「静かにしなさい」
 などと小声で言い聞かせたが大抵3分間しか持たない。とうとう堪えられなくなった私は、彼女の頭を平手でビシッと叩いた。もちろんその場にいた人たちから注目されたことは書くまでもない。それ以来参観日は遠くに立つと決めているのだった。
 しかし娘はといえば、そのことをまったく気にしていない。授業中、それも母親に叩かれたことが少しはトラウマにでもなってくれればいいのだが、今日もこちらを向いてニコニコと私に手を振ってきたので、私は無表情のまま「前を向け」というサインを送った。すると娘は「ひ」という顔をしてカラクリ人形のように前に向き直した。
 それでいい。授業が始まっていなくとも今は授業時間内なのだ。

 数人のまともな母親たちからため息が出はじめたころ、加藤君と斉本さんが手を取り合って仲良く教室に入って来た。加藤君は参観日だったということをすっかり忘れていたらしく、教室に集まったおばさん連中を見て「しまった!」という顔になり、机をかき分けるように自分の席へ戻った。加藤君のお母さんはそんな息子の姿を見て、おでこに手を当ててうつむいてしまった。
 それに引きかえ斉本さんは自分の立場が分かっていない。「おくれちゃった」という慌てた様子も見せなければ、「ごめんなさい」という表情もない。一見賢そうなお嬢さんに見えるけれど、どうやら頭のネジが1本足りないようだ。そして彼女は自分の母親に笑顔で手を振っている。こんな娘を持って親もさぞ恥ずかしいことだろうと母親を見れば、こちらも笑顔で娘に手を振り返している。母親もネジが数本ぶっ飛んでいるらしい。
「お宅のお嬢さんのせいで15分も授業が遅れちゃったわ、あぁ〜迷惑」
 とため息交じりに言ったら、その笑顔はどんなふうに崩れるのか試してみたくなる。
 着席した加藤君は教科書が机から抜けず、机がガタガタと傾くほど引っ張っている。斉本さんはノートが見つからないらしく、とうとう机の中のモノを全部机の上に広げはじめた。

 ふと見れば娘が下敷で顔を扇いでいる。私がわざとらしく咳払いをすると娘の手がピタリと止まった。もう1度これみよがしに「ウォッホ!」と咳払いしてやる。すると娘は静かに手だけを動かして下敷きを置き、そのまま動かなくなった。
 それでいい。今は授業中なのだ。
 向こうの机からは教科書がパサッと落ちると、こちらでは筆箱がガシャッと落ちる。参観日にあきてしまった幼児の泣き声が響き出し、母親たちは雑談をやめず、目の前には苦虫を噛み潰したような顔の女性教師が立っている。
「先生、よく分かりますよ、お気持ちは」
 という心を込めて先生を見つめていた――ら、まるで先生の気分を逆撫でするかのように、突然携帯の着メロが鳴り響いた。慌ててバッグを探る女性4名。握り締めて廊下へ出ていく女性1名。残り3名は「アタシのじゃなかった」というホッとした顔をしていた。
 それを見た数人の母親が一斉に携帯をバッグから取り出し、ボタンを押してカバンに戻した。参観に来るのであれば事前に電源ぐらい切っておくのは常識である。さほど重要な電話が掛かってくるような人たちには見えない人に限って、ウルサ系着信音が最大音量になっていたりするから始末に悪い。
 そのうち参観日の授業の前に、
「授業の妨げになりますので、携帯電話の電源はお切りください」
 なんて校内放送が流れる日が来るのかも知れない。
「言われなきゃできないの? 考えれば分かるでしょ!」
 と子どもにはよく言うくせに、自分のことはまるでダメ。
「何回言われれば分かるわけ?」
 その言葉を今こそ自分に向かって吐け、という感じである。

「それじゃあ、」
 と、やっと先生が口を開いたとき、廊下の奥から男の子2人が転がるように教室に入ってきた。彼等は梶君と塚本君、空席2つの主である。
「やぁだ、もう! どうなっとるん、まったく」
 廊下に立っていた母親2名がそれを見て叫んだ。彼女たちは周囲の母親たちに注目されたことに気付くと、ハッとした顔で、
「あらやだ」
 と小声で言い、そしてまた急いでクチを手で塞ぎ「クックッ」と笑いながらお互いを突つき合っている。おばか丸出しの彼女らは梶君と塚本君の母親だ。
 親子共々仲良しなのは多いに結構、でも時と場合によるだろう。彼等は親子揃って「今は何の時間か」が分かっていない。つまり「今、私は何をしなくてはいけないのか」ということが正しく考えられない人間らしい。親は静かに参観すべき場所で関係のない雑談に興じ、その子どもは休み時間が終わったにも関わらず勝手に遊んでいる。その分かっていない親子同士がくっ付いているのだから、
「ウチもそうだけど、お宅もそうだし。別にいいわよねぇ〜」
 で、何事も一蹴してしまうのだ。
 そして、
「息子が授業に遅れたけど、あの子も遅れたから、別にいいわよねぇ〜」
 というように、問題を問題視しないで放置してしまうのである。
 そのうち、
「息子が万引きして捕まったけど、あの子も一緒に捕まったから、別にいいわよねぇ〜」
 てな状態に発展してしまうだろう。恐ろしいことだ。

 子どもは常識を親から学ぶものである。学校の科目に「総合学習」はあっても「常識学習」はない。先生だって「常識ぐらい家庭で教えろよ」と言いたいに違いない。親が常識ハズレでは、子どもも常識ハズレになるのは必然。もうこうなったら息子たちに「母を反面教師にして育て」とエールを贈るしかないだろう。
 しかしモノは考えようと言うではないか。
「こういう母親が子育てをすると、こーんなとんでもない子どもが育ちますよ」
 という見本だとは思えまいか。
 きっと神さまが、
「母親たちよ、決してこうならぬよう気をつけなさい」
 というメッセージを込めて、まともな母親たちに与えてくれた人間標本なのだろう。そういう目をして見れば、なんともありがたく思えてくるから不思議である。
 先生は、騒がしい廊下にちらりと目をやりながら、机の上に視線を落とした。
「では国語の授業を始めます。当番さん、号令!」
「こぉれぇからぁ、国語のぉ授業をぉ、始めまぁす。れーい」
 牛の遠吠えのような号令のあと、ようやく授業が始まった。
 始業のチャイムから20分が経過していた。

 私が小学生のとき参観日といえば、
「私、手を挙げないと、家に帰ってから怒られるんだぁ」
 なんてことを友達と話したものだ(私の母は参観に来なかったけど)。しかし今の子たちにそんな様子はない。自然体と言えば「のびのび生き生き」というイメージで聞こえはいいが、目の前の光景は自然体というよりは野生的。本能のおもむくままのサル山状態。参観日でこれなのだから、普段の授業はきっと戦慄的なモノに違いない。
 違うといえば母親たちも昔とは違う。昔は厚めに化粧を施した母親たちが、ショウノウ臭いブラウスやスカートに身体をねじ込み、教室の後ろに幾重にも並んで化粧の匂いをぷんぷんさせていたものだ。
 しかし今、それはごく一部。そして化粧も防虫剤も無香料の時代になった。
 もちろん昔のように身だしなみをキッチリ整え、教室に入って静かに参観している親もいる。しかし教室に入らず廊下で無駄話をしている人もいれば、「いま起きた」とでも言うようなスゥエット姿で髪ボッサの人もいる。スリッパを履かずに裸足でトイレ前の廊下を歩いて来る勇気ある人もいる。サッカーのワールドカップの時期には、全日本のユニフォーム(青いTシャツ)姿まで出没した。
「何考えてんの?」
 である。
 最近の親である私が言うのもおかしな話だが、最近の親は何を常識だと考えているの分からない。親が遊びに来るような格好で来てどうするんだと私は問いたい。ここは学び舎であり、主婦向けのオープンスペースではないのだ。
 授業参観は二の次。友達と楽しくお話をして、あわよくば帰りに「お茶でもしちゃお〜っと」という考えの母親が大勢いるように思えてならないのであった。

 トイレに行った友田君が教室に帰ってきた。この時間の長さから推測すると彼はうんコを出していたに違いない。きっと友田君は朝ご飯をしっかり食べてこないのだろう。だからこんな時間にモヨオスのである。
 以前、遊びに来る娘の友達に「朝ご飯はパンかご飯か」と聞いていた時期がある。別にアンケート調査をしていたわけではなく、娘の友達が決まって、
「おばちゃんち、今夜のおかずは何なん?」
 と聞くので、それに答えたあと、
「朝は何食べよるん?」
 とお返しに聞いていただけのことである。彼女たちの答えは、非常に興味深いものが多かった。
「あのね、今日の朝ご飯はシュークリーム!」
 と元気に言った子には驚いた。他にも菓子パンの子もいれば何も食べてない子もいた。 シュークリームも菓子パンもあまり噛まない。もちろん食べない子は噛むことすらない。これでは毎朝健康なうんコが出るわけがないだろう。
 自慢じゃないが、我が家のうんコ管理はカンペキである。
「うんコの管理なんかできるか!」
 という人もいるだろう。しかし特に身体の調子を崩していない限り、人間はうんコを出す時間を決める(習慣にする)ことができる。
 朝起きて何かを食べる、その行為によって脳みそが反応し胃結腸が活動を始め、人間はモヨオスような仕組みになっている(らしい)。だから娘はいつも時間に余裕を持って起き、そしてご飯をよく噛んで食べる。
 噛むことによって脳みそに、
「メシ食ってるぞ」
 という情報を送り、胃結腸活動を活発にしてやるのだ。
 もちろん我が家の朝ご飯は身体と脳みそにいい和食である。また食後にゆとりがあるので、トイレに行く時間も十分にある。さほどモヨオさない日でもトイレに座るようにする。すると人間とは不思議なもので出ることが多い。
 娘はこの方法で毎朝しっかりと出して登校できる。よって、学校で「うんコうんコ」と騒がずに済むのである。友田君もぜひ明日の朝からうんコの出やすい生活に切り替えるべきだろう。

 先生は戻ってきた友田君には目もくれず、黒板に向かって新しく習う漢字を書き、やっと勉強モードに切り替わった子どもたちがそれをノートに写していた。娘も一生懸命にノートに書き込んでいる様子だった。
「ようやく参観日らしくなってきた」
 と深く頷いた瞬間、廊下からケケラケケラと笑声が聞こえて来た。標本母親2名が肩を寄せ合ってまたバカ笑いしているのである。さすが梶君と塚本君の親。自分が常識から外れちゃっているということすら気付いていないらしい。
「うちの子はじっと座ってられないのよ」
 とよく言う母親がいる。でもそういう母親は大抵じっとしていられない人が多い。
「うちの子は、人の話も聞かずにしゃべってばっかり」
 という人もいる。でもそういう人は他人の話を遮ってまで自分がしゃべらないと気が済まない人だ。
「先生の話をちゃんと聞けなくって」
 という親に限って、自分は子どもの話を聞いてやらない。
「ぜんぜん宿題しないのよ」
 という親は、だいたい家事もソコソコに寝転がって煎餅食ってテレビを見ている。
 子を批判する前に自己の姿を改めよと思うのだが、そういう親に限って自分も子どもと同じだということに気付いていない。
 そしてそういう親に限って、
「最近の子ってどうしようもないよね〜」
 と、うちのかわいい娘まで「最近の子」といって括ってしまうから腹が立つ。
「どうしょうもないのよね〜」
 と括ってやりたいのはお前らである。

 キーンコーンカーンコーン。
 なんと授業が終わってしまった。すると目の前の女の子が立ち上がり、
「きーんちゃーんラーメーン」
 と、チャイムに合わせて大声で唄い出した。児童や保護者から笑い声が飛ぶが、先生だけが「またか」という顔をして、
「当番さん、挨拶を!」
 と声を荒げた。
「もう、ウチでもいつもああなんよ!」
 日に焼けた顔の女性が大声で言った。「いつもああなんよ」だから何だというのだ。親子そろってやかましい。私だったら「きーんちゃーん……」の時点で間違いなく娘の頭をぶっ叩いているだろう。
「これぇでぇ、国語のぉ、授業をぉ、終わりまぁす。れーい」
 当番さんの遠吠えで参観日は20分少なく終わってしまった。
 その後、参観に続いて各クラスで懇談会があった。斉本さんはどうでもいいことで先生に噛み付き、梶君と塚本君のお母さんは標本の名に恥じないよう、ひたすらコソコソ喋っていた。先生もこれが児童なら、
「静かに!」
 とでも言えるのだろうが、相手が親では始末に悪い。

 ようやく懇談会が終わると母親たちは廊下に出て、待ってましたとばかり廊下のど真中で井戸端会議を繰り広げる。廊下の端を「やれやれ」という顔の先生が通り過ぎるが、
「さようなら」
 の一言も出ない親は大勢いる。先生はどんな気持ちで職員室へと帰って行くのだろうか。
 先生にさよならも言わない母親たちは、絶好調で喋り続けている。どこそこのランチは値段のわりに美味しかったとか、あそこに新しいパスタ屋がオープンしたとか、クーポン券があるから10%オフになるとかコーヒーがサービスだとか、デザートがサービスになるとか、
「食うことしか頭にないのか」
 と言ってやりたいぐらいである。
 階段を降りると、下駄箱の前でも井戸端会議をしている親が群れている。こちらはバーゲンの話で盛りあがっていた。靴を履き替えながら聞いていると、集合場所と時間、誰の車で行くかを決めている。
「帰りにお茶でもどう?」
 と1人が言うと、その場にいた全員が、
「いいわね〜」
 と声を揃えた。
 せいぜい掃除と洗濯をしっかりしてから行ってもらいたいものだ。

 時計を見ればもう4時。娘はとっくに帰っている時間である。急いで自転車にまたがると、前を母親集団が歩いていた。学校前の狭い路地はその集団で塞がれ、本人たちは喋るのが忙しいらしく、後ろから来た自転車にすら気付かない。私はリンリンと鳴らす勇気もなく、のろのろと地面を足で蹴っていた。迂回しようにも脇道はまだ先にしかない。
「すみません」
 と声をかけようと思ったとき、集団最後尾のおばさんが振り向いたので、やっと通れると思ったら、
「何よあんた」
 という怖い顔をされてしまった。よけてくれるどころか「ついて来んじゃないわよ」とでも言いたげな目で見つめられ、私の全身の力が自転車の後輪にグルグルと巻き込まれていくような気分になった。
「あんたたちが悪いじゃ〜ん」
 声なき声が瞳を潤ませるだけである。
 しかしそんな思いも空しく、その後も集団は公道を違法に塞ぎ続け、大通りに出たところでファミレスに吸い込まれて行ってしまった。

「主婦だって息抜きは大事だもんね。たまには外に出なきゃ」
 と友人はよく言う。
 確かに私もそう思うが、それは「家事をしっかりやっている主婦を労うときに使う言葉」であって、「息抜きが必要なほど家事をしない主婦が自分のために使う言葉」ではないと思う。友人を悪く言うもの気が引けるが、はっきり言って彼女は息抜きが必要なほど家事をしていない。どちらかというと息抜きの合間に家事をしている感じさえする。
 そして彼女は、
「付き合いだからしょうがない」
 を常套句に年がら年中出かけている。出かけている間に学校や幼稚園から緊急の電話があったらいけないと、彼女は最新の携帯電話を買った。
「やっぱり子どもが幼稚園や小学校に行くようになると、携帯が必要よね」
 と言う彼女のライフスタイルを想像すると、その理由はちょっと違うような気がしてならない。友達からの誘いを100%逃さないために携帯を持っている……と言ったほうが絶対に正しいと思えるのだった。
 昼を挟んで外出すれば当然お金を使う。そして誘われれば「お金がないし」とは断われない。だから彼女は毎月月末になると決まってお金がないと嘆いている。そしてその赤字補填に充てられるのは、なんと子どものお年玉貯金なのである。
「お母さんがちゃんと貯めておいてあげます」
 と言って、嫌がる子どもから巻き上げた金だ。彼女の子どもたちはきっとお金は貯まっていると信じているに違いない。しかしあんたたちのお母さんは使い込みの常習犯、それをあの子たちは知っているのだろうか。そして何かに託けて1,500円はするランチを食べに行く彼女を、冷凍食品で埋まった弁当を持たされている夫は知っているのだろうか。

 あの母親たちがフリードリンクバーで何時まで粘るか知らないが、今日の参観は低学年(1〜3年)である。低学年の子どもを放ってまでする話とはいったいどんな重要な内容なのか、私もぜひ一緒にファミレスに同行して聞いてみたいものだが、そんな時間があったら学校での様子を一つでも多く聞いてやろうとは思わないのか。

 自転車をこいで私は家に帰る。そして娘と一緒にお茶を飲もう。
 やがて母になる娘を、あんたたちのような標本にしないために。
(つづく)
(初出:2003年07月)
前へ 1 2 3 4 5   
登録日:2010年06月21日 17時52分
タグ : 主婦 授業参観

Facebook Comments

北岡万季の記事 - 新着情報

  • マツムシは吠える、スズムシはすすり泣く 北岡万季 (2010年09月29日 13時26分)
    晩秋の夜、久しぶりにひとり街へ出てみて驚いた。そこにはいろんな種類の少年たちが、それぞれにうごめいていたのだ。その若者の間をすりぬけて行く著者。自分はも若くないんだと思う彼女が、最後に思ったこととは一体何だったのか。(エッセイエッセイ
  • びば! 同居 北岡万季 (2010年06月21日 17時58分)
    長男の嫁である著者が、とうとうその親と同居を始めることになった。脳天気な夫と、送り出す実家の両親の涙。その狭間で揺れながら知らない土地へ運ばれて行く嫁。その先に待ち受けている姑との関係はいかに?(エッセイエッセイ
  • 隙間すきま 北岡万季 (2010年06月21日 17時57分)
    夫の留守にパソコンを使い始めた主婦が、イケナイ空間へと迷い込んでいく。家事を忘れ、育児を忘れ、そして主婦ということすら忘れて没頭するバーチャルな世界。心の隙間に気付いたとき、主婦はどうやってそれを埋めてゆくのか。(エッセイエッセイ

エッセイ/エッセイの記事 - 新着情報

  • 幸せになるために覚えておきたいこと (1) 井上真花 (2018年01月30日 13時06分)
    「遅刻しそう」と思うだけで冷や汗が出て手が震え始める。これはどこから来るのだろう? つい家を早く出てしまうが、その30分をタスクに割り振った方が幸せに決まっている。「哲学カフェ」を運営するオフィスマイカ社長、井上氏が二分する自分を探求する。哲学エッセイ第一弾!(エッセイエッセイ
  • 川内村ざんねん譚(12) 西巻裕 (2018年01月04日 13時39分)
    原発事故により人がいなくなった川内村を我が物顔で闊歩するイノシシ。かつてジビエ食材として振る舞われたイノシシにも放射能の規制値が設けられ、ほとんど食べられなくなってしまった……のだが。(エッセイエッセイ
  • 川内村ざんねん譚(11) 西巻裕 (2017年07月30日 15時57分)
    田舎暮らしと都会暮らしではプライバシーの考え方にずいぶんと違いがある。田舎では何でもお見通しで、一見さんにはちょっと考えられないようなことまで筒抜けなのだ。まるでヌーディストクラブのような田舎の気持ちよさにあなたは浸れるだろうか!?(エッセイエッセイ

エッセイ/エッセイの電子書籍 - 新着情報

  • 吾輩は女子大生である 麻梨 (2014年07月19日 15時04分)
    女子大生、麻梨の日常と就活、就職までを記した悪ノリエッセイ22編。下着ドロにあった友人とその後の行方、理解してもらえない趣味など日常のあれこれに始まり、企業説明会、「お祈りメール」こと不採用通知について、「私服でお越し下さい」という面接などの就活エッセイも。「初めて人にいうんだけどさ」と前置きされて、なぜか性癖をカミングアウトする友人たち、人泣かせの彼女たちを潜りぬけ、見事、内定をつかめるか麻梨!(エッセイエッセイ
  • 作家の日常 阿川大樹 (2014年03月29日 20時06分)
    「D列車でいこう」「フェイク・ゲーム」などの著作で知られる人気作家、阿川大樹氏のエッセイ「作家の日常」。オンラインマガジン騒人で連載されていた当作品に、第0回「小説家の誕生と死」――小説家になる前のエピソードを加えて再編集しました。小説家に必要な資質、仕事場・道具、編集者とのつきあい、印税と原稿料についてなど職業作家の日常を赤裸々に告白。氏のファンだけでなく、小説家を目指している人や作家という職業に興味のある方にもオススメのエッセイです。(エッセイエッセイ
  • ワールドカップは終わらない 阿川大樹 (2010年06月13日 17時23分)
    熱狂と興奮の中で幕を閉じた2002FIFAワールドカップ。日韓同時開催のワールドカップとして記憶にも新しい。ジャーナリスト/エッセイストの阿川大樹が1年半の取材と20日間のボランティア、5試合のスタジアム観戦を通じ、舞台裏、客席、オフィスや街…、多角的な視点で「事件」としてのワールドカップを描く。
    価格:315円(エッセイエッセイ

あなたへのオススメ

  • 痛快主婦閑談(4) 北岡万季 (2010年06月21日 17時50分)
    たった1匹のミドリガメのお陰で、北岡さんちはてんやわんやの大騒ぎ。その騒動の中で、幼い頃の自分と、目の前の娘が重なって見えた。そんなとき、子育てとは自分の記憶をとりもどすためにあるのかもしれない、と著者は思うのだった。(エッセイエッセイ
  • 痛快主婦閑談(3) 北岡万季 (2010年06月21日 17時49分)
    ただ買い物に出かけただけなのに、どうしてこんなに疲れるのか。その原因は町を闊歩する現代の若者にあった。なぜ君たちはそうなんだ? おばさんには理解しがたいその若者たちに、一言申し上げるエッセイ。(エッセイエッセイ
  • 痛快主婦閑談(2) 北岡万季 (2010年06月21日 17時47分)
    どこの町内にも必ずいる「迷惑な主婦」。しかし、面と向かって文句を言えないのが、ご近所付合いの難しいところなのである。密かに「ご近所付合いラインキング」を付けつつ日々格闘する主婦の生態記録。(エッセイエッセイ