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いちばゆみ
著者:いちばゆみ(いちばゆみ)
携帯電話やスマートフォンなどのモバイルツール、オークション、SNSなどのネットサービスを中心に執筆するITライター。主な著書に「オオカミなんかコワくない!〜出会いサイト安全利用マニュアル」(ソフトバンクパブリッシング)、「ぜったいデキます!これからはじめるYahoo!オークション」(技術評論社)などがある。横浜市在住。
エッセイ/エッセイ

書くこと パソ通ママさんライターのいまとこれから

[読切]
書く人になるのは、小学生の頃からの夢だった。ライターのアシスタントをキッカケに、ITライターとなった著者だが、今や定期的に仕事をもらえる雑誌は皆無に…。そんなとき、かつて投稿したエッセイをまとめたコピー紙が送られてくる。そこにはキラキラとした書きたい気持ちがつまっていた。パソ通をキッカケにライターとなった著者のこれまでとこれから。
 書くことでお金をいただくようになって、早いもので18年になる。
 自分でも、よくなれたな、よく続いたな…と、振り返ってみると不思議な気持ちになる。

 「書く人になりたい」は、大学ノートに童話を書き散らしていた小学生の頃からの夢だった。
 でも、とりたてて才能もとりえもない平凡な自分には遠い世界のことだと、いつしか諦めていた。
 高校生の時、進路を考え始める時期におずおずと「新聞記者かジャーナリストになりたい。大学の文学部かジャーナリストの専門学校に進学したい」と言ってみたものの、親には一蹴された。
 女の子が四大なんて行ってどうすんの? 文章を書いてそれで身を立てられる人間なんて才能があるほんの一握り。夢みたいなことを言っていないで、と。

 「女の子が大学なんて」という考え方は今となっては笑い話みたいだけど、昭和40年代生まれの私たちの世代ではまだまだ根強く生きていたのだ。
 ちなみに私と同い年の昭和41年生まれの大学進学率は全体でも約38%、女子に限るとたったの35%に過ぎないそうだ。
 私が通っていた高校でも、四大に行く女子はほんの一握りで、進学すると言ってもほとんどの子がいわゆる「花嫁修業」的な地元のお嬢様短大だった。
 当時の私には、親の反対に抗うだけの強い気持ちも、「書くことでお金をもらえる人になる」という自信も持ち合わせてはいなかった。
 結局、親の言うがままに高校卒業後は家業を手伝って、そのまま親の勧める人と結婚し、子どもを二人産んで専業主婦になり…。
 いつしか、「夢」なんてすっかり忘れ去っていた。

 ひょんなきっかけでパソコン通信を始めたのがきっかけとなり、チャンスが目の前に転がってきた。
 26歳。第二子である長男を妊娠中のことだった。
 愛読していた主婦向け雑誌で、パソコン通信サービス「ニフティ・サーブ」の体験モニターを募集しているのを見つけた。全国から10名の読者を体験モニターとして選出し、半年間ニフティのサービスを利用させて誌面にレポートを載せるという企画だった。
 「…当たるわけないよね」と思いつつもダメ元で出してみたハガキが選ばれ、東京代表モニター2名のうちの一人として参加した。後で編集部の方に聞いたら、たった10名の募集に2,000通以上ものハガキが殺到したのだという。
 モニター特典として通信機能付きのワープロが貸与され、半年間モニターを務めればそのままもらえることになっていた。
 その雑誌は主婦向けとしては珍しく読者専用のBBSを持っており、誌面には毎号BBSの話題のダイジェストページが連載されていた。毎号そのページを読むのが楽しみだった。
「いいな…楽しそう。パソコン通信、やってみたいな」と思いつつも、始めるきっかけがなかった。
 専業主婦の自分には、自分専用のワープロやパソコンを買うなんて夢のまた夢。これに当選していなければ、きっとパソコン通信を始めることすらできなかったことだろう。
(当時はパソコンが一台30万円以上。一般家庭でパソコンを持っているところなんて、ほとんどなかった時代だ)
 モニター期間の半年間の間に出産を控えていたが、せっかく当選したことだしがんばってトライしてみることにした。
 半年間のモニター期間は何もかもが新鮮で、私はどっぷりとパソコン通信にハマった。
 そうやって始めたニフティ・サーブで、文学系フォーラムに参加し育児エッセイをぼちぼちと発表しているうちに、同じフォーラムに参加していたライターさんから、「手伝ってみない?」とアシスタントのお仕事をいただいたのが、夢への第一歩だった。
 秋葉原の家電量販店をめぐって、指定されたソフトウエアの値段を店員さんに見とがめられないようにこっそりメモってくる…というのが最初の仕事だった。
 まだ赤ん坊だった長男をおんぶし、幼稚園児だった長女の手を引いて、場違いな客が来たな? と不審げな店員さんの視線にビクビクしながらこそこそとメモに値段を書き取り…それでもとっても楽しかったのを覚えている。

 以来、「書く仕事」であれば何でもやった。
 携帯の出会い系コンテンツのレビューで、渋谷の街で実際にそのサービスを利用してみてその日のうちに男性とデートにこぎつけられるか…という体当たりレポートや、道行く女子高生を片っ端から捕まえてインタビューする仕事。
 通販サイトの商品説明のコピーを書いたり、携帯サイトの占いコンテンツまで書いた。

 当時はインターネットが急速に普及しはじめた時期で、パソコン雑誌が次々と創刊され、舞い込んでくる仕事もネットサービスや携帯電話などIT関連のものが増えた。
 いつのまにか、私は「ITライター」と呼ばれるようになった。

 それから、18年。

 本を出したり、テレビに出演したり、携帯電話関連の仕事をしていた関係で憧れのミステリー作家の先生から依頼があり、作品執筆のための取材をお手伝いしたり、それがご縁で文庫本の解説まで書かせていただいたり…普通に主婦していたとしたら、決して経験できないさまざまな体験をすることができた。
 
 山あり谷あり、離婚したり再婚したり…波瀾万丈すぎる人生だったが、自分ではとてもおもしろくていい人生だったと思う。

 ところが、今、「ITライター」としての私といえば、かなり酷い状態だ。
 以前は掛け持ちで10誌以上の雑誌とお付き合いがあったのに、再婚して次女を出産後ほんの少しの「育児休暇」を取っている間に次々と休刊・廃刊、Web媒体に移行…となり、定期的にお仕事をいただいてる雑誌は今や一誌もなくなった。

 IT関連のサービスや機器に関する解説書を書く仕事なら今でもあるけれど、以前なら出版社と直接契約して印税で報酬がもらえたのに、今はみんな編集プロダクション経由の下請けになってしまった。「一冊あたりいくら」の原稿料仕事。本一冊、2ヶ月近く専念して書いても、もらえるお金はOLさんの一ヶ月のお給料程度で、もちろん本が売れて増刷されても何の見返りもない。
 挙句に、著者名に自分のペンネームを出してもらえればまだしも、「○○○○」と編プロの会社名になってしまうことも多い。

 これでは割に合わないと思って、解説書の仕事を引き受けるのも止めた。
 「書くこと」で得られている収入はほんの内職程度になってしまい、3年ほど前から近所にパートに出ている。かろうじて出版業とつながってはいるものの、「書くこと」からは程遠い仕事だ。
 パート先の人は当然、私がライターであることなんて知らない。
 「○○さん」と再婚後の名字で呼ばれるうちに、だんだん自分が「ITライター・いちばゆみ」であることが、わからなくなってきていた。

 これまでの自分が積み重ねてきたものを否定するわけではない。
 でも、私が目指してきたものは本当に「ITライター」だったんだろうか?
 携帯電話を始めとしたデジタルガジェットをいじることは大好きだし、たまたま駆けだしの頃にいただいた仕事のご縁でずっとIT関連の記事を書いてきたけれど、日々新製品が生まれめまぐるしく変化していく業界に、だんだんついていけなくなったのが事実。
 ついていけなくなったというより、以前ように新製品の新機能に対してわくわくとした興味が薄れてきたといったほうがいいだろうか。半年前に発売された新機種がもう、今では古くなっていく…。それを追い続けて、レビューして、何になるのだろう? 何が残るのだろう…?

 いっそもうライターなんて廃業してしまって、普通に事務職かなにかで再就職しようか…と何度も考えた。
 「書くこと」でお金を稼ぐ…にこだわらなくてもいいじゃん?
 「書くこと」は趣味にしておけば? ほら、よく「一番好きなことは仕事にしてはいけない」っていうし…。

 そんなもんもんと悩む日々の中、文学系フォーラムに投稿していたエッセイをまとめて自分で作ったコピー誌を、当時からお付き合いのあるお友だちから送っていただいた。
 不用品を整理していたら、出てきたそうだ。
 引っ越しを繰り返すうち、自分の手元にも残っていなかった一冊のしょぼいコピー誌。
 だけど、そこには当時の自分の精一杯のキラキラとした「書きたい」という気持ちが詰まっていた。

 夢をもう一度追いたくなった。

 私という人間に特別な才能はないが、自分が望んだときに不思議と誰かから手が差し伸べられる…という「運」は持ち合わせているんじゃないかと思う。
 専業主婦のままじゃ嫌だ…と思ったときに、ふと出した一枚の懸賞ハガキからパソコン通信をやる機会をいただき、ライターになることができた。
 お金になってもならなくても、やっぱりエッセイを書きたい、と思い始めたときに、その数ヶ月前に始めたFacebookで騒人の熊切さんにお声をかけていただいた。
 熊切さんとも、ニフティサーブがご縁。
 長年ご無沙汰していたのだけど、Facebookで見つけていただいた。

 とりあえず自分のブログで…と考えていたので、多くの人の目に留まるであろう電子出版のメディアにエッセイを掲載していただけるのは、とても光栄なことだと思う。

 久しぶりに「さあ、エッセイを書こう」と思ったら、本当に指が動かなくて困った。
 頭の中に書きたいことはあふれているのに、うまく言葉が紡げない。
 「こういうテーマで、この内容は必ず盛り込んで、○○文字以内で、テイストはビジネス誌なので堅めに。語尾はですます調で」と指定された原稿なら今までいくらでも、それに収まるようにきっちり書いてきたのに、いざ、好きなことを書こうと思ったらなんて難しいこと…。

 こんな私がエッセイストになる、エッセイを書いてお金をいただく…なんて、相当無謀な夢かもしれないけれど…。
 とにかく、少しでも書いてみようと思う。
(了)
(初出:2012年01月)
登録日:2012年01月14日 13時01分

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