
著者:宇佐美ダイ(うさみだい)
2011年夏、東京から宮崎に戻ってきました。格闘技をやってます。元カメラマンですけど、今は正義の味方の仕事をしています。いつの間にか人の心も読めるようになりました。そして趣味で浮遊しているような写真を三脚+セルフタイマーで撮ってます。林ナツミさんの写真を見て撮り始めました。反原発、反TPPです。今の殺伐とした仕事をテーマにいつか書きたいなあ、と思ってます。
エッセイ/紀行文・旅行
いにしえ
「代わりに見てきて!」と頼まれ出かけた先は、出雲大社の大社境内遺跡だった。カップルやラジオの生番組をかわしながらずんずんすすむおじさんが出会った携帯電話を握りしめる女の子。淡々とした優しさが感じられる宇佐美エッセー。
「私の代わりに見てきて!」
昨夜の国際電話で、韓国に留学している友人、渡部涼子に頼まれてしまった。
4月28日に、出雲大社の大社境内遺跡から、12世紀の平安時代末期に実在した本殿を支えていたと推定される、巨大な柱の一部が出土した、という話をしていたのだ。
ぼくが今住んでいるアパートは、出雲大社にわりと近く、出雲市に越してきてから何度も出雲大社を参拝している。
こんなに足を運ぶ事も、きっと渡部涼子の影響なんだろうなあ、と思う。
ずっと以前から、考古学が好きな彼女に、神社や遺跡探検につきあわせれていた、プロレス学好きのおじさん(ぼくの事だけど)は、弾けるように走りまわる彼女の後を「はああああ」と、弱々しく溜息を吐きつつ、とぼとぼと歩いていたのでありました。
でも、光る汗をぐいっと拭いながら、何かを発見する度に、ぱあって思いっきり輝く彼女の瞳を見ていると、ぼくの時もぐんぐん逆行していって、気持ちだけは少年になる事ができたのだった。
「わかった。いいよ。じゃあ、明日、行ってくる」
ぼくは、そう言い、はしゃいだ渡部涼子の声を聞きながら、電話を切った。
*
警備員の指示に従って、出雲大社の駐車場のあいたスペースに車をとめ、サイフと兼用になっている、システム手帳とボールペンだけを持って車をおりた。
ボランティアで掃除をしているのだろうか、熊手を持って歩く人々が目立つ。
あいかわらず、観光バスも多かった。
白装束にびしっと身を固め、『やる気まんまん気分』のおじさんやおばさんがキッと目尻などを鋭角的につり上げて、ざっざっと進んで行く後を、ジーンズにTシャツ、サングラス姿のぼくがノソノソドタドタと歩く姿はちょっと絵的にいかんと思い、ちょっと立ち止まったりしてみた。
風景は、どこを切り取っても、春色だった。
美しい緑に囲まれた神楽殿を背景に、白い旗が靡いている。
先月来た時は、この旗が日の丸で、その大きさはタタミ75畳ほどで、重さはなんと50キロもあると聞いた。
しかし、50キロもあると少々の風ではびくともしないのか、でかいポールの下でいつまで待ってみても、旗は「ごめんなさい……」と、うつむく子どものように垂れ下がったままだった。
今日の旗には、出雲大社のマークがある。
風が強くないのに元気に靡いているって事は、たぶん、この旗はそれほど大きくないのだろう。
きっとそうだ、そうだ。
そうに違いない。
勝手に、確信しつつずんずん先へ進む、おじさんなのである。
出雲大社は、縁結びの神様だ。
いつ来てもカップルが多い。
神楽殿の大注連縄は、大きな波がうねっている下に3個の大型の鐘がぶら下がっているようにも見える。
その釣鐘のように見える部分に向かって、参拝者はコインを投げ上げるのだ。
真下に行って見上げると、無数のコインがみごとに突き刺さっていた。
突き刺さると、なーんかいい事がありそうで、実はこれをやってみたいのだけど、「よっしゃ、やろう」と、気持ちを固めた時に限って、横で「きゃあ! 刺さったあ! よしお、すごーい! うふーん」などと『もも色気分満タン』のカップルたちが黄色い声をあげたりするので、とたんにやる気がなくなってしまうのであった。
先日のテレビのニュースでは、境内遺跡を見るために並ぶ人々の長い列が延々と伸びていたけれど、今日はまだ人が少ないようだ。
長い髪を束ねた、色白の巫女さんからパンフレットを受け取って、作業現場に入る。
出土した柱材は、一番奥にあった。
最大で直径135センチの柱材3本がひとつにまとまって1本の柱になっていて、その経は3メートルもあるのだそうだ。
ぼくは、その巨大な柱に支えられた、高さ48メートルの出雲大社本殿を想像してみた。
床までの高さは30メートルを少し越えるくらいだろうか。
正面の階段の長さは、109メートル。
まさに『空中神殿』と呼ぶにふさわしい勇壮で幻想的な神殿であったのだろう。
想像の世界から目を開けると、目の前には朽ちた柱材が、その上を覆う無粋な鉄骨から降りそそぐ、水を浴びていた。
「何故、水をかけているのですか?」
ぼくは、そばにいた神主さんに聞いてみた。
「もともと水の中にあったものですから、空気に触れると腐食が進むので、ああして絶えず水をかけているのです」
神主さんは、黒縁眼鏡を人差し指で軽く押し上げながら厳かに言った。
「なるほどなあ……」
すっかり感心してしまったぼくは、大きな松に左右を囲まれた玉砂利の道をゆっくり歩きながら、ここに連れてきたらきっと興奮しまくるに違いない、渡部涼子の事を考えて少しだけ笑ってしまった。
と、その時、10メートルほど前を歩いていた、カップルがいきなり立ち止まり、素早く振り返って手をあわせ、すうっと目を閉じてしまった。
まるで、ぼくが拝まれているみたいなのだ。
「あららら……」
ぼくは、小さく呟いて、2、3歩あとづさった。
心の中で「やめて……」と、喘いでみたりもした。
しかし、ぼくが激しく動揺している事など、微塵も気にしていないカップルは、素早く元の体勢に戻ると、すたすた歩いて行ってしまった。
なんなのだ、いったい。
ふたりの、まるで、リハーサルでもしたかのような、見事なタイミングに恐れ入ってしまったぼくは、彼らにむかって、出雲大社の古式にのっとり、二拝四拍手一拝をした。
うそである。
さて。
ずんずん、とさらに歩いて松林を抜けると『いずも大社まつり』と垂れ幕がかけられたド派手なステージがあった。
どうやら、ラジオの生番組をやっているようだ。
しかし。
「どうだあ! やったるでえ!」
と、気合い十分の垂れ幕やステージに比べ、
「きっと、どうにかなるもんね……」
って感じのスタッフの元気のなさが気になった。
「えー、私は○○屋さんの前にいまーす」
ラジオの音声が、大きなスピーカーからどーんと聞こえてきた。
近くの商店街で行われている、イベントにアナウンサーが参加しているようだ。
何か、ものすごく重いモノを「よいしょ!」と、持ち上げて運ぶ距離を競っている、とアナウンサーは実況中継をはじめ、自分も挑戦してみると興奮した声を上げた。
「うーん。うーん……」
アナウンサーの声が、しきりに唸っている。
「うーん。あああ……。えーっと。……私には持ち上がりません。ダメでーす」
やっぱり、気合いぜんぜんナシなのだ。
もう無視、無視。
ぼくは、ステージの前に並べられた、白いガーデンチェアに座り、システム手帳を開いて、このエッセイのためのメモを書きはじめた。
日差しが気持ちいい。
*
「えー? 何?」
甲高い声に顔を上げると、ぼくの前に携帯電話を握りしめている、女の子が座った。
「わかってるわよ!」
口調が激しい。
電話のむこうの誰かと、言いあいをしているみたいだ。
「ちょっと待って」
彼女は言って、ぼくを見た。
「すいません。ペンと紙を貸してもらえませんか?」
彼女は、早口で言った。
「いいよ」
ぼくは、ボールペンとシステム手帳から一枚、ページを抜き取って彼女にわたした。
ガーデンチェアのまわりは『出雲の特選品』を販売するテントがたくさんあって、いい匂いが漂っている。
ぐうー、っと腹が鳴った。
あいかわらず、彼女は電話のむこうの誰かと激しくやりあっている。
そんな彼女の話をそばで聞いているのも、悪いような気がするので、ぼくは席を立って、店を覗いてまわる事にした。
焼き物、肉、野菜、果物、牛乳、ジュース、服、おもちゃ。
いろいろあるのだ。
出雲阿国の絵柄が美しい80円切手を10枚買った。
E-mailもたくんさん出すけど、手書きの手紙もよく書くのだ。
渡部涼子のいる、韓国への郵便料金は90円なので、10円切手は郵便局で購入すればいいか、なんて思って歩いていると韓国のキムチが400円、チヂミが200円で販売されていた。
「めちゃくちゃ、うまそうやなあ……」
素早く似非大阪弁で呟くと、システム手帳の財布の部分を開けた。
「あのう……」
と、店のおばちゃんに声をかけようとした時、後ろから声がした。
「ペン、すいませんでした!」
携帯電話の女の子である。
「はい」
彼女からペンを受け取ろうとした瞬間、ぼくのシステム手帳から小銭がどわーってな感じで玉砂利の上にこぼれ落ちてしまった。
「あららら……」
ぼくは、呟いた。
まったく、今日は「あらら」ばっかり言っている。『あらら記念日』にしてやろうかしらん。
あたふた、としゃがみ込むぼくの横に携帯電話の女の子が並んだ。
「ごめんなさい!」
そう言いながら、彼女は笑っていた。
「かっこわるいなあ……」
と、ぼくが呟くと、さらに声を上げて彼女は笑い、肩までの髪が、ふあっと春風に揺れた。
「えーっと、これで全部ね」
彼女は、拾い集めた小銭をぼくの掌にのせながら言った。
「ありがとう」
「こちらこそ。でも、ごめんなさい」
彼女は、大きなショルダーバックをよいしょと肩に持ち上げた。
ところが。
「じゃあ」
と、ぼくが歩き出すと彼女も後ろについてくるのだ。
「参拝、まだなんですか?」
聞くと、彼女は「うん」と、頷いた。
ぼくが駐車場に戻り、彼女は本殿に向かっているのだけど、道は同じなのだ。
ジーンズにピンクのチェックのシャツに、スニーカー。
小柄な彼女ほどにも見える、大きなバックは、彼女のか細い肩に容赦なく食い込み、ぼくは並んで歩きながら気の毒に思ってしまった。
今さっき出会った女の子のバックを持ってあげてもいいものだろうか、と3秒悩んでから、ぼくは「持ちましょう」と、思い切って言ってみた。
彼女のバックは、本当に重かった。
よくこんなバックを、ぼくの半分以下の大きさの女の子が持って歩いていたものだ、とびっくりしてしまった。
「重いね」
ぼくは、思わず口にしていた。
「あ、ごめんなさい。もういいです」
彼女は、あわてて言った。
「いや、そうじゃなく、こんな重い物をよく持って歩いていましたね」
「それが私の全てだったんです」
彼女は、ぼくを見ずにこたえた。
「え?」
「友達のところにこれからずっと住むつもりで、それを持って家を出てきたんですけど、ちょっと住めなくなっちゃって」
「そうですか……」
彼女が言う友達が、言葉のトーンでなんとなく女の子じゃないって、って気がした。
携帯電話で激しく口論をしていた相手のことかな。
「家出してきたんです」
「うん……」
「だけど、行くところがなくなっちゃったんです」
「うん……」
「あったまに来たけど、せっかく出雲に来てしまったのだから、有名な出雲大社に行ってから帰ろう、と思って、ここまで来ました」
「どこから来たんですか?」
「山口」
「え? 山口のどこですか?」
「防府です」
「実は、その隣町にぼくの親しい友人がいて、あ、でも、今、その彼女は韓国に行っているんですけど」
「恋人ですか?」
彼女が、立ち止まった。
「いいえ。そうだったらいいんですが、ぼくは結婚していますから」
「結婚していても、恋人はできますよ」
「そうですね。まあ、そうなんだけど、でも、ぼくが42で彼女が22歳なので、恋人にしちゃうと彼女がかわいそうです」
ぼくは、苦笑した。
「私も22歳です。えーっと」
「宇佐美です」
「宇佐美さん、とっても若いですよ」
「ありがとう、えーっと」
「野村です」
「野村さん、ありがとう。でも、そうゆう事を言われはじめたら年とったって事なんだよなあ」
「あー、でも、山口の事といい、なんか、びっくりです」
「これからどうするんですか?」
「タクシーで駅まで行って、電車で自宅に戻ります。親に怒られるだろうなあ」
野村さんは、少し暗い表情を浮かべた。
「送りましょうか?」
「え? いいですよ」
「山口までは無理だけど、出雲駅までだったら、駅の近くの郵便局に行く用事がありますので、ついでです」
「じゃあ、お願いします!」
野村さんの顔が輝いた。
*
11時8分。
石見ライナーは、3番ホームに滑りこんできた。
「じゃあ、乗りましょう」
ドアが開き、彼女の大きなバックを左肩に下げたぼくは、彼女について電車に乗り込んだ。
中ほどのシートにバックを下ろした瞬間、ベルが鳴った。
「あ!」
ふたり同時に声を上げた。
「しまった!」
ぼくは、ドアに向かって走った。
しかし、ドアはすでに閉まっていて、電車がゆっくりと動き出したところだった。
「ごめんなさい……」
野村さんが、頭を下げた。
「いやあ、どじなぼくがあほなんです」
「どうします?」
泣きそうな顔で、野村さんはぼくを見上げている。
「車掌さんが回ってくるだろうから、ちゃんと正直に話します」
「ごめんなさい」
「いいってっば」
思ったとおり、車掌さんは、すぐにやってきた。
「彼女の荷物をシートまで運んであげようと思ったら、電車が動き出してしまいました。どうしたらいいんでしょう?」
ぼくは、事情を説明した。
「乗ってしまったんだから、しかたがありません。次の太田で降りて、米子行きに乗ってください。かなりの時間、ホームで待つ事になりますけど。とにかく、今は座席に座っていてください」
「いいんですか?」
「いいですよ」
車掌さんは、彼女とぼくを交互に見て、優しく笑いかけると、次の車両に入っていった。
ぼくと野村さんは、進行方向左のシートに並んで座った。
駅前のロータリーにとめたままの車が気になったけど、海が見えると心がうきうきしてきた。
ぼくが身体を浮かせて、反対側の窓を覗いていると、
「海、好きなんですね」
と、野村さんが笑った。
「サーフィンをしてるんです」
「かっこいいですね」
「いいえ。ぼくの場合、お笑いサーファーです」
「お笑い?」
「板の上で逆立ちしたり、後ろ向きに乗ったり、踊ったりするのです。時には着ぐるみで乗ったりもします」
「見たい!」
野村さんは、シートの上で飛び跳ねた。
「でも、サーファーを彼氏にするもんじゃないですよ」
「何故ですか?」
「デートは必ず海で、野村さんはひとりで何時間も海から上がってくる彼氏を待つ事になるからです」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ」
「あの。住所を教えてくれませんか? お礼の手紙を書きたいんです」
「出雲に定住しているわけじゃないので、すぐ引っ越すかもしれません。だから、えーっと。そうだ。野村さんはインターネットをしていますか?」
「いいえ。でも、ともだちがやってます」
「だったら、今から書くアドレスにアクセスしてもらってください」
ぼくは、システム手帳からページを抜いて、『騒人』のアドレスを書いた。
「はい」
「ここはオンラインマガジンなんです。ぼくはここにモノを書いています。ちょうどエッセイを頼まれたところなので、今日の事を書きます」
「私の事を、ですか?」
「野村さんに出会って、見送るつもりが一緒に電車に乗ってしまったドジ話。いいですか?」
「わあ、楽しそうですね」
「エッセイとして書いておけば、また、野村さんに会えそうな気がします」
電車が太田に着いて、ぼくはホームに降りた。
「また会えますよね?」
「アクセスしてください。そこにぼくのメールアドレスがあります」
「なんか、テレビのドラマみたい」
「ドラマチックになっちゃいましたね」
ぼくは、笑いながらホームにおりた。
「宇佐美さんに、また会えるといいな!」
野村さんは、びっくりするほど元気よくそう言った。
「お父さんやお母さんに怒られてもくじけないように。がんばって!」
ドアが閉まり、電車が動き出した。
ガラスのむこうの野村さんは泣きそうな顔をして、何度も小さく手を振っている。
ぼくが手を上げると、ガラスの中の野村さんの掌とガラスに写るぼくの掌が重なった。
「いにしえ」
ぼくは、口の中で呟いた。
願掛けみたいなモノだ。
こう呟くと、何故か再会できちゃうのだ。
ぼくは、電車を数歩追いかけて立ち止まった。
思わず走り出しそうになったからだ。
出雲大社で、他人のぼくを呼び止めてでも書かなくちゃいけなかった、野村さんのメモはなんだったんだろう。
気になってしかたなかったけれど、結局聞くことはできなかった。
でも、ぼくがモノを書き続けている限り、彼女に会って尋ねることができるかもしれないのだ。
ぼくは唇を噛んで、小さくなっていく電車に向かって大きく手を振った。
昨夜の国際電話で、韓国に留学している友人、渡部涼子に頼まれてしまった。
4月28日に、出雲大社の大社境内遺跡から、12世紀の平安時代末期に実在した本殿を支えていたと推定される、巨大な柱の一部が出土した、という話をしていたのだ。
ぼくが今住んでいるアパートは、出雲大社にわりと近く、出雲市に越してきてから何度も出雲大社を参拝している。
こんなに足を運ぶ事も、きっと渡部涼子の影響なんだろうなあ、と思う。
ずっと以前から、考古学が好きな彼女に、神社や遺跡探検につきあわせれていた、プロレス学好きのおじさん(ぼくの事だけど)は、弾けるように走りまわる彼女の後を「はああああ」と、弱々しく溜息を吐きつつ、とぼとぼと歩いていたのでありました。
でも、光る汗をぐいっと拭いながら、何かを発見する度に、ぱあって思いっきり輝く彼女の瞳を見ていると、ぼくの時もぐんぐん逆行していって、気持ちだけは少年になる事ができたのだった。
「わかった。いいよ。じゃあ、明日、行ってくる」
ぼくは、そう言い、はしゃいだ渡部涼子の声を聞きながら、電話を切った。
*
警備員の指示に従って、出雲大社の駐車場のあいたスペースに車をとめ、サイフと兼用になっている、システム手帳とボールペンだけを持って車をおりた。
ボランティアで掃除をしているのだろうか、熊手を持って歩く人々が目立つ。
あいかわらず、観光バスも多かった。
白装束にびしっと身を固め、『やる気まんまん気分』のおじさんやおばさんがキッと目尻などを鋭角的につり上げて、ざっざっと進んで行く後を、ジーンズにTシャツ、サングラス姿のぼくがノソノソドタドタと歩く姿はちょっと絵的にいかんと思い、ちょっと立ち止まったりしてみた。
風景は、どこを切り取っても、春色だった。
美しい緑に囲まれた神楽殿を背景に、白い旗が靡いている。
先月来た時は、この旗が日の丸で、その大きさはタタミ75畳ほどで、重さはなんと50キロもあると聞いた。
しかし、50キロもあると少々の風ではびくともしないのか、でかいポールの下でいつまで待ってみても、旗は「ごめんなさい……」と、うつむく子どものように垂れ下がったままだった。
今日の旗には、出雲大社のマークがある。
風が強くないのに元気に靡いているって事は、たぶん、この旗はそれほど大きくないのだろう。
きっとそうだ、そうだ。
そうに違いない。
勝手に、確信しつつずんずん先へ進む、おじさんなのである。
出雲大社は、縁結びの神様だ。
いつ来てもカップルが多い。
神楽殿の大注連縄は、大きな波がうねっている下に3個の大型の鐘がぶら下がっているようにも見える。
その釣鐘のように見える部分に向かって、参拝者はコインを投げ上げるのだ。
真下に行って見上げると、無数のコインがみごとに突き刺さっていた。
突き刺さると、なーんかいい事がありそうで、実はこれをやってみたいのだけど、「よっしゃ、やろう」と、気持ちを固めた時に限って、横で「きゃあ! 刺さったあ! よしお、すごーい! うふーん」などと『もも色気分満タン』のカップルたちが黄色い声をあげたりするので、とたんにやる気がなくなってしまうのであった。
先日のテレビのニュースでは、境内遺跡を見るために並ぶ人々の長い列が延々と伸びていたけれど、今日はまだ人が少ないようだ。
長い髪を束ねた、色白の巫女さんからパンフレットを受け取って、作業現場に入る。
出土した柱材は、一番奥にあった。
最大で直径135センチの柱材3本がひとつにまとまって1本の柱になっていて、その経は3メートルもあるのだそうだ。
ぼくは、その巨大な柱に支えられた、高さ48メートルの出雲大社本殿を想像してみた。
床までの高さは30メートルを少し越えるくらいだろうか。
正面の階段の長さは、109メートル。
まさに『空中神殿』と呼ぶにふさわしい勇壮で幻想的な神殿であったのだろう。
想像の世界から目を開けると、目の前には朽ちた柱材が、その上を覆う無粋な鉄骨から降りそそぐ、水を浴びていた。
「何故、水をかけているのですか?」
ぼくは、そばにいた神主さんに聞いてみた。
「もともと水の中にあったものですから、空気に触れると腐食が進むので、ああして絶えず水をかけているのです」
神主さんは、黒縁眼鏡を人差し指で軽く押し上げながら厳かに言った。
「なるほどなあ……」
すっかり感心してしまったぼくは、大きな松に左右を囲まれた玉砂利の道をゆっくり歩きながら、ここに連れてきたらきっと興奮しまくるに違いない、渡部涼子の事を考えて少しだけ笑ってしまった。
と、その時、10メートルほど前を歩いていた、カップルがいきなり立ち止まり、素早く振り返って手をあわせ、すうっと目を閉じてしまった。
まるで、ぼくが拝まれているみたいなのだ。
「あららら……」
ぼくは、小さく呟いて、2、3歩あとづさった。
心の中で「やめて……」と、喘いでみたりもした。
しかし、ぼくが激しく動揺している事など、微塵も気にしていないカップルは、素早く元の体勢に戻ると、すたすた歩いて行ってしまった。
なんなのだ、いったい。
ふたりの、まるで、リハーサルでもしたかのような、見事なタイミングに恐れ入ってしまったぼくは、彼らにむかって、出雲大社の古式にのっとり、二拝四拍手一拝をした。
うそである。
さて。
ずんずん、とさらに歩いて松林を抜けると『いずも大社まつり』と垂れ幕がかけられたド派手なステージがあった。
どうやら、ラジオの生番組をやっているようだ。
しかし。
「どうだあ! やったるでえ!」
と、気合い十分の垂れ幕やステージに比べ、
「きっと、どうにかなるもんね……」
って感じのスタッフの元気のなさが気になった。
「えー、私は○○屋さんの前にいまーす」
ラジオの音声が、大きなスピーカーからどーんと聞こえてきた。
近くの商店街で行われている、イベントにアナウンサーが参加しているようだ。
何か、ものすごく重いモノを「よいしょ!」と、持ち上げて運ぶ距離を競っている、とアナウンサーは実況中継をはじめ、自分も挑戦してみると興奮した声を上げた。
「うーん。うーん……」
アナウンサーの声が、しきりに唸っている。
「うーん。あああ……。えーっと。……私には持ち上がりません。ダメでーす」
やっぱり、気合いぜんぜんナシなのだ。
もう無視、無視。
ぼくは、ステージの前に並べられた、白いガーデンチェアに座り、システム手帳を開いて、このエッセイのためのメモを書きはじめた。
日差しが気持ちいい。
*
「えー? 何?」
甲高い声に顔を上げると、ぼくの前に携帯電話を握りしめている、女の子が座った。
「わかってるわよ!」
口調が激しい。
電話のむこうの誰かと、言いあいをしているみたいだ。
「ちょっと待って」
彼女は言って、ぼくを見た。
「すいません。ペンと紙を貸してもらえませんか?」
彼女は、早口で言った。
「いいよ」
ぼくは、ボールペンとシステム手帳から一枚、ページを抜き取って彼女にわたした。
ガーデンチェアのまわりは『出雲の特選品』を販売するテントがたくさんあって、いい匂いが漂っている。
ぐうー、っと腹が鳴った。
あいかわらず、彼女は電話のむこうの誰かと激しくやりあっている。
そんな彼女の話をそばで聞いているのも、悪いような気がするので、ぼくは席を立って、店を覗いてまわる事にした。
焼き物、肉、野菜、果物、牛乳、ジュース、服、おもちゃ。
いろいろあるのだ。
出雲阿国の絵柄が美しい80円切手を10枚買った。
E-mailもたくんさん出すけど、手書きの手紙もよく書くのだ。
渡部涼子のいる、韓国への郵便料金は90円なので、10円切手は郵便局で購入すればいいか、なんて思って歩いていると韓国のキムチが400円、チヂミが200円で販売されていた。
「めちゃくちゃ、うまそうやなあ……」
素早く似非大阪弁で呟くと、システム手帳の財布の部分を開けた。
「あのう……」
と、店のおばちゃんに声をかけようとした時、後ろから声がした。
「ペン、すいませんでした!」
携帯電話の女の子である。
「はい」
彼女からペンを受け取ろうとした瞬間、ぼくのシステム手帳から小銭がどわーってな感じで玉砂利の上にこぼれ落ちてしまった。
「あららら……」
ぼくは、呟いた。
まったく、今日は「あらら」ばっかり言っている。『あらら記念日』にしてやろうかしらん。
あたふた、としゃがみ込むぼくの横に携帯電話の女の子が並んだ。
「ごめんなさい!」
そう言いながら、彼女は笑っていた。
「かっこわるいなあ……」
と、ぼくが呟くと、さらに声を上げて彼女は笑い、肩までの髪が、ふあっと春風に揺れた。
「えーっと、これで全部ね」
彼女は、拾い集めた小銭をぼくの掌にのせながら言った。
「ありがとう」
「こちらこそ。でも、ごめんなさい」
彼女は、大きなショルダーバックをよいしょと肩に持ち上げた。
ところが。
「じゃあ」
と、ぼくが歩き出すと彼女も後ろについてくるのだ。
「参拝、まだなんですか?」
聞くと、彼女は「うん」と、頷いた。
ぼくが駐車場に戻り、彼女は本殿に向かっているのだけど、道は同じなのだ。
ジーンズにピンクのチェックのシャツに、スニーカー。
小柄な彼女ほどにも見える、大きなバックは、彼女のか細い肩に容赦なく食い込み、ぼくは並んで歩きながら気の毒に思ってしまった。
今さっき出会った女の子のバックを持ってあげてもいいものだろうか、と3秒悩んでから、ぼくは「持ちましょう」と、思い切って言ってみた。
彼女のバックは、本当に重かった。
よくこんなバックを、ぼくの半分以下の大きさの女の子が持って歩いていたものだ、とびっくりしてしまった。
「重いね」
ぼくは、思わず口にしていた。
「あ、ごめんなさい。もういいです」
彼女は、あわてて言った。
「いや、そうじゃなく、こんな重い物をよく持って歩いていましたね」
「それが私の全てだったんです」
彼女は、ぼくを見ずにこたえた。
「え?」
「友達のところにこれからずっと住むつもりで、それを持って家を出てきたんですけど、ちょっと住めなくなっちゃって」
「そうですか……」
彼女が言う友達が、言葉のトーンでなんとなく女の子じゃないって、って気がした。
携帯電話で激しく口論をしていた相手のことかな。
「家出してきたんです」
「うん……」
「だけど、行くところがなくなっちゃったんです」
「うん……」
「あったまに来たけど、せっかく出雲に来てしまったのだから、有名な出雲大社に行ってから帰ろう、と思って、ここまで来ました」
「どこから来たんですか?」
「山口」
「え? 山口のどこですか?」
「防府です」
「実は、その隣町にぼくの親しい友人がいて、あ、でも、今、その彼女は韓国に行っているんですけど」
「恋人ですか?」
彼女が、立ち止まった。
「いいえ。そうだったらいいんですが、ぼくは結婚していますから」
「結婚していても、恋人はできますよ」
「そうですね。まあ、そうなんだけど、でも、ぼくが42で彼女が22歳なので、恋人にしちゃうと彼女がかわいそうです」
ぼくは、苦笑した。
「私も22歳です。えーっと」
「宇佐美です」
「宇佐美さん、とっても若いですよ」
「ありがとう、えーっと」
「野村です」
「野村さん、ありがとう。でも、そうゆう事を言われはじめたら年とったって事なんだよなあ」
「あー、でも、山口の事といい、なんか、びっくりです」
「これからどうするんですか?」
「タクシーで駅まで行って、電車で自宅に戻ります。親に怒られるだろうなあ」
野村さんは、少し暗い表情を浮かべた。
「送りましょうか?」
「え? いいですよ」
「山口までは無理だけど、出雲駅までだったら、駅の近くの郵便局に行く用事がありますので、ついでです」
「じゃあ、お願いします!」
野村さんの顔が輝いた。
*
11時8分。
石見ライナーは、3番ホームに滑りこんできた。
「じゃあ、乗りましょう」
ドアが開き、彼女の大きなバックを左肩に下げたぼくは、彼女について電車に乗り込んだ。
中ほどのシートにバックを下ろした瞬間、ベルが鳴った。
「あ!」
ふたり同時に声を上げた。
「しまった!」
ぼくは、ドアに向かって走った。
しかし、ドアはすでに閉まっていて、電車がゆっくりと動き出したところだった。
「ごめんなさい……」
野村さんが、頭を下げた。
「いやあ、どじなぼくがあほなんです」
「どうします?」
泣きそうな顔で、野村さんはぼくを見上げている。
「車掌さんが回ってくるだろうから、ちゃんと正直に話します」
「ごめんなさい」
「いいってっば」
思ったとおり、車掌さんは、すぐにやってきた。
「彼女の荷物をシートまで運んであげようと思ったら、電車が動き出してしまいました。どうしたらいいんでしょう?」
ぼくは、事情を説明した。
「乗ってしまったんだから、しかたがありません。次の太田で降りて、米子行きに乗ってください。かなりの時間、ホームで待つ事になりますけど。とにかく、今は座席に座っていてください」
「いいんですか?」
「いいですよ」
車掌さんは、彼女とぼくを交互に見て、優しく笑いかけると、次の車両に入っていった。
ぼくと野村さんは、進行方向左のシートに並んで座った。
駅前のロータリーにとめたままの車が気になったけど、海が見えると心がうきうきしてきた。
ぼくが身体を浮かせて、反対側の窓を覗いていると、
「海、好きなんですね」
と、野村さんが笑った。
「サーフィンをしてるんです」
「かっこいいですね」
「いいえ。ぼくの場合、お笑いサーファーです」
「お笑い?」
「板の上で逆立ちしたり、後ろ向きに乗ったり、踊ったりするのです。時には着ぐるみで乗ったりもします」
「見たい!」
野村さんは、シートの上で飛び跳ねた。
「でも、サーファーを彼氏にするもんじゃないですよ」
「何故ですか?」
「デートは必ず海で、野村さんはひとりで何時間も海から上がってくる彼氏を待つ事になるからです」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ」
「あの。住所を教えてくれませんか? お礼の手紙を書きたいんです」
「出雲に定住しているわけじゃないので、すぐ引っ越すかもしれません。だから、えーっと。そうだ。野村さんはインターネットをしていますか?」
「いいえ。でも、ともだちがやってます」
「だったら、今から書くアドレスにアクセスしてもらってください」
ぼくは、システム手帳からページを抜いて、『騒人』のアドレスを書いた。
「はい」
「ここはオンラインマガジンなんです。ぼくはここにモノを書いています。ちょうどエッセイを頼まれたところなので、今日の事を書きます」
「私の事を、ですか?」
「野村さんに出会って、見送るつもりが一緒に電車に乗ってしまったドジ話。いいですか?」
「わあ、楽しそうですね」
「エッセイとして書いておけば、また、野村さんに会えそうな気がします」
電車が太田に着いて、ぼくはホームに降りた。
「また会えますよね?」
「アクセスしてください。そこにぼくのメールアドレスがあります」
「なんか、テレビのドラマみたい」
「ドラマチックになっちゃいましたね」
ぼくは、笑いながらホームにおりた。
「宇佐美さんに、また会えるといいな!」
野村さんは、びっくりするほど元気よくそう言った。
「お父さんやお母さんに怒られてもくじけないように。がんばって!」
ドアが閉まり、電車が動き出した。
ガラスのむこうの野村さんは泣きそうな顔をして、何度も小さく手を振っている。
ぼくが手を上げると、ガラスの中の野村さんの掌とガラスに写るぼくの掌が重なった。
「いにしえ」
ぼくは、口の中で呟いた。
願掛けみたいなモノだ。
こう呟くと、何故か再会できちゃうのだ。
ぼくは、電車を数歩追いかけて立ち止まった。
思わず走り出しそうになったからだ。
出雲大社で、他人のぼくを呼び止めてでも書かなくちゃいけなかった、野村さんのメモはなんだったんだろう。
気になってしかたなかったけれど、結局聞くことはできなかった。
でも、ぼくがモノを書き続けている限り、彼女に会って尋ねることができるかもしれないのだ。
ぼくは唇を噛んで、小さくなっていく電車に向かって大きく手を振った。
(初出:2000年05月)
登録日:2010年06月07日 22時15分
タグ :
出雲大社
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