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西巻裕
著者:西巻裕(にしまきひろし)
小学校1年の時東京オリンピックの旗を振り、6年生の修学旅行の宿でアポロの月着陸を知る。写真を撮ったり文章を書いたり雑誌を作ったりの稼業で、今は福島の山奥に住みながらトライアルというマイナーモータースポーツの情報誌「自然山通信」を作っている。昔は機敏だったが、今は寝ることがなにより好きなぐうたらのおっさん。
エッセイ/紀行文・旅行

ネパール紀行(1)

[連載 | 連載中 | 全1話] 目次へ
北極点、南極点にバイクで到達した風間深志さんの他、パリダカ10回の経験を持つ浅井明さん、テレビ番組を制作するスタッフらと共に、ネパールはカトマンドゥ空港に降り立った一行。
 ネパールへ行くには、週に2便の直行便に乗るのが一番早い。しかしこれが、なぜか関西空港から離陸する。そして、ぼくらはこの飛行機の予約がとれなかった。
 だもんで、香港で約2時間のラーメンタイムをすごした後に、晴れてカトマンドゥ国際空港に到着した。案内をしてくれるラジェンドラは(こういう国によくあるように)パスポートコントロールの中側まで入りこんで、ぼくらを迎えてくれた。しかしその隣では、今到着したネパール航空の操縦士が、カトマンドゥ空港の免税店で酒を買っている。やっていいこといけないことの判断は、日本の常識では判断しがたい。

 ぼくらの一行は、北極点、南極点にバイクで到達した風間深志さんを先頭に、パリダカ10回の経験を持つラリードライバー浅井明さん、それから、風間さんのテレビ番組を制作するテレビ大阪のスタッフが4人、ウェットティッシュを大量に用意した曽野部さんはプロデューサー。小さなアタッシュ1個で登場したのは演出家の藤山さん、4200m登頂経験があるという山岳部出身の小田さんがカメラマンで、今回はもっぱら音声担当の花沢さんは、本来はビデオエンジニアという仕事なのだそうだ。
 テレビの撮影とはまったく関係ないぼくは、特に目的なく風間さんの旅行を記録するという、なんともお気楽な取材体制で、ひとりのほほんとネパールへ降り立ったのだった。

 カトマンドゥの街は、なんともはやうるさかった。自動車という自動車、あるいはそれが自転車であっても、ホーンを休みなく鳴らしながら進んでいく。自分の車にホーンがついているのがうれしくてしかたがないかのようだ。この国では、タイヤより先にホーンが消耗するのではないだろうか。
 こんなにホーンを鳴らしまくったら、日本では確実に殺人事件に発展している。けれどここでは、それがふつうだから、鳴らすほうも鳴らされるほうも、なんとも思っていない。でっかいトラックやバスなんか、後ろに堂々と『ホーンプリーズ』なんて書いてあるくらいである。追い抜きざまには、ホーンを鳴らして存在を知らせてくれたほうが、お互いに安全だという意識らしい。街中でホーンが鳴り響いていても、いらいらしてはいけない。これは、安全の証しなのだ。
 それにしても、カトマンドゥの街にいると、空気が悪くて体を壊してしまいそうだ。ほこりっぽいのはこの手の街の共通項目だが、それにもまして、2サイクルエンジンの排気ガスが猛烈だ。日本では、2サイクルエンジンといえば小さなスクーターくらいのもんだが、こっちでは、スクーターに毛のはえたような3輪車のバスが10秒に10台くらい走っている。客室なんか、ほんの1.5m四方の空間があるだけなのに、お客は10人くらい乗っている。すげー状態である。そしてそのすべてが、がらんがらん音をたてながら煙をはいて突進していくもんだから、空気が澄む暇なんかあるわけがないのだった。
 後で聞いたら、この3輪車バスはインドで発売禁止になったやつだとかで、まぁ先進国というものは、開発途上国をだしにして経済成長していくもののようだ。

 一日準備に費やして、ぼくらは3台の車をしたててポコラへでかけた。2台は4輪駆動車で、1台は荷台の大きな日本のワンボックスカーだ。3台とも、新車当時は日本の道を走っていたようで、車のあちこちにその形跡がある。そして2台の4輪駆動車のうち1台は、4輪駆動が壊れていた。
 ポコラは、カトマンドゥから西へ200kmほどいった、ネパール第2の観光都市だそうだ。それでも、行動予定をラジェンドラにまかせていたら、朝一番の出発が昼になり、午後に到着の予定が夜になって、なにが観光都市なんだかよくわからないまま、さらに翌日、ポコラから飛行機に乗って、アンナプルナトレッキングの基地、ジョムソンに飛んだ。
 飛行機といっても、14人乗りばかりのツインホッパーだから、3輪車のバスが空を飛んでいるくらいの感覚だけど、これでも一応スチュワーデスが乗務していて、飛行機が飛ぶ前に耳につめる綿と飴玉を配ってくれた。
 ジョムソンまでまっすぐ飛ぶと、途中7000m級のアンナプルナ連山を越えなければいけないので、飛行機は谷あいを選んで飛んでいく。それでも、山々は空高くそびえるのだから、まんず高い山ばっかりだということがわかる。操縦席の扉は広く開け放たれ、テレビカメラが操縦席の窓ごしに山の撮影をしている。パイロットは、大きなテレビカメラがスロットルレバーにさわって墜落しないように、カメラとスロットルレバーの間に手をはさみこんで、飛行機と乗客の安全を確保していた。
 無表情のスチュワーデスが突然立ちあがって、窓の外を眺め回した。つられて外を見てみたけれど、なにがあるわけでもない。異常事態かとびくびくしたけど、約10分後に、飛行機は無事にジョムソンの飛行場に着陸した。ジョムソンの飛行場は、舗装されていなかった。
 砂利の滑走路から石でできた空港ビルに向かう途中で、飛行機がラジェンドラの指示で本来のルートをはずれて、遊覧飛行をしていたことを聞かされた。ふだん飛ばないところを飛んだもんで、スチュワーデスも珍しがって窓に顔をくっつけていたのだった。ネパールが初めてのぼくとしては、見るものすべてが珍しいんで、大きな問題ではない。

 ジョムソンの飛行場には、多くの人が待ち受けていた。といっても、ぼくらを待っていてくれているわけではない。朝一番で飛んでくる飛行機は、多くのものを運んでくる。彼らは、それを待っているのである。午後からは気流が悪くなるから、飛行機は朝のうちにしか飛ばない。朝は、飛行場の出口に集まって、飛んでくる飛行機を待ち受ける。ジョムソンの村人の、それが日課のようだった。
 待っているものの第一は、観光客だ。ほとんどがトレッキング客。彼らは大半がヨーロッパ人で、大きな荷物とともに飛行機を降り、ポーターを雇って山に入る。飛行機を待つ人の群れの中には、ポーターを希望する者たちも当然含まれている。
 観光客の次には、物資だ。飛行機が飛ぶ前、ポコラとジョムソンの間は馬と人間の輸送に頼るしかなかった。飛行機が飛んだ、谷あいの渓谷をぬっていく道だから、たいへんに険しい。
 5日間、かかるのだそうだ。毎日飛行機が飛ぶ今も、エアチケットが買えない人々は、この道を歩いている。同時に、すべての道を歩きたいトレッキング族も、この道を歩く。そしてガイドブックによると、このルートでは、最近山賊の被害が増えているらしい。
 ぼくらは、ジョムソンから針路を北へ、馬に乗って旅をする。ラジェンドラの故郷が、ジョムソンの北20kmにある、ジャルコットという村なのらしい。
 といっても、もともとネパールにもチベットにも造詣のまったくないぼくには、こういう地名を並べられてもさっぱりわからない。とりあえず、今日はカクベニという街までいくとだけ聞きかじっていたので、どこまで行くのかと問うイギリスからの老夫婦に、大いばりでカクベニだと答えていたのだけれど、地図を見たらジョムソンからカクベニまではわずか10km足らずの距離だった。たぶん、老夫婦が期待する回答は、もっとちがうものだったにちがいない。

 テレビの収録の都合もあって、街はずれまで歩いていくことにした。街の中で、羊をさばいている老人がいた。頭蓋骨に刃ものを入れて、内容物をきれいにそぎだしている。1頭の羊は、こうやって隅から隅まで人間に食べられることになるのだろう。
 カメラに向かって作業の手を休めてポーズする老人の表情は、よく煮こんだスープのように、いろんな味がしみこんだいい笑顔だった。彼の手にかかった羊は、はたして悲劇だったのか幸運だったのか。そういえば、チベットは仏教のふるさとだった。この老人も、ダライ・ラマを信じる熱心な仏教徒にちがいない。
 そうそう、ぼくらの旅の仲間には、7人の日本人に加えて、ひとりのネパール人がいた。姓をネパールというこの男は、ネパール政府の観光課につとめる。テレビの取材には、こういう男が同行しなければいけない規則らしい。ちなみに、彼は熱心なヒンドゥー教徒ということだった。
 ラジェンドラは、どこへいったのやらなかなか姿を現わさない。ぼくらはとある店に入って、長いお茶の休憩に入りっぱなしである。すでにジョムソンは高度2000mほどの高地だから、高山病に備えての余裕の行程なのか、ラジェンドラがひたすら道草好きなのかはよくわからない。
 いいかげんにお茶の時間にあきてしまって街はずれまで先行して歩くことにした。学校があって、小さな子や大きな子が遊んでいる。飛行場のそばにも同じくらいの年頃の子どもがいたけれど、同じ年齢でも学校へいける子どもといけない子どもがいるのだろう。
 学校の先は、砂ばかりの荒涼たる光景が広がっている。川の反対側の岩肌には、白いペンキでWelcomeと書かれている。地上30mはあろうかという断崖絶壁の岩肌に、である。いったい誰が書いたのだろうと不思議だけれど、考えてみたら7000m級の山に登る登山家たちがうようよ訪れる街なのだから、このくらいのことは朝飯前なのかもしれない。
 学校と岩肌と、その向こうに広がる白い山を見ていたら、ラジェンドラとみんなが、馬といっしょにやってきた。日本人7人の一行は、ネパールさんとラジェンドラを加え、さらに9頭の馬と馬の世話人が5人、その上ざっと5人のポーターと、なんだかどこからどこまでが仲間なのか、よくわからない状況になった。
 ポーターの最大積載量はだいたい30kmだそうだ。といっても、持ちやすいものを30kmではない。リュックサックを3つとか、1ダース入りのビールを2箱とか、形がないものばかりである。彼らはうまいことそれらをひもで結びつけたりかごに入れたりして、さらに頭でがっしりと重量を受けとめて、こつこつと歩く。彼らの足元は、ズック靴だったり、あるいはサンダルだったりする。最終的には4000mまで登るのだけど、彼らにとっては庭なのか、あるいは登山靴など履いたこともないのかもしれない。
 馬は、一見してかっこのいいのや悪いのがいた。ただし、見る目があるのかといわれれば、そんな自信はまったくない。鞍や足踏みのかっこよさで、なんとなくそんな気がしていただけかもしれない。
 でも、ラジェンドラが風間さんに一番いい馬を与えた。それはやっぱり、ぼくが見てもかっこのいい馬だった。ところが風間さんを乗せた一番いい馬は、まったく動こうとしない。馬は乗る人間を値踏みするというから、どうやら風間さんはなめられたようだ。それで風間さんには、2番目にいい馬が与えられた。一番いい馬はラジェンドラが乗って、いきなり軽快に走り始めた。風間さんを乗せた馬は、ぽっくりぽっくりと動き始めた。
 ぼくの前に現われたのは、おまえはロバかというくらいにかっこが悪いやつだった。でもまぁ、しかたがないから、乗る。乗ろうとする。ところが、乗れない。手綱をもってまたがろうとすると、馬がこっちを向いてしまって、馬の腹の下にもぐりこんでしまう。つかんで引っぱるのは鞍の縁でなければいけないらしい。鞍の縁を引っぱって乗ろうとすると、今度は体が持ちあがらない。乗馬以前の問題である。しかもロバかというくらいの馬だから、この馬はもっとも小さな馬なのだ。苦労していたら、むこう側で馬を押さえてくれる者あり、こちら側でぼくの足を押しあげてくれる者あり。チベット人のみんなの助けを借りて、ようやくぼくは馬上の人となった。
 しかし、動かない。まわりを見ると、誰の馬も、ほとんど動かない。馬使いたちが、馬の尻を鞭で叩いて、ようやくぽっくりぽっくりと歩き始めた。その歩みは、ほとんど歩くより遅い。西部劇とは、似ても似つかぬ。
 しかし馬の遅さを責めている場合ではなかった。馬が歩くと、鞍も左右に揺れなさる。鞍に乗っている人間もまた、左右に大きく揺れる。これがオートバイなら、そうとう揺れたって振り落とされないでつかまっている自信があるけれど、ぼくが落とされそうになっているのは、馬である。
 まず、ハンドルがない。手綱は、ハンドルのかわりになるものらしいが、しょせんひもであって、安定したバランスの頼みの綱とするには、なんとも頼りない。さらに、フットレストが揺れる。位置的には、オートバイも馬も、同じくらいの場所に足を乗せるものがついているが、馬のそれは、これまたヒモでぶら下がっているだけだから、ぶらぶらと大きく揺れるのである。つい、なりふりかまわず、馬の首にしがみついてしまいたくなる。
 道は、ヒマラヤから流れる川ぞいで、たいへんに細い。車が通らないのだから、広い必要はなにもない。階段があっても、坂がきつくても、大きな問題ではない。しかし道を一歩でもはずれると川まで一気の断崖絶壁は、できることならかんべんしてほしい。馬が、よからぬ気を起こして飛びおり自殺をはかったならば、無理心中だ。百歩ゆずってその心配がなくても、ぼくだけずるりと馬の背から滑り落ちたら、そのまま真っ逆さまに落ちていってしまいそうである。
 ただでさえ高いところは苦手なのに、馬の背中に乗っている。馬の背中から見降ろす断崖絶壁は、ことさらに高い。泣きべそをかきたくなった。こりゃ、目的地に到着するまで、一度くらいは落ちなきゃいけないのではないかと、覚悟した。
 ぽくぽくと、馬は歩き続ける。お尻がはねる。はねたお尻は、馬の鞍に着地する。痛い。痛いけれど、どうやってすわったら痛くないのか、とうとう結論がでない。しかたないから、痛いのをがまんする。痛いなどと文句を言っていると、本当に落ちてしまいそうだ。
 ラジェンドラは、ぼくらの道から大きくはずれて、川の底を走っている。こんな高いところを歩かないで、川のそこをいけるなら、そっちのほうが精神衛生上いいではないかと思ったが、よく見れば、ラジェンドラの馬は腹までつかって川を越えている。高いのもこわいが、水攻めもうれしくない。結局、八方ふさがりである。
 やがてひと山を越えて、小さな部落についた。ここでお昼を食べるのだそうだ。まだいくらもいっていないような気もするし、ものすごく遠くまできた気もする。
「おれの馬はまったくのろい」
 チャーハンを食べつつ、浅井さんが言う。浅井さんの馬は、歩みがのろいくせに、ほかの馬が追い抜こうとすると、かみついてそれを阻止するのだ。
「ラジェンドラが後ろからつつくもんで、どんどん走っちゃって、けつが痛くてかなわない」
 風間さんが言う。
「風間さんたちが先へいって、浅井さんを抜けないから、渋滞ができるんですよね」

 曽野部さんが言う。みんな、自分のことを語るのに一生懸命だ。こんなに長いこと、真剣に馬に乗った経験のある者は、ひとりもいなかった。ネパール人のネパールさんにも聞いてみたが、ファーストタイムらしい。
 ジョムソンで会った老夫婦には、ぼくらは馬だからすぐに追いつきますと言って出発を見送ったのだけれど、彼らはもう山のてっぺんまでいってしまったのではないだろうか。
 飯を食い終わったら、もう午後4時に近かった。
「では、カクベニへいって、夕ご飯を食べましょう」
 ラジェンドラがようやく出発を告げた。ふと窓の外を見たら、ぼくらの馬が3頭4頭と連れだってとことこと歩いているではないか。
「おーい、馬が逃げてるぞぉ」
 前方には、数軒の家が見える。そこまでは、2〜3kmだろうか。後で聞いたら、そこが今日の目的地のカクベニだった。こんな距離だったら、歩いたほうがよっぽど楽だ。でも、馬に乗れないから歩いていくというのもなさけないので、見栄を張って足踏みを踏んでみる。
 最初に乗った馬があんまりにも乗りにくかったので、もしかしたらほかの馬だったら事態は変化するかと思って、白い馬を選んでみた。
「それは浅井号ですね」
 花沢君が言う。彼は31歳で、今回のグループの最年少だ。オートバイが好きだから、風間さんのことはよく知っている。いっしょにオートバイで旅行ができるかもしれないと思って、今回の撮影旅行に志願したらしいのだが、開けてみたら、オートバイではなくて、馬だった。
「低レベルのデッドヒートですね」
 花沢君が言う。ぼくの乗った浅井号は、人の馬をかみつくことはしないけれども、ひどくのろい。そして花沢君が乗っているのは、さっきまでぼくが乗ってた馬だった。
「あたっちゃったんですよ、茶色シンボリ」
 花沢君は、音声を拾うアンテナを4本立てたミキサーを肩からかけて、茶色シンボリにしがみついている。
「ライディングポジションが小さくてへんな感じです」
 はたから見ていても、確かにへんな感じである。さっきまで、ぼくがそういう状況だったのだ。
「その白いのは、足の長さが右と左とちがうだろう」
 浅井さんが言う。白いのとは、浅井号である。足の長さというのは、馬の足ではなくて、足踏みの長さのことだ。左足のほうが下っているから、最初から落っこちそうな体制だ。でも、茶色シンボリに比べると、足をつっぱって体を安定させられるので、少々マシである。
 道は、徐々に村の中へ入ってきて、最後に階段を降りたり登ったり、小さな川を越えたりして、坂の途中にあるロッジにたどりついた。カクベニの街には、電気がない。太陽はとうに山かげに隠れているが、屋上から見る山々は、西日を受けてまっ赤に染まっていた。
(つづく)
(初出:1998年02月)
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登録日:2010年06月15日 17時06分
タグ : ネパール

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