北見遼
著者:北見遼(きたみりょう)
夢と現をさまよいながら、文章を連ねるさすらいの文字使い。信州産、現在は神奈川で培養中のもやしっ子。活字と美術と歴史をこよなく愛する。治したいのは積読本をためる癖。
小説/ファンタジー

花霞(1)

[連載 | 連載中 | 全20話] 目次へ
国は慶びに満ち溢れていた。華の皇帝の第一子が誕生したのである。遅れること五年。二度目の出産を終えた彼女の隣で、幼い子供がじっと赤子の顔を覗き込んでいた――。盛唐時代をモデルにした、華の国の物語がいま、始まる。
 序章


 国は慶びに満ちあふれていた。
 こと都においては、特にその熱気も並々ならぬものがあった。
 街道に沿って歩けば、どの家にも紅く染め抜かれた国号の旗が立てられているのがわかる。大路の到達点である宮城の露台からであれば、そのさまを一望できるだろう。
 民たちは、ただ一人の赤子を祝っていた。
 中原に君臨する大国、華(か)の皇帝の第一子が誕生したのである。
「ほんにおめでたいことで」
 喧騒の絶えない市からやや離れた一角で、老人たちがのんびりと会話を交わしていた。
「まったく。ついこの前、陛下が即位なすったばかりだというに、よく慶事が続くわい」
「この旗も休む暇がなかろうに」
 老人たちは頷き合って笑った。
 実際、現在の皇帝李昭が登極してから三月と経っていない。慶事が続いているとは国の誰しもが抱く感情だろう。そして国の御旗が掲げられるたびに、恩赦が下って獄中から大勢が解放され、また税が下げられ市はにわかに活気づく。民たちの歓喜の声は想像に難くない。
「太子様の生まれなすった時に、暁星がひときわ大きく輝いたという話を聞いたぞ」
「何という吉兆じゃ。そんな話は興祖様以来ではないか」
「稀代の名君になられるのではあるまいか」
 彼らが興奮気味に顔を紅潮させるのも無理はない。興祖といえば、華の初代皇帝。小国の相争う血生臭い戦国の世を終結させ、新たな統一国を打ち建てたのだ。
 そのような目覚ましい功績を残した人物は、出生における瑞兆譚がつきものである。無論、後世の創作である場合が多い。英雄になるにはそれだけの理由が必要とされるのだ。だが、誕生と同時に建国の祖と同じ瑞兆の噂が広まるということは、それだけに民の期待が大きいことを表している。
「このまま慶事が続けば良いがのう」
 事実、民は期待していた。
 先代の皇帝が異民族討伐と称して兵や軍費を徴発することが多く、民は疲弊していたのだ。だからこそ聡明で名高かった李昭の即位に誰もが喜び、その跡目を継ぐべき太子に期待を寄せる。たとえ次の御代(みよ)には間に合いそうにない高齢者でも、願わずにはいられないのだ。
 天華元年、父帝の即位と同じ年、瑞兆と民の期待を背負って、太子李翡(りひ)はこの世に生を受けた。
 そして、これが後の世に讃えられる麗しき御代「天華の治」の幕開けでもあった。

   ※

 その赤子の産声を、彼は聞きそびれてしまった。
 いつものように仕事を済ませ、足早に帰ってきた時にはすでに、妻は二度目の出産を終えていた。
「間に合わなかったか」
 と、まるで身内の臨終に立ち会えなかったかのような独白を耳にして、妻は微笑んだ。
「お仕事が忙しいのですもの、無理はありませんわ」
 だが、彼女の慰めの言葉は、かえって夫の心を暗鬱にさせた。
「仕事、か……。そうだな、俺が生命の誕生になど立ち会えるはずもないな」
 その意味をしっかり把握している妻は、それ以上何も言わなかった。
 そんな両親の胸中など知る由もなく、四阿(あずまや)に横たえた彼女の隣で、幼い子供がじっと赤子の顔を覗き込んでいた。
「妹が可愛いか? どうだ、兄になった気分は」
「……わかんないよ、まだ」
 返答に窮した息子の頭を軽く叩き、彼はようやく声を上げて笑った。
「そうか、まだ実感が湧かないか」
 そうして彼は生まれ立ての小さな生命を抱き上げた。その大きな手が、これまで何を奪ってきたかも知らずに、赤子は静かな寝息を立てている。
「父さん、名前はどうするの」
 なりたての兄は、妹にしてやらなければならないことに気づいたようだ。
 訊かれて彼は、腕の中の小さな娘に視線を注いだ。そうしてわずかな沈黙の後に、ゆっくりと口を開いた。
「小耀」
「しょうよう? どういう意味?」
 首をいっぱいに伸ばして見上げてくる幼い息子の顔を、彼はわずかな微笑を浮かべて覗き込む。
「――光だ」


 華の太子に遅れること五年、彼女もまたこの世に生を受けた。だが、その誕生は広く知られようはずもなく、木枯らしの吹き込むような四阿の中で密やかに祝われた。
 天華六年秋のことである。
 これより「天華の治」は十二年間続くこととなる。慶事で始まった天華は、凶事によって幕を閉じる。
 皇后蕭妃、崩御。
 最愛の后を失った皇帝は悲嘆に暮れ、また民からも敬愛されていた蕭妃の死を悼んで国中が喪に服したという。
 翌年、元を改め華永とする。
 だが、この時彼らはまだ、自らもまた新たな名を持ち、互いに名乗り合うことになるとは知らない。彼らはそれほどに掛け離れたところに生まれ、暮らしていたのだ。
 そして時は巡り――やがて華永三年を迎える。
(つづく)
(初出:2001年06月)
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登録日:2010年06月27日 16時33分

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