北見遼
著者:北見遼(きたみりょう)
夢と現をさまよいながら、文章を連ねるさすらいの文字使い。信州産、現在は神奈川で培養中のもやしっ子。活字と美術と歴史をこよなく愛する。治したいのは積読本をためる癖。
小説/ファンタジー

花霞(10)

[連載 | 連載中 | 全20話] 目次へ
天子李昭と俐麗との子、李季英。世衛の陰謀を知ってか知らずか、季英は伯父である世衛を嫌っていた。どうしても玉座が欲しい――。その季英に諜者から報告が入る。
   三


 都城の一角において、二人の兄妹が久々の再会を果たしていた。とはいえ、そこは城内でも極めて特殊な場所であり、彼らもまた一般民衆とははるかに境遇を異にする者たちであった。
「久しいな、俐麗」
「……そうですわね、兄上」
 柳家の兄妹。上は世衛、下は俐麗。華国において並ぶ者のない恩寵を受ける両者である。
「どうした。いつになく元気がないな」
「そんなことは……ありませんわ」
「そうか。ところで首尾はどうだ?」
 その問いに俐麗は口を閉ざした。怪訝な表情で世衛は妹の顔を覗き込む。
「俐麗?」
「やはり……そのことでしたのね。お話というのは」
 兄妹といえども俐麗は天子の夫人の身。しかも現在、皇后の代理ともいえる彼女に、男がそう簡単に会うことは叶わない。世衛は天子に最も信頼を受けており、また俐麗本人の願いでもあったために、このような二人きりの会談が実現したのだった。
「いつまでこのようなことを続けるおつもりですの? このままでは取り返しのつかぬことになりますわ」
「季英が玉座につくまでだ」
 にわかに世衛の眼光が鋭くなった。
「よいか。これは腑抜けの太子を廃し、名君を立てるための策なのだぞ。そのために、しばらく陛下には甘美な夢をご覧いただくだけのこと。そのことがなぜ、おまえにはわからんのだ。余計な口を挟まずに、このまま陛下と戯れておればよい」
「季英も……それを望んでいるのでしょうか」
「人の力を借りるのは不本意だろう。だが、結局のところ目指すものは一つだ。至高の位――万民を見下ろす高みをな。ならば、あれが下手に動いて余分な血を流すよりも、このほうがよほど賢明ではないか」
「そう……でしょうか……」
 なおも首肯しかねる俐麗に、世衛は結論を下す。
「どのみち対立は避けられん」
 有無を言わせぬ一言。うなだれる俐麗に背を向け、世衛は部屋を後にした。
 当然のこと、それも策略の一つである。こうしておけば俐麗は迷うことなく李昭を愛欲の沼に溺れさせることだろう。それでいい。そうでなくては困る。
 早いうちに息子への愛情を失わせねば、身の危険を感じた太子が父に譲位させ、自ら玉座につくかもしれないのだ。事実、阿呆を装って炎狼を手中に治めているではないか。残された時間はあとわずか。それだけの間に太子伯飛を廃し、代わりに季英を据える。そして抗議する太子派を、叛意ありとして討ち取る――それが世衛の計略だった。
 ――あとは、季英か。
 己の甥を思い、世衛は歎息した。いまだ国政の仔細に疎い子供ではあるが、どこか勘が鋭く、傀儡に仕立てようとする自分を嫌っている。
 どうすればあの少年を完全に操ることができるだろうか。世衛は再びせわしく頭を巡らした。

   ※

「母上!」
 力のこもったその声に、俐麗は不意を突かれたように振り返る。
「季英……」
 それは李昭と俐麗との間の子、李季英に違いなかった。齢十五にしては少し華奢な体つき。だが、その双眸には勁さと鋭さとを備えていた。
「またあの男に余計なことを吹き込まれたのではありませんか」
「あの男などと……あなたの伯父君なのですよ、季英」
「伯父など!」
 たしなめる母に、季英は苛立った声を上げた。
「あいつがおれを甥として扱ったことなどあるものか。所詮、自分の出世の道具としか見ていない! あんなのはあの男で充分……」
「――季英」
 再び息子を呼ぶ声は、抗いがたい響きがあった。季英は思わず口をつぐむ。
「礼節と忠孝の心を忘れてはなりません。おわかりですね、季英」
「……母上は騙されている!」
 うつむき加減に、季英は苦々しく言い捨てる。
「どうしてわかってくれないんだ。あの男は母上やおれを利用しているだけなのに……母上を使って父上を欺こうとしているのに!」
「季英……口を慎みなさい」
 苦渋に満ちた表情を浮かべる母に、季英は勁い視線を向けた。
「どうしてもおわかり頂けないのですね。でしたら、こちらはこちらで好きなようにさせてもらいます」
 くるりと踵を返して、大公季英は柳夫人の御前を退った。
 俐麗は黙って見つめることしかできなかった。ただの一度も振り返らぬその背中を。


 ――なぜ、あの男の野心に気づかない。
 力いっぱい足を踏み鳴らして城内の回廊を進む季英は、完全に腹を立てていた。
 野心家の伯父に、頼りない母に、そして己を見失った父に。
 ――玉座が欲しい。
 誰の前にも屈することのない至高の位。いかなる策を使ってでも、自分の手でものにしたい。そうなれば毒気の塊である伯父を排除し、母に安穏な日々を過ごしてもらうことができる。
 しかし、どうやって。
 いつもその問題にぶつかってしまう。まだ十五を数えるだけの少年に、異母兄の太子を廃し、父から譲り受けて即位するということは幾重にも困難なことだった。実績と経験とを積んだ世衛ですら難儀なのだから、当然のことである。
 悶々としながら長い回廊の角を曲がった時、彼は自分の配下の者と出くわした。というよりは、その従者は主人が一人になるのを待っていたのだ。そして、従者のもたらした報告に季英は眉根をつり上げた。
「何、炎狼だと!?」
「殿下、お声が大きいですよ」
 従者は慌ててまだ若い主人をたしなめた。だが季英は、驚愕と憤慨の表情をにわかに消すことなど、とうていできなかった。
「なぜだ。なぜ伯飛めまでが、しゃしゃり出ておれの邪魔をする」
 従者が告げたのは、先だって世衛が正体不明の覆面男から聞かされたものとほぼ同じ内容だった。
 太子伯飛、炎狼を手中に収む。
 ただし、それは偶然舞い込んで来たわけではなく、自ら諜者を放って探らせたものである。それを思えば、季英方の情報収集力は伯父世衛を上回っていることになる。
「太子が我々の計画に感づいたのでしょうか。でしたらそれを咎めたところで、逆にその件を持ち出すかもしれません。であれば、こちらのほうが危地にさらされることになりましょう」
「わかっている!」
 あまりに当然すぎる台詞が季英の癇に障った。
「問題は、いかにして太子とあの男とを陥れるかだ。どちらも一筋縄ではゆかぬからな」
 あの太子は凡庸なように見えて意外に抜け目ない。油断してかかれば、こちらのほうが食われるかもしれないのだ。焦燥感に駆られる季英に向かって、再び従者が口を開いた。
「あの男とは、やはり殿下の伯父君のことでしょうか」
 その、間の抜けた発言は、季英を怒りの極致に追い立てた。
「もうよい、下がれ!」
 半ば自棄になって叫ぶと、従者はすごすごと背を丸めるようにして御前を離れた。その後ろ姿を見るにつけても腹が立つ。
 ――どいつもこいつも役立たずだ。
 その思いに、季英は大きく舌打ちした。
 季英は太子派の忠臣群と、それに対抗し権勢を広げる柳氏一族という二つの陣営を相手取らなくてはならない。だが、そのための駒が絶対的に不足している。
 やはり自分の才覚と技倆を頼みにするしかないのだろうか。とはいえ、たかだか十五の少年にどれだけのことができよう。
 季英は、ちっとも明るくならない己の未来に、ただ暗鬱とした思いを深めるばかりだった。
(つづく)
(初出:2001年07月)
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登録日:2010年06月27日 16時53分

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