北見遼
著者:北見遼(きたみりょう)
夢と現をさまよいながら、文章を連ねるさすらいの文字使い。信州産、現在は神奈川で培養中のもやしっ子。活字と美術と歴史をこよなく愛する。治したいのは積読本をためる癖。
小説/ファンタジー

花霞(11)

[連載 | 連載中 | 全20話] 目次へ
慣れない女官の正装をさせられた紅耀は城内を探索に出かける。舜水に紅耀の危険性をうったえる子羽。しかし、相変わらず緊迫感とは無縁の表情を浮かべたままの舜水なのだった。
   四


 華の太子の私室ともなれば、誰しも豪華絢爛なさまを想像するだろう。
 確かに内装は見事なものだ。壁や柱には名匠による丸彫や薬研彫が施され、調度も贅を尽くしたものばかり。しかし、よほど豪商の私室のほうが華やかだというところが一つある。それは普段、側女を侍らせていない点だ。
 だが、今その私室に珍しく女の影があった。
「……どうしてこんな気持ちの悪い格好をしなければならないんだ」
 恨みのこもった目で部屋の主を見上げるのは、女官の正装をさせられた紅耀だった。
「気持ち悪いかなあ。結構、似合ってると思うけど」
「顔はべたべたするし、裾も袖もびらびらして落ち着かない。だいたい、何でこんなに布を余分に使うんだ? 動きづらくて仕方がないだろう」
「まあ、でもそれが正装だからね。城内にいる間はそれで我慢してもらわないと、周りがうるさくって」
「……他人事だと思って。おまえも一度着てみればいいんだ」
「いや、それは遠慮しておくよ」
 丁重に断っておいて、舜水は不平をこぼす少女を見やった。
 取り敢えず紅耀を城内に置くことはできたが、さすがにそのままの姿というわけにはいかない。そもそも事情を知らない者のほうが圧倒的に多いのだ。褪せた麻布を帯で留めただけの粗末な格好をしていれば、たちまち目立ってしまう。城内に紛れ込ませるためには、どうしても女官の裳衣を着せ、化粧までさせなければならなかったのだ。
 そういうわけで、彼女が太子の私室にいる理由は人目を避けるためと、もう一つ――
「本当に、こんなものが仕事なのか?」
 舜水は紅耀の呆れたような視線も気にせず、差し出された湯呑みに口をつけた。
「美味しいお茶を淹れるのも、結構大変な仕事だよ。ああ、でもよかった。上手に淹れてるね」
 もとは茶屋なのだから当然だ。そう言い返してやりたかったが、自らの素性を明かすわけにもいかないので、紅耀は別のことを口にした。
「茶器が使いにくい」
 それもまた正直な感想だった。普段、自分の店で使っていたものと違い、この部屋にあるものは手に馴染まず、扱いにくかったのだ。
 その言葉に舜水は苦笑するだけだった。彼女にしてみれば、それが青磁であろうと白磁であろうと関係のないことなのだ。道具は、その機能こそが最も重要なのだから。
 すると、紅耀は不意に思いついたように口を開いた。
「ところで、私の着ていた服をどこへやったんだ。おまえたちにしてみれば襤褸(ぼろ)に等しいだろうが、勝手に捨てられては困るぞ」
「心配しなくても大丈夫。洗ってもらってるから、乾いたらちゃんと返すよ」
「他人に洗ってもらう必要はない。自分でやる」
 きっぱりと言い放ち、厚い扉を押し開けようとする紅耀を、舜水は呼び止めた。
「どこへ行くつもりだい? 水場がどこかもわからないだろう」
「勝手に押し込めておいて言う台詞か? 城内の間取りもよくわからないから、回ってくるだけだ」
「一人じゃ迷子になると思うけどねえ」
 城門からまっすぐここまで連れられてきただけの紅耀は与り知らぬことだが、広大な禁城は何千もの部屋が存在するのだ。たとえ方向感覚が優れていようと、不用意に出歩けばどこかに迷い込んでしまうだろう。
 反駁する言葉を探して紅耀が戸口にたたずんでいると、扉のほうがひとりでに開いた。入ってきたのは、持ち主の次にこの部屋を頻繁に使う人間だった。
「何で戸口に突っ立っているんだ? 出るのか、入るのか、どっちだ」
 その言い草に、紅耀はますます機嫌を損ねたようだ。
「――出る」
 言い捨て、彼女は今度こそ本当に部屋を出ていった。迷子になったらその時に考えればよい。これ以上、太子の私室にとどまっているのは苦痛でしかなかったのだ。
「子羽。女の子に対して今の言い方はないんじゃない?」
 舜水は幼馴染みの言動をたしなめたが、本人はまったく気にする様子はなかった。
「どのみち人払いはするつもりだったからな。今はおまえに話があって来たんだ」
「おやおや。どうしたんだい、改まって。立ち話というのもなんだし、まあ座ってお茶でも飲んだらどうだい」
 席を勧めると、舜水は淹れられたばかりの茶を差し出した。子羽は黙ったまま湯気の沸き立つ湯呑みを受け取る。これではどちらが主なのかわかったものではない。この様子を太子派の面々、特に鄭老あたりが目撃したら、卒倒しかねないだろう。
 そんなことはお構いなしに、子羽は熱い茶を一口だけすすると卓に戻し、おもむろに口を開いた。
「……伯飛。おまえが拾ってきたとかいう、今の娘のことだが」
「ああ。紅耀が何か?」
「あまり油断するなよ。あの娘の眼……あれは尋常ではないな。幾度も修羅場をくぐり抜けてきた、血に飢えた獣の眼だ。十四、五のそこいらの豎子(がき)じゃない」
 子羽の瞳に、鋭さが増した。それだけ真剣である証拠。だが、忠告を受ける当人は、緊迫感とは無縁の表情を浮かべたままだった。
「そうだねえ。紅耀は少うし人とは違っているから」
「少し、で済む問題か!? おまえ、ちったあ自分の身の心配をしろ!」
「なぜ?」
「あれが、刺客ではないと言い切れるのか?そもそも、おまえは生きているだけで柳氏の――」
「それ以上は言わないほうがいい。誰が、いつどこで何を聞いているか、わかったものじゃないからね」
 声を高めた子羽の口を、舜水は素早く手で覆った。
「それに、君のほうこそ身辺に注意すべきだよ。気づいたら陥し穴の中、というのではお間抜けも過ぎるからね」
 舜水の指摘は、決して的の外れたものではない。子羽自身も宮廷に身を置きながら、多くの敵を抱えているのだ。彼がいま少し平和や友好を重んじる人間であったなら、敵の数は現在の半分には減っていただろうというのは、無意味な仮定でしかない。
「……おまえにだけは言われたくない」
 塞いでいた舜水の手をむりやり引き剥がすと、子羽は腹立ち紛れに茶を一気に飲み干した。
 しかしその後、彼は怪訝そうな顔で、空になった湯呑みを見やる。
「今日の茶は前よりいくぶん良くなったな。あの出涸らしだか白湯だかわからん液体より、よほどましだ」
 すると、舜水はにわかに表情をほころばせた。
「ああ、美味しいだろう。これは紅耀が淹れてくれたんだよ」
 その時、もし子羽が湯呑みに口をつけている最中なら、確実に吹き出していたに違いない。それほど彼の動揺は激しかった。
「お、おまえ……! もしかしたら毒が入っているかもしれないとか、そういうことを考えろ! だいたい、太子のくせに素性も知れない奴を近づけすぎなんだよ!」
 しかし、至って平然とした太子は、しれっとして答える。
「大丈夫だよ。僕が先に毒見しておいたからね」
 一瞬、空白がその場を満たした。
「――こ、この……」
 その後、凄まじい罵声が宮城の一角に響き渡った。
(つづく)
(初出:2001年07月)
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登録日:2010年06月27日 16時55分

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