北見遼
著者:北見遼(きたみりょう)
夢と現をさまよいながら、文章を連ねるさすらいの文字使い。信州産、現在は神奈川で培養中のもやしっ子。活字と美術と歴史をこよなく愛する。治したいのは積読本をためる癖。
小説/ファンタジー

花霞(12)

[連載 | 連載中 | 全20話] 目次へ
いかにして太子を廃し甥っ子を天子につけるか――策略に頭をめぐらす世衛に、「あんたが玉座につけばいい」とごく当然のようにそそのかす黒衣の男。やがて世衛の顔に愉悦の色が広がった。
   五


 玉座に座る天子は、臣下の奏上を聞いていた。華において天子の信望を一身に集める寵臣、柳世衛の言を。
「陛下、先日の備蓄の件ですが、臣に良案がございます」
「ほう、そうか。申してみよ」
「臣の調べましたところによると、幾つかの州において法を犯し、不当な搾取が行われているもよう。そこで、その州刺史の任を解き、集められたものの一部を民に配り、残りと没収した財とを国の管理下におけばよろしいかと存じます」
 李昭はただその内容に頷くだけだった。そして嬉しげに口を開く。
「おぬしはやはり、この国においてなくてはならぬ存在じゃ。賢臣と賢女の両花を得て、余も嬉しく思うぞ」
「臣の如き不肖の身には、あり余るお言葉です」
 深く叩頭する世衛に、李昭は満面の笑みを向ける。
「では、好きにするがよい。おぬしの裁断に任せるでな」
「御意」
 承諾する世衛の声にも自然、力がこもる。彼はたった今、戸部尚書の身としては破格の待遇を受けたのだ。朝議にもかけず、ただ一人の臣の提言をそのまま聞き入れるなど、異例の事態。いくら世衛が六部長官の一人であるとはいえ、戸部はまったくの管轄外だ。明らかな越権行為にも関わらず、李昭はそれを承認するどころか賞賛までしたのである。これは名君と呼ばれた李昭の精神的な衰えを如実に示していた。
 そもそも先の世衛の奏上など、以前の李昭であったならば聞き入れたはずがない。実際、州の罪状など世衛が捏造したものだ。これまで柳氏に与するを拒んできた州や、民に同情したのか徴収の手を緩め、賄賂の減った州の刺史を解任し、代わりに一族の者を派遣しようという謀略の一つに過ぎないのだ。
 御前を退った世衛の前に、数人の官たちがいた。彼らは頭を垂れたまま、権力の階(きざはし)を登りつめてゆく上官が通り過ぎるのを待っていた。
 先日、世衛ら柳兄妹に雑言を吐いた官らが非業の最期を遂げた。それ以来、世衛の周りで彼を表だって非難する者はいなくなった。
 本来ならば喜ばしいことである。しかし、敵が姿を消すと同時に世衛は、なぜか居心地の悪さを覚えるのだった。
 従順な下官の前を通り過ぎ、世衛は無人の廊下を歎息しながら歩いていた。
 ――いかにして、太子を廃すか。
 強力な同志は得た。経歴も身元も一切不明だが、技倆のほどは確か。それさえあれば充分だ。あの黒衣の覆面に炎狼を引きつけておいて、一気に太子の城に攻め込む。理論上は簡単なことだが、問題はその方法である。第一、自分に軍事権はなく、一兵も動かすことは不可能なのだ。では、何らかの罪を着せて捕えさせ、退位を迫るか。殺すのは後でもよい。だが、何の罪で――?
 自室に戻ってからもまだ思案に暮れる世衛の背後から、声が上がった。
「柳尚書」
 突然の出現に、世衛は心臓が止まりそうになった。
「気配を絶って俺の背後に現れるな」
 冷や汗をかきながら振り向いたそこには案の定、全身を黒衣で包んだ男がいた。
「失礼。昔からの癖なのでな」
「まさに悪癖だな」
 世衛は毒づいたが、それは自身の怯えを隠すための虚勢である。その実態を見透かしているのか、男は黒布の隙間から意味ありげな視線を向ける。
「ところで柳尚書、あんたの可愛い甥っ子が何やら不穏な動きを見せているようだがね」
「季英が!?」
「そうとも。あの大公殿下はあんたの策略に感づいている。そこで柳尚書と太子の両方を亡き者にしようと企んでいるのさ」
「なっ……」
 世衛は言葉を失った。あまりのことに、彼は眼前の男が敬語をなくし、礼を欠いていることにも気づかなかった。
「そんな莫迦な……それでは計画が全て無に帰してしまうではないか!」
 このままでは季英との対立も避けられない。そうなった以上、たとえ彼を玉座に据えてやったところで自分に恩義を感じるどころか、逆に邪魔者として排除にかかるだろう。世衛の耳に己の計画が崩壊してゆく音が響いた。
「俺に言わせればあんたも莫迦の同類だよ、柳尚書」
「何だと!?」
 その時になってようやく世衛は男の非礼に気づいた。だが、どんな形相で睨まれようとも、覆面の下の表情が変化した様子はなかった。
「太子暗殺まで目論むあんたが、なぜ大公などにこだわるんだ? 妹の子だからか? ならばお笑いだな。そんな感傷的なことを言っているようでは所詮、大望も果たせるはずがない」
「では、俺にどうしろと……?」
「あんたが玉座につけばいい」
 男の台詞は、ごく当然なことを言うように気負ったところがなかった。その分、驚愕し、凍りついた世衛の表情が対照的に浮き彫りになる。
「別に驚くことはなかろう。華でさえ初代興祖が前王朝を滅ぼし、打ち立てたんだ。あんたが次の始祖となってはならぬ道理はない」
 すげなく言い放つ男に、世衛は不審と猜疑の視線を向ける。
「俺をそそのかして……おまえはどうするつもりだ?」
「どうもしないさ。ただ、俺は今の天子が嫌いだ。だから奴の血を受け継がぬ者が玉座につけばよいと思っている」
「……なるほどな」


 宮城は夜の闇に包まれている。
 春とはいえ、まだ冷気を含んだ夜風になぶられながら、世衛は格子越しに冴え冴えと輝く月を眺めていた。
 ――自分に、できるのだろうか。
 帝位簒奪。
 幼きより天子に仕えるよう教わってきた世衛にとって、それは己の死よりも恐ろしいことに思えた。これまで妹を利用し、天子を思いのままに操っていてさえ、至高の位を手に入れようとは考えもしなかった。だからこそ、わざわざ甥の季英を玉座に据え、臣下として最高の位につこうと謀っていたのだ。
 だが、あの男はたやすく世衛の価値観を打ち砕いてみせた。玉座につけと、ただその一言で。
 華は確かに強大で豊かな国だ。世衛が生まれた時にはすでに周辺の異民族を平定せしめ、戦乱から太平の世へと移っていた。その栄華は永遠に続くものと思っていたのだ。
 しかし、それは幻想にしか過ぎない。始まりがあれば終わりもある。栄えたものはいつか衰える。満ちた月は欠け、開いた花はやがて朽ち落ちるように。国もいずれ滅びの時を迎えるのだ。
 ならば、己の手で華という熟れすぎた実をもぎ取って何が悪いというのだろう。
 古参の直臣どもが忠義面で戦を仕掛けてくるだろうが、彼はまだ若い。一旦王朝を築いた後は老年までに国を安定させることもできるはずだ――うまくゆけば。
 世衛は露台に出た。欄干にもたれながら、痩せ細った下弦の月を見上げる。
 すると、煩悶する彼の耳に琴を爪弾く音が聞こえてきた。
 愁色を含んだ、細い旋律。
「俐麗……」
 彼は奏者の名をそっと呼んだ。
 音は天子の御殿である紫宸殿のほうから流れてくる。夜の帳が降りたこの時に、玉体の傍に侍るのはただ一人。――そう、彼にとって唯一、心をともにする妹しかいない。
 はかなげな音に身を預けていた世衛に、やがて愉悦の色が広がった。
「やってやる。俺のできるところまでな」
 その声は琴の音と絡み合い、闇の中に掻き消えた。


 白く華奢な指先が、たおやかに弦をはじく。琴を奏でるその白面に、月の淡い光が降り注ぐ。
「美しい音色じゃ。しかし悲しげな曲じゃの」
 彼女の傍で、黄の袍に身を包んだ男は言う。その絹地には雄々しく飛翔する龍の姿が刺繍されている。この国でただ一人、その袍を纏えるのは天子、李昭。
 彼女は何も答えずに、細い指と虚ろな視線を弦にのせる。李昭は彼女にささやきかけた。
「俐麗」
 呼ばう声とともに首筋にかかる吐息が熱い。それでも俐麗は手を休めようとはしなかった。
「何を愁えておる。そなたの心は琴の音ほどには落ち着いておらぬようじゃ」
 俐麗は口を閉ざしたまま弦から手を離す。見上げれば、李昭の顔が間近に迫っている。
「何がそなたを苦しめておるのじゃ」
 真剣な眼差し。だが、俐麗はその問いに首を振るしかできなった。
 言えるはずがない。兄の罪を、そしてそれに与する己の罪を。
 目を伏せ、顔を背ける彼女に李昭は再びささやいた。
「そなたにも言えぬことはあろう。強いて求めはせんよ。そなたが心を開くまではな」
 どれだけ求めようと、心まで手に入れることは叶わない。たとえこの世で最も尊貴な身であろうとも。
 なればこそ、更に欲しくなる。甘い罠とは知りつつも、欲望の深みにのめり込む。国を、民を、全てを投げ打ってさえ。
「もう一度聞かせてはくれぬか。そなたの愁いを映した曲を」
 俐麗は再び琴を奏でる。その悲しげな音色は夜風に乗って、闇に包まれた空気を震わせる。まるで彼女の心のように。


 中原の地に興った華。その李の花は盛りと咲いている。
 だが国は興亡といい、勢は盛衰という。自らの身に待ち受けるものを、誰が自覚しているのだろうか。
 花の美しさに気を取られ、実の内から朽ちゆくことを彼らは知らない。
(つづく)
(初出:2001年07月)
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登録日:2010年06月27日 16時56分

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