北見遼
著者:北見遼(きたみりょう)
夢と現をさまよいながら、文章を連ねるさすらいの文字使い。信州産、現在は神奈川で培養中のもやしっ子。活字と美術と歴史をこよなく愛する。治したいのは積読本をためる癖。
小説/ファンタジー

花霞(14)

[連載 | 連載中 | 全20話] 目次へ
都城の喧噪をさけ、閑散とした道を歩く紅耀の前に、複数の黒い影が現れる。軽くいなす彼女に、顔を黒い布で覆った男が姿を見せた。武器を失った紅耀に男の太刀が襲いかかる!
   二


 春の都城に霧雨が降る。
 街も、人通りが減ったためか少しばかり活気がない。それでも大通りのほうはかなりの人だかりができていた。
 時折起こる歓声や拍手から、大道芸人などの見世物なのだと自然と知れる。また別のところからは、露店商たちの怒鳴るように張り上げた呼び込みの声が交差する。そして行き交う人の髪や目の色はさまざま。
 安都は異国情緒溢れる都。安都を見れば世界が見渡せるというのは、単なる豪語ではない。華は少なくとも大陸上のほとんどの国と交易を行っているのだから。
 また、その洗練された文化に魅かれ、危険を冒してまでも海を渡って華を訪れるような、命知らずすら数多く存在する。磁場に引き寄せられるかのごとく集う者たちによって、華はますます繁栄する。安都に活気ある限り、華は安泰だった。おそらく安都という極上の美酒に酔いしれた者は、誰しも同じ感情を抱くことだろう。
 その街の喧噪をぬうようにして歩く者がいた。齢十四、五の小柄な少女はまるで人目を避けるように閑散とした道を行く。
 細かい雨粒が少女の髪を、肩を濡らす。それでも彼女は歩みを止めようとはしなかった。
「まだか……」
 少女は眼を細め、小雨の降り注ぐ薄暗い空を見上げた。
 少女の名は紅耀――花氏一族のただ一人の生き残りだった。
 紅耀は目を閉じ、耳を澄ます。意識を集中させ、五感を研ぎ澄ます。そして肌に張りつめた空気を感じ、彼女は小さく呟いた。
「来た」
 同時に出現した人影は複数。動きに無駄のないことから、その道の者なのだと一目でわかる。幾つかの黒い影が彼女を取り囲むように間合いを詰めてくる。手にはそれぞれ武器があり、素手の者は一人もいない。
「おまえら、どこの手の者だ!?」
 厳しい問いに返ってきたのは無言の斬撃だった。だが、白刃は朱に染まることなく空を切る。
「力ずくで聞き出すしかないか……」
 舌打ちしつつ、紅耀は両手を閃かせる。彼女を囲んでいたうちの幾人かがうめいて倒れる。彼らの身体には真っ直ぐに細い削が突き立っていた。その刃には痺れ薬が塗られている。生命を奪わず複数の敵を倒す、少なくとも今は唯一の手段といえる。
 驚くべき速さと正確さだった。同業であればこそ、いっそう彼らはその神技に近い少女の技倆に怯んだ色を見せる。
 紅耀は彼らに冷ややかに告げる。
「心配するな。急所は外してある」
 その声で彼らは我に返り、そして殺気まがいの闘志を剥き出しにした。
「餓鬼が調子に乗るな!」
 先頭の男の激しい斬撃を、紅耀は薄紙一枚ほどの差でかわす。
 どうやら逆効果のようだ。
 彼女としては本心からそう言ったのであり、本来の目的も殺戮ではない。だが、このままでは手加減して目的を達成するのも難しいようだ。
「仕方がない……」
 呟いて、彼女は一瞬の間に態勢を変えた。地に片手をつき、のばした足で男の両脚を素早く払う。これには男も対処のしようがなかった。体の均衡を失い、無様に転倒する。
 紅耀は所有者よりも先に、転がった太刀を拾い上げた。その隙をついて幾人かが斬りかかったが、少女は舞うように刀尖をかわす。そして、彼女は手に入れたばかりの太刀を、腰を上げろうとする男の喉に突きつけた。
「この男の命が惜しくば刀を引け!」
 鋭い命令に、残りの者たちはそれ以上動くことができなかった。
 紅耀は戦いのさなかに誰が統率者であるか見抜いていたのだった。だが、彼らが動きを止めたのは統率者の命を惜しんだためだけではない。本来ならば、刺客を請け負う者は仲間を見殺しにしてでも標的を仕留めようとするものである。しかし、ここで不本意ながらも戦意を削いでしまったのは、ひとえにこの少女に気圧されてしまったからなのだった。
「おまえたちの飼い主は誰だ」
 紅耀は男を見下ろし、静かに問う。
 もとより、そのためにわざわざ都城内を徘徊し、予想される襲撃を逆手にとって接触を試みたのだ。失敗するとは微塵にも思っていないところが、この少女の気性を表していると言えよう。
「俺たちは狗ではない。金と引き換えに仕事をしているだけだ」
 男のふてくされた言い草に、紅耀は口の端に苦笑を浮かべる。
「そうだな。では、『客』は誰だ」
「……知らんな」
 太刀の尖端がわずかに上がった。男の顎に細く赤い糸が垂れる。
「嘘ではない、本当に知らんのだ。俺たちは金額さえ見合えば名を聞かずとも引き受けるからな」
「だが、顔ぐらいはわかるだろう」
「それも……わからん。奴は顔を黒い布で覆っていた」
「何!?」
 紅耀の高まった声に、男のほうがむしろ驚いたようだった。しかし彼女はそんなことは気にも留めず、興奮気味に問い詰める。
「いつ会った!? その男はどこにいる!?」
 紅耀の剣幕に男は完全に圧倒されていた。そして我を忘れかけていた彼女は、そのために周囲のごくわずかな気配にも気づかなかった。
「そ、それは……」
 男は言い淀む。唾を呑み込み、次の言葉を出そうとした彼の口は、永遠に目的を果たせなくなった。
 風を裂く鋭い音とともに飛来した矢が、男の喉に突き立った。首を貫き、血に塗れた矢尻が尖端を覗かせる。
 紅耀は反射的に剛弓の使い手を求めて振り返る。その視線の先には闇があった。
 全身を闇色に包んだ人影が、地上に舞い降りた。その黒衣の男は近隣の建物の屋根から狙いすまして矢を放ったのだった。
 黒布の隙間から除く双眸が不気味な色に満ちていた。だが紅耀は臆すことなく毅然と立ち向かった。
「やはりおまえか。なぜ自分の味方を矢にかける?」
「味方?」
 男は鼻先で笑った。声に表れているように、覆面の下の素顔には侮蔑の色が広がっているに違いなかった。
「足手まといになる味方など、敵より始末が悪い」
「だから、殺すのか?」
 紅耀の声が低くなる。沸き起こる感情を押し殺すかのように。
「ならば、なぜおまえ自身が最初から出てこない!? 殺すぐらいなら端から手を借りなければいいんだ!」
「貴様の実力を測るためだ。前の時は逃げてばかりでまともに撃ち合うこともなかったからな。貴様が真に炎狼の名に値するか、もう一度この眼で確かめようとしたまでだ」
「勝手なことを言うな! 私は炎狼を名乗ったことなど一度もない!」
「……何?」
 訝しむ男に、紅耀は沸き上がる怒りをぶつけるように吐き捨てた。
「私は炎狼ではない。その名はもう捨てた。おまえが炎狼を求めて狩るというのなら、それは見当違いもいいところだ」
 汚れた呼称。代々受け継がれる呪縛。そんなもの、紅耀は欲しくなかった。それでも、この身に炎狼という獣の血が流れる限り、決してその縛めから逃れることはできないのだ。
 そして、この男もまた彼女が人になることを阻むものの一つだった。忘れたいはずの獣の血を、嫌でも思い起こさせる。
「なるほど、貴様はただの抜け殻というわけだな」
 男は黒布の裡で喉を鳴らす。紅耀の背に戦慄が走った。だが、逃げるすべを彼女は知りようもなかった。
「技倆だけは大したものだったと誉めてやろう。だが、魂の抜けた炎狼に生きる価値などないわ!」
 まさに一瞬のことだった。恐ろしいほど素早い斬撃が少女の身体に襲いかかる。咄嗟に構え直した彼女の太刀は男の刃に巻き取られ、遠くはじき飛ばされた。
 得物が普段使い慣れた刀子より長く、重い太刀ということもある。だが、それ以上にその結果が気迫の差であることを、誰よりも自分自身が知っていた。
 そして彼女は武器を失った。
「貴様に足りんのは覚悟だ。ためらっていては人は斬れん。その甘さを後悔しながら死ぬがいい!」
 紅耀は身じろぎしなかった。否、できなかったのだ。捕縛されたように立ち尽くす彼女に向かって男は太刀を振り上げた。
 これで終わりだと思った。――その、聞き慣れた声を耳にするまでは。
「――紅耀!」
 呼び声と同時に、両者の間に飛び込んでくるものがあった。白い刃を露にして地上に突き立ったそれは、彼女が河でなくしたあの刀子だった。
「素手の女性相手に暴力を振るうのは、男として感心できないね」
「舜水!?」
 紅耀は我が目を疑った。だが、この緊迫した状況に似合わぬ呑気な口調は、舜水と名乗る青年のものに違いなかった。
「その刀は前から預かっていたんだけど、なかなか返す機会がなくってね。そのせいで苦戦させてしまって悪かったよ」
「………おまえな」
 紅耀はすでに刀子を手にしていたが、それを取り落しそうになるほどの脱力感を覚えた。
 ――この非常時に何を惚けたことを言っているんだ、こいつは。
 その思いはどうやら黒衣の男も同じだったようだ。
「いい場面でのご登場だな、太子殿。まるで計ったかのようだ」
「まさか、そこまで僕は役者ではないよ。途中で彼女を見失って、ようやく見つけたらこの騒ぎというわけさ」
 舜水は、紅耀が城を抜け出すのを目撃した。が、それを止めずに後を尾行ることにした。黙って出てゆくには何かそれだけの理由があるのだろう、そしてそれは彼女の抱える傷と深い関わりがあるに違いないと判断したからだ。
 だが、姿を現す時機については男の指摘通り、因縁深げな二人の対話が一段落つくのを待ってのことである。当然、それを素直に教えてやる義理はないが。
「……ほう」
 男の声に微量の変化が生じた。瞳に危険な笑みを浮かべて、男は柄を握り直す。しかし舜水はそれを見てもいっこうに動じる気配はなかった。逆に、長年の友人に対するような口調で話しかける。
「それより、いつまでもここにとどまっていていいのかい? 騒ぎを聞いてこちらに向かったのは僕一人ではないんだよ」
「……何?」
 男が訝しげに聞き返した、まさにその時だった。
 本人にとっては不本意ながらも、恐らく油断していたのだろう。何しろ相手は丸腰の軟弱な青年と、戦意を喪失した少女のみ。男にしてみれば、彼らを屠ることなど赤子の手をひねるぐらい容易なことだったはずだ。
 その、圧倒的に優位な立場が逆に隙を生んだ。
「―――!」
 風を切り、一本の矢が射放された。その方向を視認する間もなく、男の腕から赤い飛沫が舞い散った。
 完全に射貫いたわけではない。それでも、男の手から得物を放させるには充分だった。
「く……っ」
 男は忌ま忌ましげにうめき、取り落とした太刀に手を伸ばす。だが、それをわざわざ待ってやる義理はない。
「走れ!」
 その間隙に乗じ、舜水は呆然と立ち尽くす少女の手を引っ張った。彼女がまだ返事もしないうちに、舜水は小さな手を取ったまま建物の蔭へと走り去った。
(つづく)
(初出:2001年09月)
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登録日:2010年07月06日 15時32分

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