北見遼
著者:北見遼(きたみりょう)
夢と現をさまよいながら、文章を連ねるさすらいの文字使い。信州産、現在は神奈川で培養中のもやしっ子。活字と美術と歴史をこよなく愛する。治したいのは積読本をためる癖。
小説/ファンタジー

花霞(15)

[連載 | 連載中 | 全20話] 目次へ
炎狼だと気が付いているはずの舜水は何も聞かない。いらだつ紅耀は逃げ出すようにその場を離れる。雨の降りしきるなか、疲れ切った紅耀の前に現れた偉丈夫は敵か、味方か。
   三


「ここまで来ればもう大丈夫だろう」
 幾つ目かの角を曲がった時、舜水はようやく足を止めた。それまで彼に引っ張られる形だった紅耀は、やっとの思いでその手を振りほどいた。
「ああ、ごめん」
 笑いながら謝る彼に、彼女は沈黙をもって答えとした。
「さてと、これからどうやって帰ろうか。正門から堂々と入るわけにもいかないだろうしね」
「……舜水」
「何だい?」
 呼ばれた彼はこの上ない笑顔を向ける。それが余計に苛立たしい。
「なぜ訊かない!? おまえは炎狼なのかと! なぜ笑ってはぐらかそうとするんだ!」
 自分が何を言っているのかもわからなかった。ただ、自分の中にある形のないわだかまりを全て吐き出してしまいたかった。
「その必要がなかったからね。君が自分から言い出すまでは、こちらから何も訊かないつもりだった」
「おまえ、知って……だったらどうして知らないふりなんか……っ」
 明らかにうろたえる紅耀に、舜水は真っ直ぐな瞳で語る。
「君の嫌がることはしたくなかった。言えば傷つくとわかっていたから」
「誰が傷つくか! 人殺しの一族などに哀れんで、それで自分が情け深いと感じられればおまえは満足なのか!?」
 混乱していた紅耀は、再び気づいたように叫んだ。そしてそのまま両手を突き出し、傲然と言い放す。
「さっさと縄をかけて朝廷なり庁府なりに連れていけ。役人であれば昇進できたであろうが、太子とあっては残念なことだ」
 少女は皮肉げに笑う。その表情がかえって痛々しかった。
「その必要はないよ。君は人殺しではないからね」
「何を莫迦な……」
 言いかけた彼女を制して、舜水はなおも続ける。
「炎狼が生きるためにしてきたことは知っているよ。だからといって責めるつもりも哀れむ気もない。だけど、君は少なくとも一人もその手にかけたことはないはずだ」
「自信たっぷりだな。私に殺人容疑がかかっていると知ってのことか?」
「それは、その刀を見れば一目でわかるよ」
 はっとして紅耀は右手に握りしめたままの刀子に視線を移す。
「その刀身の輝きは生まれたままのもの。一度も血を吸っていない何よりの証拠だ。それに」
 気づいた時には既に遅かった。紅耀の細い手首は先刻と同じように眼前の青年により、しっかりと掴まれていたのだ。
「報告によれば、あの事件の犯人は剛弓の使い手のはずだ。さっきの覆面のようにね。こんな細腕で剛力の持ち主だなどと言っても通用しないよ」
「――離せ!」
 紅耀は力一杯その手を振り払う。自分の迷いをも振りきるように、激しく。
 このままこの男の言葉を聞いていたら、自分を見失ってしまいそうだった。獣の一族ではなく、普通の人間として生まれ育ったような錯覚を抱いてしまう。それは決して許されぬことなのに。
 いっそ人殺しと罵られたほうが、どれだけ心が楽だったことだろう。だが、莫迦でどうしようもないお人好しの太子は、それすらも叶えてはくれないのだ。
「……なぜだ。なぜ私に構う!?」
 紅耀はいっぱいに開いた両眼で舜水を見据える。それは追いつめられた手負いの獣が狩人に向ける、最後の生命力を燃やした瞳のようだった。
「放っておけなかった、ただそれだけだよ」
 前にも彼は問われた。なぜ助けたのかと。その時同様、彼は真の答えを胸に秘めていた。
 月光に照らされた、両眼を閉ざした少女の顔を見た瞬間、彼は戦慄が走るのを覚えた。
 少女には生気がなかった。死にかけていたからだけではない。彼女には生きる意志が薄いように思えたのだ。
 そして言葉を交わすようになってわかった。この少女は生きることを恐れているのだと。代々血を流してきた一族に生まれついたがために、自分だけが生きてしまうことに耐えられないのだと。
 だからこそ、見捨てることなどできなかった。何としてでも救ってやりたかった。そして同時に、それを口にした瞬間に彼女が逃げ出してしまうこともわかっていた。
「そんな……そんなこと、おまえの勝手な考えだろう。私には関係ない……迷惑だ!」
 言い捨て、紅耀は踵を返して駆け出した。濡れた路上の雨水が、彼女の足元で飛沫となって跳ね上がる。
「紅耀!」
 舜水は声の限りを尽くして叫んだ。しかし少女は呼び声に応じることはなかった。追いかける間もなく、その小さな影は彼の視界から消え失せた。
 舜水は開いた手の平をじっと見つめた。つい先刻まで少女の細い腕を握りしめていた手を。
「莫迦だな……本当に……」
 呟く舜水の肩に、春雨は静かに降りそそぐ。雨粒は次第に染み込み、身体の芯まで冷やしてゆく。それでも彼は、まるでその場に縛られたかのようにじっと立ち尽くしていた。


 知らぬ間にかなりの距離を移動していた。
 ただ、舜水から離れたい一心で。
 彼が悪いわけではない。それはわかっている。だが、これ以上傍にいることはできなかった。
 このまま彼に心を開いてしまうような気がした――あれほど支配層を憎んでいたはずなのに。
 そのようなことは、許すことも認めることすらもできなかった。
(――責めるつもりも哀れむ気もない)
 舜水はそう言った。
 責めていたのは自分。汚れた一族を、その血を継ぐ己を呪うように責め続けていた。
 いつも居場所を求めていた。誰でもいい、たった一人でもいいから自分を人として認めてほしかった。ともに生きる仲間は全て失われていたから。
(――君は人殺しではないからね)
 彼は断言した。まるで他の答えを知らないかのように。それは、自分も人として生きてゆける証とみてよいものか、いまだ若すぎる彼女には判断がつかなかった。
 だから逃げ出した。
 信じれば信じるほど、裏切られた時に失うものが多くなるのだと知っていたがために。
(――放っておけなかった、ただそれだけだよ)
「莫迦が……」
 知らず、彼女は呟いていた。それが誰に向けられたものなのか、もはや自分でもわからなくなっていた。


 雨は激しく打ちつける。その中を夢中で走り続けてはいたが、次第に足も重くなる。息をするのも苦しくなって、ようやく立ち止まり、呼吸を整える紅耀の前方から近づいてくる人影があった。
 あの覆面かと一瞬身を強ばらせたが、どうやら別人であるらしいことがすぐに知れた。
 覆面よりも一回り大きい偉丈夫は、表情のない顔で紅耀を見下ろした。
「おまえが花紅耀か」
 答えようにも息が切れる。
「おまえは……」
 いったい何者だ、そう問おうとして開きかけた口からは、言葉の代わりにうめきが漏れた。
 名乗りもしない男の拳が、紅耀の鳩尾にめり込んでいた。
 唇を噛みしめ、必死で意識を保とうとする。だが、ひどい痛みが全身を駆け抜け、頬を濡らす冷たい雨粒の感触も次第に遠ざかる。
 そうして彼女の視界は闇に落ちた。
(つづく)
(初出:2001年09月)
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登録日:2010年08月05日 16時39分

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