北見遼
著者:北見遼(きたみりょう)
夢と現をさまよいながら、文章を連ねるさすらいの文字使い。信州産、現在は神奈川で培養中のもやしっ子。活字と美術と歴史をこよなく愛する。治したいのは積読本をためる癖。
小説/ファンタジー

花霞(18)

[連載 | 連載中 | 全20話] 目次へ
大公、李季英。長く願ってきた想いと玉座への野心が炎狼を呼び寄せる。彼の居城にとらわれた紅耀に思いも寄らぬ仕事の依頼が。断れば殺される――だが、これは自分が決めたことなのだと言い聞かせる紅耀だった。
 二

 紅耀は目を覚ますと同時に跳ね起きた。続いて刀子の柄を手で探ったが、それはすでに取り上げられていた。自分が不意を突かれて昏倒させられたことを思い出すと、殴られた腹が鈍く疼いてきたが、そんなことに構ってはいられない。警戒心も露に、傍らの人影に問い質す。
「ここは……どこだ」
 武器がないとはいえ、決して隙のない構えで紅耀は見据える。その視線の先には自分といくらも違わぬ年頃の少年が立っていた。
「おれの城だ」
「おれというのは、どこのおれだ? 女を攫(さら)わせ、名乗りもできぬ臆病者のことか」
 そこまで言われても名を明かさないのでは矜持が傷つく。苦々しげな顔で少年は傲然と言い放った。
「――李季英だ」
「……大公か」
 顔は正面を向けたまま、紅耀は視線だけで辺りを探った。確かに、太子伯飛の私室に負けないほどの豪奢な内装ではある。
 そこは本人が言明した通り、大公季英の居城だった。居城とはいうが、つまるところ宮城の離れにあたる。本来ならば内殿とでも呼ぶべきものだが、その壮麗さと堅牢さは並の州城に匹敵する。また、大公と太子の居城は同じ敷地内に構築されているわけだが、それぞれに通じる門は分けられている。同じ父を持つ兄弟姉妹といえども、顔を突き合わせることは滅多にないのが宮城の常だった。
「おまえが炎狼の花紅耀だな」
「――違う」
 その返答に、季英は眉をひそめた。
「人違いだとでも言うつもりか?」
「私は炎狼になどなったつもりはない。そんな名はもう捨てた」
「だが、おまえが炎狼の末裔であることに違いはない。そうだろう?」
 紅耀は答えなかった。それを肯定と見て取り、季英はさらに問いを重ねる。
「なぜ、伯飛のもとにいた」
「偶然会った」
 簡潔にすぎる答えの後、紅耀は一言つけ加えた。
「私も初め太子とは知らなかった」
「向こうはおまえの正体を知っているのか」
「……そうだ。だが、雇われたわけではない」
 押し出した、低い声の告げる内容に、季英は非難めいた口をきいた。
「炎狼を、雇いもせずにただ傍に置いていたというのか? 莫迦な」
「私の正体はさっきばれたばかりだ」
 それは完全な嘘ではなかったが、まったくの真実というわけでもなかった。
 舜水は気づいていた。炎狼であると知っていてなお、城内へと連れてきたのだ。
 莫迦なと言いたいのは紅耀のほうだった。そんな大間抜けがこの世にいるなどとは――
「なるほど。それで飛び出してきたというわけなのだな」
 紅耀は黙っていた。答えようがなかったのだ。
「――では、関わりはすでに絶たれたのだな?」
 季英は念を押した。深い色合いの瞳がじっと紅耀を射貫くように見つめている。
 ――嫌な予感がする。
「太子を斬れ」
 紅耀は漆黒の瞳を見開いた。命じた少年は、顔に似合わぬ悪人めいた笑みを浮かべる。
「できるだろう? 代々手を血に染めてきた炎狼ならばな」
 紅耀の耳は、背後にかすかな金属音を聞きつけた。恐らくは、甲冑や刀剣などの武具の音。ここで彼女が大公に危害を加えようとでもすれば、すぐさま斬って捨てるために複数の兵が隣室に詰めているのだろう。
「ものを頼むにもその相手を従者に攫わせ、さらには邪魔な人間を消すにも他人を使おうという魂胆か。よほど自分の手を汚すのが嫌いらしいな」
「黙れ! その汚い仕事を請け負ってきたのがおまえらだろうが!」
「忘れるな。それを利用してきたのが、おまえたち貴人とやらだ」
 吐き捨てながら、紅耀は一人の男の顔を思い出していた。意識を取り戻した時、真っ先に覗き込んできたあの顔。状況は似ているものの、この大公とは異なり、いたわりの言葉などかけてきた。汚らわしい獣の末裔に向かって。同じ血を受け継ぎながら、両者はなぜこうも違うのだろう。
 そんなたわいもない考えを振り払うように、彼女は小さく首を振る。
「……まあいい。それで、請ける気はあるのか」
「それがどれだけ危険な賭けか、おまえは本当にわかっているのか?」
「当然だ。そのための予防線ぐらいは張ってある。太子暗殺の首謀者は伯父、柳世衛だ。収賄、偽書の罪が太子の口から漏れるのを恐れたためにな。その証拠もすでに用意してある」
「兄を殺し、その罪を伯父になすりつけるか。身内を犠牲にして、そうまでして手に入れたいものなのか? 玉座とはそれほど価値あるものなのか?」
「おまえに何がわかる!」
 季英の形相が変化した。気づけば目の前の少女を憎い仇のように罵っていた。
 ――宮中で、ただ天子の寵愛だけが頼りのはかなき身の母。その上、父のあまりの耽溺ぶりに百官からの怨嗟の声は絶えない。
 母をそこまで追いつめたのは伯父、世衛。己の出世のために妹を犠牲にした。これからも母の不遇は続くだろう。自らの力で帝位につく以外、この状況を打破することなど不可能なのだ。
「宮中のいざこざなど私の知ったことではない。だが、一つ言えるのはおまえが太子を妬んでいるということだ」
「な…んだと?」
 思いも寄らぬ反駁に、季英は目を見はった。紅耀は唇に薄く笑みを載せる。
「おまえは結局、舜水が……太子が羨ましいだけだ。自分にないものをすべて持っている。だから奪ってやりたいんだ」
「違う!」
 ――哀れな一人の女性を救うため。
 それは長く願ってきたこと。そのはずが、季英は全く別のことを口走っていた。
「違う、俺はあいつになど負けていない。妬む必要がない、あんな腑抜けに! あいつに玉座など相応しくないんだ!」
「だから許せないというわけか」
「……別に、それだけが理由ではない」
 季英はそう答えるのが精一杯だった。
 太子を妬んでいると目の前の少女は言った。指摘されるまで、彼はそのようなことは少しも思いはしなかった。だが、口をついて出てきた己の言葉に彼は愕然とする。
 剥き出しになった敵愾心。それこそが太子への執着ではないか。
 己こそが玉座を手にするに相応しい――ずっと自分に言い聞かせていた台詞は、異母兄に対する劣等感と敗北感の裏返しだったというのか。そんなくだらぬ私情を正当化するために、わざわざ不遇の母を救うという大義を持ち出していたのだろうか。
 誰よりも知っているはずの己の本心が、一瞬にして見えなくなっていた。戸惑いながら、季英はただ呆然と立ち尽くす。
「覚悟がつかぬのならやめておけ。同族が互いの血を求めて喰らい合うほど、醜いものはないからな」
 不意に、紅耀が口を開いた。自身を覗き込む勁い瞳に射貫かれて、季英は思わず息を呑む。
「……まるでその様子を見たことがあるような言い草だな」
 季英の軽い皮肉を込めた台詞に、紅耀は目を細める。
「私が生まれて間もない頃だ。身内の一人が裏切り、一族は不意討ちを喰らってほとんど死に絶えた。私と、先代を除いてはな」
 朱叡は一度だけ、その凄惨なさまを語ったことがある。その時の頑なな表情が今でも忘れられない。そして父は娘に言った――おまえが最後の炎狼なのだと。
 すでにその名を捨てる決意をしていた紅耀は、ずっとその真意を掴み損ねていた。
 たった今、気づくまで。
「なぜ、おれにそんなことを言う。おまえにとってはただの客ではないか」
「……さてな」
 紅耀は自嘲気味に笑んだ。舜水がかつて痛々しい、と感じたあの顔で。
「どうする。本当にやる気か」
 何を、とは言わない。問われた彼も何を指すかは聞かずとも知っていた。
「言われるまでもない。おれはとうに覚悟など決めている。いかに同族の血が流れようと、ただ一人が救われるのならそれでいい」
 一瞬、見失った己の指標を季英はようやく取り戻した。
 太子への妬心があるのならば、それでもよい。いずれ玉座は何者かによって埋められねばならないのだ。その座を、妬ましい相手を蹴落とすことで手に入れようとも、他のいかなる理由に拠ろうとも違いはないだろう。大切なものが守れるのなら、いずれであっても構わない。
 すでに覚悟は決めたのだ。どのような罪も汚名もこの身一つで受け止めよう、と。
 揺らいでいた少年の心が再び元に戻った。あるいは、開き直りと言ったほうが正しいかもしれない。
 紅耀はその傍ら、頭の中で別の声を聞いていた。
(――貴様に足りんのは覚悟だ)
 憎悪とともに、激しい斬撃をぶつけてきた見知らぬ敵。だが、知らないのはこちらだけで、向こうは彼女の心を読み取っているかのように言い当てていた。
(――ためらっていては人は斬れん)
 その声が、幾重にもなって紅耀の中で反響する。彼女の決意を促すように。
「おまえの依頼、請けてやる。十二代炎狼の、この私が」
 一度捨てたはずの名を、紅耀は再び口にした。その瞬間、彼女はそれまで築いてきた何かが崩れてゆく音を聞いた。
 守り続けた、人としての己の戒めを破ったその時に。
 ――いまさら人には戻れない。
 その思いが胸を突く。
 父が残した、最後の炎狼という言葉の意味が、やっとわかった。人の血を啜り続けた一族は、血の呪縛から逃れられない。代々受け継がれた罪から逃げるのではなく、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう、その重みを忘れることなく生きてゆくのだと。
 最後の炎狼として一族の犯した罪の重みを背負って生きることと、炎狼であることを否定して、血塗られた過去に目をつぶり耳を塞いで生きることは違う。だが、紅耀は父の意に反して呪われた名を捨てた。人として生きるために。
 誰の血も流さぬ平穏な暮らし。それこそが紅耀のただ一つの望みだった。だが今となってはそれも叶わぬ夢。彼女がどれだけ忘れようとしても、炎狼を必要とする周りの者はそれを決して許しはしない。ここで退けたところで、執拗な追求は永遠に続くことだろう。
 ようやく人のふりをしてきた己と決別する時が来た。それには心の内を見せすぎた、ただ一人の人間を葬らねばならないのだと彼女は強く感じていた。
 それが、再び炎狼に戻るための儀式。そしてその儀式は人の血を、贄を欲する。
「商談成立だな。では前金を渡しておこう」
 季英の取引を終える声で、紅耀は我に返った。
 少年の懐から渡された銀子の袋が、彼女の手にずしりと重かった。
 人命の代価。
 だが所詮、人の命は片手に載るほどの重みしかないのだ。
 握りしめた銀子を仕舞うと、紅耀は踵を返し、あえて隣室に続く扉を開けた。案の定、そこには複数の武装した兵たちが息を潜めて待機していた。予想外のことにうろたえる彼らを横目に、紅耀は歩み去る。
 ――武力に屈したわけではない。
 彼らの存在には気づいていた。断ればその先に死が待ち受けているだろうことも知っていた。だが、その脅迫によってこの仕事を引き受けたわけではない。
 彼女は心の中で繰り返す。
 これは自分の意思なのだ。自らの中に潜む獣の魂が血を欲するのだと。
(つづく)
(初出:2001年09月)
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登録日:2010年11月24日 15時11分

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