北見遼
著者:北見遼(きたみりょう)
夢と現をさまよいながら、文章を連ねるさすらいの文字使い。信州産、現在は神奈川で培養中のもやしっ子。活字と美術と歴史をこよなく愛する。治したいのは積読本をためる癖。
小説/ファンタジー

花霞(2)

[連載 | 連載中 | 全20話] 目次へ
炎狼、と呼ばれるものがいた。刺客である。炎狼の唯一の跡継ぎである紅耀の前に男たちが現れた。いったんは引き下がるが…。
 第一章 周流


   一


 中原のやや北部に位置する都市の名を安都という。大陸に君臨する大帝国、華の都である。
 繁栄という一語では語り尽くせないほどに、安都は今、何百万とも知れない人々で賑わっていた。海を渡り、山を越え、髪や目や肌の色の違う異国の者たちが安都を目指してやって来る。そしてまた、河を下ってくる旅人も多い。河といっても対岸が見渡せないほどの大河だ。黄色く濁った広大な河は、冀水(きすい)と呼ばれる。
 その流域に焔(えん)という邑(むら)があった。安都から少し離れた郊外に位置するこの邑は、都へ上る途中で休息と補給のために立ち寄る以外、あまり人が訪れることはない。
 一面に広がる荒涼とした野に民家が点在する景色は、見る者に寒村と言わしめるものだろう。
 その焔の邑に、一軒の茶屋があった。小さな邑の、狭い店。安都に向かう旅人がそこに腰を下ろし、一服するのに相応しい造りである。街道沿いに、ぽつんと建つその店先で一人の少女が水を撒いていた。
 齢の頃は十五、六。黒々としたつややかな髪を、帯と同じ鮮やかな赤布で高く結い上げている。整った顔立ちだが、その双眸には鋭い刃のような近寄りがたい色を宿していた。
 元店主、花朱叡(しゅえい)の娘。名を紅耀(こうよう)という。
 黙々と水をまく紅耀の頭上に降り注いでいた陽光が、ふと蔭った。見上げて、彼女よりもはるかに大きく長い影が、その小さな体を覆ったことに気づく。
「おまえが朱叡の娘か」
 立派な頬髭と広い肩幅を持つ男が、第一声を発した。紅耀は男に一瞥をくれると、すぐに地面に視線を落とした。
「そうだ」
「――そして、十二代目の炎狼だな」
 もう一人の、小柄な男の問いに、紅耀の手はぴたりと止まった。それを見た男は満足げな笑みを浮かべる。
「先代には一人の遺児しかおらんと聞いている。それにしても驚いたな、次代の炎狼がこんな小娘とは」
「はん、こんな餓鬼に何ができる」
「なに、腕さえよければ問題はないとの仰せだ」
 隣に立つ巨漢の方を向きながら、男は少女に第三者の存在を匂わす。そのあからさまな態度に、彼女は著しく気分を害した。
「まず、これを渡しておこう」
 男は懐から取り出した袋を、紅耀に放った。その重みと感触から、中には銀子(ぎんす)がぎっしりと詰まっていることが自ずと知れる。
「……何の真似だ」
 紅耀は重い袋を握りしめながら、ようやく顔を上げた。だが、返ってきたのは侮蔑混じりの冷ややかな嘲笑だけだった。
「それは前金だ。どうした、しばらく休業しているうちにそんな慣習さえ忘れて――」
「断る」
 男が言い終わらぬうちに、紅耀は手にしていた袋を投げつけた。それは小男にぶつかる前に、隣の巨漢の払った手に当たって中身が地面にばらまかれた。
 だが、こぼれ落ちた銀子になど目もくれず、彼女は毅然と二人の男を見据える。
「もう、そちらのほうは店仕舞いだ。悪いが他をあたってくれ」
 言い捨て、踵を返しかけた少女の小さな肩を、大柄な男が掴んだ。
「冗談じゃねえぞ、おい。てめえが炎狼なんだろうが」
「私は単なる茶屋の跡継ぎにすぎない」
「それはどうかな」
 紅耀は、鋭い視線を発言者の小男に向けた。
「炎狼は代々その任と技を次代に遺すという。先代の朱叡も御多分に漏れず、先例に倣ったのではないか」
 その時、ついに紅耀の怒りは頂点に達した。
「しつこいぞ!」
 彼らは晴天にも関らず、全身ずぶ濡れになる羽目に陥った。紅耀は苛立った声とともに、水桶の中身を二人の男の頭から浴びせたのだ。
「てめえ、何しやがる!」
 大男が憤るのも無理はない。一方、紅耀は動じるどころか飄然と、そして完全無視をきめこんでいる。
「帰れ。店先で騒がれては商売の邪魔だ」
「何を、この餓鬼……っ!」
 大男はたくましい腕を振り上げた。だが、それが振り下ろされる時にはすでに、少女の体は移動していた。拳が空を切り、体勢を崩した男の鳩尾に、鋭い蹴りが撃ち込まれる。
 急所と意表を突かれた男は、思わず苦痛に顔を歪めた。
「かよわい女子供に手を上げるしか能のない権力者の犬が、偉そうに人間並みの口をきくな!」
 かよわいとは誰のことだ、と傍観者となった小男は思ったが、余計な口は挟まないことにした。一方、大男のほうはそれどころではなかった。怒りと屈辱に顔面の血液をたぎらせて、「かよわい」少女に掴みかかる。
 紅耀は跳躍した。その敏捷さは常人のものではなかった。すれ違いざま、手刀を太い首に打ちつけて、着地と同時に男の両足を払う。
 巨漢を地に這わせておいて、紅耀は一つ息をついた。だが、呼吸の乱れはどこにもない。
 一瞬の間に倒された男は、再び立ち上がり、少女めがけて飛びかかろうとした。しかし、それを小男が制止した。
「そこまでだ。帰るぞ」
「何……!」
「むやみに争うは、あの方の望むところではない」
 その一言で男は広い肩をすくめ、萎縮してしまった。「あの方」という言葉を耳にしただけで。
「邪魔をした。若き炎狼の娘」
 そう言いおいて、男は隣の偉丈夫を促し、店を後にした。紅耀は、水を吸った地面に立ち尽くしたまま、その二つの影を見つめていた。
 妙な胸騒ぎを内に秘めたまま。

   ※

 炎狼、と呼ばれる者がいる。
 それは、代々その血脈を保ってきた一族の主となる者に与えられる称号である。
 古より密かに生き存えてきた「狼」。彼らの存在が表舞台に現れることはない。
 炎の如く熱き、血に飢えた獣。
 彼らの実体――それは刺客。
 帝室から庶民まで、その対象を択ぶことはない。――報酬が見合いさえすれば。
 炎狼を雇うには三つの条件がある。
 一つには、彼らの提示した額通りの報酬を払うこと。それがいかに高額であろうとも、依頼者は寸分違わず払わねばならない。その引き換えに、彼らは己の生命に懸けて、外すことなく標的を仕留める。だからこそ、どれだけ大金を積もうとも、依頼に訪れる客は絶えないのだ。
 二つには、彼らとの「取引」の内容をいっさい口外しないこと。彼らはどんな仕事でも引き受ける代わりに、どんな些事でも他者に漏らすことを許さない。もしその禁を破れば、その者は必ずや己の生命をもって償わねばならないだろう。
 いま一つには、依頼者が自らの身分を明かすこと。これは彼らの力を必要とする者を明確化するためと、二つ目の条件――口外してはならぬという禁を破った時、その者の口封じのためという二つの目的からなる。
 そして、彼らは誰の味方にもつくことはない。
 いかなる者にも屈しない心――それが「炎狼」の誇りなのだから。


 紅耀は無造作に茶碗を卓に置いた。客用ではなく、自分のために淹れたものである。だが、その中身はとうに冷め、すっかりぬるくなっている。
 紅耀は大きく溜息をついた。
「仕事、か……」
 すでに明言した通り、現在紅耀は「炎狼」としての活動はしていない。これから先、再開するつもりもない。だが、いつの世でも汚れた獣の手を必要とする者たちはいる。特に暇と金が余るほどその傾向は強い。
 今日現れた者は「あの方」と言っていた。その口ぶりと態度から見て、相当な権力を持つ人物に違いないだろう。今日のところは追い払ったが、同じ手が何度も通用するとは思えない。
「厄介なことだ」
 どうやら、場合によっては住まいを移動させる必要があるかもしれない。面倒臭げに呟いて、紅耀は頭を振る。
 ――もう忘れよう。
 いずれにしても、今の自分には関係のないこと。
 ――自分は「人」として生きてゆくことを決めたのだから。
 狼の一族の末裔は立ち上がり、ゆっくりと部屋の奥へと入っていった。
(つづく)
(初出:2001年06月)
登録日:2010年06月27日 16時37分

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