北見遼
著者:北見遼(きたみりょう)
夢と現をさまよいながら、文章を連ねるさすらいの文字使い。信州産、現在は神奈川で培養中のもやしっ子。活字と美術と歴史をこよなく愛する。治したいのは積読本をためる癖。
小説/ファンタジー

花霞(20)

[連載 | 連載中 | 全20話] 目次へ
大公との契約を果たすため、紅耀は太子の居室に忍び込んだ。炎狼としての初仕事は命の恩人の命をとること――。「その首もらいうける!」紅耀は叫び、白刃を振り下ろしす!
 四


 辺りに闇が降りていた。新月のこの夜、頼りになる明かりは城内の燈火のみ。こっそりと忍び込み、仕事を終えて脱出するには絶好の舞台背景といえた。
 木々もまた不気味なほど黒い姿を宵闇の中に現している。その樹上に、一つの人影があった。生い茂った葉に隠れて人目に触れることはなかったが、それは少女の形をしていた。
 当然それは炎狼の末裔、花紅耀である。
「警備がぬかっているな。こちらとしてはありがたいが……」
 彼女はここで城内の様子を窺っていた。見張りの兵を観察した結果、どうやら西門近くの警備が最も手薄のようだった。
 太子の居城ともなれば警備は厳重に過ぎてもよいはずである。だが、実情はこれ。高く築いた門や垣に安心しきっているのか、それとも太平に慣れ、何事もないと呑気に構えているのか。恐らく両方だろう、とこれから侵入者となる少女は判断を下した。そして、
「主に似て、みな平和惚けしているのだろう」
 というさらに辛辣な評価は、幸い誰の耳にも入ることはなかった。
 ともあれ先日までのわずかな滞在のうちに、紅耀は城内の間取りをほとんど頭に入れてしまっていた。これで侵入経路は確保したも同然。あとは実行に移すのみである。
 時機を見計らいながら、紅耀は一人思いに耽っていた。
 ――何をためらうことがある。
 代々繰り返してきたように、依頼された獲物を屠るだけのこと。すでにそれは客である大公と契約を交わしてある。そのはずが、いまだに迷いがあった。
 ――助けられるんじゃなかった。
 自力で冀水の岸に這い上がっていたなら、こんな思いを抱くこともなかった。下手に借りができてしまったため、契約の履行に支障を来してしまう。
 そう、これは彼女にとって初の仕事。その刃にかかる第一の餌食は、彼女にとって生命の恩人なのだ。
「太子、伯飛か……」
 幹に背を預けながら、紅耀はその名をそっと呟いた。
「そんな奴、私は知らない」
 自分が知っているのは、見ず知らずの少女を助けるために危険も顧みず河に飛び込むような、舜水と名乗るお人好しの青年。権力闘争に巻き込まれる、太子などというたいそうな身分の人間に借りなどない。
 ――行こう。
 紅耀は樹上から城壁を飛び越え、音もなく着地した。そして、迷わず太子の居室目指して駆け出した。



 紅耀は屋根をつたって窓から無人の部屋に忍び込んだ。言うは易いが、これだけの芸当は並以上の人間でもそうはできない。身軽さと、持ち前の運動能力があって初めて可能となるのである。しかし、どんな敏捷さも偶然という事態を回避することはできなかった。
「あれ、紅耀?」
 紅耀は思わず後ずさった。彼女の後ろから呑気としか言いようのない声をかけたのは、部屋の持ち主。そのため、隠れて待ち伏せるという当初の計画は断念せざるを得なくなった。
「いつ戻って来たんだい? それならそうと、わざわざ部屋まで来なくても呼んでくれればよかったのに」
 舜水は相変わらずの笑顔を向けた。
 一瞬、決心が揺らぐ。全身が震えそうになる。身に残された、人としての意識が己の意思を拒む。
 ――こんな思いを繰り返すのなら。
 紅耀は強く唇を噛みしめる。
 ――いっそ元凶(もと)を断ち切ってしまえばいい。
「太子伯飛! その首もらいうける!」
 叫んで、紅耀は刀を振りかざす。
 同時に複数の足音が室内になだれ込んできた。
「殿下!」
「伯飛!」
 彼らの瞳は白刃が振り下ろされる、まさにその瞬間を捉えた。


 ※


 時が止まった。
 誰もが声一つ出さず、立ち尽くしていた。
 紅耀の刀子の切っ先は完全に舜水の喉元を捕えていた。だが、白いままの刀身が紅く染まることはなかった。
「なぜ……」
 それは誰が発した言葉だっただろうか。
 判らないのは、誰もが同じ思いを抱いていたからだ。
「どうしたんだい? 僕の首はまだつながってるみたいだけど」
 その場の空気に不似合いな、のんびりした声が上がる。だが、紅耀は柄を握りしめたまま微動だにしなかった――できなかったのだ。
「もはや言い逃れは無用。この娘を太子暗殺未遂の罪で即刻処断いたします!」
 乱入してきた孝倬はいきり立ち、半ば包囲していた兵に合図した。ようやく任務を思い出した兵が立ち尽くす紅耀を取り押さえようとした時、鋭い声が上がった。
「駄目だ」
「殿下!」
 命ずる声と諫める声とが重なり合う。両者はしばし睨み合った。沈黙を破り、重い口を押し開いたのは孝倬のほうだった。
「わかっておられるのですか。もし我々が側近くで待機していなければ、殿下のお命が危なかったのですぞ!」
「それは嘘だ」
 言いおいて、舜水はちらりと少女のほうを見やる。
「紅耀がその気なら孝倬たちが入る前に目的を達成していただろう。別に乱入者に阻まれたから刃を止めたわけじゃない」
「詭弁は止せ、伯飛」
 それまでずっと押し黙っていた子羽が、おもむろに口を開いた。同時につかつかと足早に歩み寄り、いきなり舜水の胸倉を掴んだ。
「いい加減、目を覚ませよ! そうまでして炎狼の娘なんぞ庇ったところで何の得があるんだ!? 自覚はないだろうが、おまえは紛れもない華の太子なんだぞ。敵につけ込まれるような軽挙は慎め!」
「損得の問題じゃない」
 舜水は自分の袍の胸元を掴んで締め上げる子羽の手を、突き放すように押し戻した。
「僕は自分のやりたいようにする。これだけは譲れないよ」
「伯飛!」
 苛立った声を上げる子羽に対し、自覚がないと酷評された太子は飄然とした態度を崩しもしない。
「これは太子としての命令だ、韓員外郎」
「こういう時だけ権限を持ち出しやがって……」
 子羽はうめいたが、わざわざ彼を官職名で呼ぶ舜水の意思の固さを見せつけられ、咄嗟には反駁する声も出ない。
 子羽が言葉を探して黙り込んでいる隙に、舜水は呆然と立ち尽くす少女を振り返った。
「残念だけどここでお別れだ、紅耀。どこへでも好きなところに行くといい。できれば騒乱のない、安息の地へ」
「殿下!?」
「おい、てめえ……っ」
 二人の諫臣は同時に声を上げた。だが、それよりも紅耀の放った叫びのほうが迅さも鋭さもまさっていた。
「――おまえは、莫迦だ!」
 彼女の第一声は罵倒だった。それでも舜水は顔色一つ変えず、ゆっくりと頷く。
「そうだね」
「……おまえ」
「あ、そうそう。忘れるところだった」
 これがなければ困るだろうから、と舜水は懐から取り出した小さな袋を紅耀の手に乗せた。それを凝視する紅耀には背を向け、舜水はその場の者に命を下す。
「今より、いかなる理由があろうと紅耀に手出しするのを禁じる。また、破る者は厳罰に処す。いいね」
 すると、すかさず沈黙を保っていた孝倬が異論を唱えた。
「そのように私情に走られては城内の者が不服に思いましょう。太子としての体面が成り立たなくなりますぞ」
「体面?」
 孝倬の忠告を、太子は軽い笑みとともに突き放す。
「そんなもの僕には関係ない。少なくとも外聞や面目が、人一人の命ほど大切だとは思えないね。不満がある者には言わせておけばいい」
「殿下……」
 孝倬もこれ以上諫言の余地がなかった。
 誰もが普段とはあまりに異なる太子の威厳に打たれ、言葉を失っていた。紅耀さえも。
 すると彼は、黙ったまま手の中の袋と彼の顔とを見比べる少女の肩をそっと叩いた。
「じゃあね、紅耀。――元気で」
 彼女の目の前で、扉が軋む音を立てて閉ざされた。そして彼の笑顔は見えなくなった。
 紅耀は手の中の握りしめた袋に視線を落とした。その重み、こすれる度に立てるその音から、中身は容易に知れる。
 ――殺されそうになった相手に、わざわざ路銀を与える人間がどこにいる。
「おまえは、莫迦だ……」
 呟いて、胸元で強く握りしめる。その手の重みは、先に彼の命の代価として受け取った時より、紅耀の胸にずしりと重く感じられた。


 ※


「この、大莫迦野郎!」
 一室に、よく通る怒声が響き渡った。
「まったくだね」
「おまえのことだ、おまえの!」
 太子に散々罵声を浴びせたり、狼籍を働いたりと、先刻から子羽の行いは不敬極まりないのだが、それを咎めるべき人物はすでにいない。
 孝倬は沸き起こる怒りのためか、一言も発さず形式上の礼だけすると、率いてきた兵とともに部屋を後にした。そのため、太子を諫めるという大役は子羽一人に回ってきたのだった。
 子羽は先程、突然太子としての自我に目覚めた舜水によって完全に押さえ込まれたため、見た目以上に悔しがっていた。だが、その怒りをぶつけるべき相手は、慣れない振る舞いで気力を使い果たしてしまったのか、ぼんやりと窓越しの夜空を眺めていた。
「……やっぱり駄目だったか」
 あの少女を都城に連れてゆく時、彼は決めた。心に深い傷を負った彼女を救ってやろうと。それこそが己に課せられた宿命なのだと。そして精一杯努めたつもりだった。しかし、その結果がこれ。救うどころか余計に傷つけて。
 ――結局、思い上がりだった。
 その思いが胸を打つ。
 何一つ自分の力ではできなかった。少女の棘を抜くどころか傷をさらし、争いに巻き込ませ、周りの者たちを翻弄するだけに終わった。
 自分が至らないばかりに。
 至らないくせに、己にならできると自負していたために。
「ほんとに、莫迦だ……」
 自嘲気味に呟いたその声は、子羽の耳にも届いていた。だが、肩を落とした後ろ姿にかける言葉は、どこを探しても見当たらなかった。

(つづく)
(初出:2001年09月)
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登録日:2011年05月14日 11時50分

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