北見遼
著者:北見遼(きたみりょう)
夢と現をさまよいながら、文章を連ねるさすらいの文字使い。信州産、現在は神奈川で培養中のもやしっ子。活字と美術と歴史をこよなく愛する。治したいのは積読本をためる癖。
小説/ファンタジー

花霞(3)

[連載 | 連載中 | 全20話] 目次へ
――殺気。闇の中、黒い人影が舞い降りた。大刀を振り下ろしたそこには腰斬された屍ではなく、枕が横たわっていただけだった。その場を抜け出した紅耀に遠矢が襲いかかる!
   二


 紅耀の父、花朱叡は十一代目の炎狼だった。
 炎狼の一族、花家の修業は厳しい。幼い頃から繰り返される過酷な修業のうちに、生命を落とすことも珍しくない。だが、それ以上に多いのが、他者の手にかかる場合だった。
 それは身内を失った者の復讐であったり、同業者の干渉であったりもするが、権力者の伸ばした長い手によることも多い。炎狼の条件に従い、弱みを握られた者――それも権力中枢に近い者は、逆に彼らの口を封じようと試みる。
 しかし、決してしくじらぬ刺客の主が、そう簡単に斃(たお)れるはずもない。その代わり、身を守るに足る力なき者から順に姿を消していったのだ。
 そうして生き残った朱叡の代には、一族の者は全て失われていた。彼と、彼の子供以外。
 本来ならば、男児が跡を継ぐはずだった。しかし、そうなるべき炎狼の長男はすでにいなかった。繰り返される混乱と離散のうちに、その幼い姿は消え失せていた。当時七歳の童子。字(あざな)をつける齢にも満たなかった。
 率いるべき一族を失くした「主」のもとに残されたのは、生まれて間もない女の赤子。その名を初めは小耀といった。だが、朱叡はただ一人生き残った我が子に改めて名を与えた。
 赤い光――紅耀、と。
 鮮血の色、「赤」を表す文字は、代々花家一族の主たる炎狼にのみ名づけられるもの。
 最後に残された幼い生命に、朱叡は一縷の望みを、一条の光を託したのだ。
 紅の名を戴いた瞬間、紅耀は炎狼として生きることを定められたのだった。

   ※

 紅耀は、それに気づいた。
 すでに夜は更け、辺りは闇に包まれている。
 いつもと変わらぬその空間で、拭いきれないわずかな違和感。
 ――誰かいる。
 常人には決して知りえぬだろう。しかし彼女は若くとも炎狼の名を受けた者であった。
 全身の肌にぴりぴりと感じる、複数の気配――そこから発する兇々しい空気。
 ――殺気。
 紅耀は蒲団の中で刀子(とうす)の柄(つか)を握りしめた。彼女に合わせた小振りの刀。幼い時より慣れた感触。だが、それを人に向けてふるうことはなかった。とはいえ、今はそうも言っていられない。
 緊張を拭うように、彼女はもう一度柄を握り直した。


 静かに、闇が舞い降りた。
 否、それは夜陰に紛れた黒い人影に相違なかった。
 彼らは目ざとく「獲物」を見つけた。
 かけ声を上げるような愚は犯さない。無言のうちに、その一人が抜き身の大刀を振り下ろす。
 一刀で、蒲団とその下の寝台の半ばとを両断した。恐るべき膂力の持ち主だ。だが、彼の腕は本来あるはずの手応えを感じなかった。訝しむよりも先に蒲団を引き剥がすと、そこには腰斬された惨たらしい屍ではなく、真っ二つにされた藁の詰まった袋が横たわっていた。
「何!?」
 舌打ちする間もなく、男の背後で重い音がした。それが彼の片割れの倒れる音だと気づいた時には、彼は首筋に冷たく危険なものを感じていた。
「怪我をしたくなければ動かぬことだ」
 その声の主は、彼らが仕留めるべき相手であった。男は自分の失敗を悟った。
「殺ったのか」
 誰を、とは口にしない。紅耀は倒れ伏した男を軽く一瞥した。
「まさか。眠らせただけだ」
「ほう。天下の炎狼にしては手ぬるいことで」
 その声には揶揄するような響きがあった。紅耀は、自分が刃を突きつけている男を不快げに睨んだ。
「私は人殺しではない」
 断言したその時、紅耀の鼻先を鋭い風がかすめた。びいん、と音を立てて一本の矢が木壁に突き刺さる。
「甘えたことをぬかすでないわ。炎狼の名に臆したか、小娘」
 その声は、窓の外から発せられた。闇空に浮かぶ月の光が、その姿を照らし出す。背は六尺を越える長身。しなやかな、だが鍛えられた肢体を飾る容貌は不明だった。男の顔は目から下を黒布によって覆われていたのだ。
「貴様、何者だ!?」
 誰何の声も自然、厳しくなる。
 だが、対する男は、瞳に不気味な笑みを浮かべてみせた。闇に溶ける黒衣の隙間から、二つの眼光だけが妖しく光る。
「腑抜けの炎狼を始末しに来た者だ。名乗る必要もない」
 言うが早いか、覆面は弓を引き絞り、射放した。
 紅耀は咄嗟にかわしたが、彼女に羽交い締めにされていた大男は、そういうわけにもいかなかった。
 飛来した矢が、深々と男の喉元に突き刺さる。男は全ての力を失い、その場に崩れ落ちた。だが、紅耀にそれを見届ける暇はない。盾にするはずだった人質が無価値となった瞬間、彼女は踵を返して駆け出している。
 覆面に乗り込まれるより先に、紅耀は外へ飛び出した。一振りの刀子を握りしめたまま、街道とは逆方向に疾走する。
 しかし、闇に夜着の白布はあまりに映える。その背を追って再び矢が放たれた。
 弦音の響きと同時に紅耀は身をかわす。だが完全にはよけきれず、右袖の一部を剥ぎ取られた。威嚇であることは明白だった。
「まだ逃げるか。甘ったれの腰抜けめが」
 嘲るような声の主を紅耀は振り返る。覆面はさらに哄笑を浴びせた。
「やはり、おまえなど炎狼の称号を名乗れるような器ではない。ここで俺が葬り去ってくれるわ!」
「――私は人殺しではないと言っている!」
 紅耀は怒りにたぎらせた瞳を向けた。それでも男は怯む色すら見せない。
「それほど人殺しの呼び名とは価値あるものなのか? だったらそんなもの、おまえにくれてやる。仲間も平気で射殺せるような人間にはさぞ似合うだろうよ」
 言い終える暇も与えず、男は抜き身の太刀を構えて撃ち込んできた。
 刃と刃がこすれ、火花が飛び散る。
 噛み合う二本の刀身に、紅耀の白い顔が映る。
「何の真似だ……っ!?」
 太刀を受けた利き腕が衝撃で痺れる。だが、今は握りしめた刀を離すわけにはいかなかった。
「少しは骨があるかと思えば……やはり所詮は小娘に過ぎないか」
「何が言いたい!」
 紅耀は憤り、叫んだ。この男の目的は何なのだろう。自分には理解できぬことばかりを口走る。ただわかっていることは、この男の燃えるような殺意と、その腕だった。
「知るまでもないことだ。おまえはここで冥府に送られるのだからな!」
 男は噛み合わせていた刃を外し、引き寄せた。
 刺突の構え――斬撃よりも殺傷力に優れた、一撃必殺の技。殺人を目的とした場合において多く使われる。
 しかし、その瞬間を待っていたのは紅耀のほうだったのだ。
 一瞬の間に鞘ばしらせた匕首を、闇空めがけて投げ上げる。
 男の繰り出す刺突を巧みによけながら、紅耀は飛びすさる。次の瞬間、男の頭上に黒い影がかぶさった。
「何!?」
 それは投網だった。炎狼の血を継ぐ者は、いつ狙われてもいいように至るところに罠を仕掛けておくもの。今回はたまたまその一つが効を奏したというわけだ。
 男がもがいているうちに、紅耀はその場を抜け出した。


 紅耀は走り続けた。次第に息が切れ、足が重くなる。
 ふと、紅耀の耳が水音を捉えた。
 小川のせせらぎなどではない。大量の水が押し寄せるように運ばれる河流の音。
 焔の脇を流れる大河――冀水。土壌のために黄色く濁ったその水面は、今は月光を反射して深い銀色に輝いていた。
 悠遠の象徴たる冀水の岸辺で、紅耀は深く息をついた。
 この河の滔々とした流れを目にし、耳にするたび、彼女の記憶は呼び覚まされる。慎ましくも穏やかだった日々を失ったことを。
 あの時も、冀水は変わらぬ姿で流れ続けていた。彼女の大切なものを呑み込んだにも関わらず――
 だが、今は感傷に浸るべき時ではない。紅耀はそのことを失念していた。
 一本の矢が、命運を分けた。
 肉眼では人も点にしか見えぬような位置から、唸りを上げて飛来する遠矢。それは彼女の背に突き立った。
 そのわずかなうめきは誰にも聞かれることはなかった。
 少女の小さな体は冀水の濁流に呑み込まれ、夜の地上から姿を消した。
(つづく)
(初出:2001年06月)
登録日:2010年06月27日 16時39分

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