北見遼
著者:北見遼(きたみりょう)
夢と現をさまよいながら、文章を連ねるさすらいの文字使い。信州産、現在は神奈川で培養中のもやしっ子。活字と美術と歴史をこよなく愛する。治したいのは積読本をためる癖。
小説/ファンタジー

花霞(4)

[連載 | 連載中 | 全20話] 目次へ
定刻を過ぎた都城内。たいまつを持った衛兵たちが一人の人間を捜索していた。同刻、蕾渓(らいけい)の店からふらりと外に出た彼は冀水の濁流に流される人を見つけた。
   三


 大河、冀水のほとりから約十五里――そこには都城があった。華国の都市や市街地は、みな四方を城郭で囲まれているため、都城もしくは城市と呼ばれている。城とは築かれた一個の建物だけを言うのではなく、城壁で囲まれた街全体をも指すのである。
 しかし、ここの都城はあらゆる意味で特別だった。南北に長く伸びた大路の先にそびえ立つのは華国で唯一の城、禁城。そう、ここは華の都、安都なのだ。
 夜、定刻を過ぎれば城門は閉ざされ、都城の内外を行き来することは許されない。とはいえ、都城内の活気はその程度で衰えたりなどしない。むしろ暗くなってからのほうが活発になる商売も多く、大枚と嬌声が飛び交い、閉ざされたその世界は妖しいまでに賑やかだった。
 だが、その都城の片隅に、顔色を失って慌てふためく一群がいた。
「おい、そっちの庭はどうだ!?」
「駄目です、見当たりません!」
 広大な敷地内を衛士たちが右往左往していた。
 とうに日は暮れ、一人の人間を捜索をするといっても容易ではない。数十名からなる部隊は、各々手に松明を持って奔走する。
 慣れない者は、賊でも侵入したかと慌てるだろう。だが事情に詳しい者は、その真の理由を熟知していた。
「結局、派手な鬼ごっこと変わらないんだよな」
 のんびり、というよりは半ば諦めたような台詞が、露台から地上に降ってきた。衛士の一人が、鋭い視線を頭上に向ける。
「でしたら、そんな所で傍観なさらずに、参加されてはいかがです!?」
 しかし彼は、欄干にもたれかかったまま、自分よりもはるかに年長の衛士相手に、皮肉げな笑みをこぼす。
「無駄だ。それよりも説教の文句でも考えておいたほうが、よっぽど有益だ」
「何を……」
 壮年の衛士が口を開きかけた時、ばたばたと慌ただしい足音が近づいてきた。
「甲班、乙班、ともに見失いました!」
「またか!」
「そうら見ろ」
 とは、青年の饒舌な瞳が語った台詞である。少なくとも衛士にはそうとしか思えなかった。
 そこへ、
「丙班です」
 もう一人の報告者が現れた。顔に全く表情というものを作らずに、彼は告げる。
「逃げられました」
 その場の誰もが、天を仰いだ。

   ※

「ごちそうさまでした。いつもながら、おいしかったです」
 青年は丁寧に箸を置き、拱手しながらしみじみと食後の感想を述べる。
「あんたも常連のくせに、相変わらず他人行儀が抜けないんだねえ」
 店の女将は半ば呆れたように言う。
 ここは冀水流域の街、蕾渓(らいけい)。その一角に建つこの店では、ちょっとした料理や酒などを出している。泊まる部屋もわずかながらある。主人は何年か前に他界し、今は女の盛りも過ぎた未亡人が一人で店を切り盛りしていた。
「女将さんにはずいぶんお世話になりましたから」
 青年はさらりと答えたが、それは完全に事実だった。
 彼が初めてこの店に足を踏み入れた時、ほとんど行き倒れと言っていい状態だった。腹を極限まで減らし、挙げ句に財布をすられたのだ。女将はとりあえず食べ物を与え、その代金は青年の労働力によってまかなった。
 それからしばらく滞在すると、青年はふらりと店を出ていった。次に現れた時、彼は以前の代金を持参していた。女将は固辞したが、謝礼だからと言い切られ、結局受け取った。
 それ以来、彼は何かと顔を見せるようになり、現在に至る。落ち着いた物腰や、時折見せる身のこなしから、いいところの坊ちゃんではないかと睨んでいるのだが、身分、経歴等は一切不明である。
 不意に立ち上がり、戸口から出ていこうとする青年を、女将は呼び止めた。
「おや、どこへ行くんだい」
「ちょっとその辺を散歩に」
「……散歩って、こんな遅くにかい?」
 怪訝な顔をする女将に、青年は笑って答える。
「月を見ようと思いまして。日が昇るまでには、また戻りますよ」
 そう言って、青年はその場を後にした。

   ※

 城内は騒然としていた。そして、この日最大級の雷が直撃した。
「おまえたち追跡班がいながら、なぜ取り逃がしてしまったのじゃ!?」
 いきり立った老人の叱責に、衛士たちはただ首をすくめるばかりだった。
「面目もございません。途中までは幾人かが後を追っていたのですが、うまく撒かれまして……」
「ええい、もうよい、さっさと本来の職務につけ! 次に失策をおかした時には減給に処すぞ。よいな!」
「はっ」
 老人の脅しに、彼らは恐縮しながら大慌てで持ち場に戻った。その様子を見ながら老人は溜息をつく。
「またしても宮城を逃走とは……こちらも、もはや万策尽きたわい」
「まったくですね」
 苦々しい声が、老人の背後からかけられた。その発言者は、齢二十前後の若者。先刻、この逃走劇を鬼ごっこと評したのも彼である。
「とうとう専用の捜索隊まで編成したんですね」
 老人はじろりと視線を向けた。青年は気にせず、再び口を開く。
「本当に手がかかる。老、あいつを連れ戻す役、俺に任せてもらえませんか?」
「どうせそう言い出すと思っておったよ。おぬしが皇城からわざわざ足を運んだのも、そのためなんじゃろうが」
「ご明察、感服の限りです」
 恭しく一礼して去ろうとする青年を、老人は呼び止めた。
「子羽」
「何でしょう」
「わしはまだ、行ってよいとは言うておらんぞ」
「……許可を頂けないのですか?」
 その声にはわずかに非難の響きがある。しかし老人は構わず、髭に埋もれた口をおもむろに開いた。
「それは責任者たるわしの役目じゃ。おぬしには城内の留守居を任せる」
 子羽に否やの言葉はなかった。

   ※

「今夜もいい月だなあ」
 彼は夜空を見上げて呟いた。馬上にただ一人。当然、応える者はいない。
 もとより月を見るだけの散歩。とりたてて行くあてがあるわけではないが、ゆっくりと冀水沿いの騎行を続けていた。
 河の流れは絶え間ない。黄土の色に濁り、美しいとはとても言えないが、闇の中で月の光を浴びた水面を見るのは好きだった。
 その煌めく波間に、何かが浮き沈みするのが目に入った。
「―――?」
 彼は目を凝らし、もう一度河のほうを覗き込む。――そして、見た。
「人か!?」
 それは間違いなく人間だった。白い衣に包まれた、小さな体が冀水の濁流に流されてゆく。
 彼は迅速に行動に移った。
 生死のほどはわからない。だが、視覚を通して関わってしまった以上、放っておくわけにはいかなかった。
 急いで馬を降り、袍を脱ぎ捨て河に飛び込む。春の水はまだ冷たく、彼はぶるっと身体を震わした。
「水浴びにはまだ早すぎるなあ」
 つまらぬことを呟いて、流れゆく人間に向かって泳ぎ出す。自らもまた急流に呑まれそうになりながら、ようやくの思いで彼はその体を引き上げた。
 息をつき、濡れてほどけた髪を無造作に掻き上げて、彼は自分が助けた者を見やった。
 蒼ざめた顔。しかし、月の光が照らし出すその相貌は、見る者を惹きつけるような何かを秘めていた。
(つづく)
(初出:2001年06月)
登録日:2010年06月27日 16時41分

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