北見遼
著者:北見遼(きたみりょう)
夢と現をさまよいながら、文章を連ねるさすらいの文字使い。信州産、現在は神奈川で培養中のもやしっ子。活字と美術と歴史をこよなく愛する。治したいのは積読本をためる癖。
小説/ファンタジー

花霞(5)

[連載 | 連載中 | 全20話] 目次へ
闇値で売る塩商。怪しげな男の立ち寄った店の奥からなじみの青年の声がする。「彼女がそろそろ目を覚ますので…」舜水と名乗る彼にいらだつ紅耀。名を聞かれ、考えよりも先に声が出てしまう。
   四


 その日は朝早くから店を訪れる者があった。行商人らしい身なりのその男は、まだ若い。どこか無頼漢といった感じがしないでもないが、ここの女将はそれだけの理由で接客態度を変えたりはしなかった。
「何でもいいから腹に溜まるものを」という注文に答え、彼女は特製の出汁を使った羮(あつもの)を出してやった。
「……うまいな」
「当ったり前さ。うちの料理はそこらのごった煮とはわけが違うんだよ」
 感心した客に対し、女将は胸を張る。
 すると、男はわずかに目を細めた。
「だが、塩がよくない」
「おや。なかなか言うじゃないのさ、あんた」
 しかし言葉とは裏腹に、女将は興味深げな顔つきになった。それを横目で確認しながら、男はゆっくりと匙を置く。
「ここで使っているのは海塩だろう。あれはよくない。粗い上に不味いからな。恵州の井塩(せいえん)が一番うまいんだ」
 恵州は、この香州よりはるか南方の奥地にある。そこは峻険な山々と急流に囲まれた天然の要害であり、また土地も肥沃なため、 「天府の国」とさえ呼ばれている。たとえ王朝が滅びようと、城門を閉ざしてしまえば平和に自給自足が行えるからだ。しかも質の良い塩が採れる井戸も多い。「恵州」と名付けられたゆえんである。
「恵州の塩が、ここら辺で手に入るわけないだろ? ただでさえ塩の値段が跳ね上がってるってのに。まったく、御上もひどいことをしてくれるもんだよ。このまんまじゃ商売上がったりさ」
「それがあると言ったらどうする?」
「……どういうことだい、それは」
 さすがの女将も眉をひそめる。しかし、男は実に平然としたものだった。
「どうもこうもない。俺は流れ者の塩商なんだ。もちろん、くそ不味い海塩なんかじゃなく、恵州産の井塩だ。こいつは滅多に売らないんだが、ここの飯がうまかったんでな。安くしておいてやる。買わないか?」
 女将は目を見開いた。
「ずいぶんあっさりと身分を明かすもんだね。その分じゃ許可証を見せておくれと言っても無駄だろうね」
「当然だろう」
 男はさも当たり前のように鼻を鳴らすが、実際にはかなり大したことなのである。
 この時代、朝廷が専売制を敷いているものの中に塩もあった。人々の必需品である以上、これに一定の税をかければ安定した収入源となるからだ。その分、私塩に対する法は厳しかった。闇値で売る塩商――すなわち塩梟(えんきょう)は極刑とされている。それでも私塩がなくなることはない。正規の値段ではあまりに高く、民衆にはなかなか手が出ないというのが実情なのだ。
「別に身構えることはないだろう。俺たちがやっているのは、言わば人助けさ。ばか高い正規の塩なんぞ、とても食えたもんじゃない。味は料理屋の命だろう?」
「まあね、それはそうなんだけどね」
 普段通りの豪胆な女将であれば、とっくに財布の紐を緩めていただろう。だが、この時彼女は別のことが気にかかっていたのだ。
 ちらちらと奥のほうを見やるのを不審に思ったのだろう。男は不意に訊ねた。
「何だ? 誰か泊まりの客でもいるのか?」
「ああ、そうさ。うちの常連さんなんだけどね」
「ほう。……まあ、馴染みなら問題はないだろうな」
「何かあったのかい?」
「さっき通った邑で最近、人殺しがあったらしくてな。どうやらその犯人が逃げたまま行方が知れないらしい。この辺まで来ていたら危ないと思ったんだが」
 女将は驚いたように眉を上げた。さらに口を開きかけた時、
「女将さん」
 馴染みの青年の声が背後から上がった。彼はよくここに寝泊まりしているのだが、早朝からしっかりと覚醒しているのは珍しかった。当然、それには理由があるのだが。
「彼女がそろそろ目を覚ますので、朝餉をお願いできますか」
 頷いて、女将は朝餉の支度をしに奥の部屋へと向かった。
 そして、店の中には塩を売り損ねた男と、商売の邪魔をした青年とが残された。
「近頃の塩商は、塩だけでなく油も売るんですねえ」
 青年は屈託のない笑顔で塩商に話しかける。だが、その内容は決して穏やかなものとは言いがたかった。
 その指すところを充分察しているらしい男は、もともと良くない目つきをさらに鋭くさせた。
「必要とあらばな。だからなるべく火を注がないほうが身のためだぞ」
「おや、水を差したとばかり思ってましたけどね」
 ふん、と鼻を鳴らして男は立ち上がった。
「代金だと言っておけ」
 そうして無造作に懐から包みを放って、男は店を後にする。
 青年は卓に投げられた包みを覗き込んだ。わずかにこぼれ出た白い粒から、その中身はすぐに知れるところとなった。

   ※

 差し込む陽光が目にしみる。眩しさに、紅耀は閉じたままの両眼を思わずこすった。
「朝か……」
 呟いて、寝床から起き上がろうとしたその体を、激しい痛みが襲った。
「痛……っ」
 少し体を動かしただけで背中が灼けつくように熱く、目が霞む。すると、そのぼやけた視界の奥に人影が浮かび上がった。
「駄目だよ、起き上がっては。大怪我をしているんだからね。傷口が完全にふさがるまで動いてはいけないよ」
 見たところ二十過ぎの若者だった。だが、その顔の記憶は欠片もない。
「誰だ、おまえは」
「舜水」
 簡潔極まる答えに、紅耀はかえって面喰らう。そして、重ねて問うた。
「……ここは、どこだ?」
「蕾渓(らいけい)の街だよ」
「蕾渓」
 紅耀は同じ言葉を繰り返した。
「君を冀水から引き上げて、知り合いの店まで運んできたんだ。その様子を見ると、この辺りで流されたというわけではなさそうだね」
 焔から蕾渓までそれほど遠くはないが、徒歩の旅で一夜のうちに着くことはまず不可能だ。しかし、紅耀はそれを口にはしなかった。
「冀水……」
 それだけ呟いて、紅耀はうつむいた。
 ではあの後、自分は冀水に流され、この男に助けられたのだ。熱でぼんやりとする頭で、紅耀はようやくそのことを理解した。そしてだんだん腹が立ってきた。
「おまえ、なぜ私を助けたんだ?」
「なぜって?」
「見知らぬ人間を救うために、なぜわざわざ危険を承知で冀水に入ったんだ!? そんなのは莫迦な人間のすることだ」
「じゃあ、僕はきっと莫迦なんだろう」
「おまえ……っ」
 無邪気に笑う、その穏和な顔が憎らしい。
 なぜそんな思いを抱いたのかわからない。ただ感情のままに、紅耀は勢いよく身を起こした。が、先刻を大きく上回る激痛に、彼女は半身を折ってうずくまった。
「ほら、ごらん。ちゃんと寝ていなければ駄目だよ」
 舜水の差しのべた手を、紅耀は振り払った。
「余計なお世話だ! 私はおまえに助けを求めた覚えなどない!」
「では、死を望んで河に入ったのかい?」
 その声はひどく落ち着いていた。怒りの色はない。ただ、聞き分けのない子供をなだめるような、そんな響きがあった。
「いくら自殺しようとしても、自分で背中に矢を突き立てられるはずがないからね。わけは話さなくてもいいけど、普通に体が動かせるようになるまでゆっくり養生するといい」
 痛む傷を押さえながら、再び何か罵声を浴びせようと口を開きかけたその時、新たな乱入者が現れた。
「ああもう、気になって様子を見に来たら! 何だい、このざまは? 怪我人を興奮させて、傷口を開かせてどうするのさ!?」
 威勢のよい声を上げて部屋に入ってきたのは、体格のよい中年の女性だった。手にした盆には朝餉の粥が載せられている。
 女は紅耀を見るなり、すぐさま寝かしつけた。抗う暇も与えぬほどの、見事な手さばきだった。
「ほら、あんたも落ち着いて寝てなきゃ、治るもんも治らないよ。ただでさえ怪我のせいで熱があるんだからね。これは気分がよくなってから食べな」
 枕元に置かれた椀から沸き上がる湯気と香りが、紅耀の鼻をくすぐった。紅耀は反射的に蒲団を頭までかぶる。
 ふう、と溜息をついて、女将は紅耀の肩越しに声をかける。
「これからどうする気だい、あんた。あたしはここにいてもらっても、いっこうに構わないけどね。でも心配してる人がいるんだったら、早いうちに連絡だけでもしておきなよ」
「そんな人間はいない」
 蒲団をかぶったまま、紅耀はそれだけ言うのが精一杯だった。
「寝る」
 さっさと立ち去れ――そう言いたい衝動を抑えての台詞だったが、あまり変わりはないようだ。
「ああ、ごめん。邪魔しちゃいけないね。睡眠も立派な治療の一つなんだから」
 紅耀の真意を知ってか知らずか、曇り一つない笑顔で舜水は、まだ何か言いたげな女将を促して部屋を後にする。そして戸口の所でふと足を止めた。
「そういえば、まだ名を聞いていなかったね」
 ――答えるべきか。
 一瞬迷ったが、声のほうが考えよりも先にすんなりと現れた。
「紅耀」
 満足げに頷いて、舜水は静かに戸を閉めた。


 怪我は、大きなものは背中の矢傷が一つ。それより小さなものになれば、あまりの多さに数えるのも莫迦らしくてやめた。恐らく河を流されている間に岩肌にでもぶつかったのだろう。しかし驚いたのは、それら多くの傷口すべてに治療が施されていたことである。
 あの正体不明の覆面に斬りつけられた傷には薬草を練り込んだ湿布が貼られ、その上からきつく布が巻かれていた。小さな傷にも余すところなく薬が塗られている。
 ――舜水と名乗ったあの男。
 あいつは一体何者だろう。
 これらの薬草は、そう簡単に手に入るものではない。炎狼として生きることを義務づけられた彼女は、薬となる野草にも詳しい。それは一族が代々培ってきた、生きる術の一つ。だからこそ、自分に惜しげもなく使われている薬がどれだけ希少なものかもわかるのだ。
 高い薬もわけなく手にできる身分か。
 だが、そのわりには衣服も質素で、また重傷者を民間の、それも小さな店屋に運び込むというのも納得がゆかない。だいたい、供の者が一人もいないではないか。
 ならば、薬売りか何かだろうか。
 見るからにお人好しで商売など向きそうにもないが、それ以外に説明がつかない。
 紅耀は枕元の椀を引き寄せた。
 もう、あんな奴のことを考えるのはよそう。あいつと自分とは、全く別種の人間――互いに理解し合うことは不可能だろう。片や手を血に濡らしてきた一族の末裔。片や自らの危険も顧みず他人を救うお人好し。
 ――傷さえなければ、こんな所すぐさま出てゆくものを。
 粥の温もりが、椀を持つ手に伝わってくる。
 ――どいつもこいつも、莫迦ばかりだ。
 なぜ、傷を負っているからとて見知らぬ娘の世話をする。瀕死の重傷を受けるなど、尋常ではありえない。何かよからぬことに巻き込まれるかもしれぬというのに。
「人は、汚いんだ……」
 幼い時から感じていた。誰に教わったわけでもない。だが、人はつまらぬ理由で人を憎み、欺き、殺める。隙を見せればつけこまれるだけ――そんなこと、言われずとも知っていた。
 それなのに、この者たちときたら。
 口の中に、粥のぼんやりとした味が広がった。一口、二口とひきつる右手で匙をゆっくり運ぶ。
 身内を残らず失ってより、他人のつくったものを食べるのは、紅耀にとってこれが初めてのことであった。
(つづく)
(初出:2001年06月)
前へ1 ...... 2 3 4 5 6 7 8
登録日:2010年06月27日 16時43分

Facebook Comments

北見遼の記事 - 新着情報

  • 園生に咲く花(7) 北見遼 (2016年08月13日 12時42分)
    事件が一段落つき、夜も明けようというころで気が付いた。「今日は受験日だった!」 焦る小紅をよそに姉の小百合は涼しい顔で飛ばしていた高速を降りる。そんなときが来た小紅の晴れやかな笑顔がまぶしい。園生に咲く花、最終章!(小説現代
  • 園生に咲く花(6) 北見遼 (2016年05月31日 14時28分)
    「見つけたわ!」深夜の高速道路を爆走するピンク色のワゴン車。誘拐犯の車を見つけた一行はカーチェイスの末、ついに犯人を追い詰める。重苦しい現場で露わになるそれぞれの想い。(小説現代
  • 園生に咲く花(5) 北見遼 (2016年05月12日 14時06分)
    誘拐犯と思わしき晴美――姉の旦那がかつてつき合っていた女性のアパートに雪崩れ込むがすでに空っぽだった。取り乱す姉に愕然とする小紅だったが、事態はそれどころではない。(小説現代

小説/ファンタジーの記事 - 新着情報

  • よろめくるまほろば(2) 石川月洛 (2015年09月19日 13時58分)
    診察室にやってきたサトヤくんはしゃべらない。彼がもってきたケースにはカラーモールで作られた蜘蛛の人形――ターチがいた。ターチと話すサトヤに僕は……。(小説ファンタジー
  • いらない王様 新美健 (2015年07月21日 14時26分)
    あるとき、あるところにひとりの王様がいました。とても体が大きく、頭のいい人でしたが、気が短くて乱暴であったため、家来たちに自分の国から追い出されてしまいます。ついてきたのは道化師ひとりだけ…。番組化もした童話原作。(小説ファンタジー
  • 約束の夏(4) 天野雅 (2014年09月23日 15時35分)
    玲子に取り憑いたとおぼしき霊の目的とは? かつてのこの場所であった出来事が生者を巻き込み展開する。約束の夏、最終章。(小説ファンタジー

小説/ファンタジーの電子書籍 - 新着情報

  • 瞳の奥に眠る森 城本朔夜 (2011年09月29日 15時47分)
    エリートたちが集うネスト本校に通うサナイに、リゴフィールド行きが告げられた。就職と出世の貴重なカードとなるチャンスにも、サナイの心は浮かばない。ひとり分け入った森林で見たオーグルの意外な姿。兄の死の真相、ヒビキの出生、カスガの怪しい行動。次々と明らかになる大人たちの欺瞞と葬り去られた過去に立ち向かう感動の大作! (小説ファンタジー
  • 麗人軍師とオアシスの魔法使い 新美健 (2011年04月20日 14時58分)
    『桜花の大乱』より、一年半後――。解脱してしまいそうな平和な春、第三王女であるウズメ姫に呼ばれた侍女コノハは、密書を託される。オアシスとも称される砂漠の国、ブランク王国に赴いたコノハが、大乱の英雄ユキムラに渡した密書は、世界大戦の引き金になりかねないものだった!
    価格:315円(小説ファンタジー
  • イペタムの刀鞘 城本朔夜 (2010年11月20日 15時42分)
    蛇の痣(あざ)がある孤児、カカミ。村中の人間から「悪魔」と忌み嫌われる彼は、妖刀イペタムに魅入られ、寝食を忘れてイペタムの鞘作りに没頭する。そんな彼をそっと見守るのは、皆殺しにあった村で姉と二人だけ生き残った美しい娘、ミナ。やがて数年の研鑽が実を結び、ついに鞘が完成するが……。
    価格:350円(小説ファンタジー

あなたへのオススメ

  • 花霞(20) 北見遼 (2011年05月14日 11時50分)
    大公との契約を果たすため、紅耀は太子の居室に忍び込んだ。炎狼としての初仕事は命の恩人の命をとること――。「その首もらいうける!」紅耀は叫び、白刃を振り下ろしす!(小説ファンタジー
  • 花霞(19) 北見遼 (2011年02月02日 12時31分)
    政務に忙殺されていた天子に妃の体調を思いやる暇はなかった。「天華の治」最後の年となる二十四年、皇后崩御――それを信じられなかった天子は炎狼のせいとした。紅耀の父、朱叡の哀しき最期が語られる。(小説ファンタジー
  • 花霞(18) 北見遼 (2010年11月24日 15時11分)
    大公、李季英。長く願ってきた想いと玉座への野心が炎狼を呼び寄せる。彼の居城にとらわれた紅耀に思いも寄らぬ仕事の依頼が。断れば殺される――だが、これは自分が決めたことなのだと言い聞かせる紅耀だった。(小説ファンタジー