北見遼
著者:北見遼(きたみりょう)
夢と現をさまよいながら、文章を連ねるさすらいの文字使い。信州産、現在は神奈川で培養中のもやしっ子。活字と美術と歴史をこよなく愛する。治したいのは積読本をためる癖。
小説/ファンタジー

花霞(6)

[連載 | 連載中 | 全20話] 目次へ
過保護な介抱人によって、不本意な時間を過ごす紅耀。焔で人殺しがあったことを聞き、部屋を飛び出したところに役人が訪れる。「発見しましたぞ!」
   五


「舜水、おまえいつまでこんなところにいるつもりだ?」
「決まっているだろう? 紅耀の怪我が治るまでだよ」
「だから私のことはいいと言っている!」
「無理して僕に気を遣わなくてもいいんだよ。それに、女の子が体に傷を残したら大変だからね」
「……誰がおまえなんぞに気を遣うか」
 この応酬は、これが初めてではない。紅耀が目を覚ましてより五日――どうやら救い出されて丸一日眠り込んでいたらしい――を経て、彼女はようやく起き上がれるようになった。というより、やっとのことで過保護な介抱人二人のお許しをもらったのだ。
 本来ならば、動けるようになったと同時に黙って出てゆくつもりだった。だが、怪我人に対する反応が異常なまでに過敏な彼らに阻まれて、こうしてだらだらと不本意な時間を過ごす羽目に陥った。せめて監視者を一人だけでも減らそうと思っても、この有様。
 なかなか思うようにゆかないものなのだ。
「強がるんじゃないよ。瀕死の重傷を負ってた人間が、そう簡単に治ってたまるもんかい」
 この台詞も、もはや飽きるほど耳にしていた。半ばうんざりしながら、紅耀は声の主を振り返る。そこには、闊達という表現が最もふさわしい、店の女将が立っていた。
「ちょっと、あんたも怪我人を興奮させないでおくれよ。この調子じゃ、いつまでたっても治りゃしない」
「本人は平気だそうですが」
 女将の非難めいた台詞に、舜水はとりあえず反論を試みた。
「聞き分けのない病人や怪我人は、みんなそう言うんだよ」
 一言で青年の弁を切り捨てて、女将はふと思いついたように別のことを口にした。
「ああ、そうだ。ちょっと小耳に挟んだんだけどね、冀水の上流のほうで騒動があったそうだよ」
「騒動?」
 紅耀は思わず聞き返した。その声に、わずかな緊張が走ったことに、女将は気づかぬようだった。
「何でも、この先の街道を行ったところにある焔って邑で人殺しがあったらしいよ。それも、二人も」
「二人!?」
「全く、物騒な話だよ。聞けば、そこは去年の暮れにできたばかりの茶屋だとか。もう店をたたまなきゃ駄目だろうねえ。気の毒だけど、そんなことがあったら客も入らないだろうよ」
 世間話の風情で語る彼女の声は、紅耀の耳を素通りしていた。黙する彼女の隣で、舜水が興味深げに訊ねる。
「そういえば、この前のお客さんもそんなことを言っていましたね。それで、役人は調査に立ち入ったんでしょうか」
「さあ、どうだろうねえ。あたしはお役所のことにはとんと疎いもんで。おや、どうしたんだい、紅耀。顔色が悪いみたいだけど」
「いや、別に」
 女将の問いに、紅耀は首を振って否定した。だが、内心は平静とは程遠かった。
 それは間違いなく自分の店のことだ。焔の邑で人殺し。他に該当する場所があるはずもない。
 だが、二人とはどういうことか。
 一人は、あの覆面が射倒したのをこの目で見ている。しかし、もう一人のほうは自分が気絶させただけのはずだ。手加減はした。息があるのも確認している。と、いうことは。
 ぞくっと背筋に寒けが走った。
 思いつく、たった一つの予想。それは、あの覆面が二人の口をまとめて封じたということ。
 あの時、巨躯の男を射殺したのも、よく考えれば初めから狙って矢を放ったのではないか。ならば、いま一人の仲間も手にかけたのだとしても不思議はない。
 しかし、どんな理由があって――
「紅耀?」
 心配げなその声で彼女は我に返った。見れば、じっと自分を覗き込む舜水の顔がすぐ目の前にある。
「どうした? どこか具合でも悪い?」
「……本当に、何でもないんだ」
 なぜか居心地が悪かった。それはどこかに後ろ暗さがあるからだろうか。余計なお世話とはいえ、ここまで介抱してくれた二人に対し、隠し事をしているという自分に対して。
 ふうん、と小首を傾げながらも一応追及を断念したらしい舜水を見て、紅耀は胸を撫で下ろした。そして同時に、そんな自分に嫌気が差す。
「やっぱり体を横にしてたほうがいいんじゃないかねえ」
「そうだよ。無理しても体にいいことなんて一つもないよ」
 口々に紅耀を言い聞かせようとする彼らに、彼女の忍耐は底をついた。
「違うんだ! 放っておいてくれ!」
 言い捨て、身を翻して紅耀は部屋を飛び出した。
 このまま出ていってしまいたかった。ちょうど厩舎(うまや)には、つながれたままの舜水の馬がある。半日も馬を飛ばせば焔の邑に着くはずなのだ。
 だが、紅耀のにわか仕立ての計画は、思いつくと同時に阻まれた。
「おっと、大丈夫か。娘さん」
 戸を開け放し、飛び出した瞬間、彼女は誰かとぶつかった。その、体格のいい男はびくともせず、代わりに彼女のほうが尻餅をついてしまった。
 そして、手を差しのべた男の身なりを見て、紅耀はびくりとした。
「……役人が、どうして――」
 抑えようとしても声が震える。
 その男の着ている袍は、下級とはいえ紛れもなく官吏のものだった。
 こんな下町の小さな店になど用はないはずだ。そう、特別なことでもない限り――
「人捜しだ。悪いが、入らせてもらうぞ」
 紅耀は血の気が引くのを感じた。
 ついにここまで調べがついてしまったのだ。女将や舜水は、彼らに尋問されればありのままを話すだろう。そうなれば、彼らが事件と自分との関連に気づくのは時間の問題。
 紅耀は身を翻し、店の中に駆け込もうとした。表口にはすでに役人たちがいる。逃げるとすれば裏からしかない。
 だが次の瞬間、彼女の動きは凍りついた。
「――発見しましたぞ!」
 その声に誘導されるように、わらわらと官吏の袍を纏った男たちが集まってくる。
 ――もう逃げられない。
 紅耀は目をつぶった。だが、いっこうに彼女を取り押さえる腕が伸びてこない。
 どういうことかと瞼を持ち上げると、男たちは紅耀の前を素通りし、開け放たれたままの戸から店内へと踏み込んでゆくのが知れた。
「どうしたの? いったい何の騒ぎだい?」
 いつもののんびりした声が中から上がる。その時だった。
 役人たちの群れを分けて、一つの小柄な影がずいと前に押し出る。
 一瞬、普段はぼんやりとした人間がたじろぐのを紅耀は見た。
 現れたのは上等の衣に身を包んだ、白髭の小柄な老人だった。そして、老人は皺と髭に埋もれた口を物々しく押し開く。
「長いことお捜ししましたぞ、殿下」
「……孝倬」
 老人に見据えられ、ばつの悪そうに笑う人物。事情の呑めぬ女性二人の視線を一身に浴びるのは、まぎれもなく舜水その人であった。
(つづく)
(初出:2001年06月)
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登録日:2010年06月27日 16時44分

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