北見遼
著者:北見遼(きたみりょう)
夢と現をさまよいながら、文章を連ねるさすらいの文字使い。信州産、現在は神奈川で培養中のもやしっ子。活字と美術と歴史をこよなく愛する。治したいのは積読本をためる癖。
小説/ファンタジー

花霞(7)

[連載 | 連載中 | 全20話] 目次へ
渋々ながら事実を明かし「帰る家などない」という紅耀を都城に誘う舜水。棘が刺さったまま、と心配する女将の例えは意を得ているように感じらる舜水なのだった。
   六


「殿下とはどういうことだ」
「あたしもちょっと聞いてないねえ」
 女二人に厳しく詰め寄られ、渋々ながら舜水は事実を明かした。
「舜水というのは別字なんだ。普段は一応、李伯飛と名乗っている」
 別字とはいうが、つまるところ微行(おしのび)用の偽名である。彼はその通り名で城外散策の遊興を存分に愉しんでいたのだった。
 本名は李翡、字を伯飛という。この国で知らぬ者はない、天子の嫡男――将来、玉座に着くべき太子である。
「……太子?」
 紅耀は呆然と呟いた。その横で、女将は妙に感心したように言う。
「ずいぶんと偉い身分の人だったんだねえ、あんた。とてもそうは見えないけど」
「ああ、やっぱり。よく言われますけどね」
「――いい加減になされよ!」
 それまで憮然と黙り込んでいた老人が、とうとう怒声を上げた。
「問題は、なぜ太子ともあろうお方がこのような所で寝起きしておられたか、ということです。何ゆえそのような仕儀になられたのですか!?」
「うん、ちょっと怪我人を見つけてね。放っておくわけにもいかないから、ここで介抱していたんだけど」
「なんと嘆かわしい! 将来国を統べる天子となられるお方が、このような庶民の娘の世話をなさるとは……」
 その発言に、紅耀は黙っているわけにはいかなかった。
「庶民と言うか。嘆かわしいだと? そうして蔑む庶民から巻き上げた金で食わせてもらっているおまえたちは、ならば狗並みではないか!」
 真向から悪意をぶつけられ、孝倬もまた怒りに我を忘れて罵声を浴びせた。
「黙れ、小娘! 貴様のごとき卑賤の身が殿下に恩を受けながら、朝廷を愚弄するなどおこがましいわ!」
「やめなさい。二人とも」
 互いに罵り合う両者の間に、舜水が割って入った。
「大人げないよ、孝倬。それに、紅耀の言うことにも一理ある」
「殿下……!?」
「聖人面をするな!」
 紅耀は鋭く叫んだ。その双眸は怒りに燃え、舜水を睨みつける。
「太子だなどと、おまえは一言も言わなかったではないか! 私をたばかっていたのか!?」
「訊かれなかったからね。騙すつもりはなかったよ。黙っていたのは悪かったけど……」
「謝ることはございませんぞ、殿下。この娘は朝廷の恩恵もわきまえぬ不逞の輩です」
 よせばよいのに、老人はまだ引き下がらない。
「何が恩恵だ、笑わせるな!」
 紅耀の我慢も、もはや限界だった。卓に拳を叩きつけ、くるりと踵を返す。
「殿下!」
 老人の制止する声も聞かず、舜水がその後を追った。


 ――ふざけるな。
 人をどこまで莫迦にすれば気が済むのだ、あの男は。
 あいつだけではない。官と名のつく者、帝室と関する者、権力を持つ者全てが憎い。
 自分たちの一族が、どれだけ人の生命を駒とした、奴らの遊びに翻弄されたことか。因果な商売だからと割り切るには、あまりにその汚らわしい絆は深すぎた。そんな者どもに、恩義など感じられるはずがない。
 夢中で駆けたため、足がもつれる。長く寝ていたせいで萎えた脚が言うことを聞かない。無理して動かした体の傷口が悲鳴を上げる。
 紅耀は地面に倒れ込んだ。乾いた砂埃が舞い上がり、煙となる。
「立てるかい?」
 いつの間にか追いついていた舜水が、背後から声をかけた。差し出された手を無視して、紅耀は自力で立ち上がる。だが、舜水は特に気分を害したふうもない。
「さっきは悪かったね。孝倬がひどいことを言って」
「太子は謝る必要などないのだろう?」
 紅耀は、ついと顔を背けた。そのため、舜水の表情が一瞬翳ったことを知らなかった。
「孝倬は僕のお目付役なんだ。そのせいで僕と、僕の周囲に対する目が厳しくてね」
 紅耀は無言で応えた。舜水は頭を掻いて、思い直したように別のことを口にした。
「紅耀は、この後どうするの? 家に帰るのなら送っていくよ」
「え……」
 ならば、焔の邑へ。そう言いかけて、紅耀は口を閉ざした。今、家に戻っても役人の詰問が待ち構えているだろう。隠し続けてきた正体が最悪の場合、朝廷にまで知れることになる。
 炎狼は、それでも数年前までは朝廷側もその存在を黙認していた節がある。支配層がその技倆を頼ることも多々あり、また炎狼が誰の配下にもつかぬために共存してこれたのだ。だが、危ういところで保ってきた均衡が、二年前をもって崩れた。それはちょうど、後の世まで称えられる名君李昭による「天華の治」の終焉の時でもあった。
 いずれにせよ、今炎狼の末裔が捕われれば助かる見込みなどなきに等しいのだ。
「帰る家など、ない」
 憮然として言い放つ。それを聞いて、舜水はゆっくりと頷いた。
「では、僕と一緒に都城へ行こう。太医に診てもらえれば、傷の治りもよくなるだろうしね」
 ――何を言い出すのだ、こいつは。
 自分がどれだけ罵倒されたのか、わかっていないのか。それとも、ただのお人好しなだけなのか。
 ――構うものか。
 だったら、こちらはそれを利用するだけ。この体では次に襲撃に遭っても、とうてい太刀打ちできない。ならば警備も厳重な太子のもとで養生するのが最も良策といえるだろう。
「……莫迦だな、おまえ」
 思わず口をついて出た言葉に、莫迦と呼ばれた太子は静かに笑った。
「本当にね」


 その日のうちに一行は支度を調え、帰路についた。
「これは、ほんの気持ちです」
 そう手渡された謝礼の金品を、女将はありがたく頂くことにした。人道に基づく行為への報酬は、わざわざ遠慮する必要はない。この女将は、そう割り切ってしまえる人間だった。
 だが、それでも気になることはあるらしい。
「あの塩のことなんだけど……」
 行きずりの塩商の男が置いていった品。あれは一般の民衆が手に入れてはならないものだ。私塩は売るだけでなく、買う側にも罰則が設けられている。
 この青年が実は華の太子だと知った以上、やはり恐れがあるのだろう。
 だが、舜水はその危惧を払拭するかのように笑ってみせた。
「気にすることはありませんよ。あれは代金として、あのお客が置いていったものなんですから。ここの料理はそれだけの値打ちがあるということでしょう?」
「そう言ってくれると嬉しいけどね」
 あの包みに入っていた塩を実際に買うとなれば、相当な金額になる。とても一食分の値段ではありえないのだ。
 だが、この太子は塩梟を取り締まるつもりはないのだろうか? それを口にすると、若い太子は苦い笑みを浮かべた。
「取り締まろうと思って、できるものではありませんよ」
 すると、向こうから太子を急かす声が上がった。探し回るのにずいぶんと手間取っただけに、これ以上時間を浪費したくないのだろう。しかし、女将は舜水を呼び止めた。怪訝な顔で振り返る彼に、重くなりがちな口を再び押し開く。
「何だかあの子のことが気がかりでねえ」
「紅耀が、ですか?」
 彼は少女の名を口にした。女将は腕を組んだまま深く頷く。
「本当ならあたしが見てやれればいいんだろうけど、それじゃあ、あの子の棘(とげ)は刺さったままだろうしね」
 それには彼も同意した。
「ええ、わかりますよ」
 女将は棘と言った。その例えは意を得ていると思われた。
 あの少女は何かに傷ついている。そして自らの心を閉ざすことで、その傷を隠そうとしている。
 何が原因かはわからない。だが、できることならその棘を取り払ってやりたいと、彼は思っていた。
「頼んだよ」
 それが、女将の餞(はなむけ)の言葉だった。
「任せてください」
 本当にできるのかは、自分でもわからない。しかし、たった一人の少女さえ救うこともできずに、将来国を治め、民に安寧をもたらすことなどできまいとも思っているのだった。
 ――たとえば、今の天子のように。
(つづく)
(初出:2001年06月)
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登録日:2010年06月27日 16時46分

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