北見遼
著者:北見遼(きたみりょう)
夢と現をさまよいながら、文章を連ねるさすらいの文字使い。信州産、現在は神奈川で培養中のもやしっ子。活字と美術と歴史をこよなく愛する。治したいのは積読本をためる癖。
小説/ファンタジー

花霞(8)

[連載 | 連載中 | 全20話] 目次へ
天子李昭の正室で太子伯飛の母であった蕭妃がこの世を去ってから、天子李昭は愛妾であり、官には妖婦とも称される俐麗を重用し、政務にも介入させるようになる。その俐麗の兄、世衛の前に、その陰謀を知る男が現れる。
 第二章 李花


   天華盈碧空  天華は碧空を盈(みた)し
   李花蓋万里  李花は万里を蓋(おお)う

 これは、華王朝六代皇帝李昭の治世を称えて民衆の間で詠じられた歌の一部である。それ一つ見るにつけ、当時の天子がいかに民から慕われていたか窺えよう。
 天華とは元号、すなわち李昭の麗しき御代。李花とは帝室、李家の栄華のことである。


   一


 華の都、安都。国中の――それどころか、大陸中の富と文化を凝縮させたその都は、周囲を厚い城壁でぐるりと囲まれている。どの城市も似通った造りではあるが、都城の堅固さは格別である。そもそも城郭都市の建設は、蛮族と蔑称される異民族の度重なる侵攻に備えてのこと。しかし、その蛮族も平定され、外敵から身を守る必要もない今となっては、厚い城壁も無用の長物となりつつあった。
 その都の北方に位置するのが朱塗りの禁城。それは主に天子の住まいである宮城と、百官の詰める皇城とに分けられる。そしてその皇城こそが、国政の中枢にして天子の政務の場――のはずであった。
「陛下。昨年の不作のために今年は蓄えが少なく冷害の備えが不十分でありますが、いかがなさいますか」
 一人の官の奏上を聞き、御簾の向こうの天子は口を開いた。臣下にではなく、隣に侍る夫人に対して。
「ということじゃが俐麗、おぬしはどう思う?」
「わたくしのような女の身にはとても……お答えすることも憚られます」
「まあ、そう言うでない。どうじゃ、何か考えはないか?」
「……では、僭越ながら申し上げます。備えの作物がないのでしたら市場から買い上げてはいかがでしょうか。その資金は税を上げ、民から徴収した分で補えばよろしいかと思われます」
「なるほど。並み居る官にも劣らぬほどの良計じゃのう。よいよい、それではその策を採るよう諸官に伝えておけ」
「……御意」
 官は、深々と頭を垂れた。そのため玉座の天子には、その表情を読み取ることは不可能だった。


「なんたるざまだ! このままでは国は根元から崩れてしまうぞ!」
 天子の御前から退出した官が、忌ま忌ましげに吐き捨てた。
「おいおい、声が大きいぞ。処罰されたくなければもう少し落ち着くんだな」
 そうなだめる同僚に、彼はじろりと鋭い視線を向けた。
「これが落ち着いてなどいられるか! 何が良計だ。市場から買い占めなど行えば価格が暴騰する。おまけに税率まで上げた日には民の生活は困窮し、物がまともに流通しなくなる。長く待たずに国の基盤は崩壊してしまうぞ」
「……それがおわかりにならぬ陛下でもあるまいにな」
 同僚の言に彼は深く頷いた。
「まったく、陛下はあの妖婦を政務に介入させるようになってからというもの、お変わりになってしまわれた」
「仮にも夫人たる御方を妖婦呼ばわりなど、不敬ではないのか」
「本気で言っているのか、それを」
「……さてな」
 彼らの言う妖婦とは、天子李昭の最も寵愛深い女性、柳夫人。名を俐麗という。
 李昭の正室は蕭妃といった。太子伯飛の母である。「その容貌は爛漫の百花をも凌駕し、貞淑にして賢明であった」と史書は告げる。本来ならば国母となるはずだった彼女は、多くの人々に惜しまれて二年前にこの世を去った。享年三十九。天子の慟哭すること、並一通りではなかった。
 その李昭の側近くに侍り慰めたのが、当時愛妾の一人でしかなかった柳俐麗であった。蕭妃の美しさを陽と例えるなら、柳妃のそれは陰である――とは、二人の対比を表した後世の評価である。そのため、当然天子の耳に入ることはなかった。
 李昭は、俐麗との愛欲に溺れた。政務をないがしろにし、諫言を遠ざけ、甘言のみを快しとした。後に「天華の治」と称えられるそれまでの功績は、己の欲望のために一瞬にして潰えてしまったのである。
 天子は俐麗を妾から夫人に格上げし、政務にも介入させるようになった。彼は初め皇后にと望んだのだが、臣下の強い反対により断念した。
 妃にも序列がある。俐麗の身分は低く、天子の寵愛以外、彼女の支えとなるものはない。よって古くからの秩序を乱し、賤しき女を皇后とするなどもってのほか、と廷臣は口を揃えて諫めたのだ。だが、それが実現するのも時間の問題だろうと最近ではささやかれている。
 また、要職に柳氏一族の者を置き、これを重く用いた。
 諫臣が減り、佞臣が増え、密告と讒言が飛び交い、朝廷は荒れた。
「このまま国が傾くのを、手をこまねいて見ていてよいものか」
 溜息まじりの呟きに、背後から返事があった。
「おぬしのように心から国を思う者があれば、華も安泰だろう」
「柳尚書……!」
 二人の官は二、三歩退き、道をあけた。その顔は、それまで熱弁を振るっていた時とは打って変わって蒼白である。うつむいたままの彼らの間を、痩身の男が悠然と通り過ぎる。その姿がやがて小さくなると、官の一人が苦々しく言い捨てた。
「ふん、奸臣の筆頭が、宮中を乱しておいてよく言うわ」


 下官により奸臣と評された人物を、柳世衛という。現在、最も寵愛深い柳夫人の兄であり、天子の信望も厚い。
「出世も覚束ぬ小物風情が、よく吠えるわ」
 世衛は鼻先で笑った。今、百官の中で彼以上に将来性豊かな者はいない。
 以前、彼は先ほど陰で罵っていた官たちよりも低い身分であった。それが今や正三品の品階を戴く尚書省戸部尚書である。
 華の政治体制は三省六部からなる。三省とは詔勅を起草する中書省、審議する門下省、施行する尚書省の三つであり、六部はその尚書省下の機関。世衛の所属する戸部は戸籍、財政を担当し、尚書である彼はそれらの実権を掌握している。ために、戸籍の改竄、税の搾取も思いのままである。しかもその実益を私物化するのでなく天子に献上しているため、なかなか実情を訴えるまでに至らない。
 彼が急激な昇進を遂げたのは、ちょうど昨春。彼の妹、俐麗が夫人に昇格してから後のことであった。
 その彼のもとに、一報が届けられた。
「何だと? それは確かなことか」
 世衛は顔をしかめた。拝謁者は再び言葉をつぐ。
「間違いありません。報告によれば花朱叡の娘、紅耀なる者、いまだ行方が知れぬとのこと」
「生死のほどは」
「定かではございませんが……さらに諜者を放って調べさせましょうか」
「うむ、そうしてもらおう」
 それだけ言うと世衛は手で合図して退らせた。私室に一人になると、世衛は溜息まじりに独白した。
「炎狼が行方知れずだと? 一体、何者の差し金だ。太子派の手によるなどということは……まさかな」
 己が炎狼と接触したことは伏せてある。知る者は、自分に忠実な部下以外にはただ一人――ともに意志を同じくする妹しかいない。であれば、他の誰が。
「もしや季英の奴が早まって何かしでかしたのではないだろうな」
 自分の考えに、世衛はどきりとした。
 大公、李季英。天子と柳夫人との間の子。世衛にとって実の甥にあたる。しかし彼が生まれたのは太子伯飛が立った後のことである。歳と母后の位から言っても向こうが上。季英が玉座を手にすることは叶わない――このままゆけば。
 伯飛の母、蕭妃が死に、柳妃が次なる寵愛を受けた。ここで伯飛が消えれば、次の太子の座は季英のものとなろう。
 尚書に抜擢された時、世衛は心に決めた。
 ――太子暗殺。
 そのために、刺客として裏の歴史を綴る炎狼に接触を計った。初交渉はあえなく失敗に終わったが、たかが小娘などたやすく言いくるめられるだろうと高を括っていた矢先、炎狼不明の報が届けられたのだ。
「まったく、思うようにゆかぬ……」
 もし季英が余計な手出しをしたならば、それはそれで問題である。
 季英は母のお蔭で出世した伯父、世衛を嫌っていた。幼い頃から懐かぬ様子はあったが、ここへ来てさらにその傾向は強い。
 それでも自分の手で季英を玉座に据えてやれば、少しは恩義を感じるだろう。そう思って計略を練っていたが、伯父に恩を売られるのを厭って先に手を打ったのかもしれない。暗殺計画の重要な駒を奪うことによって。
「お困りのようですな。柳尚書」
 突然、背後から声がした。世衛は慌てて振り返る。
「貴様、何者……っ」
「お声が高い。周りに聞かれてもよろしいか」
 男の指が世衛の喉元に食い込んだ。世衛は声はおろか、息つぎすらもできない。長身の男は悠然と世衛を見下ろしながら、すっとその指を外した。急激に空気が気道に侵入し、世衛は激しく咳き込む。
「失礼、手荒な真似をした。私は柳尚書のご計画を存じ上げる者。どうぞここで人をお呼びなさらぬよう」
「何!?」
 世衛の表情が凍りついた。目の前にいる男は全身を黒衣に包み、顔もまた黒布で覆っている。人相はわからずとも、そのしなやかな肢体と低く重い声から判断するに、彼はこのような者の記憶はなかった。まして、計画を知られるようなことはありえない。
 そのはずだった。
「でまかせを言ったところで無駄だぞ。俺が貴様のような怪しげな者に屈するとでも思ったか」
 世衛の張った虚勢は、わずか一瞬で潰えた。
「柳尚書が先日、接触を計った娘の正体を存じ上げていても、なお?」
「………何が目的でここへ来た」
「お認めなさるか」
「仕方あるまい。だが、そうと知っていてもなお、上奏も密告もせず俺の所へ来たということは、何か理由があるのだろう」
「さすがは華国一の賢臣であられる。ならばこちらとしても話が早い」
 男は静かに笑んだ。黒布の隙間から覗く双眸を見て、世衛は背筋がうそ寒くなるのを覚えた。ために、相手の皮肉に気づく精神的余裕はどこにもなかった。
「柳尚書のお捜しの娘は生きている」
 布に覆われ、くぐもった声の告げる内容に、世衛は知らず身を乗り出していた。
「何だと? どこにいるというのだ!?」
「太子、伯飛のもとに」
 男の簡潔を極める返答に、世衛は愕然とした。
「莫迦な……なぜそのような……」
 世衛はあえぐように呟いた。男は満足げな目つきで見やる。
「経緯などこの際、問題ではない。どうなさるのだ、柳尚書。太子を討たれるのか」
「何を言うか。あの放浪太子めが、俺の計略に気づいて先手を打ったに決まっている。ここで下手に動けば露見どころか、逆に炎狼を使って何か仕掛けてくるかもしれぬ」
 それを聞くと、男は突然笑い出した。押し殺した笑い声に、世衛は不快げに眉をひそめる。
「何がおかしい。貴様は知らんのだ、炎狼の真の恐ろしさを」
 華国成立よりもはるかに古の世から、国の歴史を裏で動かしてきた一族。貴人はおろか、帝王までをもその手にかけた。それだけの危険な狼を手に入れた太子の意図は明白。
 ――なんたるざまだ。
 これまで腑抜けと侮り、たやすく消せると思っていたあの太子に、逆に生命を狙われようとは。
 世衛は、本人にとって不幸なことに、己の価値基準でしか物事を判断できない男だった。そのため猜疑が確信に変わり、よもや両者の出逢いが偶然であるなどとは思いもよらなかったのである。とはいえ、それは多くを語らぬこの覆面にも責任があるのだが。
「気弱なことを。ならば討たれる前にこちらから討てばよろしいではないか。炎狼といえども所詮は小娘。恐るるに足らず」
「……して、その役をおまえが請け負うと申すのか。それがおまえの目的か」
「察しの通り」
 ふん、と鼻を鳴らして世衛は問う。
「だが俺は、いま一つの目的を聞いてはおらんぞ。俺に何を求める気だ。金か、それとも地位か」
「獣を」
「……は?」
 男の思いもよらぬ返答に、世衛は思わず間の抜けた声を上げてしまった。男は黒布の下で冷ややかに笑む。
「灼熱に燃える狼の首一つ。それだけで充分だ」
 世衛は諒解した。この男は炎狼に対する私怨があるのだ。ならば、その憎悪と執念を利用することは可能だろう。だが、信用となれば話は別である。
「しかしおまえを雇うにあたって、その技倆のほどはいかように証明する。炎狼を凌ぐと真実言えるのか」
「それに関して問題はない。柳尚書に仇なす者の血をもって証としよう」


 その夜、皇城を凶報が駆け抜けた。百官は驚き慌て、その騒動の余波で柳世衛も叩き起こされた。
「皇城からの報せです。今晩、二人の官が何者かの手により殺害されたとのこと」
 続いて告げられた二人の名に、世衛は眠気も吹き飛んだ。それは昼間、国を憂い世衛を非難していたあの者たちだったのだ。
 急いで夜着を官袍に着替え、城に直行した世衛はそれを見た。
 死体の喉元に、深くえぐられた生々しい傷痕が二つ。凶器はどこにも見当たらない。
「まったく、おかしな致命傷ですよ。まるで狗や狼の牙のような痕だ」
 検分した医師が妙に感心したように言った。
 ――自ら狼を称すか。
 これが自分に向けられた、無言の合図であることは明らかだった。
 この時、世衛は己の運命を託す覚悟を決めた。
(つづく)
(初出:2001年07月)
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登録日:2010年06月27日 16時47分

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