北見遼
著者:北見遼(きたみりょう)
夢と現をさまよいながら、文章を連ねるさすらいの文字使い。信州産、現在は神奈川で培養中のもやしっ子。活字と美術と歴史をこよなく愛する。治したいのは積読本をためる癖。
小説/ファンタジー

花霞(9)

[連載 | 連載中 | 全20話] 目次へ
舜水の放浪癖により、太子派の疑念を招き、そうとうな迷惑を被っていた子羽。犬猿の仲である孝倬に頼み事をされ、思いも寄らぬ考えに絶句するしかない。その頼み事とは…。
   二


 舜水の帰りを不満と苛立ちにさいなまされながらも、子羽は待ち続けていた。
 韓子羽。前中書令、韓徳義の長子である。
 現在彼は尚書省戸部員外郎という役職についている。若干二十にして従六品上という地位は、国の重鎮である父の威光によって得たものではない。
 華では、官職につくには二つの道がある。一つは蔭位といい、高官の子息が親の威光で官になる道。いま一つは、官吏登用試験で及第するという道である。
 その試験は科第と呼ばれ、いかなる身分の者でも官に足るだけの知識と教養さえあれば、官職につけるという特長を持つ。しかし、誰にでも道が開かれている分、その門は狭い。倍率は恐ろしく高く、落第者は国にあふれている。
 子羽は蔭位には頼らず、あえて科第受験の道を選び、主席で合格を果たした。この名誉ある者を状元といい、他の合格者よりもさまざまな特典がついてくる。それだけに状元は期待も大きいという証なのだ。そして特典の代わりに、当然のこと見返りも要求される。官吏になればいずれかの派閥に属し、上司にへつらわなくては、たとえ状元といえども出世はおぼつかないのだ。
 だが子羽は、任官直後に上官に向かって業務の不手際を指摘し、改善策まで申し立てたのである。華国史上稀に見る珍事といえた。
 そのため、頑迷な太子付の鄭孝倬などは、大事な主君が子羽の影響を受けぬよう警戒しているのだが、幼馴染みの二人の親交は、そう簡単に途絶えはしないのである……。
「この、ど阿呆! 一体どこをほっつき歩いてたんだ!? どれだけ他人に迷惑をかけたかわかってんのか、おまえは!」
 舜水の顔を見るなり、子羽は親愛の情を露にした。要するに怒鳴りつけただけのことだが。
「ああ子羽、久しぶりだねえ」
 呑気に笑う舜水に、子羽の怒りはますます激化した。
「何を寝惚けてやがる! あれだけ微行(しのび)は控えろと言っておいたのを聞いてなかったのか、おまえは!?」
「聞いてはいたんだよ。すぐ戻ってくるつもりだったし」
「だったら、一言ぐらい残しておくという頭は回らなかったのか? お蔭で俺まで共犯だと疑われるだろうが!」
 実際、子羽はかなりの迷惑を被ったのだ。舜水の目付役を自負する鄭孝倬ら太子派の者たちは、子羽の非をなじった。
「おまえのせいで、殿下までご自分の立場をお忘れになってしまう」と。
 確かに子羽は宮中にあって異質な存在かもしれない。父の恩恵にもあずからず、自身の力で官職につき、その直後に上官の面前で堂々と業務の不手際を批判する。危険人物と見なされても誰を責めようもない。
 父徳義はその「事件」の後すぐに中書令から州刺史となり、国境付近の州に赴任した。
 正三品から従三品に降格。しかも国家の中枢から辺境の地へ。誰の目にも明らかな左遷であった。
 同時に、子羽に戸部員外郎の辞令が下る。一見、子羽の躍進ぶりばかりが目立つが、これは柳氏一族――主として柳世衛の策謀によるものである。
 世衛は、太子と親交も深く高官の父を持つ子羽を危険視した。そこでまず、子羽が父の人脈を自分に取り込もうとする前に徳義を地方に飛ばし、つながりを絶った。
 実際にはその人事を執り行ったのは天子たる李昭である。だが、柳氏一派による度重なる讒言、及び愛する柳妃の進言が、彼の決断を促した。
 そうした上で世衛は子羽を己の陣営たる戸部に引き入れ、監視及び調教を試みたのだった。
 そのことがかえって太子派の疑惑を招き、警戒を強める。太子の味方のような顔をして、本当は柳氏の手先ではないか。そうでなければ親と子で、こうも明暗が別れるはずがない――そうささやかれているのも知っていた。
 それでも、ただ一人の信頼があれば構わなかった。太子にして幼馴染みの李伯飛さえ信じてくれるのなら。
 だというのに当の本人ときたら、そんな自分の立場をさらに悪くさせるようなことばかりしでかすのだから、先のように憤慨し、激昂するのも無理のないところである。
「ごめん、子羽。城外に出るのはしばらく控えるから」
「永久に、とは言えないんだな。おまえという奴は」
「うん、僕は根が正直な人間だからね。嘘はつけないんだよ」
 子羽はそれに対しては返答を避け、別のことを口にした。
「それで、さっきからおまえの後ろにくっいているのは何だ? どこぞで拾ってきたとか言うんじゃないだろうな」
「おや、よくわかったね。ちょっと河で拾ってきたんだよ」
「おまえな。落ちているものを拾う時は、もっとよく考えてからにしろよ」
 その時、ついにたまりかねて、舜水の背後から小さな影が飛び出した。
「拾った拾ったと、人を物扱いするな!」
 少女は顔を紅潮させて二人の青年を見据える。だが、背丈の高い彼らに見下ろされる格好になり、いま一つさまにならない。
「ああ、そういえば紹介がまだだったね。紅耀、これが短気で口の悪い子羽という奴だよ。すぐに吠えるし噛みつくから、下手に撫でないように気をつけてね」
「俺は犬扱いかよ」
 子羽は吐き捨てるように呟いたが、その台詞は誰の耳にも留まらなかった。
「頼まれなくても、誰が撫でたりするものか」
 そう言って、紅耀はついと顔を背けた。その態度に子羽は腹を立てたが、女、それも子供相手に怒るのも大人げないと思いとどまり、いまいましげに舜水のほうを見やった。
「おい伯飛。何だよこの、はねっかえりの小娘は。まさかこいつのせいで長く消息不明になっていたとか言うんじゃないだろうな」
「ご名答。今日の子羽はずいぶん勘が冴えてるみたいだね」
「お、おい、それはどういう……」
「だから、河で拾ってきたと言っただろう? 帰る家もないというから城まで連れてきたんだ」
 あっさりとした口調が、子羽をかえって狼狽させる。
「ちょっと待てよ。いくら何でもそう簡単に、身元もわからん人間を城内に引き入れてもいいのか?」
 子羽の視線が紅耀に注がれる。内心を見透かされているような気がして、紅耀は黙ったまま目を逸らす。
「紅耀は大丈夫だよ。僕が保証する」
 一瞬、紅耀は自分の耳を疑った。はっとして見上げれば、そこには自分に向けて微笑みかける青年の顔があった。
「ああもう、どうしてこう次々と問題を起こすんだ。おまえみたいな奴が天子になったら、百官万民はさぞ苦労することだろうな」
「おや、そのために子羽がいるんだろう?」
「俺一人の手に負えるか! 少しは問題を起こさぬよう努力しろ!」
 言い捨て、踵を返した子羽の背に、舜水は問うた。
「どこへ?」
「空き部屋と宮女の手配を調えてくる。ここに置くにしても、その娘一人では何もできんだろうが。だいたい、その格好で城内をうろつかれても困る」
 そう言い残すと、子羽は足早に退室していった。彼の姿が視界から消え去ると、舜水は隣の少女に話しかけた。
「子羽は本当に口が悪いけど、根はいい奴なんだ。気を悪くしないでやってね」
「別に私は……」
 気を悪くなどしていない。思わずそう言いかけて、紅耀は口を閉ざした。あれほど不審の念を顔に出していた者に対して、それはあまりに寛大すぎる。
 ――どうも調子が狂う。
 目の前の、この笑顔に引き込まれ、つい心を許してしまいそうになる。権力者、それも将来は至高の座を手にする者など、信頼するに値しないはずなのに。
 それに――
「なぜ、おまえはそうやって他人のことばかり気を遣うのだ? 太子にそんな必要などないだろうに」
 紅耀の素朴な疑問は、少しだけ苦い笑顔で迎えられた。
「性分なんだろうね」
 紅耀は黙って頷くしかなかった。

   ※

 部屋から退り、廊下に出た子羽は、城内で最も会いたくない人間と顔を合わせてしまった。
「……鄭老」
 その人物の名は鄭孝倬。彼は周囲から畏敬の念を込めて鄭老と呼ばれている。とはいえ子羽の場合、ただ周りに合わせているに過ぎないが。
「子羽よ、おぬしに頼みがある」
「頼み……ですか?」
 それは思ってもみないことだった。
 孝倬と子羽は、城内で知らぬ者のない犬猿の仲。孝倬のほうは太子に馴れ馴れしく、また悪影響を及ぼしかねない若僧が気に食わないし、子羽のほうは舜水の保護者ぶり、幅をきかす太子派筆頭の老人を毛嫌いしているのだ。たとえ表面上の礼節は守っているにしても。
 そんな相容れぬ人間が、一体自分に何の用だというのだろうか。
「あの娘……紅耀とか申す者、信用がおけぬ」
「はあ」
 また太子に近づく者、片っ端から敵視する悪い癖が出た。そう思うと子羽の返答はさらに気のないものとなる。
「わしを信じておらんようじゃな」
 どうやら子羽の思考はお見通しらしい。
「だが、あの娘は怪我をしておったのじゃよ。それも世話しておった女から聞けば、かなりの手負いだったとか」
 なるほど、それであの阿呆は放っておけなくて何日も世話してやったのだな。そんなことを漠然と考える子羽には構わず、孝倬はさらに言葉を続ける。
「妙だとは思わんか? このところ世は安泰で戦などない。にも関わらず、なぜあのような娘が深手を――それも矢傷を負うようなことがあるのじゃ」
「……その、世話していた女は何か言っていなかったのですか」
「それ以上は、何もな。おそらく殿下に口止めでもされておるのじゃろう。そうであれば、ご本人に訊いたところで無駄骨じゃ」
 舜水は妙に頑固なところがある。そこまで徹底してあの少女を庇うからには、いくら問い質しても何一つ答えないに決まっている。太子伯飛と長いつきあいである彼らは、そのことを充分すぎるほど知っていた。
「それで、鄭老の頼みとは何です?」
 子羽は、ようやく口を挟む余裕ができた。孝倬は厳かに頷いてみせる。
「あの娘の素性を暴いてもらいたい。おぬしは戸部員外郎の身であれば戸籍を調べ上げることも可能じゃろう」
「戸籍に私用で触れることは禁じられておりますが」
「何を言うか!」
 孝倬は白い眉に半ば埋まった両眼をかっと見開いた。その剣幕に子羽は思わず後ずさる。
「次代の天子となられるお方の御身をお護りするためじゃぞ。これが私心あってのことか! ひいては国のため民のため。これが公用でなくて何とする!」
「――わかりましたよ、承知いたします!」
「ほ、そうか。承けてくれるか」
 迫力負けした子羽が半ば自棄に承諾すると、孝倬はぱっと顔を輝かせた。わがままを通した子供さながらである。それを見て、子羽はいつもの癖でつい余計な口をきいた。
「それは、俺を認めていただけたと解釈してもよろしいのでしょうね」
「認める? 何を」
「ですから、俺が伯飛の地位を脅かす存在ではないという……」
「なんじゃ。そんなことか」
 老人の拍子抜けした表情に、子羽は軽い困惑を覚えた。孝倬は大げさに肩をすくめてみせる。
「そんなことは、とうの昔から知っておるよ。わしはおぬしらをずっと幼き頃から見ておるのじゃぞ。おぬしが殿下を裏切って平気な顔をできるような器であるものか。くだらぬ噂は、家柄も才覚も持ち合わせぬ輩が妬んで言い立てておるだけのことじゃ」
 その台詞に、子羽は絶句したまま孝倬を見つめることしかできなかった。よりによってこの鄭孝倬にそう思われているなどとは、予想だにしていなかったのだ。
 だが、この老人はやはり一筋縄ではいかなかった。
「じゃがの、信頼と容認とは別ものじゃぞ」
「……はい?」
 ぽかんとする若輩者に、孝倬は意地の悪い笑みを浮かべる。
「臣下たる身、それも年少者が殿下を恐れ多くも呼び捨てるとは不遜の極み。臣下としての礼節を守れぬうちは、認めるなどとうていできんわい」
 それだけ言い残すと、孝倬は老齢を思わせぬ颯爽とした足取りでその場を後にした。
「臣下としての礼節ねえ」
 これまで舜水は子羽を臣下として扱ったことなどない。だから子羽も舜水を太子として敬ったりしなかった。それが二人にとって自然であり、当然でもあったのだ。だが太子派の面々、とりわけ筆頭の鄭孝倬にはそれが許しがたい不敬であるとしか思えないのだろう。
「少しは改めるかな」
 当面は敵を作らぬことが最優先。多少なりとも向こうから接触を試みたのだ。こちらも少しは妥協しても悪くはない。
 これまで平行線をたどってきた両者が、ほんのわずか互いに傾いたようである。
「……気が向いたら」
 交差までに、まだ当分時間がかかることは間違いなかった。
(つづく)
(初出:2001年07月)
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登録日:2010年06月27日 16時52分

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