小説/ファンタジー
赤い死神 右手に鎌を左手に君を(3)
[連載 | 完結済 | 全14話] 目次へ
時は巡りヘキルイから王子が訪れた。エリンピオ城では歓迎式典を行い街は賑わっていた。一方、ミシシュは歓楽地区の最深部へと足を向けていた。師匠からの手紙に眉を顰めるミシシュ。彼の過去が明らかとなる。
碧月から翠月(みどりのつき)へ。時は巡り、ヘキルイから第五王子が到着した。
バラーズ=ブロイラ。そよ風に揺れる金髪に、澄み渡った空のように青い眼差し。まだ少年の面影を残すバラーズは、育ちの良さを全身から発散させていた。
エリンピオ城では、ヘキルイからの使者を歓迎する式典を三日間行い、使者達の旅の苦労を労った。
国交が無く、テンダーランドを中心とする東側の国々と、隣国であるプレスフィーを中心とした西側の諸国とは、ここ百年の間、正面切っての争いは無かったものの、険悪な空気は流れ続けていた。その空気を払拭しようと、ルリアは何十年と時を掛けてきたが、未だ成果は出ていない。そんな時、ヘキルイから飛び込んできた見合いの話は、個人的な感情を抜きにすれば、ルリアにとってもテンダーランドにとっても、これ以上ない行幸だと言えた。
三日間の肩の凝りそうな歓迎式典を終えたルリアは、バラーズをプライベートルームへ呼び寄せた。
ルリア、エミリア、サリヴァン、バラーズ、そしてバラーズの付き人であるアイリーンは、サーンラーデンを一望できるテラスへと出た。
「バラーズ様、遠路はるばるご足労いただき、ありがとう御座いました」
女王としてはすでにバラーズに感謝の礼を述べた物の、個人的に挨拶をするのはこれが初めての事だった。
「いえ、お招きにあずかり、ありがとうございます。見合いの話は兎も角、私はサーンラーデンに来られただけでも、幸せだと思っております」
バラーズはそう言うと、青空の下に輝く街並みを見下ろした。南を向いている窓からは、居住地区が一望できる。白い壁に茶色の屋根が大半のサーンラーデン。城壁の向こうには青々とした田畑が広がっている。そろそろ収穫の時期である田畑には、一年で一番濃い緑が映えていた。
「過去、私たちは様々な諍いを起こしてきましたが、これを契機に両国の関係が友好的なものになればと思っています」
バラーズは笑みを浮かべて振り返った。青い瞳がルリアを捕らえ、背後いるエミリアとサリヴァンへ注がれる。
「ところで、バラーズ様」
自分の興味のない事には一切口を挟まないエミリアが、珍しく話に混じってきた。ルリアはエミリアを仰ぎ見る。彼女の赤い眼差しは、蒼穹を映してもなお赤く輝いていた。
「バラーズ様、そちらは?」
エミリアはバラーズの横に居るアイリーンを示した。バラーズの付き人と先ほど紹介されたが、エミリアは聞いていなかったのだろうか。
ルリアはエミリアからアイリーンへ視線を移す。
長い黒髪に褐色の肌。スラリとした長身で、腰には常に細剣を差している。エミリアと同じく、瞳は赤く輝いていた。常にバラーズの背後に控えており、まだ一度も彼女が口を開くのをルリアは見た事がない。その物腰から、ただの付き人とは思えず、恐らく護衛も兼ねているのだろう。
「アイリーン=リサリバーです。宜しくお願いします、エミリア様」
優雅な仕草で一例をしたアイリーンは顔を上げると、目を細めてエミリアを見つめた。エミリアと同様の赤い瞳が、中空で絡み合う。僅かに表情を強ばらせたエミリアは、「宜しく」と言うと、ぷいっと顔をそらした。
同じく護衛を専門とするエミリアは、ルリアには分からない何かを、彼女の中から感じ取ったのだろうか。
「ところで、ルリア様。ルリア様の中には、永遠の命を与えるという古の宝があるのは、本当ですか」
興味津々といった感じで、バラーズはルリアの胸元を見てくる。ムズかゆい物を感じながら、ルリアは自分の体を抱いた。
「古の宝、エバーラスティングを引き継ぐのが、代々テンダーランドの女王の努めですから」
「なるほど」と、感心したように呟くバラーズに、今度はルリアが質問の目を向ける。
「ヘキルイにも、古の宝があると聞きましたが?」
「確か、『神の言霊』と呼ばれる物でしたね。興味がありますね。是非、教えて戴きたい物です」
ルリアの言葉を、サリヴァンが引き取る。
「いや、それは〜その……」
アハハハと笑うバラーズ。後ろに控えるアイリーンも、苦笑いを浮かべている。
遙か昔、神々がまだ世界に存在していた頃。神々は自らの力を誇示するため、様々な法具を創り出した。それが古の宝だ。神々は自らの法具を自慢し合い、競い合った。そして、神々は自らの力を、法具を最強だと証明する為、争いを起こした。世界は破滅の一歩手前まで行き、神々は古の宝を世界に残したまま忽然と消え去った。長い年月を経て、古の宝は発展を遂げた人間の手に渡った。
古の宝は幾度もの戦争に使用され、数多の人の命を奪ってきた。各国政府は、互いに争いながらも、戦争に古の宝を使用しない事を決めた。それから、古の宝は厳重に各国政府が保管、管理する事となった。
古の宝は最重要機密となり、それと同時に戦争の抑止力にもなった。その為、各国政府は易々と自らの保管する古の宝の情報を漏らす事はない。公にさえているエバーラスティングは兎も角として、ヘキルイが保存する神の言霊の情報は、まだどの政府も知らないのだ。
「いや〜痛いところを突かれました。さすがはルリア様。そして、ハイダーナイツの隊長だ。今回、私は友好のために来ました。金輪際、古の宝を探る事はしません。約束します」
笑みを浮かべながらも、礼を失したと頭を下げるバラーズに、ルリアも頷いた。
ヘキルイの王子、バラーズ=ブロイラ。笑顔の下には鋭利な刃物を持っているが、決してそれを振り回そうとしない。それは、彼の優しい人柄がそうさせているのだろう。思慮深く、頭も切れる彼は、確かにルリアの見合いの相手には最適だと言えた。
しかし、ルリアはつと視線をバラーズの背後に逸らした。広がる居住区、そこに住まう何十万の人々。その中には、談話役のミシシュも含まれている。バラーズの笑顔は、ミシシュの笑顔とダブって見えた。
歓楽地区の最深部。テンダーランドの司法の手が届かない場所であるが、治安はさほど悪くない。何も問題を起こさなければ、の話ではあるが。
違法カジノから武器商人、合法から違法の物まで、あらゆる物、人が集まる歓楽地区の深遠は、驚くほど整備されており、静かだった。
ミシシュは手に持った青い薔薇を見つめながら、歓楽地区の奥へ奥へと歩いていく。
ミシシュの左右には、高く聳える建物が乱立してあり、見上げるとジグザグに切り取られた青空が伺える。目の前に伸びる道は、建物に沿うようにして緩やかな右カーブを描いており、途中から地下へと下っている。
いつしか周囲から人影はなくなっているが、両脇に聳える建物から、剣呑な気配が伝わってくる。誰かに見られている、というよりも、監視されているといった方が正しいか。しかし、こちらに危害を加えるような悪意は感じ取れない。
ミシシュは階段の手前で足を止めた。地上から地下へと伸びる階段は薄暗い。明るい場所に慣れた目には、尚更暗く感じる。手にした薔薇をもう一度見つめたミシシュは、溜息を一つつくと、階段をゆっくりと下った。
所々壁に下がっているランプの明かりは余りにも弱々しく、周囲から押し寄せる闇を退けるだけで精一杯だった。
ミシシュが持っている青い薔薇は、ミリデリアでのみ栽培できる種だった。年間を通して温暖な気候と、大気中を舞う火山性のガスにより、昼夜を問わず薄暗い特殊な環境が青い薔薇を生み出したのだ。
ミリデリアでは比較的ポピュラーな青い薔薇も、ここテンダーランドでは希少価値のある物だった。それが昨夜、オカマバーリオンのカウンターに置かれていた。客の一人が置いていったのには違いないが、それが誰なのか分からない。他の店員も、システィーナも、多数来た客の誰が青い薔薇を置いていったかは、覚えていなかった。
「全く、僕をこんな薔薇一本で呼び寄せるなんて」
この薔薇は、ミリデリアのコミュニティーから緊急の連絡がある時のサインだった。ミリデリアを捨てた身ではあったが、関係がないと言い切れない。ミシシュは、余りにもミリデリアの内部に入り込んでいたのだ。
緩やかな階段を五分ほど下っただろうか。突然、ランプの数が増え、階段は真っ直ぐに伸びる道へと変わっていた。道の正面には扉が一つ。その横には、屈強な男が二名立っている。
身じろぎ一つせず、銅像のように立っていた男達は、ミシシュの姿を見つめると、膝を折って深々と頭を下げた。
「ああ〜! いい、いい。そのままにしててくれよ。ところで、ムウに呼ばれたんだけど、いるかな?」
右側に立つ大男に薔薇を投げたミシシュは、扉の前に立った。
「はい。中でミシシュ様の到着を待っております」
顔を上げずに答えた男にミシシュは無言で頷き、扉を開けて中に入った。
「待っておったぞ、ミシシュ」
ムッと立ち籠める香の香り。咳き込んでしまうほど煙い部屋には、一人の老婆がいた。小さな体を更に丸め、色取り取りの布を頭から被っているその姿は、趣味の悪い置物のようだった。
「ムウ、何のようだ? 僕だって忙しいんだ。ハイダーナイツの尾行をまくのだって、大変なんだよ」
「ほっほっほ。今日の監視はレオシールかえ? エミリア嬢はどうした?」
「エミリアはここ数日戻ってきていない。知っているだろう? ヘキルイから王子が来ているんだ。ハイダーナイツは大忙しだよ、レオシールを除いてな。もし、エミリアが俺の監視をしていたら、此処には来られないよ」
ムウは「ほっほっほ……」と笑うと、ゴホゴホと咽せた。この部屋が煙いと思っているのは、ミシシュだけではないようだ。しかし、ムウは部屋の四隅で焚かれている香を消そうとはせず、話を続けた。
「ミリデリアから手紙が来ておる」
骨に皮を張り付けたような手が動き、懐から大事そうに手紙を取り出した。手紙には、見慣れた封蝋が施してある。十字に交差した剣に一匹のドラゴンが絡みつき、その上に翼を広げた鷲が描かれている。それは、ミリデリアの国旗にも使われているマークだ。
「コミュニティー経由できたって事は、よほどの急用か、それとも、一般郵便では出せない内容の手紙って事かな?」
手紙を受け取ったミシシュは、乱雑に封筒を破ると、中から手紙を取りだした。たった一枚の手紙。そこには、胸の奥から懐かしさがこみ上げてくる名前と文字が書かれていた。
「ノ師匠からだ」
弾む声で呟いたミシシュは、すぐに手紙に目を走らせる。初めは笑みを浮かべていたその顔が、読み進めるにつれ険しくなっていく。
「どうやら、一大事のようじゃの」
遠くに聞こえたムウの声に、ミシシュは無言で頷く。文面には気になる団体の名前が記されていた。それは、ミシシュもよく知る団体。いや、世界中が知っているある一つの団体。
「黄金の城が、サーンラーデンに来るらしい。狙いは……ルリアだ」
その言葉に、ムウは顔を上げた。白く濁った瞳がミシシュを捕らえる。
「すると、この街は戦場になるのか?」
「分からない」
ミシシュは答えた。本当に分からないのだ。略奪目的でサーンラーデンに押し寄せるなら、多数の死者が出る事は必死だろう。しかし、もし目標がルリアだけだとしたら。狙われるのはエリンピオ城のみ。いや、最悪は両方という事もあり得る。兎に角、此処に書かれている内容だけでは、判断ができない。
「ヘキルイの王子が来てるこの時期に、焦臭い事が起こるのは良くないな」
黄金の城が動くとなると、その被害は計り知れない。十年ほど前、ミリデリアの首都サートトスで起こった黄金の城との争いが脳裏に蘇る。
「どうするのじゃ? 赤い死神は、またその手に鎌をもつのかえ?」
ムウが探るように尋ねてくる。
赤い死神。三年前まで、ミシシュはミリデリアでそう呼ばれていた。ハイダーナイツ独自の分析で算出される重要人物ランクで、最高位のカテゴリー・クライマックスに登録されている自分。ミリデリアを捨て、なおかつサーンラーデンに来て常に監視されている赤い死神。武器と力を奪われてなお、ハイダーナイツはミシシュを危険人物、いや重要人物として認識している。
「今の僕じゃ、扉の外にいる男にだって勝つ事はできない」
両手に嵌められたリングをカチャリと鳴らしたミシシュは、寂しそうに呟いた。
ミシシュがどう動こうと、黄金の城が此処に来る事に変わりはない。そして、ミシシュが力を取り戻したとしても、甚大な被害が出る事は明らかだった。
ミシシュはノから受け取った手紙を最後まで読み進めると、更に渋面な表情を浮かべた。
バラーズ=ブロイラ。そよ風に揺れる金髪に、澄み渡った空のように青い眼差し。まだ少年の面影を残すバラーズは、育ちの良さを全身から発散させていた。
エリンピオ城では、ヘキルイからの使者を歓迎する式典を三日間行い、使者達の旅の苦労を労った。
国交が無く、テンダーランドを中心とする東側の国々と、隣国であるプレスフィーを中心とした西側の諸国とは、ここ百年の間、正面切っての争いは無かったものの、険悪な空気は流れ続けていた。その空気を払拭しようと、ルリアは何十年と時を掛けてきたが、未だ成果は出ていない。そんな時、ヘキルイから飛び込んできた見合いの話は、個人的な感情を抜きにすれば、ルリアにとってもテンダーランドにとっても、これ以上ない行幸だと言えた。
三日間の肩の凝りそうな歓迎式典を終えたルリアは、バラーズをプライベートルームへ呼び寄せた。
ルリア、エミリア、サリヴァン、バラーズ、そしてバラーズの付き人であるアイリーンは、サーンラーデンを一望できるテラスへと出た。
「バラーズ様、遠路はるばるご足労いただき、ありがとう御座いました」
女王としてはすでにバラーズに感謝の礼を述べた物の、個人的に挨拶をするのはこれが初めての事だった。
「いえ、お招きにあずかり、ありがとうございます。見合いの話は兎も角、私はサーンラーデンに来られただけでも、幸せだと思っております」
バラーズはそう言うと、青空の下に輝く街並みを見下ろした。南を向いている窓からは、居住地区が一望できる。白い壁に茶色の屋根が大半のサーンラーデン。城壁の向こうには青々とした田畑が広がっている。そろそろ収穫の時期である田畑には、一年で一番濃い緑が映えていた。
「過去、私たちは様々な諍いを起こしてきましたが、これを契機に両国の関係が友好的なものになればと思っています」
バラーズは笑みを浮かべて振り返った。青い瞳がルリアを捕らえ、背後いるエミリアとサリヴァンへ注がれる。
「ところで、バラーズ様」
自分の興味のない事には一切口を挟まないエミリアが、珍しく話に混じってきた。ルリアはエミリアを仰ぎ見る。彼女の赤い眼差しは、蒼穹を映してもなお赤く輝いていた。
「バラーズ様、そちらは?」
エミリアはバラーズの横に居るアイリーンを示した。バラーズの付き人と先ほど紹介されたが、エミリアは聞いていなかったのだろうか。
ルリアはエミリアからアイリーンへ視線を移す。
長い黒髪に褐色の肌。スラリとした長身で、腰には常に細剣を差している。エミリアと同じく、瞳は赤く輝いていた。常にバラーズの背後に控えており、まだ一度も彼女が口を開くのをルリアは見た事がない。その物腰から、ただの付き人とは思えず、恐らく護衛も兼ねているのだろう。
「アイリーン=リサリバーです。宜しくお願いします、エミリア様」
優雅な仕草で一例をしたアイリーンは顔を上げると、目を細めてエミリアを見つめた。エミリアと同様の赤い瞳が、中空で絡み合う。僅かに表情を強ばらせたエミリアは、「宜しく」と言うと、ぷいっと顔をそらした。
同じく護衛を専門とするエミリアは、ルリアには分からない何かを、彼女の中から感じ取ったのだろうか。
「ところで、ルリア様。ルリア様の中には、永遠の命を与えるという古の宝があるのは、本当ですか」
興味津々といった感じで、バラーズはルリアの胸元を見てくる。ムズかゆい物を感じながら、ルリアは自分の体を抱いた。
「古の宝、エバーラスティングを引き継ぐのが、代々テンダーランドの女王の努めですから」
「なるほど」と、感心したように呟くバラーズに、今度はルリアが質問の目を向ける。
「ヘキルイにも、古の宝があると聞きましたが?」
「確か、『神の言霊』と呼ばれる物でしたね。興味がありますね。是非、教えて戴きたい物です」
ルリアの言葉を、サリヴァンが引き取る。
「いや、それは〜その……」
アハハハと笑うバラーズ。後ろに控えるアイリーンも、苦笑いを浮かべている。
遙か昔、神々がまだ世界に存在していた頃。神々は自らの力を誇示するため、様々な法具を創り出した。それが古の宝だ。神々は自らの法具を自慢し合い、競い合った。そして、神々は自らの力を、法具を最強だと証明する為、争いを起こした。世界は破滅の一歩手前まで行き、神々は古の宝を世界に残したまま忽然と消え去った。長い年月を経て、古の宝は発展を遂げた人間の手に渡った。
古の宝は幾度もの戦争に使用され、数多の人の命を奪ってきた。各国政府は、互いに争いながらも、戦争に古の宝を使用しない事を決めた。それから、古の宝は厳重に各国政府が保管、管理する事となった。
古の宝は最重要機密となり、それと同時に戦争の抑止力にもなった。その為、各国政府は易々と自らの保管する古の宝の情報を漏らす事はない。公にさえているエバーラスティングは兎も角として、ヘキルイが保存する神の言霊の情報は、まだどの政府も知らないのだ。
「いや〜痛いところを突かれました。さすがはルリア様。そして、ハイダーナイツの隊長だ。今回、私は友好のために来ました。金輪際、古の宝を探る事はしません。約束します」
笑みを浮かべながらも、礼を失したと頭を下げるバラーズに、ルリアも頷いた。
ヘキルイの王子、バラーズ=ブロイラ。笑顔の下には鋭利な刃物を持っているが、決してそれを振り回そうとしない。それは、彼の優しい人柄がそうさせているのだろう。思慮深く、頭も切れる彼は、確かにルリアの見合いの相手には最適だと言えた。
しかし、ルリアはつと視線をバラーズの背後に逸らした。広がる居住区、そこに住まう何十万の人々。その中には、談話役のミシシュも含まれている。バラーズの笑顔は、ミシシュの笑顔とダブって見えた。
歓楽地区の最深部。テンダーランドの司法の手が届かない場所であるが、治安はさほど悪くない。何も問題を起こさなければ、の話ではあるが。
違法カジノから武器商人、合法から違法の物まで、あらゆる物、人が集まる歓楽地区の深遠は、驚くほど整備されており、静かだった。
ミシシュは手に持った青い薔薇を見つめながら、歓楽地区の奥へ奥へと歩いていく。
ミシシュの左右には、高く聳える建物が乱立してあり、見上げるとジグザグに切り取られた青空が伺える。目の前に伸びる道は、建物に沿うようにして緩やかな右カーブを描いており、途中から地下へと下っている。
いつしか周囲から人影はなくなっているが、両脇に聳える建物から、剣呑な気配が伝わってくる。誰かに見られている、というよりも、監視されているといった方が正しいか。しかし、こちらに危害を加えるような悪意は感じ取れない。
ミシシュは階段の手前で足を止めた。地上から地下へと伸びる階段は薄暗い。明るい場所に慣れた目には、尚更暗く感じる。手にした薔薇をもう一度見つめたミシシュは、溜息を一つつくと、階段をゆっくりと下った。
所々壁に下がっているランプの明かりは余りにも弱々しく、周囲から押し寄せる闇を退けるだけで精一杯だった。
ミシシュが持っている青い薔薇は、ミリデリアでのみ栽培できる種だった。年間を通して温暖な気候と、大気中を舞う火山性のガスにより、昼夜を問わず薄暗い特殊な環境が青い薔薇を生み出したのだ。
ミリデリアでは比較的ポピュラーな青い薔薇も、ここテンダーランドでは希少価値のある物だった。それが昨夜、オカマバーリオンのカウンターに置かれていた。客の一人が置いていったのには違いないが、それが誰なのか分からない。他の店員も、システィーナも、多数来た客の誰が青い薔薇を置いていったかは、覚えていなかった。
「全く、僕をこんな薔薇一本で呼び寄せるなんて」
この薔薇は、ミリデリアのコミュニティーから緊急の連絡がある時のサインだった。ミリデリアを捨てた身ではあったが、関係がないと言い切れない。ミシシュは、余りにもミリデリアの内部に入り込んでいたのだ。
緩やかな階段を五分ほど下っただろうか。突然、ランプの数が増え、階段は真っ直ぐに伸びる道へと変わっていた。道の正面には扉が一つ。その横には、屈強な男が二名立っている。
身じろぎ一つせず、銅像のように立っていた男達は、ミシシュの姿を見つめると、膝を折って深々と頭を下げた。
「ああ〜! いい、いい。そのままにしててくれよ。ところで、ムウに呼ばれたんだけど、いるかな?」
右側に立つ大男に薔薇を投げたミシシュは、扉の前に立った。
「はい。中でミシシュ様の到着を待っております」
顔を上げずに答えた男にミシシュは無言で頷き、扉を開けて中に入った。
「待っておったぞ、ミシシュ」
ムッと立ち籠める香の香り。咳き込んでしまうほど煙い部屋には、一人の老婆がいた。小さな体を更に丸め、色取り取りの布を頭から被っているその姿は、趣味の悪い置物のようだった。
「ムウ、何のようだ? 僕だって忙しいんだ。ハイダーナイツの尾行をまくのだって、大変なんだよ」
「ほっほっほ。今日の監視はレオシールかえ? エミリア嬢はどうした?」
「エミリアはここ数日戻ってきていない。知っているだろう? ヘキルイから王子が来ているんだ。ハイダーナイツは大忙しだよ、レオシールを除いてな。もし、エミリアが俺の監視をしていたら、此処には来られないよ」
ムウは「ほっほっほ……」と笑うと、ゴホゴホと咽せた。この部屋が煙いと思っているのは、ミシシュだけではないようだ。しかし、ムウは部屋の四隅で焚かれている香を消そうとはせず、話を続けた。
「ミリデリアから手紙が来ておる」
骨に皮を張り付けたような手が動き、懐から大事そうに手紙を取り出した。手紙には、見慣れた封蝋が施してある。十字に交差した剣に一匹のドラゴンが絡みつき、その上に翼を広げた鷲が描かれている。それは、ミリデリアの国旗にも使われているマークだ。
「コミュニティー経由できたって事は、よほどの急用か、それとも、一般郵便では出せない内容の手紙って事かな?」
手紙を受け取ったミシシュは、乱雑に封筒を破ると、中から手紙を取りだした。たった一枚の手紙。そこには、胸の奥から懐かしさがこみ上げてくる名前と文字が書かれていた。
「ノ師匠からだ」
弾む声で呟いたミシシュは、すぐに手紙に目を走らせる。初めは笑みを浮かべていたその顔が、読み進めるにつれ険しくなっていく。
「どうやら、一大事のようじゃの」
遠くに聞こえたムウの声に、ミシシュは無言で頷く。文面には気になる団体の名前が記されていた。それは、ミシシュもよく知る団体。いや、世界中が知っているある一つの団体。
「黄金の城が、サーンラーデンに来るらしい。狙いは……ルリアだ」
その言葉に、ムウは顔を上げた。白く濁った瞳がミシシュを捕らえる。
「すると、この街は戦場になるのか?」
「分からない」
ミシシュは答えた。本当に分からないのだ。略奪目的でサーンラーデンに押し寄せるなら、多数の死者が出る事は必死だろう。しかし、もし目標がルリアだけだとしたら。狙われるのはエリンピオ城のみ。いや、最悪は両方という事もあり得る。兎に角、此処に書かれている内容だけでは、判断ができない。
「ヘキルイの王子が来てるこの時期に、焦臭い事が起こるのは良くないな」
黄金の城が動くとなると、その被害は計り知れない。十年ほど前、ミリデリアの首都サートトスで起こった黄金の城との争いが脳裏に蘇る。
「どうするのじゃ? 赤い死神は、またその手に鎌をもつのかえ?」
ムウが探るように尋ねてくる。
赤い死神。三年前まで、ミシシュはミリデリアでそう呼ばれていた。ハイダーナイツ独自の分析で算出される重要人物ランクで、最高位のカテゴリー・クライマックスに登録されている自分。ミリデリアを捨て、なおかつサーンラーデンに来て常に監視されている赤い死神。武器と力を奪われてなお、ハイダーナイツはミシシュを危険人物、いや重要人物として認識している。
「今の僕じゃ、扉の外にいる男にだって勝つ事はできない」
両手に嵌められたリングをカチャリと鳴らしたミシシュは、寂しそうに呟いた。
ミシシュがどう動こうと、黄金の城が此処に来る事に変わりはない。そして、ミシシュが力を取り戻したとしても、甚大な被害が出る事は明らかだった。
ミシシュはノから受け取った手紙を最後まで読み進めると、更に渋面な表情を浮かべた。
(つづく)
(初出:2014年04月10日)
(初出:2014年04月10日)
登録日:2014年04月10日 17時17分
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