
著者:天野雅(あまのみやび)
埼玉県生まれ、千葉県育ちの関東人だった。結婚を機に関西の人間になる。現在は関西とも東海ともいえる近畿地方に在住。10年経って方言にも慣れた。血液型はマイペースで知られるB型。住めば都を地で行く性質。ネット作家歴20年。同人作家歴はプラス5年。趣味は映像鑑賞。写真撮影。歌唱。創作料理。好物は自然万物一般。美術芸能一般。パソコン。ゲーム。漫画。文章。
小説/ファンタジー
約束の夏(1)
[連載 | 完結済 | 全4話] 目次へ
夏休みも残りわずか。類友同好会こと『超常現象同好会』の校内合宿がはじまろうとしていた。どこにでもある学校の七不思議――ではなく、もうひとつの怪談を体験しようと集まった部員達だったが……。
プロローグ
「ねえねえ浅井さんっ、一緒に行こうよ。部活、まだ決まってないんでしょ?」
後ろから、クラスメートが駆けてきて言った。真新しい紺色のブレザーにチェック柄のプリーツスカート。左襟に朱色く縁取られた校章バッヂをつけている。まだ綺麗な学校指定の上靴のゴム底も朱色である。今年度の新入生だ。
ひとりで教室を出て昇降口へ向かっていた同じスタイルの浅井美由紀は振りむきながら、あいまいに首をかしげた。
2人の違いといえば、快活そうなショートカットでスポーツ好きそうな背の高い友人に対して、セミロングの黒髪を青いリボンでポニーテールにした美由紀のほうが色白で、身長が平均よりもやや低めなことだろう。
「んー……」
入学直後から、この高校では部活の勧誘が活発だった。廊下や手洗い場の窓、昇降口のガラス全面は勿論、下駄箱や掃除用具入れのロッカーにいたるまで、各部手製の宣伝ポスターが貼りまくられていた。感心なことには、すべてに生徒会の許可印が押されている。
そして本日、入学式から2週間目。定められた見学期間の最終日だった。美由紀たち1年生は入部先を決めなければならない。
ガラス越しに見える校庭の桜の花びらは、ほぼ散りかけている。
「あたし、どれもピンとこなくてさ。天文部があればよかったのに。浅井さんは?」
「私、昨日、なんか変な勧誘受けちゃって……」
「変ってどこ? もしかしてギター部とか? っていうより、バンド部か。格好とか校則違反だし、まじめそうな浅井さんから見たらちょっと変かもね」
「ううん、そうじゃないの、格好は普通だったし。でも、私の見た夢のこと――」
考えこむように美由紀は黙りこんだ。相手はなんの関心も示さずに、
「あーっテニス部もいいな。でもやっぱり中学より厳しそうかな」
「――そうね」
美由紀は自分の話をそれ以上は続けずに、迷う友人にあわせた。入学してから同じクラスで割り当てられた座席が前後になり知り合った間柄である。どうしても聴いてほしいような内容でもない。
話しながら校舎裏のグラウンドへと歩いた。楕円や直線のトラックが描かれる広々とした表の校庭とは違い、校舎側に寄せてサッカーゴールが置かれている。左端に高いフェンスが張られ、その向こうの2コートではテニス部が練習試合をしていた。
反対側の右手には体育館があり、掃きだしの窓からバドミントン部が活動しているのが見えた。さらにいえば見えないけれど半地下になっていて、体育教官室と並んで柔剣道場がある。
「あ、あっちに弓道部だって。行ってみない?」
彼女が手にしている紙は、生徒会から配られた校内の部活動場所案内図だ。
弓道場の入口は、テニスコートをぐるっと外側からまわりこんだところにあった。
テニス部を挟んでサッカー部の反対側だ。
瓦屋根の低い建物を見つめて、美由紀は足を止めた。
「……私……受験の日、裏門から入っちゃったの。でね、その時ちらっと覗いたの。弓道場。開いてて……」
「へーっ。じゃ見学済みなのね。わっあの胴着、かっこいーっ。あたし弓道やろっかな。ちょっと行ってみようよ。すいませーん、新入生なんですけど、見学していいですかー?」
戸口に立っていた上級生へ、声をかける。
「あっ私、ここにいるから」
美由紀が慌てて言うと、相手はいともあっさりと、
「そぉ? じゃ、ちょっと待ってて」
ひらひら手を振って、弓道場へと入っていく。
「……丸い的の向こうで何か光って……、それからずっと同じ夢、見るの……私」
美由紀はもう立ち去った友達に、届かなくても言わずにはいられなかった。
1.それが始まり
僕達『類友同好会』が、ようやく合宿できるという日になって、リーダー杉野が階段を踏み外して骨折した。
「だっせー」
ふわふわした天然パーマを今はボーイッシュな赤いメッシュキャップの下に隠した副リーダー、玲子が告げたとたん、竹重(たけしげ)がそのがっちりした体躯にふさわしい声をあげ、青いザックを畳に放った。
「ちょっとやめてよ、ホコリがたつでしょ」
毅然と白いTシャツの半袖からのびた細腕を学年指定の緑色のジャージの腰にあて、山田が口をとがらせる。汗でずれるのか、片手で銀縁メガネのフレームを直した。
「そっ、リーダーは明日ちゃんと来るっていうから。まず、ここの掃除。予定通り始めるからね」
玲子がいつもの調子で話を戻すと、
「大丈夫なんですか? 無理、しないほうが……」
ただひとり、1年生の浅井が遠慮がちに女の子らしく心配し、玲子が何か答える前に、竹重が野太い声を張りあげた。
「骨折くらいで死にやしねーよ。もう夏休みも終わりなんだぜ、あいつのドジのせいで唯一の夏のイベントがおしゃかになってたまるかよ」
「あんたねー、もうちょっとましな言い方」
「まあまあ」
いい加減うんざりして、僕は竹重と山田に両手をあげた。
「とにかく、この合宿は始まったんだから。いいだろう? 掃除やろーぜ」
浅井がほっと表情を和らげたのが、目の隅に入る。なんとなく、いい気分。
「木崎くんの言う通り。さ、分担決めるよ。木崎くんと竹重くんは用務員室行って、人数分の布団借りてきて。先生いるはずだからね。女の子達は室内の掃除。さあ、散って散って」
玲子が両手を振りながら僕らを見まわした。
こうして、夏休みもあとわずかのこの日、類友同好会、正式名称『超常現象同好会』の校内合宿は始まったのだった。
◆
同好会のメンバーは男女3人ずつ。リーダー杉野と副の玲子は3年、2年は僕と竹重と山田。
顧問はいるかいないか分からない、生物の宮下。もう定年間近で、本当なら顧問なんて任されないはずなんだ。同好会発足当時、教員連中にうさんくさがられて潰されかけたのを、先輩が悪あがきで顧問に頼みこみ、なんとか認めてもらったのだという。今から5年前の話だ。
宮下はそんなこんなで放任主義だ。どっちかというと、これはありがたい。活動にいちいちチェックを入れられるのも、先頭にたって張り切られるのも、僕達は嫌いだから。
とはいえ放任も、そういいことばかりじゃない。裏を返せば無関心てことだ。
僕達の合宿所使用の日程が夏休みの終わりになったのは、そういう理由だった。杉野が学年トップの秀才として先生方にウケが良く、玲子が生徒会長と同じクラスで親しくなかったら、合宿はポシャッていたかもしれない。
「けどよー」
どんよりと灰色の雲の下。バケツに激しく水を落としながら、竹重がぼやいた。
校舎裏、プールが近い手洗い場。足も洗えるように水受けが低くなっている。目の前のグラウンドではサッカー部が汗だくになって走りこみをやっていた。
校庭の周囲に植え込まれた背の高い木々から途切れることなくセミの鳴き声がしている。
最寄り駅から都心までは電車で1時間半の通勤圏だが、国道から外れていて、民家に囲まれている。見回しても高層マンションやビルや工場などは見当たらない。校舎の屋上にあがればともかく、どちらかというと古い街並みなのだ。勉強する環境としては、まぁまぁかな。
「どうせあとなら、どっかの部の使用直後にしてくれっての。なんで10日もあくわけ?」
竹重は不平タラタラ。
僕はその横で黙々とモップを洗っている。竹重を無視してるんじゃなく、集中しないと飛沫がかかるのだ。トイレの床を、舐めたモップの。
物干し台に布団を掛けると、すぐこの仕事を頼まれた。さすが玲子、男手の使い方に隙がない。
「あーめんどくせー」
流れる汗にイライラが限界に達したらしく、竹重はバケツから蛇口の水を横取りして顔をびしょびしょにした。
午後2時。風はそよとも吹かず、蒸し暑い。少し雨でも降ってくれれば涼しくなるかもしれないが。
「ちっ拭くもんがねーや」
言って、竹重は犬みたいに頭を振った。袖を丸めたTシャツの肩がたちまち濡れて、筋肉質な輪郭をはっきりとさす。
竹重はもと柔道部だった。どうして2年になってから文化系のここへ来たのか、クラスの違った僕は知らない。訊けば話す奴だけど、知ったところで相槌を打つぐらいしか僕にはできないんだ。ただ、昨日までの3ヶ月、学校にナイショでバイトしていたことは聞いていた。
文句の多い男だが言葉はいつもストレートで、裏がない。杉野に多少つっかかるけどケンカまで行かない。それで周知の『杉野の隠れファン』山田が、なんやかやふっかけるんだけど……にぎやかでいいさ。
「いやあぁーっ、誰か来てぇっ!」
突然の悲鳴に、僕は竹重と顔を見合わせた。空耳でない証拠に、サッカー部の数人が何事かと振り返っている。
「浅井の声だっ」
水道なんかそのままに、僕らは合宿所へ駆けだした。
グラウンドの右、古びた体育館の横をまわりこんで30メートルもない。
合宿所はプレハブ造りの2階建てで、階下が水まわり(炊事場、風呂、トイレ。校内の家庭科室は使えない)、上が畳敷きの二間となっている。
浅井の掃除分担は2階の畳拭きだった。
鉄製の階段は建物の外に作り付け、アパートと似ている。鍵管理は階ごとに別になっている。町内で校庭を使う時などに1階を貸す為だ。
「どうしたっ?」
2階、あがってすぐのドアノブを引き開け、中に聞こえるように怒鳴って飛びこむ。
目の前にたたきを兼ねたコンクリの廊下。すぐ右と奥にふすま。
今はどっちも開かれていて……
「浅井!」
彼女は右の部屋、ここから見える窓の枠に、背中をへばりつけてうずくまっていた。大きく目を見開いて。口を手で押さえて。小さく、悲鳴が指から洩れる。
ばたんっ、ばたんっ、と部屋の中から畳を強く叩く音。
まさか、ポルターガイスト!?
僕は一瞬、竹重を振り返り(足は僕の方が早かった)目くばせして、濡れたままのモップを前に突き出しつつ踏みこんだ。
「あぁっっ!!」
「だめぇっっ!!」
突然襲った黄色い声に、僕はつんのめって前に倒れた。足元に取り落としたモップの先がべしゃりと音を立てる。
「ぐえ」
勢いこんだ竹重の巨体がまともにのしかかり、もう少しで死ぬところだ。
「あーん、ダメじゃないですか先輩」
霞みかかった視界で、浅井が抗議の顔で言う。
「ちょっとお、あんたら綺麗にしといてよっ、もう」
顔をねじまげて見ると(えーい竹重、いい加減どいてくれ)、山田が手に何か握りしめて膝立ちしていた。
「だっ……で……、ぼるだ、がいずどば……」
「何よ?」
と、いぶかしげに鋭利な視線を寄越す山田。
「おっすまん」
竹重が言い、やっと身が軽くなった。
思いっきり咳払いし、僕はその場にへたりこんだ格好で、
「だって……何かあったんじゃ……」
「えー?」
浅井と山田が顔を見合わす。
「悲鳴が聞こえて、助けに来たんだぜ、オレら」
後ろの上から、うろたえた竹重のセリフが降ってくる。
「ああ、それね。これよ」
山田が手にしたかたまりをちょっと持ち上げて見せた。
? 丸めた紙束……?
浅井が眉をひそめて「いやー」と小さく首を振った。
「ゴキブリがいたの。ったく、土足であがってきて。水浸しだし。ちゃんと拭いといてよ、そこ」
そ……そんなあ。
◆
「それは災難だったね」
副リーダー、玲子は控えめに笑いながら言った。くちもとにあてがった指がドキッとするほど白くて、僕は落ち着かない視線を窓へ飛ばした。中学時代はバレーをしていたと聞いている。だが今は類友同好会にいるだけあって、今年の春休みに『類友オカルトツアー』を企画し、積極的にホラー映画を選んだのは玲子だった。勉強の方は杉野みたいに学年トップとまではいかないまでも、常に10番前後をキープしているらしい。
「冗談じゃないスよー、思いっ切り走っちゃった、オレ」
窮屈そうにあぐらをかいた竹重が、ごつい肩をすくめる。
『俺は痛い思いまでしたぞ』と心でつぶやき、僕もあわせて頷いた。
時刻は午後4時30分。ひととおりの掃除と荷物解きを済ませ、さっそく第1回目のミーティングだ。それにはリーダーの部屋、つまり男らの使う出入口寄りの部屋(ゴキがいたとこだ)が使用される。
これから3日間のスケジュールなど確認したあと、その話が出た。玲子はあの『にせポル』騒ぎの時、風呂を磨いていて気づかなかったんだそうだ。タイルに水音が反響して。
「ポルターガイストなんて、よく浮かんだね」
と玲子が言うと、
「だけどここに出るんだったら、とっくに噂になってたでしょうね」
横から、あいかわらず山田は手厳しい。
「でも、すみませんでした先輩。お騒がせして……」
浅井がしおらしくうつむくと、
「いやあ、男だから、オレら」
と、竹重がわけの分からんことを言う。
「噂といえば」
ふっと、玲子が呟いた。
「今回の合宿、半分はそれにかかってるけど、軽く見ちゃダメよ」
「あっ、はい」
ハッとして、みんなの語調が改まる。
全員の目に少し緊張が混ざった。
2.校内の怪
大抵どこの学校にも『七不思議』という怪奇話が存在するはずだ。
『音楽室のベートーベンの絵の目が動いた』とか、『夜中に階段を数えると一段増えている』とか、校内の特定の場所にまつわる怪談が七つそろっているんだ。さらに物知りなコに訊けば、『それはウン年前に自殺した音楽の先生のタタリなのよ』など、さもそれらしく裏づけた事件を話してもらえる。
そしてこれは、別に僕が調べたわけじゃなく類友同好会内では常識となっている、この高校、小田市立第二高校(通称・二高)にも存在している怪談がある。いわく、
一、午前2時、中庭へ出る非常階段の段数は上りと下りで一段食い違う。
二、雨の日の深夜、誰もいない放送室からすすり泣きが聞こえる。
三、満月の夜、プールの水面に映っていた月影が消える。
四、夕方、化学室の前の廊下に誰もいなくなると子供の走る足音が聞こえる。
五、風の強い日の深夜に、家庭科室に行くとミシンの音が鳴り響く。
六、真夜中、誰もいない剣道場から竹刀を叩く音が聞こえる。
七、……おっとここまで。
二高の七不思議は、他人に全部教えるとどっちかが交通事故にあうなんていうオマケまでついているんで、念のため全部は伝えないでおくよ(それでどうして僕達が全部知っているかというと、リーダーとサブが半分ずつ教えてくれるわけなんだ)。
二高の七不思議は知っている生徒は知っているし、知らない生徒は知らなくて幸せ、みたいなところがある。
超常現象同好会である僕達は、毎年夏休みになると『親睦を深める』というスローガンのもとに校内合宿をやり、七不思議を体験しよう、なんてことになる。
でも玲子が言った『噂』は、違うのだ。
七不思議ではない、もうひとつの怪談――。
今年はいつもと違う……僕らは少し緊張しながら、その気分を楽しんでいた。
◆
「あ、お皿とって……だめだめ、ふち持ってふち」
玲子に言われて、竹重は慌てて手を引っこめた。情けなさそうに、ちろ、と僕を見る。
「木崎っ、よそ見すんなっ、ほら行くよっ」
「うわっ、はいっ」
山田がなべを傾けたまま、僕を睨む。竹重、邪魔すんなよなー。
「木崎、危ないってば、火傷したいのっ?」
「はいいっ」
「きゃ、先輩っ」
「あ、ごめっ……ぶつかった?」
台所というのは、慣れない男にとっては処置無しの場である。特にエプロンなんか、もういけない。うっ……サマにならない事おびただしい。
午後6時。僕達は全員、合宿所1階の炊事場にいた。夕飯の支度だ。
広さはざっと3メートル四方だろうか。片壁にサッシ窓があつらえてあり、この時間ならまだ天井の心もとない裸電球だけでも手元が明るい。
シンクと大中小のガス台が並び、平行して調理台が置かれている。奥に普段は使われていない冷蔵庫、食器棚。角のスペースに錆だらけの折りたたみのパイプ椅子が数脚たてかけてあった。
調理台に並べられた材料は、ここに集まる前に副リーダー玲子が小田駅で待ち合わせた山田と浅井を連れて、スーパーで買ってきたものだ。
今夜のメニューはレトルトのミートスパゲティ、パック製品のポテトサラダ、烏龍茶。
竹重が皿を並べ、玲子がサラダをあける。湯むきしたトマトを切って盛るのは浅井の役目だ。僕は、なべを傾けて山田が熱湯と共に流し出した麺を、ざるに受ける役。
皿が6枚あるのは杉野の分を間違えたのではなくて、顧問、宮下の分だ。いくら無関心とはいえ、『部活・同好会・生徒会の規則』には従う他ない。合宿をする場合、生徒の安全と監督のために教師が最低ひとり同行することになっている。
とはいえ、これで指導熱心な顧問なら共に卓を囲もうとするんだろうけど、そうしないところが宮下らしかった。校舎の用務員室隣に設けられた宿直室(実は単なる畳の部屋)に独りで居続ける気だ。あそこにはテレビもあるし、それとも今頃は読書でもしてるかな……
「木崎っ!」
突然の声に飛び上がるより早く、僕は悲鳴を噛み殺していた。
「だからぼっとするなって言ったのにー」
でー、あっちー。熱湯がかかったのは指だけだってのに。全身から汗が、吹き出してきやがるぜ。
調理台をテーブルにして食事するには狭く、僕達は2階に運んで食べた。宮下へは玲子が運んでいった。
レトルトばかりの夕食は、それでも結構うまかった。
女性陣のうち、結局包丁を握ったのは浅井だけだったが、その辺は追求しないことにする。僕だってまったく偉そうなことは言えないのだし。
「小学校、3年の時だったわ」
コップに満たした烏龍茶を飲みながら、話を始めたのは玲子だった。
それぞれの皿が残り少なくなった頃合だ。
僕はそのひとことでピンときた。さりげなく山田が目くばせしてくる。分かってるって。
それまで雑談していた僕達は、静かに玲子に注目した。
「祖母が倒れたの。もう夜に近くて、私は次の日学校で、両親だけが田舎へ――埼玉県の秩父ってところなんだけど。ここからは電車で3時間ぐらいかな」
「あ、知ってます、国立公園のあるとこでしょ?」
と浅井。新入生の彼女と新規会員の竹重にとっては、初めて聞く話のはずだ。
「そう。それでね、心配で私、布団に入っても眠れなかったの。
気がついたら、なんだか周りが白っぽいのね。暗い部屋で寝てたはずなのに、目の前にベッドがあって、それを大勢の大人達が囲んでる。両親がいて、見覚えのある親戚の人達や医師と看護婦も見えた。ベッドを覗きこむと、記憶より痩せて、土気色の顔をした祖母が寝てたわ」
「へー」
竹重が興味深そうに相槌をうった。
玲子が続ける。
「私、思わず叫んだの。『おばあちゃん、死なないでっ』て。そしたら自分の声で目が覚めちゃった。もとの布団の中だったの」
「夢だったのかしら?」
浅井が言った。玲子は微笑して、
「翌日、両親が帰ってきて。学校へ行く前に母が言ったわ。『今度、おばあちゃんのお見舞いに行きましょうね』……それで週末に会いに行くと、祖母はだいぶ回復してた。顔を見るなり、こう言われたわ。『この間は、ありがとうね』」
「すごぉい。感動的ー」
浅井は中身が半分ほどになったコップを握りしめている。
「ふーむ、幽体離脱かあ」
玲子の能力について、同好会の活動中に話が出たことはあったが、実際の体験談は直接あまり聞かされていない。具体的には、こんな内容なのだと竹重が感心して唸った。
「んー、幽体離脱っていうと、ちょっと違う感じ?」
それに対して玲子が微苦笑を浮かべた。
そう反応されることにも慣れっこなんだろう、こっち方面には初心者な竹重に穏やかな口調で説明をはじめた。
「正確なところ幽体離脱っていうと心霊現象なのよね。一般的には臨死体験みたいなもの。肉体と、霊魂とかタマシイとか言われるものが離れてしまって、そこに自分がいるのを見たり、見れないはずの場所のできごとを知ったりする。肉体のほうはそのあいだ仮死状態かな、半死半生みたいな感じになってるわけね。たとえば事故にあって、ものすごい衝撃を受けたはずみで飛んじゃうとか、そういうこともあるらしい」
竹重はゆっくりと語りかける玲子の言葉をじっと聞いていた。たまに首をかしげたり、なるほど、と相槌をうったりしながら。
浅井も黙って耳をかたむけ、納得したのか軽くうなずいた。
「私の場合はたぶん、もうちょっと広い意味の体外離脱っていうところかなって思ってる。ほんのちょっと精神が肉体から離れちゃうのね……原因はわからないけど」
「他にも、そういうことはあったんですか?」
山田が気を利かせて訊いた。
「あったわよ。えっとね」
玲子は静かに言葉を続ける。
◆
やがて風呂の時間となった。
昼間、玲子が掃除していた、ここの風呂は外階段を降りて1階にある。炊事場の先、トイレの手前。
炊事場が狭いことは書いたが、浴室はほぼ同じその広さに、無謀にも掃除用具入れと洗濯機の置かれた洗濯室、洗面所と脱衣所、洗い場にシャワーと湯船がある。
本来(どう考えたって)ひとり用なんだが、浅井がごねた。
「先輩、お願いですぅ、一緒に入ってください」
僕にじゃない、玲子と山田にだ。
「2人ならなんとか入れるかな」
山田が言った。
「じゃ、私と行こうか?」
とは玲子だ。
「すいませーん」
浅井は感謝感謝と、頭をさげて。
「したら、私らあとね。先に行っといで」
玲子が山田に言う。
「あ、はい。じゃすいませんけどお先に」
さっそく山田が立っていった。
この辺に下手な遠慮が存在しないのが、僕らの特徴と言える。
「浅井だって不思議な体験、したことあるんだろ?」
竹重はしつこい。
「それは、ありますけど?」
「独りで風呂、入ったことないの?」
からかわれた浅井はちょっと赤くなって、
「だって夜だから……」
「夜が怖いの?」
玲子が優しく訊と、浅井は恥ずかしそうに、だがきっぱりと、言った。
「夜だから、オバケが出るでしょう?」
◆
いつの間にか、風が強くなってきた。
少し開けたサッシ窓の枠に網戸がぶつかってガタガタ鳴っている。
不規則な雑音は浅井をびくつかせ、僕達は一層にぎやかになった。そうやって15分ぐらい経ったろうか。
「うー?」
なんだか僕の指が急に痛みだし、見ると、さっき火傷したところが真っ赤に腫れていた。薬がなくて、そういえばなんの手当てもしてなかった。
「やだ先輩、痛そう」
目ざとく浅井が声をあげ、同情の色濃く僕を見た。
「あら。それはひどいわ。水で冷やしてきたら?」
玲子も眉をひそめて。
「行ってこいよ。5分くらいさ、たっぷり流水につけて」
竹重はそこで分厚い唇をひんまげて皮肉に笑い、
「この場はオレに任せて、さ」
「……分かったよ」
たいしたことじゃない、と言い損ね、僕は仕方なく腰をあげた。
たたきへ出るふすまは開け放たれていて、すぐ、靴を履く。
ノブをつかんで、押し開けて。
「蚊にくわれんなよー」
竹重の声になんか、振り返ったりするものか。
後ろ手にドアを閉め、僕は外へ出た。
昼間セミがうるさかった代わりに、木々のざわめきが周囲を満たしている。
星は見えないが、フェンスを隔てて立ち並ぶ路地の街灯が、階段まで届いていて明るかった。
炊事場の横、浴室の窓からも明かりがこぼれている。
降りていると、山田が脱衣所へ続く洗濯室のドアを開けて出てきた。
「あー、なんだ、早いじゃん」
僕はセリフをなげた。しかし山田は顔をあげようともしなかった。すたすたと階段前を横切って体育館の方へ歩いていく。
「おいっ、どーしたんだー?」
まるで僕の声が耳に入ってないようだ。
よく見ると、彼女は手ぶらだった。持って出てったトレーナーを着てるが、着てたジャージも入浴グッズも持ってない。
様子が変だ。
急いで僕は、あとを追った。
「ねえねえ浅井さんっ、一緒に行こうよ。部活、まだ決まってないんでしょ?」
後ろから、クラスメートが駆けてきて言った。真新しい紺色のブレザーにチェック柄のプリーツスカート。左襟に朱色く縁取られた校章バッヂをつけている。まだ綺麗な学校指定の上靴のゴム底も朱色である。今年度の新入生だ。
ひとりで教室を出て昇降口へ向かっていた同じスタイルの浅井美由紀は振りむきながら、あいまいに首をかしげた。
2人の違いといえば、快活そうなショートカットでスポーツ好きそうな背の高い友人に対して、セミロングの黒髪を青いリボンでポニーテールにした美由紀のほうが色白で、身長が平均よりもやや低めなことだろう。
「んー……」
入学直後から、この高校では部活の勧誘が活発だった。廊下や手洗い場の窓、昇降口のガラス全面は勿論、下駄箱や掃除用具入れのロッカーにいたるまで、各部手製の宣伝ポスターが貼りまくられていた。感心なことには、すべてに生徒会の許可印が押されている。
そして本日、入学式から2週間目。定められた見学期間の最終日だった。美由紀たち1年生は入部先を決めなければならない。
ガラス越しに見える校庭の桜の花びらは、ほぼ散りかけている。
「あたし、どれもピンとこなくてさ。天文部があればよかったのに。浅井さんは?」
「私、昨日、なんか変な勧誘受けちゃって……」
「変ってどこ? もしかしてギター部とか? っていうより、バンド部か。格好とか校則違反だし、まじめそうな浅井さんから見たらちょっと変かもね」
「ううん、そうじゃないの、格好は普通だったし。でも、私の見た夢のこと――」
考えこむように美由紀は黙りこんだ。相手はなんの関心も示さずに、
「あーっテニス部もいいな。でもやっぱり中学より厳しそうかな」
「――そうね」
美由紀は自分の話をそれ以上は続けずに、迷う友人にあわせた。入学してから同じクラスで割り当てられた座席が前後になり知り合った間柄である。どうしても聴いてほしいような内容でもない。
話しながら校舎裏のグラウンドへと歩いた。楕円や直線のトラックが描かれる広々とした表の校庭とは違い、校舎側に寄せてサッカーゴールが置かれている。左端に高いフェンスが張られ、その向こうの2コートではテニス部が練習試合をしていた。
反対側の右手には体育館があり、掃きだしの窓からバドミントン部が活動しているのが見えた。さらにいえば見えないけれど半地下になっていて、体育教官室と並んで柔剣道場がある。
「あ、あっちに弓道部だって。行ってみない?」
彼女が手にしている紙は、生徒会から配られた校内の部活動場所案内図だ。
弓道場の入口は、テニスコートをぐるっと外側からまわりこんだところにあった。
テニス部を挟んでサッカー部の反対側だ。
瓦屋根の低い建物を見つめて、美由紀は足を止めた。
「……私……受験の日、裏門から入っちゃったの。でね、その時ちらっと覗いたの。弓道場。開いてて……」
「へーっ。じゃ見学済みなのね。わっあの胴着、かっこいーっ。あたし弓道やろっかな。ちょっと行ってみようよ。すいませーん、新入生なんですけど、見学していいですかー?」
戸口に立っていた上級生へ、声をかける。
「あっ私、ここにいるから」
美由紀が慌てて言うと、相手はいともあっさりと、
「そぉ? じゃ、ちょっと待ってて」
ひらひら手を振って、弓道場へと入っていく。
「……丸い的の向こうで何か光って……、それからずっと同じ夢、見るの……私」
美由紀はもう立ち去った友達に、届かなくても言わずにはいられなかった。
1.それが始まり
僕達『類友同好会』が、ようやく合宿できるという日になって、リーダー杉野が階段を踏み外して骨折した。
「だっせー」
ふわふわした天然パーマを今はボーイッシュな赤いメッシュキャップの下に隠した副リーダー、玲子が告げたとたん、竹重(たけしげ)がそのがっちりした体躯にふさわしい声をあげ、青いザックを畳に放った。
「ちょっとやめてよ、ホコリがたつでしょ」
毅然と白いTシャツの半袖からのびた細腕を学年指定の緑色のジャージの腰にあて、山田が口をとがらせる。汗でずれるのか、片手で銀縁メガネのフレームを直した。
「そっ、リーダーは明日ちゃんと来るっていうから。まず、ここの掃除。予定通り始めるからね」
玲子がいつもの調子で話を戻すと、
「大丈夫なんですか? 無理、しないほうが……」
ただひとり、1年生の浅井が遠慮がちに女の子らしく心配し、玲子が何か答える前に、竹重が野太い声を張りあげた。
「骨折くらいで死にやしねーよ。もう夏休みも終わりなんだぜ、あいつのドジのせいで唯一の夏のイベントがおしゃかになってたまるかよ」
「あんたねー、もうちょっとましな言い方」
「まあまあ」
いい加減うんざりして、僕は竹重と山田に両手をあげた。
「とにかく、この合宿は始まったんだから。いいだろう? 掃除やろーぜ」
浅井がほっと表情を和らげたのが、目の隅に入る。なんとなく、いい気分。
「木崎くんの言う通り。さ、分担決めるよ。木崎くんと竹重くんは用務員室行って、人数分の布団借りてきて。先生いるはずだからね。女の子達は室内の掃除。さあ、散って散って」
玲子が両手を振りながら僕らを見まわした。
こうして、夏休みもあとわずかのこの日、類友同好会、正式名称『超常現象同好会』の校内合宿は始まったのだった。
◆
同好会のメンバーは男女3人ずつ。リーダー杉野と副の玲子は3年、2年は僕と竹重と山田。
顧問はいるかいないか分からない、生物の宮下。もう定年間近で、本当なら顧問なんて任されないはずなんだ。同好会発足当時、教員連中にうさんくさがられて潰されかけたのを、先輩が悪あがきで顧問に頼みこみ、なんとか認めてもらったのだという。今から5年前の話だ。
宮下はそんなこんなで放任主義だ。どっちかというと、これはありがたい。活動にいちいちチェックを入れられるのも、先頭にたって張り切られるのも、僕達は嫌いだから。
とはいえ放任も、そういいことばかりじゃない。裏を返せば無関心てことだ。
僕達の合宿所使用の日程が夏休みの終わりになったのは、そういう理由だった。杉野が学年トップの秀才として先生方にウケが良く、玲子が生徒会長と同じクラスで親しくなかったら、合宿はポシャッていたかもしれない。
「けどよー」
どんよりと灰色の雲の下。バケツに激しく水を落としながら、竹重がぼやいた。
校舎裏、プールが近い手洗い場。足も洗えるように水受けが低くなっている。目の前のグラウンドではサッカー部が汗だくになって走りこみをやっていた。
校庭の周囲に植え込まれた背の高い木々から途切れることなくセミの鳴き声がしている。
最寄り駅から都心までは電車で1時間半の通勤圏だが、国道から外れていて、民家に囲まれている。見回しても高層マンションやビルや工場などは見当たらない。校舎の屋上にあがればともかく、どちらかというと古い街並みなのだ。勉強する環境としては、まぁまぁかな。
「どうせあとなら、どっかの部の使用直後にしてくれっての。なんで10日もあくわけ?」
竹重は不平タラタラ。
僕はその横で黙々とモップを洗っている。竹重を無視してるんじゃなく、集中しないと飛沫がかかるのだ。トイレの床を、舐めたモップの。
物干し台に布団を掛けると、すぐこの仕事を頼まれた。さすが玲子、男手の使い方に隙がない。
「あーめんどくせー」
流れる汗にイライラが限界に達したらしく、竹重はバケツから蛇口の水を横取りして顔をびしょびしょにした。
午後2時。風はそよとも吹かず、蒸し暑い。少し雨でも降ってくれれば涼しくなるかもしれないが。
「ちっ拭くもんがねーや」
言って、竹重は犬みたいに頭を振った。袖を丸めたTシャツの肩がたちまち濡れて、筋肉質な輪郭をはっきりとさす。
竹重はもと柔道部だった。どうして2年になってから文化系のここへ来たのか、クラスの違った僕は知らない。訊けば話す奴だけど、知ったところで相槌を打つぐらいしか僕にはできないんだ。ただ、昨日までの3ヶ月、学校にナイショでバイトしていたことは聞いていた。
文句の多い男だが言葉はいつもストレートで、裏がない。杉野に多少つっかかるけどケンカまで行かない。それで周知の『杉野の隠れファン』山田が、なんやかやふっかけるんだけど……にぎやかでいいさ。
「いやあぁーっ、誰か来てぇっ!」
突然の悲鳴に、僕は竹重と顔を見合わせた。空耳でない証拠に、サッカー部の数人が何事かと振り返っている。
「浅井の声だっ」
水道なんかそのままに、僕らは合宿所へ駆けだした。
グラウンドの右、古びた体育館の横をまわりこんで30メートルもない。
合宿所はプレハブ造りの2階建てで、階下が水まわり(炊事場、風呂、トイレ。校内の家庭科室は使えない)、上が畳敷きの二間となっている。
浅井の掃除分担は2階の畳拭きだった。
鉄製の階段は建物の外に作り付け、アパートと似ている。鍵管理は階ごとに別になっている。町内で校庭を使う時などに1階を貸す為だ。
「どうしたっ?」
2階、あがってすぐのドアノブを引き開け、中に聞こえるように怒鳴って飛びこむ。
目の前にたたきを兼ねたコンクリの廊下。すぐ右と奥にふすま。
今はどっちも開かれていて……
「浅井!」
彼女は右の部屋、ここから見える窓の枠に、背中をへばりつけてうずくまっていた。大きく目を見開いて。口を手で押さえて。小さく、悲鳴が指から洩れる。
ばたんっ、ばたんっ、と部屋の中から畳を強く叩く音。
まさか、ポルターガイスト!?
僕は一瞬、竹重を振り返り(足は僕の方が早かった)目くばせして、濡れたままのモップを前に突き出しつつ踏みこんだ。
「あぁっっ!!」
「だめぇっっ!!」
突然襲った黄色い声に、僕はつんのめって前に倒れた。足元に取り落としたモップの先がべしゃりと音を立てる。
「ぐえ」
勢いこんだ竹重の巨体がまともにのしかかり、もう少しで死ぬところだ。
「あーん、ダメじゃないですか先輩」
霞みかかった視界で、浅井が抗議の顔で言う。
「ちょっとお、あんたら綺麗にしといてよっ、もう」
顔をねじまげて見ると(えーい竹重、いい加減どいてくれ)、山田が手に何か握りしめて膝立ちしていた。
「だっ……で……、ぼるだ、がいずどば……」
「何よ?」
と、いぶかしげに鋭利な視線を寄越す山田。
「おっすまん」
竹重が言い、やっと身が軽くなった。
思いっきり咳払いし、僕はその場にへたりこんだ格好で、
「だって……何かあったんじゃ……」
「えー?」
浅井と山田が顔を見合わす。
「悲鳴が聞こえて、助けに来たんだぜ、オレら」
後ろの上から、うろたえた竹重のセリフが降ってくる。
「ああ、それね。これよ」
山田が手にしたかたまりをちょっと持ち上げて見せた。
? 丸めた紙束……?
浅井が眉をひそめて「いやー」と小さく首を振った。
「ゴキブリがいたの。ったく、土足であがってきて。水浸しだし。ちゃんと拭いといてよ、そこ」
そ……そんなあ。
◆
「それは災難だったね」
副リーダー、玲子は控えめに笑いながら言った。くちもとにあてがった指がドキッとするほど白くて、僕は落ち着かない視線を窓へ飛ばした。中学時代はバレーをしていたと聞いている。だが今は類友同好会にいるだけあって、今年の春休みに『類友オカルトツアー』を企画し、積極的にホラー映画を選んだのは玲子だった。勉強の方は杉野みたいに学年トップとまではいかないまでも、常に10番前後をキープしているらしい。
「冗談じゃないスよー、思いっ切り走っちゃった、オレ」
窮屈そうにあぐらをかいた竹重が、ごつい肩をすくめる。
『俺は痛い思いまでしたぞ』と心でつぶやき、僕もあわせて頷いた。
時刻は午後4時30分。ひととおりの掃除と荷物解きを済ませ、さっそく第1回目のミーティングだ。それにはリーダーの部屋、つまり男らの使う出入口寄りの部屋(ゴキがいたとこだ)が使用される。
これから3日間のスケジュールなど確認したあと、その話が出た。玲子はあの『にせポル』騒ぎの時、風呂を磨いていて気づかなかったんだそうだ。タイルに水音が反響して。
「ポルターガイストなんて、よく浮かんだね」
と玲子が言うと、
「だけどここに出るんだったら、とっくに噂になってたでしょうね」
横から、あいかわらず山田は手厳しい。
「でも、すみませんでした先輩。お騒がせして……」
浅井がしおらしくうつむくと、
「いやあ、男だから、オレら」
と、竹重がわけの分からんことを言う。
「噂といえば」
ふっと、玲子が呟いた。
「今回の合宿、半分はそれにかかってるけど、軽く見ちゃダメよ」
「あっ、はい」
ハッとして、みんなの語調が改まる。
全員の目に少し緊張が混ざった。
2.校内の怪
大抵どこの学校にも『七不思議』という怪奇話が存在するはずだ。
『音楽室のベートーベンの絵の目が動いた』とか、『夜中に階段を数えると一段増えている』とか、校内の特定の場所にまつわる怪談が七つそろっているんだ。さらに物知りなコに訊けば、『それはウン年前に自殺した音楽の先生のタタリなのよ』など、さもそれらしく裏づけた事件を話してもらえる。
そしてこれは、別に僕が調べたわけじゃなく類友同好会内では常識となっている、この高校、小田市立第二高校(通称・二高)にも存在している怪談がある。いわく、
一、午前2時、中庭へ出る非常階段の段数は上りと下りで一段食い違う。
二、雨の日の深夜、誰もいない放送室からすすり泣きが聞こえる。
三、満月の夜、プールの水面に映っていた月影が消える。
四、夕方、化学室の前の廊下に誰もいなくなると子供の走る足音が聞こえる。
五、風の強い日の深夜に、家庭科室に行くとミシンの音が鳴り響く。
六、真夜中、誰もいない剣道場から竹刀を叩く音が聞こえる。
七、……おっとここまで。
二高の七不思議は、他人に全部教えるとどっちかが交通事故にあうなんていうオマケまでついているんで、念のため全部は伝えないでおくよ(それでどうして僕達が全部知っているかというと、リーダーとサブが半分ずつ教えてくれるわけなんだ)。
二高の七不思議は知っている生徒は知っているし、知らない生徒は知らなくて幸せ、みたいなところがある。
超常現象同好会である僕達は、毎年夏休みになると『親睦を深める』というスローガンのもとに校内合宿をやり、七不思議を体験しよう、なんてことになる。
でも玲子が言った『噂』は、違うのだ。
七不思議ではない、もうひとつの怪談――。
今年はいつもと違う……僕らは少し緊張しながら、その気分を楽しんでいた。
◆
「あ、お皿とって……だめだめ、ふち持ってふち」
玲子に言われて、竹重は慌てて手を引っこめた。情けなさそうに、ちろ、と僕を見る。
「木崎っ、よそ見すんなっ、ほら行くよっ」
「うわっ、はいっ」
山田がなべを傾けたまま、僕を睨む。竹重、邪魔すんなよなー。
「木崎、危ないってば、火傷したいのっ?」
「はいいっ」
「きゃ、先輩っ」
「あ、ごめっ……ぶつかった?」
台所というのは、慣れない男にとっては処置無しの場である。特にエプロンなんか、もういけない。うっ……サマにならない事おびただしい。
午後6時。僕達は全員、合宿所1階の炊事場にいた。夕飯の支度だ。
広さはざっと3メートル四方だろうか。片壁にサッシ窓があつらえてあり、この時間ならまだ天井の心もとない裸電球だけでも手元が明るい。
シンクと大中小のガス台が並び、平行して調理台が置かれている。奥に普段は使われていない冷蔵庫、食器棚。角のスペースに錆だらけの折りたたみのパイプ椅子が数脚たてかけてあった。
調理台に並べられた材料は、ここに集まる前に副リーダー玲子が小田駅で待ち合わせた山田と浅井を連れて、スーパーで買ってきたものだ。
今夜のメニューはレトルトのミートスパゲティ、パック製品のポテトサラダ、烏龍茶。
竹重が皿を並べ、玲子がサラダをあける。湯むきしたトマトを切って盛るのは浅井の役目だ。僕は、なべを傾けて山田が熱湯と共に流し出した麺を、ざるに受ける役。
皿が6枚あるのは杉野の分を間違えたのではなくて、顧問、宮下の分だ。いくら無関心とはいえ、『部活・同好会・生徒会の規則』には従う他ない。合宿をする場合、生徒の安全と監督のために教師が最低ひとり同行することになっている。
とはいえ、これで指導熱心な顧問なら共に卓を囲もうとするんだろうけど、そうしないところが宮下らしかった。校舎の用務員室隣に設けられた宿直室(実は単なる畳の部屋)に独りで居続ける気だ。あそこにはテレビもあるし、それとも今頃は読書でもしてるかな……
「木崎っ!」
突然の声に飛び上がるより早く、僕は悲鳴を噛み殺していた。
「だからぼっとするなって言ったのにー」
でー、あっちー。熱湯がかかったのは指だけだってのに。全身から汗が、吹き出してきやがるぜ。
調理台をテーブルにして食事するには狭く、僕達は2階に運んで食べた。宮下へは玲子が運んでいった。
レトルトばかりの夕食は、それでも結構うまかった。
女性陣のうち、結局包丁を握ったのは浅井だけだったが、その辺は追求しないことにする。僕だってまったく偉そうなことは言えないのだし。
「小学校、3年の時だったわ」
コップに満たした烏龍茶を飲みながら、話を始めたのは玲子だった。
それぞれの皿が残り少なくなった頃合だ。
僕はそのひとことでピンときた。さりげなく山田が目くばせしてくる。分かってるって。
それまで雑談していた僕達は、静かに玲子に注目した。
「祖母が倒れたの。もう夜に近くて、私は次の日学校で、両親だけが田舎へ――埼玉県の秩父ってところなんだけど。ここからは電車で3時間ぐらいかな」
「あ、知ってます、国立公園のあるとこでしょ?」
と浅井。新入生の彼女と新規会員の竹重にとっては、初めて聞く話のはずだ。
「そう。それでね、心配で私、布団に入っても眠れなかったの。
気がついたら、なんだか周りが白っぽいのね。暗い部屋で寝てたはずなのに、目の前にベッドがあって、それを大勢の大人達が囲んでる。両親がいて、見覚えのある親戚の人達や医師と看護婦も見えた。ベッドを覗きこむと、記憶より痩せて、土気色の顔をした祖母が寝てたわ」
「へー」
竹重が興味深そうに相槌をうった。
玲子が続ける。
「私、思わず叫んだの。『おばあちゃん、死なないでっ』て。そしたら自分の声で目が覚めちゃった。もとの布団の中だったの」
「夢だったのかしら?」
浅井が言った。玲子は微笑して、
「翌日、両親が帰ってきて。学校へ行く前に母が言ったわ。『今度、おばあちゃんのお見舞いに行きましょうね』……それで週末に会いに行くと、祖母はだいぶ回復してた。顔を見るなり、こう言われたわ。『この間は、ありがとうね』」
「すごぉい。感動的ー」
浅井は中身が半分ほどになったコップを握りしめている。
「ふーむ、幽体離脱かあ」
玲子の能力について、同好会の活動中に話が出たことはあったが、実際の体験談は直接あまり聞かされていない。具体的には、こんな内容なのだと竹重が感心して唸った。
「んー、幽体離脱っていうと、ちょっと違う感じ?」
それに対して玲子が微苦笑を浮かべた。
そう反応されることにも慣れっこなんだろう、こっち方面には初心者な竹重に穏やかな口調で説明をはじめた。
「正確なところ幽体離脱っていうと心霊現象なのよね。一般的には臨死体験みたいなもの。肉体と、霊魂とかタマシイとか言われるものが離れてしまって、そこに自分がいるのを見たり、見れないはずの場所のできごとを知ったりする。肉体のほうはそのあいだ仮死状態かな、半死半生みたいな感じになってるわけね。たとえば事故にあって、ものすごい衝撃を受けたはずみで飛んじゃうとか、そういうこともあるらしい」
竹重はゆっくりと語りかける玲子の言葉をじっと聞いていた。たまに首をかしげたり、なるほど、と相槌をうったりしながら。
浅井も黙って耳をかたむけ、納得したのか軽くうなずいた。
「私の場合はたぶん、もうちょっと広い意味の体外離脱っていうところかなって思ってる。ほんのちょっと精神が肉体から離れちゃうのね……原因はわからないけど」
「他にも、そういうことはあったんですか?」
山田が気を利かせて訊いた。
「あったわよ。えっとね」
玲子は静かに言葉を続ける。
◆
やがて風呂の時間となった。
昼間、玲子が掃除していた、ここの風呂は外階段を降りて1階にある。炊事場の先、トイレの手前。
炊事場が狭いことは書いたが、浴室はほぼ同じその広さに、無謀にも掃除用具入れと洗濯機の置かれた洗濯室、洗面所と脱衣所、洗い場にシャワーと湯船がある。
本来(どう考えたって)ひとり用なんだが、浅井がごねた。
「先輩、お願いですぅ、一緒に入ってください」
僕にじゃない、玲子と山田にだ。
「2人ならなんとか入れるかな」
山田が言った。
「じゃ、私と行こうか?」
とは玲子だ。
「すいませーん」
浅井は感謝感謝と、頭をさげて。
「したら、私らあとね。先に行っといで」
玲子が山田に言う。
「あ、はい。じゃすいませんけどお先に」
さっそく山田が立っていった。
この辺に下手な遠慮が存在しないのが、僕らの特徴と言える。
「浅井だって不思議な体験、したことあるんだろ?」
竹重はしつこい。
「それは、ありますけど?」
「独りで風呂、入ったことないの?」
からかわれた浅井はちょっと赤くなって、
「だって夜だから……」
「夜が怖いの?」
玲子が優しく訊と、浅井は恥ずかしそうに、だがきっぱりと、言った。
「夜だから、オバケが出るでしょう?」
◆
いつの間にか、風が強くなってきた。
少し開けたサッシ窓の枠に網戸がぶつかってガタガタ鳴っている。
不規則な雑音は浅井をびくつかせ、僕達は一層にぎやかになった。そうやって15分ぐらい経ったろうか。
「うー?」
なんだか僕の指が急に痛みだし、見ると、さっき火傷したところが真っ赤に腫れていた。薬がなくて、そういえばなんの手当てもしてなかった。
「やだ先輩、痛そう」
目ざとく浅井が声をあげ、同情の色濃く僕を見た。
「あら。それはひどいわ。水で冷やしてきたら?」
玲子も眉をひそめて。
「行ってこいよ。5分くらいさ、たっぷり流水につけて」
竹重はそこで分厚い唇をひんまげて皮肉に笑い、
「この場はオレに任せて、さ」
「……分かったよ」
たいしたことじゃない、と言い損ね、僕は仕方なく腰をあげた。
たたきへ出るふすまは開け放たれていて、すぐ、靴を履く。
ノブをつかんで、押し開けて。
「蚊にくわれんなよー」
竹重の声になんか、振り返ったりするものか。
後ろ手にドアを閉め、僕は外へ出た。
昼間セミがうるさかった代わりに、木々のざわめきが周囲を満たしている。
星は見えないが、フェンスを隔てて立ち並ぶ路地の街灯が、階段まで届いていて明るかった。
炊事場の横、浴室の窓からも明かりがこぼれている。
降りていると、山田が脱衣所へ続く洗濯室のドアを開けて出てきた。
「あー、なんだ、早いじゃん」
僕はセリフをなげた。しかし山田は顔をあげようともしなかった。すたすたと階段前を横切って体育館の方へ歩いていく。
「おいっ、どーしたんだー?」
まるで僕の声が耳に入ってないようだ。
よく見ると、彼女は手ぶらだった。持って出てったトレーナーを着てるが、着てたジャージも入浴グッズも持ってない。
様子が変だ。
急いで僕は、あとを追った。
(つづく)
(初出:2014年07月31日)
(初出:2014年07月31日)
登録日:2014年07月31日 14時09分