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天野雅
著者:天野雅(あまのみやび)
埼玉県生まれ、千葉県育ちの関東人だった。結婚を機に関西の人間になる。現在は関西とも東海ともいえる近畿地方に在住。10年経って方言にも慣れた。血液型はマイペースで知られるB型。住めば都を地で行く性質。ネット作家歴20年。同人作家歴はプラス5年。趣味は映像鑑賞。写真撮影。歌唱。創作料理。好物は自然万物一般。美術芸能一般。パソコン。ゲーム。漫画。文章。
小説/ファンタジー

約束の夏(4)

[連載 | 完結済 | 全4話] 目次へ
玲子に取り憑いたとおぼしき霊の目的とは? かつてのこの場所であった出来事が生者を巻き込み展開する。約束の夏、最終章。
8.指導者不在

 リーダー杉野には連絡がとれず、サブリーダー玲子はダウンしたまま。浅井の抱える問題へ、残された僕らに出せる答えはなかった。
「しかたない、玲子さんのこと、宮下に伝えにいってくる」
 数秒の沈黙のあと山田が思いつめた表情で立ちあがりながら言った。
 エッと全員の視線が集まる。
「仮にも顧問だもん。生徒が熱出してるって分かったら助けてくれるかも」
 すぐにでも出ていきそうな勢いだ。とっさに僕は引きとめた。
「ひとりで行動しない方がいい。特に山田は1度危なかったんだし……えーと」
 たしかに基本は我れ関せずでも、メンバーから病人が出たことくらい把握しておかないと顧問としても対外的にまずいだろう。あの状態を病気と言ってよければ。
 僕だって玲子のために、できるだけの手は打っておきたい。ことによったら救急車、っていうことになるかもしれない、んだよな。
 宮下のケータイナンバーでも知っていれば簡単だった。しかし、あいにくとそこまでは……杉野だったら登録していたかもしれない。学校の代表電話は事務室だろう。宮下が出るとは思えなかった。直接、宿直室へ向かうしかない。
 僕はメンバーを見回した。
「浅井……は玲子の看病を頼むよ」
「あ、はい」
 外からは変わらず雨音がしている。風も強そうだ。せっかく乾いた服で落ち着いているのに、山田の気概はたいしたもんだった。靴だってぐっしょり水で重くなっている。
 浅井に同行を言い渡すのは可哀想だった。さっきはひとりでここまで戻ってきたんだし、怖い思いをしただろう。また似た状況に陥ったりしないともかぎらない。
「そしたら、竹重……に――」
 言いかけると、山田がふいっと顔をそむけた。ああ、犬猿の仲だった。
 僕は内心溜め息をついて、続けた。
「――浅井と玲子のそばについててくれ。俺、ちょっと山田と行ってくるから」
「りょーかい」
 とぼけた返事だ。目が笑っている。
「何かあった時は頼むからな」
 寝てんじゃねーぞ、とひとにらみして僕は立ちあがった。
「任せとけって。これでも有段者だぜ、オレ」
 竹重が得意そうに、あぐらをかいた分厚い太腿をてのひらで張りながら応える。幽霊を直接相手にしないで済んだから、余裕が出てきたらしい。
 僕は山田に続いて上がり口に置かれていた傘をつかんだ。

   ◆

 雨はいっこうに、弱まる気配がない。
 僕と山田は小走りに体育館の脇を抜けた。
 アスファルトの通路は普通教室棟の脇を突っ切り、管理棟の正面玄関で門からの道と合流している。幸い舗装されていて鉄板の屋根もついていたから、覚悟したほど濡れずに済んだ。
 鍵のかかった正面玄関をパスして壁に添って奥へ廻ると、中庭に焼却炉がある。そのすぐ横に用務員専用口のアルミ扉がある。校内の1階廊下につながっている。
 無人の校舎は嵐の下で、のしかかるような闇に沈んでいた。
 僕らは無言でいた。大雨の中ではもちろん話なんかできやしないが、扉のノブを引き開け、急いで傘をたたんで校舎の中に逃げこむと、今度は逆に外の騒音を遮断した静けさにつつまれた。
 コンクリの狭いたたきから上がるとリノリウムの廊下がまっすぐ延びている。壁の低い位置に緑色の非常灯があいだをあけて並んでいて、それがうっすらと足元を案内してくれていた。数メートル先の左側から白い光が漏れている。用務員室か宿直室だろう。宮下がいるんだ。
 廊下の右側は透明なガラス窓が肩の高さに続いている。中庭の噴水池が見えるはずだが今は暗いだけだった。時折、風と木々の鳴る音が聞こえる。
 傘と靴を置いて濡れた素足で砂とほこりの感触のする床をピタピタと歩きながら、宮下へどう報告するか小声で話し合った。
「玲子さんが熱を出したって言って、薬もらえるかな?」
「風邪らしいってことにするか……幽霊やレール云々は伏せておこう。どうせ信じてもらえないだろうし」
 超常現象に無関心な態度を見てれば、霊感も理解もないことくらい一目瞭然だ。
 それに、それは僕達の領分だった。霊の存在が目の前に立ちはだかっているとしても、こちとら『超常現象同好会』だ。ビビるもんか。
 とはいえ霊に連れ去られて行方不明、なんて事態になっていたら最悪だった。
「玲子の体調、回復してくれればな……」
 定年間近の生物教諭は、不祥事が起きたら同好会を潰そうという動きに逆らいはしないだろう。むしろ監督不行き届きと糾弾されまいと、率先して解散を命じるかもしれなかった。
「大丈夫かな?」
 横を歩きながら山田がつぶやいた。暗くて表情は見えないが、声は不安げに揺れていた。いつもは気丈な山田もこの状況下で、頼りの杉野も遠いし心細いんだろう。
「大丈夫だろ」
 独り言だったかもしれない。でも僕はできるだけ気楽なそぶりでそう応え、『宿直室』と表示された扉に手をかけた。
 スチール製の、教室にあるのと同じガラリ戸だ。ただ、上半分に嵌めこまれているのはスリガラスで室内がうかがえない。ガラスは中の照明を通して白い光沢を放ち、暗がりに慣れた目にまぶしかった。
「今夜のうちは様子見ってことになるかもな」
 僕は小声で言って、強めにノックした。
「すいません木崎です、失礼します」
 左へ滑らせると、砂でも噛んでいるのかガガガ、と引っ掛かって開きが悪かった。
「宮下先生、ちょっと話が……」
 開いた戸の隙間から明らかに宮下でない甲高い女の笑い声が聞こえ、ギョッとしたが、すぐにそれはBGMをともなってテレビCMのワンシーンだと分かった。
 山田も、鳥肌立ったのか腕をさすりながら苦笑している。
 少しずつ戸を開くにつれ部屋からこぼれる光の量はだんだん増えて、そのうち廊下を足元から満たした。
「……先生?」
 僕がこの部屋を見るのは初めてだ。半畳ほどの狭い板間があり、すみにお盆が置かれていて夕飯を済ませた食器がのっていた。合宿所から運ばれたものだ。
 奥にふすま。今は開け放たれて、板間にあがると電灯の下に3畳ほどの室内がひとめで見渡せた。
 左側の壁に宮下のものらしいカーキ色のボストンバッグが寄せられていて、奥の角にテレビがあった。16インチ程度の小さいテレビだ。今は夕日に照らされた砂漠を場違いなほど車体の磨かれた高級車が2台ならんで疾走している。
 そして室内を8割がた占領しているのは布団一式だった。枕元にページの真ん中で伏せて置かれた文庫本。ストローの刺さった野菜ジュースの紙パック。
 肝心な先生の姿はなかった。敷布が少し乱れているのは、寝転がって本を読んだりしてたせいだろう。
 足のほうに合宿所で使っている扇風機と同じものが置かれ、羽を回していた。
 真正面の黄ばんだ障子が、ところどころポッカリと黒く穴を開けている。風の音が近い。雨戸は閉まっていないのか。向かって右側はふすま、これは押し入れか、用務員室とつながっているか。
 僕は思い切って踏みこんだ。汚れた足で布団を踏まないように壁伝いに動き、ふすまに手をかけた。山田は板間から顔だけこっちに向けて、息をひそめて見守っている。
 僕はちらっと目配せをして、それから一気に開けた。
 ふぅっと、息が洩れる。
 それはただの押し入れだった。漆喰の壁がくすんで汚くなっているが、普通の押し入れだ。もちろん宮下の姿はない……ただ、足のたたまれた座卓が窮屈そうにしまわれていた。その影に……。
「……ん?」
 僕はかがんで腕をのばした。
 古そうな新聞紙にくるまって転がっていたのは、単一電池がたくさん入っていそうな大きくて重い、赤いプラスチックの表面がやや色あせた懐中電灯だった。

   ◆

 僕と山田は豪雨を振り切り、一目散に合宿所に戻った。
 階段をあがる手前でタオルと保冷剤を手に下りてきた浅井と出食わし、連れだって炊事場に入った。
 玲子は依然、眠っているらしい。
「先生いなかったんですか……」
 不安げに眉をひそめる浅井に、
「まあ、もともとアテにならない顧問だからね」
 山田の言葉は非情なくらい素っ気なかった。
「こんなことくらいで音をあげたりしないわ、あたしは」
 開け放したサッシ戸に傘を立てかけ、フキン代わりに置いていた乾いたタオルで腕など拭きながら、不敵に笑んでみせる。
 まったく虚勢だけは一人前ね、俺ら。
「にしても宮下、どこ行ったんだろうな」
「さあ……トイレだったのかも?」
 そうか、と納得する。間違っても弓道場の一件と結びつくとは思えない。この大事な時に宮下の捜索なんてやってられないってこともあるが。
「先輩が無事に戻ってきてくれて良かったです」
 とりなすように浅井。シンクで玲子の額にのせてたタオルを洗う。
 僕は浅井が調理台に置いた、ぬるんだ保冷剤を冷蔵庫の冷凍室に放りこみ、数個入っていた凍ったなかから大きめなのを選んで取りだした。
「でも変よね……」
 食器棚に寄りかかっていた山田が僕に乾いたタオルをくれながら言った。さんくす。
「何が?」
「だって、どうして? ここを列車が走ってて、その時何かあったとしても明治か大正か、とにかく昔の話でしょ? どうして今年になって浅井さんだけにそんな夢、見せるわけ? 汽笛だって去年まで誰も聞いてなかったのに」
 言われてみればそうだ。汽笛を耳にした人間も、直接訴えてきたのは今のところご近所の年配者だけ。単に霊感があるなしだけのことなんだろうか?
「黙ってるだけで、他にも見てる奴、聞いてる奴、いるかもしれないけどな」
「そうなのかな。それならもっと、騒ぐ生徒もいるんじゃないの? それに玲子さんだって……あたしだって……今年に限って、なんでこんなふうに巻きこまれなきゃならないの。ここに合宿したのはあたし達だけじゃないんだからね? 野球部だってブラバン(吹奏楽部)だって、一昨年だってその前だって、使ってるんだから。それまで霊感の強い人がいなかっただなんて、あたし信じないよ」
 まぁな。霊感云々は別として……去年の僕らの合宿のときは、玲子も山田もなんともなかったわけだからな。
 けど、それは。
「なんとなく判る気がするけど」
 僕は諦めた気分で言った。
「俺達が、そういう目に遇いやすいようにできてるってことだろ」
「え……」
 山田と浅井の不審そうな視線に、僕はうなずいてみせた。
「もともと霊騒動に巻きこまれやすくできてんだろ? 俺は初めてだけどさ。幽霊の声を聞くのは、山田にとっちゃ初めてじゃないんだよな。玲子は精神の体外離脱で、隙をついて霊が入るなんてこともあるのかもしれない。竹重も怖がってたわりには慣れてるみたいだったし。浅井の体験談は聞いてないから知らないけどさ、類は友を呼ぶ、または朱に交わればなんとやら。知ってんだろ、だからここが『類友同好会』って呼ばれてるってことくらい」
「……それで?」
「だから俺達だけが急に霊現象を体験したとか巻きこまれたとか、そんなのは別にどうってことないんだよ。問題は――」
 そこで僕は自分でも言いかけたことにちょっとびっくりして、唇をなめた。
「なによ、もったいぶらないで早く言ってよ」
「ああ。問題は、怪現象が今年に限って起きてるってことだ」
「なによ、さっきあたしがそう言ったじゃない。春ごろから突然、噂になったのよ。リーダーが合宿前に説明してくれてたでしょ」
「今年……に何か、理由があるのか」
 憤慨した山田の剣幕に押され、たじたじとなりかけたが、杉野が絡んでいるからだと理解した。やれやれ。僕は思いつくまま、
「杉野なら何か知ってるのかもしれないな。ここには何かいる。それだけは確かだ。見越して浅井を勧誘したなら、浅井が例の夢を、だんだんひんぱんに見るようになってるってことだって、何か……」
 はっきりとは分からない。僕には霊感がない。でも、そこに何か働いてるとするなら。
「主張が強くなってきてる、のか……」
「え?」
 山田に聞き返されたが、僕も理論だてて説明できそうにない。
 浅井がしぼったタオルで凍った保冷剤をくるむのを見て、僕は身体を拭いたタオルを置いて傘を取った。
 浅井の夢と玲子に憑いた霊が、あの弓道場に……いや、列車に関係あるとしたら?
「もう少しレールを調べてくるかな……」


9.約束の夏

「じゃ、あたし達は玲子さんのところに――」
 いまいち不満そうな表情のまま山田が言いかけ、その先を空中分解させた。
 その時、確かに僕は、厚いガラスにひびが入るようなビッ! という音を聞いた。
 瞬間、辺りを支配したのは白い闇、いや大型のフラッシュをたいたような白い光だ。
 浮かび上がった山田と浅井の表情が濃く網膜に焼きついた。ひきつって、大きく目を見開いた――
 ガダダウウゥンン………!
 一瞬遅れて耳をつんざく轟音に、女子の悲鳴があっけなく吸い取られていく。
 そして――滝壷にいるような物凄い雨音。
「ああああ」
 山田が口をあけたまま、浅井は硬直したように動かない。
「おい大丈夫か? すごかったな。今のはマジで鼓膜が――」
「ち、ちが、あ、あ、あ、」
 山田が、らしくもなくぶるぶる震える腕で僕の後ろ、サッシ戸の方を指さした。
「んん……?」
 パッと再びの稲妻で明るくなった、銀色の雨粒の落ちる外に浮かび上がった影。
 こっちには背を向けて。あれは。
「玲子――」
「違う、玲子さんじゃないっ!」
 ふたたびの雷鳴の残響の中。
「山田? 何か見たのか」
「見たんじゃない、でも分かる、あれは玲子さんじゃない」
「私、見ました……」
 唇を震わせて、浅井が言った。
「うつろな目……」
 そうか、さっきのあいつか!
「きっとまた弓道場へ行くつもりだ。くそっ、なんだってこんな天気の日に」
 炊事場を出かけ、周囲が真っ暗なことに気づいた。
「っくそ、停電――」
 僕は宿直室から念のためと持ちだしてきた懐中電灯を山田に渡した。
「山田、浅井、悪い、玲子を追ってくれ。追うだけでいい」
「木崎は?」
「竹重を……見てくる」
「――! 分かった。でも、早く来てね」
 山田の返事を聞くなり、僕はドアから飛びだした。

 玲子についてたはずの竹重。『彼女』が外へ出たってことは……
 階段を駆けあがる。水浸しの鉄板は滑りやすく、転びそうになりながら。視界の悪いなか錆びの浮いた手すりを頼りに。
 しまったよな。忘れてたんだ。玲子の体を乗っ取ったあいつ。手を触れずに矢を飛ばし、木の雨戸に刺してしまえる、――念動力(テレキネシス)を使えるってことを。
『早く来てね』か。山田のセリフが耳をかすめる。できるだけそうするつもりだが、最悪の場合……
「竹重! 無事かっ!?」
 リーダー部屋に飛びこむと、暗がりの中で四角い……畳に置かれたゲーム機の液晶が場違いに白々しく明るかった。暇つぶしにテレビを観ていたらしい。強風にあおられて背後で扉が閉まる。外のざわめきが幻聴のように遠くなり、番組を仕切るタレントのおおげさな笑い声が聞こえてくる。
 濡れた肩に寒気を感じた。
 ――いない?
「竹重……!」
「ううっ」
 はっとして、女子部屋へ足をむけた。
 折りよく雷光が窓から射しこみ、ぐったりと壁に背を押しつけ横倒しの格好で手足を投げ出した竹重を見つけた。
「おい!?」
 濡れたスニーカーが重すぎて脱げない。土足のまま踏み入り、肩を起こして揺さぶると、うっすらと目を開けた。有段者でも念動力には勝てなかったか。
「ああ。……――っ」
 かすれた声で、激しく咳きこむ。血を吐いたりはしなかった。
「――れ……子……」
「今、浅井と山田が追ってる。弓道場へ行く気だろう。俺もすぐ追うつもりだけど……大丈夫か?」
 竹重は腹を押さえてノドを鳴らしながら、首を縦に振った。
「心配すんな……、凄い勢いで、いきなり叩きつけられただけ――、たいしたことないさ。柔道じゃ……日常茶飯時」
 もう1度強くむせてから、「クソッタレ」とつぶやく。
「現役だったら、こんな無様に負けやしなかったのに」
 壁が相手じゃ受け身もとれないさ、と僕は言ってやりたかったが、無事と分かれば少しの時間も惜しかった。
「じゃ、行くぜ?」
「おうオレも、あとから……すぐ追っかける」
「無理すんなよ」
 部屋から出かけ、思いついてリーダー部屋の荷物からケータイを手探りで取り出すと、竹重が呼んだ。
「『玲子』が言ってた。あいつ――、『急がないと会えなくなってしまう』とかなんとか」
 会えなくなる……?
「それだけだ」
 僕は、また暴風雨の中へ駆けだした。

   ◆

 たまに閃光の迸る校庭を、ケータイのバックライトで足元を照らしつつ、全力疾走で弓道場を目指した。ケータイが防滴タイプで幸いだった。
 炊事場の入り口に傘が1本残されていたが、さして走るのもめんどうだったし竹重のために置いてきた。だが雨の勢いは容赦なく、少しも行かないうちに全身濡れそぼった。すべって取り落とさないようにストラップを指に巻いたほどだ。
 弓道場にたどりついた時――扉は開いていた――、山田と浅井はひとつ傘の下で、的場の所でじっとしていた。
 あの、レールが見える、隙間の前に。
「おい?」
 どしゃ降りの中、矢道を走りながら大きめの声で問いかけると山田が振り返った。しかし黙ったまま、ただ手招きした。
「どうした?」
 額から流れる雨と汗に、目が痛かった。息があがっている。
 山田は植えこみの隙間を示した。
 懐中電灯の光がうっすらと届くレールの隣に、濃いシルエットが見えた。
「……?」
 目を凝らす。雨の中、ずぶ濡れになりながら身じろぎひとつせず、ただ立っているだけ。
 また空が光った時、横顔が見えた。怒っているのでも無表情でもない、強く目を閉じて祈るような。あれは……
『急がないと会えなくなってしまう』――
「この塀の隙間からすり抜けてって、ずっとあそこでじっとしてるの。ずっと」
 山田は玲子から目を放さないまま言った。
 浅井は食い入るように、玲子とレールを見ているらしかった。僕と山田の会話も、まるで聞こえてないみたいだ。
 僕は山田にも浅井にも聞こえるように、2人のうしろで言った。
「竹重は無事だったよ」
 僕は自然と浅井の後ろ頭を見ながら、
「玲子の中の彼女……あの霊は、どうやら待っているらしい」
 浅井の肩がわずかに揺れた。でも、向こうを見たままだ。
「待ってる?」
 山田が僕を振り返る。今さらだけど半分傘をさしかけてくれた。僕は水滴の落ちる前髪をかきあげた。
「そうさ。きっと『彼女』は、まだ生きていた頃――ここを列車が走っていた頃、ある人と別れたんだ。この場所で」
「それじゃあ」
 声のトーンをあげて、山田が言った。
「浅井さんの夢の通り?」
 とうの浅井は玲子の方を見たままだ。
「そう考えれば納得がいくだろ。彼女は相手の帰りを待ち続けていた――死んでしまった今でも」
「だけどっ」
 山田が食い下がるように反論してきた。
「どうして今頃? 玲子さんの体を使ったりしてまで? 相手だって死んじゃってる、きっと。待ったって無駄よ。木崎ってもう少しリアリストだと思ってたけど」
「そう言われてもね……時間の経過が分かってないんじゃないか。もしかしたら、こうも考えられる。死んでなお、彼女はずっと待ったんだ。幽霊になっても。そして、やっと念が引き寄せた――現れた汽車には、相手は『乗って』なかった。それで繰り返す汽笛の説明がつくだろ。会うには実体が必要かもしれないと考えて、彼女は玲子に目をつけた。……相手が現れるまで、玲子はあのままかもしれない」
「そんなっ。変だよやっぱり。なんで今年なわけ? なんで今なの? どうしてもっと別の時じゃないの」
「それは……」
 僕は言いよどんだ。そこまで僕には分からない。
 確かに、この考え方はかなり非現実的なのかもしれない。でも、確かに彼女は待ってるんだ。相手が現れるのを――再会を、果たすために。
「それは、彼女には分かったから」
 僕は驚いて浅井を見た。僕に背中を向けたまま、喋ったのは浅井だった。
「彼が近くにいる――『帰って』きたって。だけど彼は忘れてた。何も分からずこの場所に来て……あのレールに気づくまで」
 また雷鳴が轟いたが、浅井は平気で言葉を続けた。平坦な抑揚が淡々としすぎていて浅井の心情がうかがえないままに。
「彼女は信じてたの。彼が思い出すことを。『今』なら、必ず――そして、彼は思い出した」
 何か、目の前で急に火花が散ったような、頭をハンマーで殴られたような、強烈なショックが僕を襲った。そうだったのか! 夢は浅井が見て当然だ。彼女の前世なんだから……そして幽霊騒ぎが突然起きたのは、浅井が近くに来たからだ――と、突然すべてが僕のなかで明確になり――こんな大事な時に、僕は茫然自失してしまったんだ。
「浅井さん! ダメだ、行ったら危ないっ」
 後方からの大声に、僕は我に返った。
「リーダー!?」
 僕が振り向くより早く、山田が叫ぶ。
 片腕を肩から白い包帯で吊り、もう片腕で傘をさしながら、泥を蹴散らしてこちらへ駆けて来る。それは間違いなく僕達『類友同好会』のリーダー、杉野、だった。片手に懐中電灯を持っている。
 その光の先で小柄な浅井は玲子同様、塀の隙間をすり抜けていた。杉野の制止が聞こえないのか、まっすぐ玲子の方へ走っていく。
「行くな――っ!」
 杉野が矢道で怒鳴る。
 僕は慌てて塀に飛びついたが、そこからではどうしようもなかった。
 浅井が大きく両腕を広げ、玲子を抱きしめる。その瞬間、僕には彼女達の姿にだぶってまったく別の世界が見えた。
 三つ編みの髪に白い上衣を着た、浅井よりも背の高い女の子が玲子にだぶり。
 変わった形と色をした帽子をきっちりとかぶった、制服姿の男子が浅井にだぶり。
 その服装は先日の終戦記念日にテレビで放映された記念ドラマに登場した主人公が着ていたものにそっくりだった。第二次世界大戦における、日本兵の軍服だ。
 言葉は交わしていなかったが、雨のなか1枚の絵のようになった彼らには、その抱擁だけで充分だったろう。
 そして、どこからともなく聞こえてきた……汽笛?
 ――戦争が終わったら、ぜったいに帰ってくるから……
「!」
 実はふたりの姿が重なったのは、ほんの一瞬だったのだ。瞬きする間もなく、すぐに雷光に包まれた。それは――ただの稲光だったのだろうか?
 残響の中、空気は徐々に色を戻していった。
「浅井さんっ! 玲子っ!?」
 思い出したような杉野の怒鳴り声に、はじかれて僕は塀を飛び降りた。浅井と玲子は折り重なって倒れている。
「木崎、どうだ、生きてるか?」
 杉野の物騒な指示にも、さしこまれた懐中電灯の光のなかで僕は大真面目に彼女達の手首をとった。
「……生きてる……!」
「よしっ」
 安堵に片手を膝で支える僕の後ろで、杉野の元気な声がした。
「おう、竹重か、こっちだ。木崎を手伝ってやれ。ふたりをとりあえず屋根の下に……山田さんは合宿所からタオルをとってきて」
「はっはい」
 いつの間にか雨は小降りになっていて、水溜まりを蹴散らす足音を僕は背中で聞いた。
「終わったな。もう大丈夫だ」
 よかったよかった、と杉野の調子は嬉しそうに軽い。
「あっ」
 僕は暗い周囲を見回して、気がついて声をあげた。
「どうした、木崎?」
「レールが――」
 たった今までそこで鈍い光を反射させていたはずのレールが、跡形もなく消えてしまっていた。暗くて見えないだけか? いや、どこにも……もうないような気がした。
「おーい、ふたりをこっちへ連れてこれるか?」
 間延びした声が場の緊張を打ち砕く……た、竹重……
「行けるわけないだろ」
 腹立たしく言って仰ぐと、黒雲は藍色の空に割れつつあり、雨も静かにあがりかけていた。
 優しい風が、かたわらを吹き抜けて過ぎていった。


エピローグ

 玲子と浅井は気絶していただけで、空き地で名前を呼んだり身体を起こしたりしてやっているうちに意識を取り戻し、僕らは心底ほっとして合宿所に戻った。
 ざっと順番にシャワーをあびて温まり、もう着替えのない僕と竹重は杉野の持ってきた新品だというトランクスだけ借りてリーダー部屋の布団をかぶった。明日、山田に家庭科室のアイロンを借りてきてもらうことにして、今夜は就寝。
「緑越線、いつから動いてたんです?」
 電気の紐を引きながら、僕は杉野に訊いた。土砂崩れで運休してた緑越線。テレビで見る限りは撤去に時間がかかりそうだったが……。
「交通手段が電車だけと思うなよ」
 器用に片腕で三角布を取り替えたあと、Tシャツに学年指定の緑ジャージ姿になった杉野は早々に薄いタオルケットをかぶって、真ん中に敷いた3枚目の布団に寝そべっていた。
「その気になれば、多少時間かかるけど別ルートで来れるんだ。もう少し早く家を抜け出せていれば、事故にひっかからずに来れたんだがな。タクシーも呼べば来る。おかけで時間は食うわ、金はかかるわだったが」
「こっちの状態知らないのに、そんな必死こいて来てくれたんですか?」
 暗い部屋を足探りで布団に横たわる。入口側に足を向け、左に竹重、右に僕。
 それともどこまで報告がいってたんだったか、と僕が考えを巡らせる前に杉野はきっぱりと答えた。
「知らないはずがないだろう。オレにはちょっとした予知能力があるって、以前話したぞ」
「そっそういえば……でもまさか本当だとは」
「なんだ信じてなかったのか。オレは嘘は嫌いだ」
 ……それが事実だとしたら……じゃあ!?
「いや、しかしここまで見事に運ぶとは思ってなかったが」
「つまり今回の事、最初っからどうなるか知ってたのか? 合宿決める時、から……」
「正確には浅井美由紀をスカウトした時からな。オレの怪我は予定になかったんだが。残念ながら自分のことは予知できないんだ」
 な、なんか腹立ってきたぞ。
「分かってて、中止にもしないで、終わる間際に駆けつけて来て……結局なんのために来たんだ? 何かする気だったのか?」
「あたりまえだろう」
 杉野の声は得意げに弾んだ。
「幽霊を見に来たんだ」
「てっめ〜っ、俺らがどんな思いしたか」
 布団から身体を起こすと、杉野は姑息に暗がりへ位置を変え、
「まっ待て待て。木崎、この会のモットーを言ってみろ」
「え……。『飛びこめ不思議っ! 冒険に臆すな』ってやつ?」
「そうだ。だが危険が伴うため、代々リーダーはその冒険への機会を見送ってきた」
「へ?」
「しかし今。このメンバーは、完璧だ。みんな何らかの特殊能力を持っている。オレはコトが成る方へ賭けた。大成功だ」
 なんだって?
「ちっと待て。みんな? 浅井はたまたま今回、前世が現れただけで、特殊能力とは言わないんじゃ」
「あん?」
 暗がりに、杉野のしのび笑いが響いた。
「それは読み間違いだ。浅井さんはあそこで長いこと待っていた霊に同調し『彼』の霊を引き寄せただけさ。彼女にはシンクロの力があるんだ。おかげで『彼』の霊を運ぶ役までしてしまった。あそこまでとは、さすがにオレも看破できなかったが」
「なっなっなっ」
 僕が二の句をつげないでいると、眠っているとばかり思ってた竹重が、
「どうしてそうだと分かるんだ?」
 と珍しくもっともなことを言った。
「簡単だ。浅井さんの前世が『彼』なら、『彼女』の霊と一緒に逝ってしまったさ」
「うーむ」
「もし浅井さんもそう思ってたら、おまえ教えてやるといい。……その代わり能力のことは信じないかもしれないが」
「言えるかよ、バカ」
「バカとはなんだ。今回、オレは入念な下調べまでおこなった。70年前、戦火に焼けるまでここ一帯は発達した商人の町だったんだ。ちょうど、弓道場のところに小田駅があった」
「小田駅?」
「古い地図には載っている」
「それと浅井と、どういう……」
「こんなに優秀なオレが間違えるはずないだろう」
「……」
「木崎の予測もあながち外れてなかったな」
 本当かどうか疑わしかったが、あの女の子らしい浅井の前世が男だとは考えにくいからとりあえずそれでよしとしよう。しかし。
「だけど僕は、特に能力なんか持ってない」
「おまえはね。ウチの運命、握ってるようなもんなんだよ」
「えっ、どういうことだ、杉野」
「リーダーと呼べと言ってるだろーが。木崎は行動のタイミングがいいんだ。無意識のな。だから何かあっても見逃さない」
「そういうのって……能力か?」
「まあ、今回黙ってたのは悪かったから明日の食事はオレのおごりだ。駅前まで行くぞ。今夜は早く寝ろ」
 と言い終わらないうちに、大きないびきが聞こえてきた。たっ竹重……。
「あ、そうだ宮下先生な、さっき山田さんがひとりで戻ってきた時に風呂から出てくるところを見かけたそうだぞ。良かったな」
 ちっとも良くないっ、と心で叫んで、僕はふてくされて大判バスタオルみたいなケットをかぶった。
 合宿はまだ2日残っている。
 杉野はもう次の『超常現象との出会い』プランを練っているのかもしれない。
 幽霊騒ぎよりも、そっちの方が怖い気がした。
(了)
(初出:2014年09月23日)
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登録日:2014年09月23日 15時35分
タグ : 学園 幽霊

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  • 約束の夏(1) 天野雅 (2014年07月31日 14時09分)
    夏休みも残りわずか。類友同好会こと『超常現象同好会』の校内合宿がはじまろうとしていた。どこにでもある学校の七不思議――ではなく、もうひとつの怪談を体験しようと集まった部員達だったが……。(小説ファンタジー

小説/ファンタジーの記事 - 新着情報

  • よろめくるまほろば(2) 石川月洛 (2015年09月19日 13時58分)
    診察室にやってきたサトヤくんはしゃべらない。彼がもってきたケースにはカラーモールで作られた蜘蛛の人形――ターチがいた。ターチと話すサトヤに僕は……。(小説ファンタジー
  • いらない王様 新美健 (2015年07月21日 14時26分)
    あるとき、あるところにひとりの王様がいました。とても体が大きく、頭のいい人でしたが、気が短くて乱暴であったため、家来たちに自分の国から追い出されてしまいます。ついてきたのは道化師ひとりだけ…。番組化もした童話原作。(小説ファンタジー
  • 約束の夏(4) 天野雅 (2014年09月23日 15時35分)
    玲子に取り憑いたとおぼしき霊の目的とは? かつてのこの場所であった出来事が生者を巻き込み展開する。約束の夏、最終章。(小説ファンタジー

小説/ファンタジーの電子書籍 - 新着情報

  • 瞳の奥に眠る森 城本朔夜 (2011年09月29日 15時47分)
    エリートたちが集うネスト本校に通うサナイに、リゴフィールド行きが告げられた。就職と出世の貴重なカードとなるチャンスにも、サナイの心は浮かばない。ひとり分け入った森林で見たオーグルの意外な姿。兄の死の真相、ヒビキの出生、カスガの怪しい行動。次々と明らかになる大人たちの欺瞞と葬り去られた過去に立ち向かう感動の大作! (小説ファンタジー
  • 麗人軍師とオアシスの魔法使い 新美健 (2011年04月20日 14時58分)
    『桜花の大乱』より、一年半後――。解脱してしまいそうな平和な春、第三王女であるウズメ姫に呼ばれた侍女コノハは、密書を託される。オアシスとも称される砂漠の国、ブランク王国に赴いたコノハが、大乱の英雄ユキムラに渡した密書は、世界大戦の引き金になりかねないものだった!
    価格:315円(小説ファンタジー
  • イペタムの刀鞘 城本朔夜 (2010年11月20日 15時42分)
    蛇の痣(あざ)がある孤児、カカミ。村中の人間から「悪魔」と忌み嫌われる彼は、妖刀イペタムに魅入られ、寝食を忘れてイペタムの鞘作りに没頭する。そんな彼をそっと見守るのは、皆殺しにあった村で姉と二人だけ生き残った美しい娘、ミナ。やがて数年の研鑽が実を結び、ついに鞘が完成するが……。
    価格:350円(小説ファンタジー

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  • 約束の夏(2) 天野雅 (2014年08月10日 20時09分)
    幽霊の声を聞いたという山田。同好会の面目としては調査しないわけにはいかない。台風が近づいて雨風吹きすさぶなか、玲子が行方不明となり……。(小説ファンタジー
  • 風が哭く(7) 天野雅 (2013年04月16日 14時59分)
    自殺したさゆりのことが好きで同情した篠崎の心の隙に入り込み道具として利用したほどの凄まじい怒り。天理姉弟は鎮められるだろうか? 風が哭く、最終章。(小説ファンタジー