
著者:石川月洛(いしかわつきみ)
創作フェチの物語フェチ。時間と人間と山椒が苦手。迷ったときのおまじないは、「つま先の向いている方が未来」(byつきみん)。つまり、出たとこ勝負。創ることならなんでも好きな、やってみたがり。でも長続きはしない……。近頃は、自分の人生が「情熱」知らずだったことに気づかされて、いやでもそれってどこで修行すれば会得できんだよ、というのがテーマです。
小説/ファンタジー
よろめくるまほろば(1)
[連載 | 連載中 | 全2話] 目次へ
病院にやってきた倉持さんは、必死の形相で懇願した。「寿命でしょう」僕が宣言すると、倉持さんはポロポロと涙を流した。仄暗く怪しげな病院の診察風景を描く「よろめくるまほろば」連載開始!
倉持さんとハエ取り草
顔を真っ赤にして、かっと開いた瞳を潤ませながら、ひいた顎で押しつぶした気管支から絞り出すような声で倉持さんは言った。
「そこをなんとか、……先生!」
倉持さんは、診察台に身を乗り出して、僕に迫る。
象の肌のように深い皺の刻まれた顔に、黒々とした太い眉、その下には腫れぼったい一重まぶたの目、大きな涙袋が小刻みに揺れている。口ひげと顎ひげはどちらも白く、やはり白いモミアゲに繋がっていて、頭髪と対照的な豊かさだ。いまだに現役だという土方仕事で鍛え上げた筋肉に、ゴルフウェアのポロシャツが窮屈そうに貼り付いている。胸の刺繍が倉持さんの動悸に揺さぶられているのを僕は凝視していた。
僕と倉持さんの間には、あまり大きくない診察台と、その上に風呂敷を敷いて乗せられた植木鉢がひとつ。植木鉢には、ハエ取り草の小さな株が生えている。
僕は黙って椅子を回転させてデスクに向き直り、ノートパソコンで調べるしかなかった。
先生だけが頼りなんです、こいつがこんな姿になったのは儂のせいなんです、儂が無理にこいつに餌を食べさせようとしたのがいけなかったんです、食べさせ過ぎたんです、それはわかってるんです、もうこんなこと二度としません、誓います、だからどうかどうかこいつを元の元気な姿に戻してやってください。
倉持さんの呪術のような、か細いつぶやきが聞こえている。
僕は意を決して椅子を回転させながら、「倉持さん、」と声をかけた。
倉持さんの眼光で、僕は、見えないなにかに磷付にされてしまった。
「残念ですが、そのコはもう助かりません。おそらく寿命でしょう」
倉持さんは無言で僕に次の言葉を迫っている。診察台の上で鉢を包むごわついた両手が音をたてて震えている。
「そのまま放置しておけば、その1本は枯れて朽ちると思います。……あのぉ、よければ、今、ここで切除しましょうか?」
倉持さんは、唇を痙攣させながら、「先生におまかせします」と言った。
そこで僕は、デスクの引き出しからハサミを取り出して、捕食器のついた葉を根元から切り取った。そして、その根際に、新しい芽を見つけた。
「倉持さん、ここ、見てください!」
鉢を差し出すと、倉持さんは、ぽろぽろと泣き出した。まばたきを忘れたまま、涙を流し続けている。ぱくぱくと釣り上げられた魚のように無意味に口を開いたり閉じたりしている。やがて、
「命が巡っているということですね!」
と、興奮して唾を飛ばしながら叫んだ。
僕は、切り取った葉を滅菌ガーゼで包んで、倉持さんに差し出しながら、
「毛が生え変わっているのだと思ってはいかがですか? 何度も何度も生え変わっては大きくなっていくんです」
「そういうものですか?」
「そういうものです」
倉持さんは、はあぁーっと、力んでいた体を弛ませ、顔面の皺を絶妙に歪ませて、ほほ笑んだ。やっぱり先生だなぁ、頼りになるなぁ、と大事に抱えたハエ取り草の鉢に向かって話しかけ、何度も振り返っては僕に頭を下げながら帰って行った。
僕は、玄関のガラスドアに貼ったシールの看板文字越しに、倉持さんの大きな背中を見送った。「とよひらどうぶつびょういん」の文字はちゃんとそこにあった。
顔を真っ赤にして、かっと開いた瞳を潤ませながら、ひいた顎で押しつぶした気管支から絞り出すような声で倉持さんは言った。
「そこをなんとか、……先生!」
倉持さんは、診察台に身を乗り出して、僕に迫る。
象の肌のように深い皺の刻まれた顔に、黒々とした太い眉、その下には腫れぼったい一重まぶたの目、大きな涙袋が小刻みに揺れている。口ひげと顎ひげはどちらも白く、やはり白いモミアゲに繋がっていて、頭髪と対照的な豊かさだ。いまだに現役だという土方仕事で鍛え上げた筋肉に、ゴルフウェアのポロシャツが窮屈そうに貼り付いている。胸の刺繍が倉持さんの動悸に揺さぶられているのを僕は凝視していた。
僕と倉持さんの間には、あまり大きくない診察台と、その上に風呂敷を敷いて乗せられた植木鉢がひとつ。植木鉢には、ハエ取り草の小さな株が生えている。
僕は黙って椅子を回転させてデスクに向き直り、ノートパソコンで調べるしかなかった。
先生だけが頼りなんです、こいつがこんな姿になったのは儂のせいなんです、儂が無理にこいつに餌を食べさせようとしたのがいけなかったんです、食べさせ過ぎたんです、それはわかってるんです、もうこんなこと二度としません、誓います、だからどうかどうかこいつを元の元気な姿に戻してやってください。
倉持さんの呪術のような、か細いつぶやきが聞こえている。
僕は意を決して椅子を回転させながら、「倉持さん、」と声をかけた。
倉持さんの眼光で、僕は、見えないなにかに磷付にされてしまった。
「残念ですが、そのコはもう助かりません。おそらく寿命でしょう」
倉持さんは無言で僕に次の言葉を迫っている。診察台の上で鉢を包むごわついた両手が音をたてて震えている。
「そのまま放置しておけば、その1本は枯れて朽ちると思います。……あのぉ、よければ、今、ここで切除しましょうか?」
倉持さんは、唇を痙攣させながら、「先生におまかせします」と言った。
そこで僕は、デスクの引き出しからハサミを取り出して、捕食器のついた葉を根元から切り取った。そして、その根際に、新しい芽を見つけた。
「倉持さん、ここ、見てください!」
鉢を差し出すと、倉持さんは、ぽろぽろと泣き出した。まばたきを忘れたまま、涙を流し続けている。ぱくぱくと釣り上げられた魚のように無意味に口を開いたり閉じたりしている。やがて、
「命が巡っているということですね!」
と、興奮して唾を飛ばしながら叫んだ。
僕は、切り取った葉を滅菌ガーゼで包んで、倉持さんに差し出しながら、
「毛が生え変わっているのだと思ってはいかがですか? 何度も何度も生え変わっては大きくなっていくんです」
「そういうものですか?」
「そういうものです」
倉持さんは、はあぁーっと、力んでいた体を弛ませ、顔面の皺を絶妙に歪ませて、ほほ笑んだ。やっぱり先生だなぁ、頼りになるなぁ、と大事に抱えたハエ取り草の鉢に向かって話しかけ、何度も振り返っては僕に頭を下げながら帰って行った。
僕は、玄関のガラスドアに貼ったシールの看板文字越しに、倉持さんの大きな背中を見送った。「とよひらどうぶつびょういん」の文字はちゃんとそこにあった。
(つづく)
(初出:2012年11月)
(初出:2012年11月)
登録日:2012年11月14日 16時58分
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