
著者:石川月洛(いしかわつきみ)
創作フェチの物語フェチ。時間と人間と山椒が苦手。迷ったときのおまじないは、「つま先の向いている方が未来」(byつきみん)。つまり、出たとこ勝負。創ることならなんでも好きな、やってみたがり。でも長続きはしない……。近頃は、自分の人生が「情熱」知らずだったことに気づかされて、いやでもそれってどこで修行すれば会得できんだよ、というのがテーマです。
小説/ファンタジー
よろめくるまほろば(2)
[連載 | 連載中 | 全2話] 目次へ
診察室にやってきたサトヤくんはしゃべらない。彼がもってきたケースにはカラーモールで作られた蜘蛛の人形――ターチがいた。ターチと話すサトヤに僕は……。
サトヤくんとターチ
小さな診察台を間に挟んで、もう一時間近くも、僕は、台の向こうのサトヤくんと台の上の箱とを見比べている。
少年は、診察カードの名前の欄に『サトヤ』とだけ書いたきり、診察室に呼んでも、椅子を勧めても、僕の方を見もしない。声も出さない。
診察台の上にそっと置かれたティッシュボックスほどの大きさの箱は半透明のプラスチックで、蓋には小さな穴がいくつか開けられていた。中には僕の手のひらくらいの大きさのなにかが入っている。黒っぽい影は、ここに置かれてまだ一度も動いていない。少年も、動かない。立ったままだ。
「座りたくないならそれでもいいけど」
少年の気持ちが落ち着くのを待つにも限界がある。
「この中にいるの、キミの友だちだね? 見せてもらうよ?」
ケースに手を伸ばした僕の手を咄嗟に払いのけようとしたものの、思い直したらしい。台の上に上げた手を戻して、サトヤくんはまたおとなしく立ったままの姿勢になった。
その様子を見守ってから、僕はケースを手元に寄せ、半透明の蓋を少し開けて中をうかがった。
中のなにものかは、動かない。
視線をサトヤくんに移すと、少年はようやく決意したように顔をこわばらせながら、
「タランチュラだよ。動かないから怖がらなくていいよ」
僕はゆっくりと蓋を取った。
「サトヤくん」
「おとなしい、いいこなんだ」
「そうだね」
中にいたのは、焦げ茶色とオレンジ色のカラーモールで作られた人形の蜘蛛だった。たしかにタランチュラに見える。よくできている。
「キミが作ったの?」
少年の顔つきが一気に険しくなった。
「……そうだよ、そうだけど、ちがう。ターチは生きてるんだ。おもちゃなんかじゃないんだ」
ケースの中に手をいれて、僕は、タランチュラを左の手のひらに乗せた。
「ターチか。いい名前だ。それに、とてもいいこだね。おとなしくて、やさしくて、時々おもしろい話もしてくれる。すてきな友だちだ」
少年は、一瞬笑顔になりかけたものの、すぐにまたなにかに耐えているような固い表情になった。
「ぼくのこと、子どもだと思ってバカにしてるんだ。いつまでも人形遊びなんかしてるのはおかしいって、父さんも母さんも。ふたりとも、ぼくが学校に行っている間にターチを捨てようとした。それでぼく、ずっと部屋から出なかったんだ」
そんな子がなんでまた僕のところに?
「でも、ターチが言うんだ」
「うん?」
「机の引き出しの奥にでも隠してしまいなさい、ケースから出せば小さいんだからどこにでも隠せる。隠して、そのまま忘れてしまえば、もっといい。親たちの言うとおり、サトヤはもう大きいんだから、いつまでも自分とばかり話していないで、学校の友だちを作った方がいい、て」
「そうか」
僕は手のひらのターチの顔と思われる部分をじっと見つめた。茶色いモールに目はついていない。
視界の隅に、涙を必死にこらえる少年の顔が見えていた。
「本当にいいやつなんだな、ターチ」
「せんせい、ぼくのことバカにしないの?」
「キミのなにをバカにするんだよ」
「ターチがしゃべること、信じてくれるの?」
「信じる、か」
僕のことばを訝しがっている少年の表情に、しっかり真面目に引き締めた顔を作って、言った。
「ほら、さっきからターチもずっと泣きそうになるのをこらえてる。キミの言うことを信じるかどうかじゃない、ターチが心を持っているのは事実なんだよ。ねぇ、サトヤくんにだけ教えるよ、いいね、秘密だからだれにもしゃべっちゃダメだよ」
声をひそめる僕に少年は目をしばたたかせながらも大きくうなずいた。
「うちにいる白い猫、僕ね、あいつと会話できるんだ」
「猫がしゃべるの?」
「時々ね。でも、だれかにバレると困るから、普段は心の声で会話してる」
「すごい! テレパシーだ!」
「いや、すごくなんてないよ。サトヤくんとターチにだってできるさ」
僕は、カラーモールのターチをそっと少年の手に渡しながら、
「少しターチと相談してごらん。心の声でね。それで、結論が出たら教えて。キミたちは僕にどうして欲しいのか」
サトヤ少年は、週末になるとおやつを持ってここに来るようになった。
おやつは、預かり料らしい。
最初は週に二回は顔を見せていたけれど、近頃は土曜日だけになっていた。とうとう今週はサッカーの試合があるから来られない、とメールしてきた。
「それで? あの子からいくらか補給はしたんだろうな?」
「しないよ!」
「なんで? どうせ忘れていく記憶なんだ」
「忘れるわけじゃない。ただ、思い出す時間がだんだん少なくなるだけだよ」
僕は、プラスチックケースの中のターチに向かってやさしく言った。
背後にいる『猫』には、あえて振り向かない。
「……いつまでそんなキレイゴトばかり言っているつもりだ? もう余裕なんてない。オマエが一番よくわかってるはずだよな?」
僕は、応えないまま、ターチを見つめ続けた。
『猫』の言葉は初冬の風のように冷たい。いつまでもまとわりつく風に、
「わかっているからこそ、」
つぶやいてみたけれど、僕の声は小さすぎて僕の耳にさえ届かなかった。
小さな診察台を間に挟んで、もう一時間近くも、僕は、台の向こうのサトヤくんと台の上の箱とを見比べている。
少年は、診察カードの名前の欄に『サトヤ』とだけ書いたきり、診察室に呼んでも、椅子を勧めても、僕の方を見もしない。声も出さない。
診察台の上にそっと置かれたティッシュボックスほどの大きさの箱は半透明のプラスチックで、蓋には小さな穴がいくつか開けられていた。中には僕の手のひらくらいの大きさのなにかが入っている。黒っぽい影は、ここに置かれてまだ一度も動いていない。少年も、動かない。立ったままだ。
「座りたくないならそれでもいいけど」
少年の気持ちが落ち着くのを待つにも限界がある。
「この中にいるの、キミの友だちだね? 見せてもらうよ?」
ケースに手を伸ばした僕の手を咄嗟に払いのけようとしたものの、思い直したらしい。台の上に上げた手を戻して、サトヤくんはまたおとなしく立ったままの姿勢になった。
その様子を見守ってから、僕はケースを手元に寄せ、半透明の蓋を少し開けて中をうかがった。
中のなにものかは、動かない。
視線をサトヤくんに移すと、少年はようやく決意したように顔をこわばらせながら、
「タランチュラだよ。動かないから怖がらなくていいよ」
僕はゆっくりと蓋を取った。
「サトヤくん」
「おとなしい、いいこなんだ」
「そうだね」
中にいたのは、焦げ茶色とオレンジ色のカラーモールで作られた人形の蜘蛛だった。たしかにタランチュラに見える。よくできている。
「キミが作ったの?」
少年の顔つきが一気に険しくなった。
「……そうだよ、そうだけど、ちがう。ターチは生きてるんだ。おもちゃなんかじゃないんだ」
ケースの中に手をいれて、僕は、タランチュラを左の手のひらに乗せた。
「ターチか。いい名前だ。それに、とてもいいこだね。おとなしくて、やさしくて、時々おもしろい話もしてくれる。すてきな友だちだ」
少年は、一瞬笑顔になりかけたものの、すぐにまたなにかに耐えているような固い表情になった。
「ぼくのこと、子どもだと思ってバカにしてるんだ。いつまでも人形遊びなんかしてるのはおかしいって、父さんも母さんも。ふたりとも、ぼくが学校に行っている間にターチを捨てようとした。それでぼく、ずっと部屋から出なかったんだ」
そんな子がなんでまた僕のところに?
「でも、ターチが言うんだ」
「うん?」
「机の引き出しの奥にでも隠してしまいなさい、ケースから出せば小さいんだからどこにでも隠せる。隠して、そのまま忘れてしまえば、もっといい。親たちの言うとおり、サトヤはもう大きいんだから、いつまでも自分とばかり話していないで、学校の友だちを作った方がいい、て」
「そうか」
僕は手のひらのターチの顔と思われる部分をじっと見つめた。茶色いモールに目はついていない。
視界の隅に、涙を必死にこらえる少年の顔が見えていた。
「本当にいいやつなんだな、ターチ」
「せんせい、ぼくのことバカにしないの?」
「キミのなにをバカにするんだよ」
「ターチがしゃべること、信じてくれるの?」
「信じる、か」
僕のことばを訝しがっている少年の表情に、しっかり真面目に引き締めた顔を作って、言った。
「ほら、さっきからターチもずっと泣きそうになるのをこらえてる。キミの言うことを信じるかどうかじゃない、ターチが心を持っているのは事実なんだよ。ねぇ、サトヤくんにだけ教えるよ、いいね、秘密だからだれにもしゃべっちゃダメだよ」
声をひそめる僕に少年は目をしばたたかせながらも大きくうなずいた。
「うちにいる白い猫、僕ね、あいつと会話できるんだ」
「猫がしゃべるの?」
「時々ね。でも、だれかにバレると困るから、普段は心の声で会話してる」
「すごい! テレパシーだ!」
「いや、すごくなんてないよ。サトヤくんとターチにだってできるさ」
僕は、カラーモールのターチをそっと少年の手に渡しながら、
「少しターチと相談してごらん。心の声でね。それで、結論が出たら教えて。キミたちは僕にどうして欲しいのか」
サトヤ少年は、週末になるとおやつを持ってここに来るようになった。
おやつは、預かり料らしい。
最初は週に二回は顔を見せていたけれど、近頃は土曜日だけになっていた。とうとう今週はサッカーの試合があるから来られない、とメールしてきた。
「それで? あの子からいくらか補給はしたんだろうな?」
「しないよ!」
「なんで? どうせ忘れていく記憶なんだ」
「忘れるわけじゃない。ただ、思い出す時間がだんだん少なくなるだけだよ」
僕は、プラスチックケースの中のターチに向かってやさしく言った。
背後にいる『猫』には、あえて振り向かない。
「……いつまでそんなキレイゴトばかり言っているつもりだ? もう余裕なんてない。オマエが一番よくわかってるはずだよな?」
僕は、応えないまま、ターチを見つめ続けた。
『猫』の言葉は初冬の風のように冷たい。いつまでもまとわりつく風に、
「わかっているからこそ、」
つぶやいてみたけれど、僕の声は小さすぎて僕の耳にさえ届かなかった。
(つづく)
(初出:2015年09月19日)
(初出:2015年09月19日)
登録日:2015年09月19日 13時58分
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